68話:工具は武器ではありません
「えーと、金槌と釘とノコギリ……めんどくせぇ、もうネイルガンと電ノコでいいや。あの2人なら大丈夫だろ」
部屋に戻った一良は、大きめのダンボール内に詰められていた工具類の中から、電動工具を引っ張り出していた。
最初は金槌やノコギリを使って作業をしようと思っていたのだが、今からそれらを使って作業をするのでは時間がかかる。
少し音が目立つような気もするが、もう辺りは暗くなっていて人気も無くなっているし、手元には発電機もあるのだ。
電動工具を使ってちゃっちゃと終わらせてしまったほうが楽でいい。
一良は近くにあった空のダンボール箱に電動工具や照明道具などを放り込むと、それを抱えて中庭へと向かった。
「カズラ様、何かお手伝いいたしましょうか?」
「ありがとうございます。手は足りてるんで大丈夫……ん?」
ダンボール箱を抱えたまま廊下を歩き、たまたま通りかかった侍女に中庭へ通じる扉を開けてもらう。
そして、礼をいいながら扉をくぐると、夜空に複数の何かが飛び回っているのが目に入った。
「何だありゃ。鳥か?」
一良が夜空を見上げたまま呟くと、それに気付いた侍女が一良の視線を追って空を見上げた。
「あぁ、あれは蝙蝠ですよ。屋敷は松明や蝋燭の灯りで街中よりも明るいので、それに寄ってくる羽虫を食べに飛んでくるんです」
「へぇ、蝙蝠がいるんですか。随分多いですね」
よくよく目を凝らして空を見てみると、かなりの数の蝙蝠が飛び回っているように見えた。
これほど大量に蝙蝠が飛び回っているのでは、屋敷に集まってくる羽虫たちもたまったものではないだろう。
そのまま一良は少しの間侍女と一緒に夜空を眺めていたが、気を取り直してダンボール箱を抱えなおすと、アイザックたちが待つ中庭へと向かって歩き出した。
一良はアイザックたちの元に戻ると、ダンボール箱を地面に置き、中から電動ノコギリとLEDランタンを取り出した。
また、気休めではあるが、発電機に立てかけておいた板と荷車を周囲に設置し、建物との間に簡単な目隠しスペースを作る。
「さて、あんまり時間を掛けたくないんで、ぱぱっと終わらせてしまいましょう」
LEDランタンを点灯させて傍らに置き、発電機のスイッチを操作して出力を最大に引き上げる。
途端に、今まで発電機が発していた控えめな騒音は急激に大きくなり、辺りに結構な大きさの爆音を響かせ始めた。
その騒音に目を剥いているルートや、辺りを気にしてキョロキョロしているアイザックに構わず、一良は電動ノコギリの電源コードを引っ張り出して発電機に接続した。
一良が持っている電動ノコギリは丸ノコタイプであり、円形の刃が高速回転して材料を切断するタイプの物だ。
「アイザックさん、そこの角材を2本取って下さい」
「は、はい」
アイザックから角材を受け取り、間隔を空けて地面に置く。
これは、板を切断するために使う簡易的な台座だ。
次にアイザックから板を受け取り、角材で作った台座の上に直角になるように敷いた。
板は厚みが2センチはあり、幅は30センチ程で長さも2メートル以上はある。
このままでは大きすぎるので、適当な大きさに切断しなければならないのだ。
ダンボール箱からメジャーと油性マジックを取り出し、きっちり1メートルに長さを測って印を付ける。
そして膝で板をしっかりと押さえ、両手で持った電動ノコギリの刃を板の端に当てた。
「よーし、がんがん切っていこう。連続で切っていくんで、次の板を用意しておいてください。20枚くらい切りますから」
一良はそう宣言すると、電動ノコギリを起動して板を切断し始めた。
高速回転する刃が独特の切断音を響かせ、木屑を辺りに撒き散らせながら板を切り進んでいく。
一良は実家で父親の真治と共に、畑の肥料作りのための木製コンポストボックスを電動工具を使って作ったことがあったので、電動ノコギリの使い方は知っているのだ。
下手をすると大怪我をするということも真治から口をすっぱくして言われていたので、その危険性も重々承知している。
「な、なんと……」
アイザックとルートは、簡単に切断されていく板を食い入るように見つめながら驚愕していた。
この世界でこういった木材を切断する場合、青銅製か銅製の片引き式ノコギリを使うというのが一般的である。
片引き式であるために切断には時間がかかり、上手くやらねば刃が曲がってしまうというのが普通なのだ。
その常識を完全否定するかのごとく、今目の前では分厚い板が、謎の小さな道具によって凄まじい勢いで切断されていく。
一良の持っている道具が常識外れな性能を持っているということをアイザックは十分理解しているつもりだったが、目の前の出来事は彼の想像を遥かに超えていた。
「次ください」
「あ、はい!」
10秒程で板を切断し終えた一良に催促され、アイザックとルートは慌てて次の板を一良に差し出した。
一良は差し出された板を受け取り、切断したばかりの板を受け取った板の上に重ね、切断面に沿って油性マジックで印を付けた。
そして、再び電動ノコギリで板を切断していく。
「んー、これだと時間がもったいないか。アイザックさん、そこの角材を2本持ってこっちに来て下さい」
2枚目の板を切断し終えた一良は、作業の手を止めるとアイザックを呼び寄せた。
「これでいいですか?」
「うん、それでいいです。でもちょっと長いか。切断しよう」
アイザックが持って来た角材を受け取り、メジャーで長さを測って電動ノコギリで切断する。
あっという間に、1メートル50センチの長さの角材が2本出来上がった。
「私が板を切断している間に、アイザックさんにはこの道具を使って小屋の壁を作ってもらいたいんです。使い方を説明するんで、見ててください」
一良は切断したばかりの角材を1メートル間隔で地面に置き、その上に先程切断した板を敷いた。
そして、傍らに置いてあるダンボール箱の中からネイルガンを取り出した。
このネイルガンはバネ式であり、空圧式の物と違ってエアホースを接続しなくても使えるタイプの物だ。
電源はバッテリー式で、釘の装填数は100本である。
「これはネイルガンといって、金槌を使わなくても板に釘を一瞬で打ちつけることの出来る道具です。釘打ち機とも呼びますね」
真剣な表情で一良の説明を聞いているアイザックを視界の隅に捉えながら、一良は板が角材と重なっている部分にネイルガンを押し当てる。
「この部分を引くと、釘が板に打ち付けられます。斜めに打ち込まないように注意してください」
一良がネイルガンのトリガーを指差して説明すると、アイザックはその場に片膝を付き、ネイルガンに顔を近づけて確認し頷いた。
「やって見せますから、よく見ててくださいね」
ネイルガンを板に垂直に押し当て、トリガーを引く。
ばつん、という軽い貫通音と共に、一瞬にして釘が板に打ち込まれた。
「こんな感じです。角材に板を渡して小屋の壁を作りたいんで、私が板を切断している間、アイザックさんはこのネイルガンで壁を作っておいてください」
「わかりました。……凄い道具ですね」
アイザックは一良からネイルガンを受け取り、感心した様子でそのフォルムを眺めている。
トリガーに指を掛けたその姿は、妙に様になっていた。
「あ、一応板に押し付けていないと釘は出ないような仕組みになっていますけど、危ないから人に向けたりしちゃダメですよ。万が一ってことがありますから」
「はい。十分注意いたします」
一良に注意され、アイザックはネイルガンのトリガーから指を離して頷いた。
電動工具は便利なものだが、使い方を誤ると大怪我をする危険があるのだ。
取り扱いには十分注意が必要である。
「じゃあ、始めましょうか。手分けしてやればすぐに終わるでしょう」
こうして、一良とルートは木材の切断、アイザックは壁の作成という具合に役割分担をして作業に望むのだった。
それから1時間後。
電動工具のおかげで作業は順調に進み、一良たちの前には1メートル四方の四角い箱、もとい、発電機用の小屋が出来上がっていた。
小屋の扉には青銅製の蝶番が付けられており、扉は片開き式である。
この蝶番は、つい先程ルートに頼んで、屋敷の中から探し出してきてもらったものだ。
鍵も屋敷の中から調達したもので、青銅製の南京錠が付けられている。
一良たちが作った小屋は、四方の柱が地面に埋まっており、地面と壁の間には10センチ程の隙間がとってある。
発電機の稼働中は一酸化炭素が発生するので、あえて風を通して換気するために隙間を開けておいたのだ。
地面の中には柱が40センチ程埋まっており、足でしっかりと踏み固めておいたので、これを掘り起こすのは一苦労だろう。
屋根に当たる天井部分も隙間無く板が敷き詰められており、しっかりと釘で固定してある。
「あー、疲れた。何だかんだで結構時間掛かっちゃいましたねぇ……」
「そうですね。でも、これらの道具が無ければとても今夜中には終わりませんでしたよ。やはり神の国の道具は凄いです」
疲れた表情で小屋を眺めている一良とは対照的に、アイザックは元気そうだ。
ルートも少し疲れた顔をしているが、一良に比べればまだまだ元気そうに見える。
「そういえば、誰かしら音を聞きつけて様子を見に来るかと思ったんですが、誰も来ませんでしたね。電ノコなんて結構な音出してたはずなんだけど」
「そういえばそうですね。結構大きな音だったから目立ったはずですが……ん?」
一良たちが話しながら辺りを眺めていると、屋敷の影から誰かが歩いてきた。
「カズラ様、作業は終わりましたか?」
「あ、ハベルさん。今丁度終わったところですよ……って、ここで作業すること話しましたっけ?」
穀倉地帯からナルソン邸に戻った後、ハベルには荷車などの片づけを頼んだのだが、小屋の製作作業を行うという話はしていなかったはずだ。
一良たちが小屋を作っている様子を、何処かから見ていたのだろうか。
「いえ、作業については聞いていませんでしたが、カズラ様のお部屋の方向から凄い音が響きだしましたので……様子を見に集まってくる者たちを引き止めていたんです」
どうやら、ハベルは一良たちが作業し易いようにと、この1時間ずっと人払いをしてくれていたらしかった。
騒音を撒き散らしながら作業をしていたにも関わらず、誰の邪魔も入らなかったのは、見えないところでハベルが色々と動いていてくれていたからだったのだ。
「あの、大変申し訳ないのですが、次からこういった作業を行う際は事前にお声掛けいただけると……邸内はナルソン様の指示が行き渡っておりますので、事前に連絡を回しておけば誰も近寄りませんので」
「……うん……何かごめんなさい……」
「あ、いえ! 謝らないでください! 夜ということもあって、数名の侍女と警備兵が様子を見に来ただけでしたから!」
しょげかえった様子の一良に、ハベルは慌ててフォローを入れる。
そんな一良の隣では、アイザックとルートも一緒になってしょげかえっていた。
一方その頃。
ルーソン邸からナルソン邸に戻ったジルコニアは、従者達に命じて邸内の物置部屋をマリー用の部屋に支度し直させていた。
部屋の広さは日本でいうところの畳8畳程もあり、室内には普段使っていないテーブルや棚などがいくつか置いてある。
次々にそれらの荷物が運び出される様子をジルコニアが眺めていると、廊下の奥からマリーが慌てた様子で走ってきた。
「遅くなり申し訳ございません! 私をお呼びでしょうか!」
マリーは息を整えながら、緊張した様子でジルコニアに頭を下げる。
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。顔を上げなさい」
ジルコニアがマリーを安心させるように勤めて柔らかい口調でそう言うと、マリーは少し怯えた様子ながらも顔を上げた。
何かやらかしてしまったのではないかと、気が気ではないのだ。
「今日からここがあなたの部屋よ。それと、あなたをカズラさんの従者に任命するわ。今後はカズラさんの身の回りのお世話もしてちょうだい。もちろん、専属料理人の仕事も兼務してね」
「っ!? か、かしこまりました!」
いきなり宛がわれた専用の部屋と新たな職務に、マリーは目を白黒させながらも返事を返して勢いよく頭を下げた。
突然の出来事で何が何やらさっぱりわからないが、何か凄い話が舞い込んできているということは理解できる。
元より、マリーはジルコニアに意見できるような立場ではないので、何を言われても「はい」としか答えようがない。
「どれくらいの期間になるかはわからないけど、あなたの身は一時的にイステール家が借り受けることになったの。ノールには話を通してあるから、安心してね」
「はい! わかりました!」
「あと、あなたの私物も全部回収してきてあるから、ルーソン家に取りに戻る必要はないわ。服とか家具も今用意させてるから、今後はそれを使いなさい。給金は月の終わりに1000アル出すわ」
「……えっ!?」
「諸経費は引いた状態で現金で渡すから、手取りはもっと少ないけどね。色々と勝手が分からないだろうから、あなたと一緒にもう1人、カズラさんには正式な従者を付けるわ。分からないことは全部その娘に聞きなさい。もう10年以上屋敷で働いている娘だから、聞けば何でも分かるでしょう」
給金という予想外の言葉に、マリーは驚きの余りに固まっていた。
今までにも、マリーは一応ルーソン家から給金を得てはいたのだが、その額は貰っているんだか貰っていないんだかわからなくなる程の薄給だった。
それが、ここにきて月給1000アルという高給取りになってしまったのだ。
しかも、屋敷内に1人部屋を宛がわれるという高待遇付きである。
もう、何が何やらわけが分からなかった。
ちなみに、マリーが提示された1000アルという月給は、イステリアにおける警備隊などの新米兵士が貰う給金と同額である。
「ちゃんと貯金すれば、その内身分を買い戻して解放奴隷になれるわ。今後の働きによっては昇給も考えるから、頑張りなさい」
「は、はい……」
自分の置かれている状況に現実感が湧かないのか、マリーは呆然とした様子で頷いた。
「あ、それと」
待遇や給金の話ですっかり忘れていたが、ジルコニアは言っておかねばならない重要なことを思い出した。
念のためだが、一応言っておかねば後で問題になるかもしれない。
「いつカズラさんに夜伽を申し付けられてもいいように、身体は常に清潔にしておきなさい。必要ならお風呂を使うことも特別に許可するから、いつでも申し出てね」
更に予想外な指示を受け、マリーは表情を引き攣らせた。