61話:魅力的な提案
部隊がグリセア村を出発し、イステリアへ向けて移動を開始してからおよそ6時間後。
部隊は行軍の足を止め、野営の準備を開始した。
空は既に夕焼け色に染まっており、あと2時間もすれば辺りは闇に包まれるだろう。
一良と一緒の馬車に乗っていたマリーも、一良に断ってから馬車を降りると、自身も野営の準備を手伝うために何処かへ駆けていった。
「カズラ様、長時間お疲れ様でした」
一良が馬車を降りて背伸びをしていると、付近に作られた即席の馬留めにラタを繋ぎ終えたハベルが歩み寄ってきた。
途中挟んだ数回の休憩を除けば、ハベルはずっとラタに乗りっ放しのはずなのだが、その表情からは全く疲れが感じられない。
むしろ昨日よりも元気に見えるほどで、いつもより表情も明るく見えた。
「ハベルさんもお疲れ様です。私は馬車なので身体は楽ですけど、ハベルさんはずっと騎乗しっぱなしですから疲れているんじゃないですか?」
「いえ、この程度なら、今まで部隊で行っていた訓練に比べれば楽なものです。少しお尻は痛みますけどね」
「そうなんですか。やはりプロの軍人は違うんだな……部隊といえば、ハベルさんはアイザックさんと一緒に貴族出身者だけで編成された部隊を率いていたんでしたっけ?」
以前、ハベルがグリセア村にアイザックと共にやってきた時は、100名からなる貴族出身者のみで編成された部隊を率いていた。
最近では一良の傍に付きっきりなのだが、今まで率いていた部隊での仕事は放っておいてもいいのだろうか。
「はい、第1士官練兵隊という部隊の副官をしていました」
「ああ、やっぱりあの人たちは士官候補生だったんですか。最近ハベルさんにはずっと私を手伝ってもらってますけど、部隊のほうには顔を出さなくても平気なんですか?」
「それは大丈夫です。丁度1年間の基礎体力訓練を終える時期でもあったので、練兵隊の者達には少し予定を繰り上げさせて、今は別の部隊で訓練を行わせています。今頃は地獄を見ているんじゃないですかね」
「え、そんなにきつい訓練なんですか?」
一良が問い返すと、ハベルは自身の受けた訓練を思い出したのか、少し顔を顰めた。
「きついなんてものじゃないですよ。私は4年前まで行われていた戦争で実戦を数ヶ月間経験していますが、生き死にを抜きにして考えれば実戦の方がマシなくらいです。規律を少しでも乱せば貴族であることなど関係なしにぶん殴られますし、練度が低いうちは毎日家畜の餌みたいなものしか食べさせてもらえないですし」
「うお、そりゃすごい所だ……殴られるのも嫌だけど、毎日家畜の餌ってのもきついなぁ……」
「それに、彼らは私やアイザック様の指揮する部隊に所属していたこの1年間は、自分の家や自身で借りた宿などから軍部へ出勤していたのですが、2年目からは強制的に軍の宿舎で共同生活ですからね。何でもかんでも身の回りのことを使用人に任せていたような連中だと、相当堪えるはずですよ」
どうやら、イステリアの軍隊が士官候補生に対して行う訓練は、いくつかの工程に分かれているらしい。
最初の1年は体力作りで、2年目からが本番ということなのだろう。
貴族という身分の者はもっと気楽な生活を送っているものなのだろうと一良は思っていたのだが、この世界、少なくともイステール領ではそんなことはないようだ。
だが、考えてみれば、結構な上級貴族と思われるアイザックやハベルですら、毎日朝早くから軍部に出勤して、夜遅くまで働いているのだ。
それを踏まえれば、彼らの部下であった他の貴族達も、それ相応に苦労させられるのは当然なのだろう。
「宿舎で共同生活ってことは、従者を連れて行くことは出来ないんですか?」
「基本的に従者同伴は禁止ですね。ただ、部隊指揮官の判断にもよりますが、長距離行軍訓練などで何日も街を離れる時は連れて行けることになっています。ただし、それに掛かる費用は自分持ちですが」
「へぇ……甘やかされて育った貴族とかだと相当辛いでしょうね。耐えられなくなって辞めてしまいそうだ」
「そうですね、辞めてしまう者も毎年何人か出ます。ですが、怪我などの仕方ない理由以外で途中で辞めると不名誉除隊扱いになるので、家の威信に傷を付けることになるんです。なので、余程の覚悟がない限りは除隊なんて出来ないですね。除隊して帰っても鼻つまみ者扱いですから」
「お、恐ろしい所だ……」
訓練に耐えられなくて辞めたくなっても辞められないとあっては、最悪自殺者でも出てしまうような酷い環境にも思える。
逆に言えば、そのような環境を潜り抜けた者たちは、相当な根性を備えることになるのだろう。
「軍に所属するのは強制なんですか?」
「いえ、士官は全員志願制です。とはいっても、大抵の貴族の家では長男以外は何人か軍に勤めさせるのが当たり前なので、本人が嫌がっても無理矢理入隊させられるってことはよくあります。軍人への憧れや身分に惹かれて自ら志願する者もそれなりにいますが、現実の過酷さを知って後悔する者が大半ですね」
「てことは半ば強制みたいなものか。ハベルさんは親に入れられたクチですか?」
「いえ、私は自ら父に願い出て軍に入隊しました。アイザック様もそうですね」
「おお、それは立派ですね。何で志願をしたんです?」
一良がハベルにそう問うと、ハベルは少し照れくさそうに微笑んだ。
「……守りたいものが、あるので」
「(ん? ハベルさんってこんな風に笑ったりもするのか)」
一良は今まで何日かハベルと行動を共にしてきたが、今のような表情を見たことは一度も無かった。
いつもどこか1歩引いているというか、一良を気にかけて気を張っているような状態に見えて、あまり感情が表に出ている表情を見たことが無かったのだ。
営業スマイルのようなものは毎日見せてくれていたし、一良を退屈させないように気遣って、色々と話しかけてくれてはいたのだが。
一良はハベルの言う『守りたいもの』というものが何なのか気になったが、あまり根掘り葉掘り聞いても悪い気がしたので、
「そうなんですか」
と頷くに留めておいた。
「もし軍の訓練に興味がおありでしたら、後ほど私が兵舎や訓練場をご案内致しましょうか? 近衛兵隊と士官練兵隊くらいしか見所はありませんけど」
「(うは、マジか! これは是非見学に行きたい……けど、どうしようかなぁ……)」
ハベルの申し出に、一良は凄まじく興味を惹かれていた。
だが、ここで軍隊に興味があるような様子を見せると、ジルコニアあたりが大喜びで一良に軍事面について相談を持ちかけてくるかもしれない。
今のところ、一良はイステリアに軍事面での支援を行うつもりは全く無い。
何故支援を行うつもりが無いのかと言うと、この国の内情や外交状況、それに軍の規模や国自体の性格を、一良はまだ殆ど把握していないに等しいからだ。
国の実情を何も知らない状態で、ナルソンたちの意見のみを鵜呑みにして軍事的な支援を行うなど、危なっかしくてとても出来ない。
それに、今優先すべきは食糧問題やインフラの再整備なので、軍事面にまで手を回している余裕などないのだ。
あまり色々と同時に手を出すと、判断が雑になって取り返しの付かないことにもなりかねない。
何をやるにしても1つ1つ順番に。
支援をするかしないかの判断はしっかり情報を集めてから、と一良は考えていた。
「うーん……どうしようかな……」
とはいえ、見たいものは見たい。
この世界の軍隊がどんなもので、兵士たちが普段はどんな生活を送っているのだろうと考えると、一度見てみたいという好奇心が止まらなくなる。
もし何も考えずに色々と見学して回れるのならば、そこら中をデジカメで撮影して回りたいし、兵士だけといわず一般市民にもハンディカムあたりを使って録画しながら色々と質問をしてみたい。
ジルコニアのように軍を指揮する人物の天幕の中はどうなっているのかとか、日常生活はどう過ごしているのかなど、興味は尽きるところを知らないのだ。
もっと言えば、鎧姿のジルコニアやアイザックに頼んで、記念写真でも撮らせてもらいたいくらいだ。
ジルコニアは鎧姿がとても凛々しく、スタイルもいいので、撮影に際してポーズの1つでも取ってもらえたならさぞかし絵になるだろう。
アイザックは長身な上に結構な美形なので、これまた写真映えが良さそうだ。
見学くらいなら平気かな、と一良が内心傾き始めていると、ハベルはすぐに返事をさせるのも悪いと思ったのか
「もし見てみたくなったら、いつでも私にお声掛けください。何処でもご案内いたしますので」
と言ってくれた。
「ありがとうございます。その内手が空くようになったら、お願いするかもしれないです」
「はい、その時は是非」
すぐに飛びついて興味津々と思われるのもどうかと思っていたので、一良にとってこの申し出はとてもありがたかった。
やはり、ハベルという男は痒い所に手が届くというか、色々な部分で気を回してくれて本当に助かる。
「それはそうと、カズラ様のお食事について少しご相談があります」
一良が改めてハベルの気遣いに関心していると、ハベルが話題を変えてきた。
どうやら、この話が本題のようだ。
「今後暫くの間、マリーにカズラ様の食事をご用意させようかと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「食事ですか……」
食事と聞いて、一良は今後の食生活についてジルコニアに何も申し出ていないことを思い出した。
今まで一良はナルソン邸でナルソン一家と一緒に食事をしていたのだが、一良はナルソンたちの用意する食事を食べても栄養も満腹感も得ることが出来ない。
そのため、ナルソンたちと食事をした後で、誰にも見つからないようにこっそり缶詰などを食べていたのだ。
今後もこのような1日6食生活をするのは非常に面倒、というより辛いものがあるので、自分の分の食事は用意しなくてもいいと申し出ようかと考えていたところだった。
結果的に1人で食事をすることになってしまうが、これはこれで仕方が無い。
ナルソンたちに合わせて出された食事を毎食食べていたら、腹の容量ばかり圧迫して空腹感が加速しているところに、追加で日本から持ってきた食べ物も詰め込まなくてはいけないという罰ゲームのような状態になってしまう。
「はい。ですが、先日カズラ様の持っていた缶詰を試食させていただいた際に思ったのですが、カズラ様が普段神の国で食べている食べ物の味は、私どものそれとは大分違うようです。色々と考えてはみたのですが、どうにもあのような味を再現することは、我々には難しく思います」
一良がハベルに食事の辞退を申し出ようかと口を開きかけたとき、ハベルがそれを遮って話し始めた。
ハベルの言っている缶詰とは、試食用にナルソンたちに食べさせたミネストローネの缶詰のことだ。
ミネストローネは大量の野菜がトマトをベースにして煮込まれた料理なので、もしこの世界にトマトのような食材が無い場合、味の再現は相当難しいだろう。
「なので、カズラ様がお持ちになっている缶詰などの食べ物を使わせていただき、私どもの用意する食材と合わせて料理を作らせていただければと思うのです。最初は上手くいかないかもしれませんが、必ずやカズラ様にもご納得いただけるような料理を提供出来るようにしてみせます」
「それって、私の持ってきた食べ物をベースにして、色々と食材を足して作り直すってことですか?」
「はい。それに、逐次料理に対してご意見をいただけるのであれば、それに合わせて内容も調節させますので」
ハベルの申し出に、一良は再度その気遣いに感心していた。
ハベルは以前一口だけ口にした料理の味さえも気に留め、今まで試行錯誤して缶詰の味を再現しようとしていたのだろう。
本来ならばもっと時間をかけて試行錯誤するつもりだったのかもしれないが、一良が持ち込んだ大量の食料を見て、これはいかんと判断して申し出を決意したのかもしれない。
一良の中で、再びハベルの株価がストップ高を迎えた。
実際のところ、それらの評価は全て一良の勘違いなのだが、既に一良の中ではハベルは非常に気が利く有能な男という立ち位置になっている。
大体何をやったとしても、綺麗に好意的な方向へと勘違いされる流れが形成されてきていた。
「んー……それなら、お願いしようかな。ただし、私の持ってきた食材を他の人には絶対に食べさせないと約束してください。沢山持ってきたとはいえ、数に限りがありますから」
「もちろんです。絶対に他の者に食べさせたりはしないので、ご安心ください」
「いいですね、絶対にですよ? 私との約束を破ったら大変なことになりますからね?」
「っ! は、はい!」
万が一食材を横流しされたら大変なので、一良は念には念を入れて、これでもかというほど真剣な表情と声色で脅しをかけた。
約束を破ったらどういうことが起こるとあえて言わないでおくということで、より脅しの効果は増すだろう。
一良はグレイシオールという神ということになっているので、ハベルにとってこの脅しは効果てき面のはずだ。
一良はハベルの表情が若干引き攣ったことを見届けてから、表情と声色を元に戻した。
「では、お願いすることにします」
一良が条件付で了承し、表情と声色を元に戻すと、ハベルはあからさまにほっとしたようだった。
「で、では、早速本日のご夕食からマリーに作らせます。行軍中ゆえ、食材の種類に限りはありますが、何とかやらせますので」
「あんまり無理しないでいいですよ。適当に野菜か何かを少し切って、一緒に煮込んだり炒めるだけでもいいですから」
「かしこまりました。では、使わせていただける食材を教えていただけると」
「うーん、そうだな……何にしようかな……」
一良は何をベースにして料理を作らせようかと考えながら、今後もナルソンたちと一緒に食事をすることが出来るとなって安心していた。
やはり食事は1人で食べるよりも、誰かと一緒に食べたほうが美味しいし楽しいものだ。
それに、食事の用意を断るような真似をされていい気分のする人などいないので、ナルソンたちの顔も潰さないで済んだ。
また、ハベルの提案したやり方で料理を作るのならば、日本から持ってきた食材がこちらの世界の食べ物で量増しされて出されるようなものなのだ。
グリセア村で一良が食べていた料理の内容と同じなので、量を少し多めに食べれば栄養的にも満腹感的にも問題はない。
何とも上手い具合に話が転がり込んできたと、一良は気分が軽くなるのを感じていた。
一良の隣では、ハベルは一良に上手く話を通すことが出来てほっとしていた。
実のところ、ハベルはジルコニアの言っていた内容を鵜呑みにはしていなかったのだ。
ジルコニアの話では、一良はハベルが屋敷で用意した料理には満足していたが、ナルソン邸で出された料理には満足していなかったということらしい。
だが、そんなことがあるのだろうかと、ハベルは初めから疑問に思っていた。
ナルソン邸で働いている料理人は、超一流の腕を持っているはずである。
ルーソン邸で働いている料理人、もとい侍女たちも、相当に腕の良いものたちばかりではあるのだが、ナルソン邸の料理人よりも格段に腕が良いなどということがあるはずがない。
そう考えると、一良がルーソン邸での食事の席で見せた反応は、自分やバレッタたちを気遣っての演技だったのではないだろうかという考えに辿り着いたのだ。
ということは、もしジルコニアの言うとおりに、自分の家の料理を担当している者を一良に宛がったとしても、何の意味もないどころか余計に不評を買ってしまう可能性がある。
かといって、それを正直にジルコニアに話してしまえば、マリーをナルソンや一良の庇護下に入れるというチャンスを逃してしまうことになる。
ならばどうすればいいのかとハベルは考えた結果、絶対に一良の不評を買わない手段として、先程一良に提案したような内容を思いついたのだ。
一良はこちらが誠心誠意頼めば無碍に断るような性格ではないということを、ハベルは数日前まで一良と共に行った河川の視察を通して得た印象から把握していた。
それを踏まえて、一か八かで一良に願い出た結果、上手くいったというわけなのだ。
「(これでマリーもあの生活から解放されるな……父上も、ジルコニア様が直接話を通してくだされば折れざるをえないだろう。後は、マリーがカズラ様に気に入ってもらえることができれば安泰だ)」
自身の取った行動が上手くいったことに安堵しつつ、ハベルは遠目に近衛兵の従者に混じって野営準備を手伝っているマリーの姿を見つけて目を細めた。




