6話:幸運の雨
一良の腕時計の針が午後1時を指す頃、ようやく炊き出しも終わり、集まった村人たちは片づけを手伝う者、米や塩などをより分ける者に分かれ、それぞれ作業に移った。
村人たちが和やかに作業を行う中、一良は村長とバレッタに、ある提案をしていた。
「雨乞い、ですか?」
「ええ、村にはそのうち水道……川から水を通す道を作れればと思っているのですが、そんなことをしていたら畑が持ちません。川から水桶で水を運ぶにしても、畑が広すぎてきりがありません。なので、雨を降らしてしまおうと思うのです」
一良の提案に、バレッタと村長は少し困惑したような表情を見せた。
「あの、今までも何度かスイプシオール様に供物を捧げて雨乞いをしたのですが、スイプシオール様は雨を降らせてはくださいませんでした。それなのに、その……よろしいのでしょうか?」
「え? 別に構いませんよ、昔ながらの方法ですが、雨乞いのやり方は知っていますし」
一良は、バレッタが言った「よろしいのでしょうか?」とは、「自分達がやっても上手くいかなかったけど、それでもやるんですか?」という意味と受け取っていた。
実際のところ、その解釈とバレッタたちの考えていることは、天と地ほども離れているのだが。
「そうですか……それでは、すいませんがお願いします。何か私たちにお手伝いできるようなことはありますか?」
「ええ、私の知っているやり方には、大量の薪というか、燃やすものが必要です。最低でも家2~3軒分程の木が必要なんですが、用意できますかね?」
一良の依頼に、バレッタと村長少し考えた後、お互い頷きあった。
「少し前から、誰も住まなくなってしまった家が数軒あります。その家を取り壊して薪にすれば、十分足りるでしょう」
「そうですか……わかりました。村の人たちにもお願いして、取り壊しを手伝ってもらいましょう」
誰も住まなくなってしまった家というのは、先の戦争か今回の飢饉が原因で、住人が誰もいなくなってしまった家のことだろう。
取り壊すのは少々忍びないが、これも村のためである。
「大きな火を焚いても、火の粉が飛んで周りに飛び火しないような所ってありますかね?」
「それなら、私の村の中央にある私の畑を使ってください。最近はずっと手入れもできなくて、作物も全部駄目になってしまっていますから、火を焚いても問題ありません」
こうして話がまとまり、本格的な雨乞いをすることになった。
もちろん、単なる神頼みではなく、一良には科学的な根拠がある。
大量に物を燃やすことによって発生する上昇気流に塵を乗せ、大気の状態を不安定にさせて雨を降らすのだ。
これが、大火事の後には雨が降る、という出来事の根拠である。
第二次世界大戦中に日本軍が進駐先で同じことをして雨を降らせたという話を一良は聞いたことがあったので、ここでも可能だろうと踏んでいた。
空には薄い雲がいくつも浮かんでおり、完全なる青空といった絶望的な状況ではないので、可能なはずだ、と一良は思っていた。
そしてそれから4時間後。
村人総出で空き家を解体した結果、造りが単純だったことも手伝って、村はずれにある村長の畑には、家3軒分の大量の木材と藁が集められた。
畑の周囲には木や建物などもなく、飛び火して火事になる心配もなさそうである。
「それでは、これから雨乞いを行います。まぁ、ただ火をつけて雨が降るのを待っているだけなんで、数人が見張りをしていれば他の人は家に戻っても構いませんよ」
一良はそう言うと懐からライターを取り出し、藁に火を着けた。
火を着けるときに小さなどよめきが起こったが、何故かあちらこちらから「さすがカズラ様だ」などといった声が聞こえてきた。
何で様付けなんだろうとも思ったが、とりあえず聞こえないフリをしておいた。
火を着けると藁と木はすぐに燃え始め、巨大な火の玉のように赤々と燃え出した。
あまりの火力に、周囲にいた人々は畑1つ分程まで離れ、思い思いの場所に腰を下ろして火を見つめる。
一良も火から離れ、適当な場所に腰を下ろした。
「……雨を降らすなんて無責任なこと言ってしまったけど、本当に降るのか? 降らせたって話を聞いたことがあったってだけで、確実に降るとは限らないぞ」
一良は今更ながら、何であれ程自信満々に「雨を降らしてしまおう」なんて言えたのかと、少々後悔し始めていた。
この世界にやってきて、驚異的な効果を発揮するリポDや、炊き出しをして喜ぶ村人達の顔を見て、少し気が大きくなっていたのかもしれない。
気をつけねばいつか大恥を掻くことになりそうだ。
……もう手遅れなのかもしれないが。
「カズラさん」
一良が嫌な汗を掻いていると、背後からバレッタがやってきた。
「隣、いいですか?」
尋ねるバレッタに、「どうぞどうぞ」と一良は薦める。
「ありがとうございます」
バレッタは礼を言って一良の隣に座ると、パチパチと燃え上がる炎を無言で見つめている。
その穏やかな表情からして、これから雨が降るということを少しも疑っていないようだ。
そんなバレッタの表情を横目で見たカズラは、益々
「やばい、大した裏づけもないまま適当なこと言うんじゃなかった」
と激しく後悔しながらも、立ち上っていく煙を追って空を見上げながら、心の中で「雨よ降れ、ホント降ってくださいお願いします」と祈るのだった。
「カズラさん」
「はい?」
一良が空を見上げながら一心に祈っていると、バレッタが炎を見つめたまま話しかけてきた。
「カズラさんはどうして、私たちの村に来てくださったのですか?」
「どうしてって……たまたま家の近所だったから、かなぁ」
雨のことで頭がいっぱいだった一良が特に何も考えずにそう答えると、バレッタは少し一良の方を見てくすっと笑った。
「そうでしたか。でも、たまたまでもカズラさんが私たちの村に来てくれて、大勢の人が救われました。本当にありがとうございます」
「え? あ、いえいえ、お役に立ててよかったです……あ、しまった」
一良はそこまで言って、自分がここに来た経緯について酷い失言をしたことに気付いた。
まあ、本当のところ、最初に会った村人たちに「道に迷ってこの村に辿り着いた」と説明した後は、もう全く辻褄が合わないような説明をバレッタにしていたので、今更という感覚はある。
家が近所とか言ってしまったが、元からついていた薄っぺらい嘘は当の昔に破綻していたので、正直どうでもよくなってきた。
しかし、さすがに「近所ってどこさ?」程度には質問されるかと思って身構えていたが、バレッタは特に何を質問するでもなく、再び炎を黙って見つめている。
そんなバレッタを一良は横目で見ながら、「何で何も聞かないの?」と聞きたい衝動に駆られたが、折角聞かないでいてくれるのにここで聞いたら藪蛇である。
代わりに、雨乞いの成否についてバレッタに話しておくことにした。
「あの、バレッタさん」
「はい?」
一良の呼びかけにこちらを向くバレッタは、昼前に飲んだリポDと昼食で食べたお粥のおかげか、顔に色濃く残されていた疲労の影も消えていて、その表情は生命力で満ちている。
赤々と燃える炎に照らされたその顔は、一良の目にはかなり魅力的に映った。
「あぁ、やっぱりこの娘は美人だな」と思いながら思わず一良が見惚れていると、バレッタが小首を傾げたので、慌てて本題を話し始めた。
「本当は雨乞いをする前に言っておくべきことだったんですが、この方法は確かに雨が降る可能性は高くなりますけど、確実ってわけではないんです。なので、もしかしたら雨が降らないかもしれなくて……今更言って申し訳ないです」
申し訳なさそうに言う一良に、バレッタは少し驚いたような表情を見せたが、にっこりと笑みを浮かべた。
「スイプシオール様は気まぐれな性格だって言い伝えで聞いてますから、大丈夫ですよ。村のみんなも、そこはわかってくれますから」
「スイプシオール様? ……ええと、水の神様ですかね?」
「はい。でも、カズラさんがお願いしても駄目かもしれないって、スイプシオール様は随分気分屋さんなんですね」
そう言ってくすりと笑うバレッタに、一良は首を傾げた。
雨乞いの相談をバレッタと村長にしたときにもスイプシオールという名前を聞いたが、どうやら水の神様の名前らしい。
しかし、一良がお願いしてもというくだりは何なのだろうか。
「あの、それはどういう……ん?」
どういう意味かと一良が問おうとしたとき、一良の頬に何かが当たった。
はっとして立ち上がり空を見上げると、そこにはいつの間にか大きな黒い雨雲が現れていた。
そして数秒を置いてから、大きな雨粒が一気に辺り一面に降り注いできた。
「あ、雨だ! 雨が降ってきたぞ!」
「凄い! さすがカズラ様だ!」
夏の夕立のように激しく振り出した雨に、村人たちは口々に一良を称えて喜び合っている。
ザァッと音を立てて降り注ぐ雨の中、一良は
「本当に降ってきたよ……」
と呟いて、泣き出した空を呆然と見上げる。
そんな一良の隣では、バレッタが
「本当、気まぐれなんですね」
と言いながら、一良と一緒に空を見上げるのだった。
後日談
火事を起こして雨を降らすということを実際に体験した一良は、日本に戻ってから屋敷の様子(異世界への敷居について以外)を報告するついでに、火事の後の雨について、
「この間家の近所で火事があったんだけど、すぐに雨が降ってきたんだよ。火事の後には雨が降るってのは本当なんだな」
と、多少脚色して携帯電話で父親に話したところ、
「そりゃあ偶然だよ。よくアメリカとかで大規模な山火事が起こったりしたときですら、数日間雨も降らずに山火事が大きくなったりしてるじゃないか。もし偶然じゃなかったら、よっぽど大気が不安定だったか、雨雲が形成されかけてたかだろうな」
という事を言われ、思わず携帯電話を取り落とす程動揺したのだった。