57話:作物の効能
口に入れた芋の煮物を、ゆっくりと咀嚼して飲み込む。
この芋の煮物は特に調味料などで味付けはされていないが、煮られることで芋の持つ甘みが引き出されていた。
薄味だが、その仄かな独特の甘みがとても美味い。
日本の作物で例えるならば、調味料を加えずに煮た里芋といったところだろうか。
一良は続けて何個か芋を腹に収めると、ゆで卵を2つ取り、床で叩いて殻にヒビを入れた。
殻を剥き、塩でも付けて食べようかとも思ったが、塩は一良が日本から持ってきた物であるのでやめておき、そのまま口に放り込む。
味は日本の鶏卵で作ったゆで卵と殆ど変わらず、食感はまるっきり一緒だ。
「……ふぅ、これだけ食べればいいかな。あ、2人とも先に食べててください。私のことは気にしなくていいですから」
「えっと……じゃあ、いただきますね」
一良が芋とゆで卵を食べる様子をじっと見ていた2人は、一良に促されて食事に手を付けた。
一良はポケットから携帯電話を取り出して電源を入れ、タイマーをセットする。
セットした時間は30分だ。
「そういえば、庭に植えたハーブの様子はどうですか? 私達がイステリアに行っている間に、枯れていたりはしませんでしたか?」
何もせずに2人の食事風景を見ているのも暇なので、以前庭に植えたハーブの話題をバレッタに振った。
ハーブを植えてから既に20日は経過しているはずなので、種から植えたものも大部分は芽を出しているはずだ。
「村の皆が世話をしてくれていたみたいで、私達が帰ってきたときも元気に育ってましたよ。ただ……」
「ただ?」
混ぜご飯の入った椀を持ちながら、少し考えるような表情を見せるバレッタに一良が問い返す。
「本で読んだ内容よりも、ハーブの方が成長が少し遅いように見えるんです」
「え、そうなんですか?」
「ええ、ハーブの世話をしてくれていた人に聞いた話だと、芽が出る期間は本に書いてある内容と同じでした。でも、その後の成長が何だか遅いみたいで……」
「それって、肥料を与えた鉢も、肥料を与えていない鉢や地面に直植えしたものと同じように成長が遅いってことですか?」
「肥料を与えたハーブの方が、与えていないハーブよりも若干大きくなっているみたいですけど、成長が遅いことには変わりないですね」
バレッタの話を聞き、一良は腕組みして頭を捻った。
一良が屋敷でハーブの世話をしていた時は、特に成長が遅いといったようには感じなかった。
ただ、その頃はいくつかのハーブが芽を出し始めたばかりの頃だったので、まだ芽が出ていないものが殆どだった。
「生えてくる雑草だって、気付いた時にちょこちょこ抜いてるんですけど……何がいけないんでしょうか……」
「うーん……苗で持ってきたハーブはどんな感じです?」
「苗も大きさはあまり変わってないです。でも、青々として元気そうですよ」
「……てことは、別に病気になってるってわけじゃないのか」
もしや、こちらの世界特有の病気にハーブが感染してしまっているのかとも考えたのだが、成長速度が遅いだけで枯れたり変色したりしていないのなら、病気の線は薄い気がする。
まさか、日本の屋敷からこちらの世界に来る際に、何か特殊な効果がハーブに掛かってしまったとでもいうのだろうか。
「元気だけど成長しないってよくわからないな……肥料も与えているのに、何で育たないんだろうか」
「よく分からないんですよね……とりあえず、このまま育てて様子を見てみることにします。それで原因が分かればいいんですけど……」
一良とバレッタは、その後暫く成長速度の遅れという謎の現象に見舞われているハーブについて議論を交わしたが、結局これといった原因は思いつかなかった。
その間、バリンは2人の会話に口を挟まずに、黙々と食事を続けていた。
そうこうしている内に30分程が経過し、携帯電話のアラームが鳴った。
「あ、時間みたいですね。お腹の具合はどうですか?」
バレッタに問われ、一良は自分の腹を擦った。
そして、大きく息を吐くと、やれやれと笑ってみせる。
「相変わらず、腹ペコのままです。これなら、イステリアで堆肥を使っても大丈夫かな……」
一良がそう言うと、バリンとバレッタはほっとした表情を見せた。
だが、ほっとしたのも束の間、バレッタが何やら思いついたような表情で口を開く。
「あ、でも、もしかしたらカズラさん以外の人が食べたら、何か効果が出たりするかも……結論を出すには、まだ早いような気がします」
「む、確かに……でも、それを判断するには誰かにこの芋とか卵を食べてもらわないと……でも、村の人じゃダメですよね」
一良はそう呟くと、再び腕を組んで考え込んだ。
村の作物の効能を手っ取り早く判断するには、誰かにこの芋や卵を食べてもらい、その前後に何か運動をするなりして体力を消耗してもらえばいい。
その後、消耗した体力がすぐに回復するようであれば、村の作物の効能が変化していると判断できる。
ただし、この村の人間は既に肉体が強化されてしまっているので、これらの食べ物を食べても効能の判断は難しいだろう。
誰か別の、まだ肉体が強化されていない者にこれらの食べ物を食べてもらえばいいわけだが、村人以外なら誰でもいいというわけにはいかない。
万が一、体力回復などの効能が発揮された場合、それについて言いふらすような人物では困るのだ。
となると、今近くにいて協力を仰げる人物は、ジルコニア、アイザック、ハベルの内の誰かである。
一良が顔を上げてバリンとバレッタを見ると、2人とも同じ人物が頭に浮かんでいるらしく、一良と同時に口を開いた。
「アイザックさんか」
「アイザックさんですね」
「アイザックさんでしょうなぁ」
満場一致だった。
それから数十分後。
夕食を済ませた一良は、村の入り口に急造された野営陣地を訪れていた。
野営陣地内には既に沢山の天幕が張られ、辺りには何やら美味しそうな香りが漂っている。
どうやら、野営地も夕食時のようだ。
一良は布に包まれたタッパーを持参しており、中には屋敷から持ってきた芋とゆで卵が入っている。
これを、今からアイザックに食べさせようというわけだ。
一良が付近にいた近衛兵にアイザックを呼びに行かせると、すぐにアイザックが駆け足でやってきた。
「カズラ様、お待たせいたしました」
「急に呼び出してすみません。ちょっと協力して頂きたいことがありまして……場所を変えましょうか」
「では、私の天幕へ参りましょう。こちらです」
アイザックに連れられて野営陣地の中を少し歩き、アイザックが使っている天幕へと移動する。
天幕の大きさは日本でいうところの畳6畳分程で、天幕内には火の点いた蝋燭の入ったランタンが天井の柱から吊り下げられており、天幕内を仄かに照らしていた。
天幕内の隅には毛皮が張られた簡易ベッドが置かれ、中央には長机と椅子が鎮座している。
長机の上には羽ペンと皮紙の書類が何枚か置かれており、つい先程までアイザックは事務仕事をしていたようだ。
一良は長テーブルの上の書類を端に避けると、その上に布包みから出したタッパーを置き、蓋を開けた。
「……芋と卵、ですか?」
「ええ、差し入れです」
「はあ、ありがとうございます」
アイザックはタッパーに入っている芋と卵に目を向けながら礼を述べた。
特に疑っているような様子はない。
「それで、私がお手伝いすることとは?」
「えっと、まずはそれらを食べてみてはもらえませんか? 結構いけますよ」
一良がそう言うと、アイザックはきょとんとした表情をした。
「えっ、今すぐにですか?」
「ええ、今すぐに」
アイザックは何が何やらわからないといった様子だったが、タッパーを手に取ると手を服の裾で軽く拭ってから、指で芋をつまんで口に入れた。
そしてもぐもぐと咀嚼する。
「……うん、美味しいです」
「それはよかった。そのまま全部食べてください」
「ぜ、全部ですか?」
「全部です」
いきなり差し入れた食べ物を全部食べろと言われ、アイザックは釈然としない様子だったが、言われるがままに芋と卵を次々に口に入れ、数分で全てを腹に収めた。
結構な量の芋と卵を腹に収め、アイザックは軽く息を吐くと一良に顔を向ける。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「よかったです。さて、協力してもらいたいことがあるという話ですが」
「はい、何でもお申し付けください」
一良が話を切り出すと、アイザックは姿勢を正して一良に向き直った。
「アイザックさんは、体力には自信がありますか?」
「体力ですか?」
「ええ。見たところ、結構鍛えているように見えますが」
「毎日それなりに鍛えておりますので、普通の兵士よりは体力があると自負しておりますが……」
「おお、さすがですね。じゃあ、ちょっと頑張ってもらわないといけないかな」
「あ、あの、いったい何の話をしているのですか?」
怪訝な表情をしているアイザックに、一良は構わず話を続ける。
「今から、ここで筋トレをしてもらいたいんです」
「え、筋トレ……ですか?」
「ええ、筋トレです。……あ、筋トレって意味分かりますかね?」
「それはわかりますが……今からここで、腕立てや腹筋をすればいいのですか?」
つい日本で話しているのと同じ感覚で『筋トレ』という単語を使ってしまったが、意味は通じているらしい。
今までの経験上、単語によって通じたり通じなかったりするものがあるようだが、その差がいまいち分からない。
「そうです。それもなるべく負荷をかける形で、限界までやってください。だいたい2時間くらい……ええと、1刻くらいの間、ヘロヘロになるまで続けて欲しいんですけど」
以前、死に掛けているバリンにリポDを与えた時は、その効果が出るまでに約2時間は掛かっていた。
それと同じタイミングで先程食べさせた食べ物の効果が出るのかはわからないが、とりあえずは2時間もおけば十分だろう。
その時に効果が出なかったとしても、また明日の朝になってからアイザックに体の調子を聞けば、効能が出ているか否かが分かるはずだ。
「えっ、そんなにですか!?」
「うん」
2時間ぶっ通しで限界まで筋トレをしろという意味不明な命令に、アイザックは驚いた様子で再び一良に問い返した。
だが、真顔で頷く一良を見て、やらざるをえないという事を悟り、覚悟を決めた。
アイザックの中では、一良はグレイシオールであると確定されており、絶対的な存在となっているのだ。
口答えなど出来ようはずがない。
「わ、わかりました。では、始めます……」
「お願いします。時間になったら音が鳴るようにしておきますね」
アイザックは天幕内の地面に手を付いて、きびきびと腕立て伏せを始めた。
一良は中央に置いてある長机に付属している椅子に腰掛けると、携帯電話のタイマーを2時間にセットした。
それから2時間後。
腕組みをした姿勢で居眠りをしていた一良は、携帯電話のアラーム音で目を醒ました。
昼間の作業でかなり疲労していたらしく、気付かぬ内に眠ってしまったらしい。
「はあっ、はあっ、お、終わり、ですかっ?」
寝ぼけ眼で一良が声のする方向に目を向けると、上半身裸で汗だくのアイザックが、いつの間にか地面に敷いたらしい敷き布の上に大の字で倒れこんでいた。
アイザックはぜいぜいと息切れをしており、一良が眠り込んでいる間もサボらずに筋トレを続けていたらしい。
さすがアイザックだ。
「あ、すみません、いつの間にか寝ちゃって……だ、大丈夫ですか?」
「な、何とか……」
アイザックはふらふらになりながらも何とか起き上がり、隅に置いてあるベッドに腰を掛けた。
未だ息切れは収まっておらず、かなりしんどそうだ。
天幕内はアイザックの引き締まった体から出た熱気で蒸れており、少し汗臭い。
「えっと、体調の方は……相当お疲れのようですね……」
一良はアイザックに疲労具合を聞こうと口を開きかけ、やめた。
アイザックはどう見てもバテバテで、疲労困憊なのは明らかだったのだ。
どうやら、村の作物を食べても体力回復の効果はないらしい。
後は、明日の朝にでもアイザックに体の具合を聞けば、それで検証はお終いだ。
「も、もう、これ以上は無理です……申し訳ございません……」
何とか息を整えながら、アイザックは一良に謝罪を述べた。
まだ何かやらされると思っているらしい。
「いえ、もう十分です。ありがとうございました。ゆっくり休んでください」
「はい……あの、これには一体どんな意味が……」
「あー……えっとですね……」
当然の質問を投げかけてくるアイザックに、一良は何と答えようか少し考えた。
だが、素直に趣旨を説明するわけにもいかない。
かといって、アイザックの体力がどんなものか見てみたかった、などと言うのも不自然すぎる。
第一、一良は居眠りをしていたのだ。
そんなことを言えるはずがない。
「ちょっと理由があって、今は言えないんですよ。あと、私がここに来てからのことは他言無用でお願いします。ハベルさんやジルコニアさんにも言ってはいけませんよ」
「……わかりました。絶対に誰にも話しません」
乱れた呼吸を何とか整えながら、アイザックは真剣な表情で頷いた。
素直で助かる。
「では、私はこれで失礼します。また明日の朝にお会いしましょう」
「はい、では、また明日に」
立ち上がって深々と礼をするアイザックに見送られながら、一良は天幕を後にした。
「あら?」
野営陣地内をアイザックの天幕に向かって歩いていたジルコニアは、目的の天幕から出てきた人影を見て目を細めた。
「(カズラさん……よね? こんな時間に何かあったのかしら)」
天幕を出て、村の方へ歩いていく一良の背を見送りながら、ジルコニアは首を傾げた。
こんな夜中に、アイザックに何の用だろうか。
何か緊急の用事でもあったのかと、ジルコニアは頭を捻りつつも、アイザックの天幕まで歩くと、中に入った。
「アイザック、昼間の村の様子なんだけ……ど……」
特に入室の声掛けもせずに、ジルコニアはアイザックの天幕の中に入った。
そして、目に飛び込んできた光景に固まった。
「あ、ジルコニア様……どうかなさいましたか?」
アイザックは未だに上半身裸で、ベッドに腰掛けたまま布タオルで身体の汗を拭き取っていた。
天幕内の地面には布が敷かれ、所々が汗で湿っている。
それに加え、アイザックの発した熱気でむわっとしていた。
ジルコニアはすぐさま天幕から顔を出し、先程見かけた人物の背をもう一度確認した。
村の方向へ歩いていく後姿は、どう見ても一良のものである。
「ジルコニア様?」
その行動を不思議そうに見ながらアイザックが声を掛けると、ジルコニアはゆっくりと天幕内に顔を引っ込めた。
そして、アイザックに向き直り、顔を真っ赤にしながら視線を足元に落とすと
「……誰にも、言わないから」
と一言呟いて、そっと天幕を出て行った。
アイザックはジルコニアが出て行った後、何が何やらわからず、少しの間呆然とベッドに腰掛けていた。
だが、ジルコニアが言った言葉を反芻しながら今の天幕内の状態を見て、ようやくその意味に気付くと、ジルコニアを追って大慌てで天幕を飛び出していった。