50話:想いと力
一良たち一行がイステリアを出発してから約9時間後。
月明かりが辺りを照らす中、一良はグリセア村の入り口で、バリンやバレッタをはじめとする村人たちの出迎えを受けていた。
村人達の出迎えを受ける一良の背後では、近衛兵や従者たちが大急ぎで馬車から天幕などの荷物を引っ張り出して野営の準備を始めている。
アイザックとハベルは一良に気を使ったのか、今は一良の元を離れて近衛兵たちと一緒に野営の準備を行っているようだ。
「皆さん無事でしたか……よかった……」
元気な様子の村人達の姿を見て、一良はようやく安堵の息を吐いた。
護衛兵の報告で村人達に怪我は無いと聞いてはいたが、実際に自分の目で村人達の姿を確認するまでは安心できなかったのだ。
「野盗が突然襲ってきた時は正直肝を冷やしましたが、カズラさんが授けてくださった力のおかげで返り討ちにすることができました。ですが、今まで村が襲われたことが無かったとはいえ、見張りも立てていなかったのは無用心でしたな。今後は同じことが起こらぬよう、色々と対策をしていこうと思います」
「なるほど、それで私たちが村に着いた時には、皆さんが村の入り口に集まっていたんですね」
バリンの言葉に、一良は納得したように頷いた。
一良たちの一行がグリセア村に到着した際、普段ならば皆が寝静まっている時間帯にもかかわらず、村の入り口には既に大勢の村人達が集まっていたのだ。
恐らく、村の入り口で見張りをしていた者が、近づいてくる一行を発見して眠っている村人達を起こして回ったのだろう。
「ええ、とりあえずは村の周囲に交代で見張りを立てることにしました。その他にも、バレッタが色々と考えてくれてましてな」
「バレッタさんが?」
バリンの言葉に一良がバレッタに目を向けると、バレッタはにっこりと微笑んで頷いた。
「はい。でも、工事に取り掛かる前にカズラさんの意見も聞いておきたくて……あの、今から家でお話できませんか?」
「工事? ……わかりました。荷物を取ってくるので、ちょっと待っててください」
工事という単語を聞いて一良は内心首を傾げたが、バレッタの頼みにすぐに頷くと、ボストンバッグとキャリーケースを回収するために馬車に戻った。
馬車の前ではマリーが待機しており、一良が戻ってくると馬車の中からボストンバッグを引っ張り出して一良に手渡す。
続いてキャリーケースも引っ張り出そうと馬車に入っていったが、ほぼ限界まで荷物の詰め込まれたキャリーケースはマリーには重過ぎるようで、上手く動かせずに四苦八苦しているようだ。
「それは重いからいいですよ。自分で取りますから」
「も、申し訳ございません……」
一良は肩で息をしているマリーを下がらせると、馬車に乗り込んでキャリーケースを引っ張り出した。
「私は今夜はバリンさんの屋敷で過ごします。アイザックさんとハベルさんにも伝えておいてください」
「かしこまりました」
一良はマリーにそう伝えると、荷物を持って村人達と共に村の中へと入っていった。
「マリー」
去っていく一良の背を見送っていたマリーは、自身を呼ぶ声に振り返ると少しだけ頬を綻ばせた。
「ハベル様、カズラ様は今夜はバリン様のお屋敷で過ごすとのことです」
「うん、そうみたいだね」
ハベルは村人達に囲まれながら村の中へと入っていく一良に目を向けた。
一良を囲んでいる村人達の表情は皆明るく、そんな村人達に囲まれている一良の表情も、何処となく嬉しそうに見える。
「……カズラ様って、不思議な方ですね」
「ん?」
ハベルがマリーに視線を戻すと、マリーは村の中に入っていく一良を見つめていた。
その視線は柔らかく、一良に対して良い印象を持っていることが窺える。
「道中、私みたいな者にも気さくに話しかけてくださって、まるで身分の違いなんて無いかのように優しく接してくださいました。その上、馬車に酔ってしまった私に薬まで分けてくださって……」
「……ああ、あの方はとても良い人だよ。とても優しいお方だ」
ハベルは一良の背に視線を戻すと、呟くように答えた。
その表情には何処と無くほっとしたような雰囲気が伺える。
マリーが一良と一緒の馬車に乗れるように自分で仕向けておきながらも、車内の様子がずっと気になっていたのだろう。
「はい……。でも、不思議なんです。私、最初は畏れ多くてずっと緊張していたのですけど、話しているうちに何故か凄く安心してきて……何だか、お母さんと話しているみたいでした」
「……」
「……あっ! も、申し訳ございません! わ、私、そんなつもりでは!」
自分で言った台詞に、マリーははっとして慌ててハベルに謝罪を述べた。
だが、ハベルは酷く狼狽した様子で謝るマリーには目を向けず、足元に視線を落とすと
「うん……。でも、すまない。俺の力が足りないせいで……いつか必ず見つけ出してみせるから」
と、やるせない様子で呟いた。
マリーはそんな様子のハベルを悲しげに見つめると、
「……はい」
と小さく頷いた。
一方、一良はバレッタたちと共にバリン邸に戻ると、居間の囲炉裏の前でバレッタから大学ノートに描かれたグリセア村の見取り図を見せられていた。
見取り図には所々に赤ペンで『柵』や『見張り塔』といった単語が日本語で書き込まれている。
現在、居間には一良とバレッタの2人しかおらず、バリンは何やら用があるとかで屋敷の外に出て行っている。
「こんな形で村全体を木柵で取り囲んで、その周囲は堀で囲みます。それと村の四隅には見張り塔を建設し、村の入り口には跳ね橋を設置します」
「……まるで砦みたいな造りですね。これならもう野盗に襲われる心配も無さそうだけど……これだと、堀が邪魔で水路が使えなくなるんじゃないですか?」
「えっと、堀の部分の水路は水道橋を作って跨がせるか、地下に水路を通してサイフォンの原理で村の中に水を引き込めばいいかなって考えてます。ただ、地下を通す場合だと石材とモルタルを使わないといけないので……モルタルに必要な石灰が十分に手に入るかどうか……」
「なるほど……それなら、石灰は私が用意しますよ。いくらでも持ってきますから、じゃんじゃん使ってください」
材料の不足を懸念しているバレッタに、一良は即座に材料の提供を申し出た。
先日、一良はイステリアでナルソンたちと話をした際に、一良がグリセア村で何をしようともナルソンたちは一切干渉しないとの約束を取り付けた。
そのため、グリセア村の中に限っては、品物や技術の持ち込みについてさほど気を使う必要がなくなったのだ。
それに、バレッタは一良の正体を知っているし、大量の書籍から得た知識も数多く保有しているので、品物や技術の扱いを任せても心配する必要が殆どない。
ちなみに『サイフォンの原理』とは、液体をある位置からある位置に移動する際に、液体を元の位置よりも高い場所や低い場所を通過させて目的の位置に移動させることができる原理である。
この場合、目的の位置は元の水面よりも低い場所でなければならないという制約がある。
以前バレッタと勉強をした際、この原理についても齧る程度には勉強していたのだ。
「じゃ、じゃんじゃんですか」
「ええ、じゃんじゃん使ってください。日本でなら石灰は簡単に入手できるんで、いくらでも持ってこれますよ」
実際、日本に戻ってホームセンターに行けば、石灰はいくらでも手に入る。
石灰を使ってモルタルを作るとなっても、村で使う分くらいの量であれば調達は容易いだろう。
「……わかりました。では、折角なので村の中の水路を改良して、全て石材とモルタル製に作り変えてみます。堀の部分はサイフォンの原理の実験も兼ねて地下水路にして、上手く行かなかったら石製の水道橋を設置します。村の中の水路が完成したら、今度は川に繋がっている水路も改良して、それが終わったら村の炉を大型化してから手押しポンプを作って、それから……」
大学ノートに描かれた村の見取り図を眺めながら、バレッタはボールペンで次々に書き込みをしていく。
どうやら、バレッタは一良との勉強で得た知識を使い、村の安全性と生活環境を劇的に改善させるつもりらしい。
「えっ、手押しポンプって、自分でポンプを作るつもりなんですか?」
「はい、構造は簡単なので、青銅を使って自分でも作れるかなって……あの、もしかしてカズラさんに教えて貰った知識は、村の中であっても使わないほうがいいでしょうか?」
バレッタの言う手押しポンプとは、井戸の水を汲み上げる時などに使う手押し式のポンプのことである。
日本でも、田舎にある畑などで時々見かけることが出来る代物だ。
「んー……ナルソンさんたちには村には干渉するなと言ってあるから、そこは気にしなくても平気ですよ。それに、手押しポンプの造り方は近いうちにナルソンさんたちにも教えるつもりだったんで、尚のこと問題ないです」
不安そうに聞いてくるバレッタに一良がそう答えると、バレッタはほっとしたように微笑んだ。
一良から得た知識を実際に使っていいものか、その後の周囲への影響も含めて判断しかねていたのだろう。
「よかった……あの、実は他にもいくつか作ってみたいものがあるんです。村の人以外には見せないように気をつけるので、作ってみても構わないでしょうか?」
「別に構いませんけど、一体何を作るつもりなんです?」
「……蒸気エンジン」
「ファッ!?」
予想外のバレッタの発言に、一良は思わず変な声を上げてしまった。
これから水車を用いた揚水技術をイステリアに導入しようというところに、いきなり蒸気エンジンなどというエネルギー革命を起こしかねない代物を作られては、いくらグリセア村への干渉を制限しているとはいえ危なっかしくて仕方が無い。
水車だけでもこの世界の産業技術を飛躍的に進歩させることになるはずなのだ。
蒸気エンジンの導入はいくらなんでも行き過ぎである。
一良が慌ててバレッタを諌めようと口を開きかけると、バレッタはいたずらっぽくくすりと笑った。
「ふふ、冗談です。試しに作ってみるのは面白そうですけどね。とりあえずは、水車の回転力を利用した工作機械を作ろうかと思ってます。まずは製材機と製粉機かな」
「そ、そうですか。必要な材料や道具があったら遠慮なく言ってくださいね。何でも用意しますから」
冗談と聞いて、一良は内心ほっとしながらバレッタにそう申し出た。
だが、バレッタは
「……ありがとうございます。でも、部品も出来るだけ自分で全部作ってみようと思います。その方が勉強になりますから」
と一良の申し出をやんわりと断ると、少し寂しげな表情で大学ノートに目を落としてしまった。
「(……あれ、俺何か変なこと言ったかな)」
急に表情が暗くなってしまったバレッタに、一良は慌てて何か言おうと口を開きかけた。
だが、ふとあるものが目に留まり動きを止めた。
今まで薄暗くて気付かなかったが、一良たちの座っている床の所々に、黒っぽい染みが出来ていることに気付いたのだ。
「これは……」
一良はそう言いながら立ち上がると、周囲の床や壁に目を向けた。
そして、床の一部に薄黒い汚れが大きく広がっている場所を見つけると、そこに近寄り膝をつく。
「……これって、血の痕ですか?」
「あっ、ごめんなさい。染み付いてしまったみたいで、洗っても落ちないんです。近いうちに新しい床板に張り替えますね」
「いや、そういうことじゃなくて……あの、ここに血痕があるってことは、野盗とここで戦ったんですか?」
さらりと答えるバレッタに一良は少し違和感を覚えながらも、答えの分かりきった質問を口にする。
これほどの血痕があるのだ。
戦闘があったのは明らかだろう。
だが、出立前に聞いた護衛兵の話では、野盗の襲撃を受けた際、バリンは屋敷を脱出して村人達を起こして回り、集団で反撃したはずなのだ。
この場に血痕があるということは、屋敷を脱出する際、野盗と小競り合いでもあったのだろうか。
「ええ。あの夜、野盗の集団が家の中に押し入ってきて……でも、お父さんがあっという間に全員やっつけてくれました」
「……え? 全員って、バリンさんが1人で野盗を全員倒したんですか!?」
「はい、家の中で5人……あ、1人は私が倒したから、お父さんが倒したのは4人でした。その後、残りの野盗もお父さんが追いかけて、村の人たちと一緒に村はずれの森の中で全員倒したって聞いてます」
「バ、バレッタさんも戦ったんですか……」
一良はバレッタの話に驚きつつも、内心で納得していた。
以前より、一良の持ってきた食べ物を食べた村人たちはかなりの剛力を発揮していたのだ。
たった2人で武装した野盗の集団を圧倒できるほどにまで強くなっていたとは予想外だったが、結果オーライである。
「えっと……私は気が動転してしまって上手く戦えませんでしたけど一応は……で、でも、お父さんは凄かったですよ! 野盗に斬りかかられた時も一瞬で剣を弾き返して、逆に野盗を一撃で切り裂いてましたから!」
「うお、バリンさんってそんなに強いのか……でも、夜中にいきなり襲撃されて怖い思いをしましたよね……今回の野盗の襲撃は、私の責任です。私が村を出なければこんなことには……」
大げさに身振り手振りを交えてバリンの戦いぶりを話すバレッタに、一良は沈痛な面持ちで謝罪し俯いた。
いくらバリンが驚異的な強さで野盗を蹴散らしたとはいえ、襲撃を受けたバレッタはさぞ恐ろしかったことだろう。
それに、バレッタ自身も野盗と戦ったと言っているのである。
実際に野盗に刃を向けられたはずのバレッタが、ショックを受けていないはずが無い。
「そんなことないです!」
叫ぶようなバレッタの声に一良が顔を上げると、バレッタが目に涙を浮かべて一良を見つめていた。
「カズラさんは何も悪くないです! ……私が、何もっ……私……は……」
「えっ!? ちょっ……!?」
突然泣き出してしまったバレッタに、一良は何が何やら訳がわからず、ただバレッタの背に手をかけオロオロとするばかり。
何か言ってはいけない事を言ってしまったのかと自分の発言を思い返してみるが、野盗の襲撃の責を詫びた以外に何も思いつかない。
「(何これ!? 俺はどうすればいいの!?)」
何を言っていいやらさっぱり分からず、一良はバレッタの背を撫でながら、バレッタが泣き止むのをひたすら待つしかなかった。
一良とバレッタに気を使い、村の中をぐるりと1周して屋敷に戻ってきたバリンは、屋敷の入り口に手を掛けた姿勢で固まっていた。
そして、
「……今日は納屋で寝るか」
とぽつりと呟くと、溜め息を吐きながら納屋へと向かうのだった。