49話:気付かぬところでストップ高
ジルコニアが野盗たちを尋問している頃。
ナルソン邸の広場は、急遽集められた大型馬車や、出立準備をする第2軍団の近衛兵や従者たちでごった返していた。
近衛兵や従者たちは既に荷物の最終確認を行っている段階であり、もう数分もすれば出発にこぎつけることが出来るだろう。
そんな中、一良は周囲のざわめきなど全く意に介さないかのように、広場の隅に設置されている石のベンチに腰をかけ、暗い表情で地面を眺めていた。
一良の傍らにはアイザックが控え、一良の様子を気にかけるかのように時折ちらちらと見やりながら、出立準備完了の報告をしてくる近衛兵の応対をしている。
「(……俺の考えが甘すぎたのか。グリセア村の住民以外の人間なんて放っておけばよかったのか)」
グリセア村が野盗に襲われたという事実を受け、一良は今まで取ってきた自分の行動を振り返り、自己嫌悪に陥っていた。
村が襲われたタイミングからいって、野盗たちはグリセア村へ向かうバレッタたちの乗った馬車を尾行したのだろう。
護衛兵の話では、グリセア村の住民に被害は出ていないとのことだったが、一歩間違えば取り返しの付かないことになっていたはずだ。
バレッタたちを先にグリセア村へ帰してしまったということも悔やまれるが、それ以上に一良は、自身がバレッタたちを伴ってイステリアに赴いてしまったことを後悔していた。
何も、わざわざ一良が支援の話を説明するためにイステリアへ来ることはなかったのだ。
イステリア側が一良の支援を欲するならば、向こうから一良の元に出向かせればよかっただろうし、アイザックとハベルにグレイシオールとして一良の存在を認めさせた後ならばそれも可能だっただろう。
もちろん、ナルソンとジルコニアがアイザックたちの話を直ぐに信じるとは考え難いから、実際に一良がナルソンたちと面会して支援を実行に移すまでには、一良がイステリアに直接赴くのに比べて相当な期間が掛かることになっただろう。
それによって領内における飢饉による被害も、一良の支援の遅れに伴って拡大しただろうが、グリセア村の安全を最優先に考えるのならば、そんなことは一良の知ったことではない。
場合によってはグリセア村以外への支援は一切拒否し、例外的に腐葉土の使い方や肥料の作成手法のみを教えるに留めるといったやり方も出来たはずだ。
「(だけどあの時、この国に対する救済の願いを突っぱねていたらどうなっていたんだ? ナルソンさんたちがそのまま村を放っておくはずがないし、村の噂が広まればいずれ……いや、アイザックさんたちに口外するなと命じておけば……)」
いったい、自分はどう行動すればよかったのだろうか。
飢饉のために領内で大量の餓死者が出そうだと言われ、そこまで酷い状況ならばと願いを聞き入れた自分は愚か者だったのだろうか。
例え周囲の村や街が餓死者で溢れかえっても、グリセア村の住民だけを大切に保護し続け、周囲の悲惨な状況は無視するべきだったのか。
むしろ、グリセア村を救うだけならば、村人達に食糧援助をするだけでよかったのだ。
それを調子に乗って水車を持ち込んだり、肥料を持ち込んだりと余計なことをした結果、アイザックに一良の存在を嗅ぎつけられてしまった。
アイザックに見つかりさえしなければ、一良やバレッタがイステリアに赴くことも無かったし、馬車の積荷を狙ったであろう野盗に村を襲撃されることもなかったはずだ。
「カズラ様、出発の準備が整いましたが……」
一良がそんなことを考えていると、全ての近衛兵たちのグループから出立準備完了の報告を受けたアイザックが、おずおずといった感じで声を掛けてきた。
「あ……はい」
心配そうな視線を向けるアイザックを見上げ、一良は「アイザックにさえ見つからなければ」とアイザックに責任を押し付けるような考えを持ち始めていた自分に驚いた。
アイザックとて、悪意があって一良に領内の救済を願い出たわけではないはずだ。
むしろ、グレイシオールをかたる一良に対して、無礼を詫びて自決を図るほどの真面目人間である。
イステール領のことを思って命懸けで救済を願い出たアイザックに、責任を押し付けるような真似が出来るはずがなかった。
「カズラ様、この度の野盗によるグリセア村襲撃の責は私にあります。グリセア村で静かに過ごしておられたカズラ様を私は……」
そう思った矢先、立ち上がって馬車に向かおうとする一良に、アイザックは沈んだ表情で自分の責任を追及し始めた。
暗い表情をしている一良を見て、アイザックは先程一良が考えていたようなことを自分でも考えてしまい、責任を感じているのだろう。
「アイザックさんに責任はありませんよ。自分を責めないでください」
「……はい」
努めて柔らかい表情を作ってアイザックの責任を否定する一良に、アイザックは暗い表情をしたままではあるが、珍しく素直に頷いた。
内心では納得していないのだが、出発時間が押してしまうのを気にして形だけ頷いたのだ。
「では、行きましょうか。アイザックさんはラタに乗って行くのですか?」
「はい、私はラタで部隊を先導します。何か御用の場合は、カズラ様の乗車する馬車の近くにハベルを控えさせますので、何なりとお申し付けください」
アイザックはそう言うと、一良のために用意されたであろう馬車へと目を向ける。
一良もつられて目を向けると、そこには周囲の馬車よりも一際立派な大型馬車が待機していた。
馬車の扉は開かれており、車内の豪勢な造りが覗いて見える。
床には立派な絨毯が敷かれ、テーブルやソファーまで設置されており、まるで小部屋を丸ごとラタで引いているかのような造りである。
馬車の傍には既にハベルが控えており、傍らに居る1人の少女と何やら話している。
「ん? あれは確か、ハベルさんの家で……」
「どうかなさいましたか?」
「ええ、あそこでハベルさんと話している女の子ですが、この間私達がハベルさんの家に泊まった時に、色々と私達の身の回りの世話をしてくれた娘なんです。ハベルさんが気を使って連れてきたのかな」
少しでも見知った相手を世話係として用意してくれたのだろうかと、一良はハベルの気遣いに感心したように言った。
「なるほど、随分と若い従者を連れてきたなとは思っていたのですが、そういうことだったのですね。ハベルは色々と機転が利く男なので、細かい所にも目が届くのでしょう。私も見習わねば」
感心している様子の一良を見て、アイザックは少し嬉しそうにハベルの行動を賞賛した。
自分の部下が頼りになる男で良かったと、今更ながらに安堵していたのだ。
「あ、あの、そろそろ私も馬車に乗ったほうがいいのでは……」
周囲の馬車が続々と出立準備を整える中、マリーは慌てた様子でハベルに申し出た。
広場で慌しく動き回っていた近衛兵たちはその殆どがラタに乗り、彼らの従者たちは自分の主人の荷物と共に馬車に乗り込み始めている。
自分も早く馬車に乗らなければ、大型とはいえ沢山の荷物と多くの従者でひしめき合う馬車の中では、十分なスペースを確保出来なくなってしまうかもしれない。
今回は急ぎの行軍なので、護衛の近衛兵たちは全員が騎兵として一良に随伴する。
それに付き添う従者達も、騎兵と同等の行軍速度を維持するために、全員が馬車に乗らなければならないのだ。
「いや、もう少しだけここにいてくれ」
慌てた様子のマリーを他所に、ハベルは視界の端で一良とアイザックが何やら話している様子を捉えながら、一良がこちらにやってくるのをじっと待っていた。
ハベルの予想が正しければ、一良がこちらにやってくるまでマリーをこの場で待たせておけば、マリーは他の従者たちでひしめき合う大型馬車に乗らずに済むことになるはずだ。
そうして、なおも馬車への移動を訴えるマリーをいなしながら少し待っていると、一良がアイザックと別れてハベルの元に歩いてきた。
「ハベルさん、馬車の準備は出来ましたか?」
「はい、今しがた全て整ったところです。マリー、早くあっちの馬車に乗り込んでくれ。すぐに出発するぞ」
「えっ!? あ、はい!」
「ん? あっちの馬車って……マリーさん、ちょっと待ってください」
ハベルの指示を受け、慌ててハベルが指し示した馬車に向かおうとするマリーを一良は引き止めた。
ハベルの指した馬車は、近衛兵の荷物や従者達でかなり混雑しているように見受けられたのだ。
馬車の中には一応腰掛けが付いているようだが、長時間の移動となるとマリーのような少女には体力的に少々辛いものがあるだろう。
「ハベルさん、移動中の世話役としてマリーさんには私の馬車に乗っていただきたいのですが」
「かしこまりました。マリー、やはりカズラ様と一緒の馬車に乗ってくれ。失礼のないようにな」
「……え?」
予想だにしていなかった流れに固まるマリーを他所に、ハベルは一良に一礼すると、広場の隅に繋げられている自分のラタの元へと歩いていってしまった。
「無理を言ってすいません。グリセア村に着くまでの間、よろしくお願いしますね」
固まっているマリーに一良はそう言って微笑み掛けると、開け放たれている扉に手をかけて馬車の中へ乗り込んだ。
「大丈夫ですか? 辛いようなら馬車を止めさせますよ?」
「だ、大丈夫です。ありがとうございます……」
ナルソン邸を出発してから数十分後。
ガタガタと揺れる馬車の中で、一良は青白い顔をしたマリーの背を擦っていた。
マリーが馬車に酔ってしまったのだ。
「ちょっと待っててください。今薬を出しますから」
「えっ!? あ、あの、私なんかがカズラ様からお薬をいただくわけには……」
「いいからいいから」
薬を出すと言われておろおろし始めたマリーをいなし、一良は車内に置いてあったボストンバッグを開けると、中から精油の小瓶の入ったポーチを取り出した。
「(えっと、乗り物酔いっていうとラベンダーとペパーミントと……なんだっけ、柑橘系の何かでいいか)」
日本で生活していた時に時折使っていた精油の効能の知識を頼りに、一良はポーチの中からラベンダーとペパーミント、それにグレープフルーツの精油瓶を取り出すと、バッグの中からハンカチを取り出して1滴ずつ染み込ませた。
精油を染み込ませたハンカチは、昨日アイザックのために使ったアロマポットのように一気に精油の香りを広げるといったことはない。
ハンカチに直接顔を近づけなければ、馬車内とはいえそれほど精油の匂いは感じられないだろう。
「これを少し嗅いでみてください。気分が良くなると思います」
一良は自分でハンカチに鼻を近づけて匂いを確かめると、青白い顔で冷や汗を掻いているマリーにハンカチを手渡した。
「ありがとうございます……ご迷惑をお掛けして申し訳ございません……」
マリーは一良からハンカチを受け取ると、礼を述べてからハンカチを鼻に近づけた。
そうして少しの間匂いを嗅ぐと、ハンカチを顔から離し、驚いたような表情でまじまじとハンカチを見つめる。
「気持ち悪さが無くなりました……」
「よかった。グリセア村に着くまで、時々今みたいに匂いを嗅いでいてください。酔わずに済むはずですから」
一良がマリーに渡した精油つきのハンカチの効能は、一良自身が日本で実体験済みである。
乗り物酔いになった時は、こういったブレンドの精油の匂いを嗅ぐと、すぐに気分を持ち直すことが出来るのだ。
しかも即効性があるので、中々に重宝する。
一良は顔色が良くなったマリーに一安心すると、いつの間にか自分の気分も少しだけ軽くなっていることに気が付いた。
「……あぁ、なるほど。ハベルさん、中々やるなぁ」
「え?」
「いえ、ハベルさんは仕事も出来るし気も利くんだなって感心していたんです」
先程までの陰鬱な気持ちのまま1人で馬車に揺られていたら、きっと嫌なことばかり考えて、一良は余計暗い気持ちになっていただろう。
だが、面識は一応あるが殆ど初対面、しかも少女といってもいいような歳に見えるマリーと一緒に馬車に乗っていては、ずっと暗い顔をして考え込んでいるわけにもいかない。
きっと、ハベルはそこまで見越して、一良の性格も考えた上でマリーを馬車の傍にわざと待機させていたのだろうと一良は感心していた。
まあ、はっきり言ってそれは一良の考えすぎなのだが。
「あ……はい! ありがとうございます!」
きょとんとした表情をしているマリーに一良がそう言うと、マリーはまるで自分が褒められているかのように嬉しそうに微笑んだ。