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46話:不安と希望

 一方その頃。

 屋敷内のとある一室で、アイザックは愕然とした表情でナルソンと向き合っていた。

 アイザックの隣にはハベルもおり、こちらは特に動揺した様子は見せず、ナルソンの言うことに対して同意を示すように頷いている。


「では、今後はカズラ様の側近と言う形でよろしいのですね?」


「うむ。くれぐれも不興を買うことの無いように注意するんだぞ。まずはカズラ殿の指示を着実にこなし、接する回数を極力増やして信頼と信用を得ろ。追加の支援を引き出すために動くのは、カズラ殿が自ら行ってくださる支援が打ち止めになる気配が見えてからでいい……どうした、アイザック。何か不満か」


「……ナルソン様、いくら国の……民のためとはいえ、我らを救いに現れてくださったグレイシオール様に対して、更に支援を引き出すために画策かくさくするような真似は……」


 苦しげな表情で答えるアイザックに、ナルソンは顔を顰める。

 アイザックの隣では、ハベルが何とも冷めた目でアイザックを横目に見ていた。


「アイザック、お前はバルベールと我が国アルカディアでは、どれだけの国力差があるか知っているか?」


「……はい」


「ならば分かるだろう。今後カズラ殿がどのような手段を講じるのかはわからないが、イステール領の食料問題が解決し、治水や衛生問題、更に言うならば経済まで回復させたとしよう。その状態で、4年後にバルベールと我が国が戦争状態に陥ったとして、我が国がバルベールに勝てる可能性がどれだけあると思う?」


「……休戦前の同盟国が再び手を取り合って連携すれば、少なくとも負けることはないのでは」


「そうだな。だが、それらの国が4年後に敵に回ったり、連携をとらずに静観を決め込んだりしないという保証はどこにある。前回の戦争では、バルベールが南側の諸国を甘く見て、全ての国に同時攻撃を仕掛けてくるという、何とも馬鹿な真似があってこそ成立した同盟だったのだ。それに加え、その攻撃とほぼ同時期に北方の蛮族からバルベールに対して大攻勢があったということも、我らに有利に働いたしな」


「ナルソン様は、次にバルベールと戦争が起これば、我々は敗北すると考えておられるのですか?」


 ナルソンの説明に、アイザックは心外だという表情で問い返す。


「状況によっては敗北もありえるという話だ。戦争に向けて我々も準備を進めているし、同盟関係維持のための外交も行っている。簡単に負けてやるつもりはない」


「ならば何故!」


 非難めいた口調で問い詰めるアイザックに、ナルソンは座っていた椅子の背もたれに背を預けると小さく息を吐いた。


「……1ヶ月ほど前、バルベールが北方の蛮族の一部と和平を結んだ」


「ッ!?」


「他の蛮族とも和平や停戦協定を結ぶために動いているだろう。奴らは背後の安全を確保し、再び攻めてくるつもりだ」


 絶句するアイザックの隣では、ハベルも驚いたように目を見開いている。

 バルベールが蛮族と和平を結んだということは、次の戦争でバルベールは二正面で戦わなくてもよくなるということなのだ。

 それどころか、蛮族から雇い入れた傭兵までもがバルベールの陣営に加わる可能性まである。


「せ、戦争を回避できる可能性はないのですか?」


 言葉を搾り出すように言うアイザックに、ナルソンは首を振った。


「今まで散々悩まされていた蛮族と和平を結ぶくらいだ、必ず攻めてくるだろう。それに、奴らは3年前から徴兵制を廃止して志願制を採用し、貧民層から大量の人員を兵士として雇い入れて常備軍の数を大幅に増やしている。奴らの外交官は『経済政策の一環』などと言っていたが、今回奴らが蛮族と和平を結んだことで目的が明確になった」


「……しかし、休戦直後だというのに大量の武具を国が用意し、なおかつ常備軍の維持費も賄うことができるほどに財源があるとは、バルベールという国は一体どうなっているのでしょうか。前回の戦争中に、バルベールでは錫が足りなくなったという話を耳にしたことがありますが……新たに大規模な錫の鉱脈が見つかったのでしょうか?」 


 ナルソンが説明すると、それまで黙っていたハベルが口を開いた。

 

 軍隊の維持には莫大な資金が必要である。

 有事の際にのみ一般市民から兵士を召集し、平時になったら解散するといったアルカディアを初めとする大多数の国が採用している徴兵制ならば、軍隊にかかる維持費が必要な期間は限定的なもので済む。

 その上、徴兵される兵士たちの武具は、それぞれが自分で用意するという方式がこの世界では一般的である。

 なので、徴兵する側が負担する費用といえば、召集兵の従軍期間に応じて支払う一時金と、軍隊の維持に必要な食料費などの諸経費くらいなのだ。


 だが、バルベールが最近採用した志願制は、これとは全く別物である。

 今ハベルが話した『武具を国が用意する』ということも含め、バルベールの志願制には3つの重要な要素がある。


 1つ目は、雇い入れた兵士の武具は国が支給し、給料も保証するということ。


 これにより、武具を調達する財力のない貧困層の人間でも、志願さえすればその身一つで軍人としての職を得て、貧困から脱却することが出来る。

 貧民を一挙に救済できる上、常備兵の増加と貧民の生活水準向上による治安の回復まで成されるという一石二鳥の要素だ。


 2つ目は、兵士の従軍期間を25年と定めるということ。


 従軍期間を定めることで、長期にわたる作戦の計画を容易にすることが出来る。

 また、徴兵を行っていたときのように農作物の世話をしている者が兵役につくことがなくなるため、国内の食糧生産に大きな影響が出なくなるのだ。


 3つ目は、兵士が退役する際には退職金もしくは土地を支給するということ。


 これにより、兵士たちは従軍期間が終わった後の生活を心配する必要が無くなる。

 つまり、従軍期間を無事に過ごすことさえ出来れば、従軍期間中に貯めていた貯金額にもよるが、悠々自適な引退生活を送ることも夢ではないのだ。


 ただし、これら3つの条件を全て満たすには莫大な資金が必要である。


 兵士たちが使う武器は、青銅製が一般的である。

 青銅という合金に使われる銅と錫は産出量が少なく、特に錫は産地が限定されているために非常に高価なのだ。

 金さえ出せばいくらでも手に入るというわけでもなく、今しがたハベルが言ったように、4年前まで行われていた戦争中には、バルベールでは錫が枯渇したとの噂が流れもした。


 武具の他にも、雇い入れた兵士に支払う給料や訓練に掛かる費用など、金のかかる要素を挙げたらきりがない。


「そうだな……高価な青銅の武具を、大量に雇い入れた兵士全てに支給できるとは俄かには信じられんが、実際武具は国が支給すると銘打った上での志願制だからな。すぐには無理でも、どうにかして用意するつもりなのだろう。最近、バルベールでは木材の生産量が急激に増加しているとの報告も入っているから、ハベルの言うように錫の鉱脈が発見されたのかもしれん」


 ナルソンはそこまで言うと、再びアイザックに目を向けた。


「お前が言いたいこともわかる。我らの求めに応じて救いの手を差し伸べてくださったグレイシオール様から、我々の手前勝手な都合で更なる支援を引き出そうというのだから、何と恐れ多いことをと安易に賛同できないのも当然だ。だがな、アイザック」


 そしてアイザックの名を呼ぶと、ナルソンは椅子の背もたれから背を離し、アイザックに向けて身を乗り出した。


「やらねばならんのだ。バルベールとの戦争に敗れた国がどうなるのかは知っているだろう。土地と財産は全て奪われ、生き残ったものは奴隷にされる。先に降伏して国ごとバルベールに組み込まれたとしても、土地と財産の損失は免れられん。奴らと戦い、勝利しなければ自由は永遠に失われる。勝利の可能性を少しでも上げるために、あらゆる手段を講じておかねばならんのだ」


「……」


 何ともやりきれないといった表情で俯いているアイザックに、ナルソンは内心溜め息を吐くと、再び椅子の背もたれに背を預けた。


「話はこれだけだ。アイザック、ハベル、しっかり頼むぞ」




「んー……」


 一良はリーゼとの会話を少しの間楽しんだ後、ナルソン邸の廊下で石造りの壁をじっと見つめていた。

 一良が見つめているのは壁全体ではなく、石材と石材の間の接合部だ。

 そうして暫く石材の接合部を見つめていたかと思うと、今度はカリカリと爪で接合部を引っかいた。


「うーん……あ、アイザックさん、いい所に。ちょっと来てもらえますか」


 引っ掻いた爪に少し付着した接合部の粉を見て首を傾げていた一良は、廊下の奥から現れたアイザックに気付いて声を掛けた。

 声を掛けられたアイザックは、一良に気付くと走り寄って来る。


「カズラ様、おはようございます……」


「おはようございます。……って、ちょっと大丈夫ですか!? 顔が真っ白ですよ!」


 近くに来たアイザックの顔を見て、一良は驚いた。

 アイザックの顔には生気が無く、顔色は青を通り越して白くなっているように見える。


「いえ、大丈夫ですので御気になさらず……」


 まるで死人のような顔つきで、何とか笑顔をつくるアイザック。

 声にも張りが無く、全く持って大丈夫そうには見えない。


「(いつも少し疲れた顔はしてたけど、昨日までは元気だったのにな……まるで客先や上司にしこたま怒られて心の折れた新入社員みたいだ)」


 以前、こちらの世界に来る前に勤めていた会社で、時折目にした光景を一良は思い出した。

 これは、何らかの要因で心に大きなショックを受けた人間の表情だ。


「……ちょっと付いてきてください」


 一良はそう言うと、アイザックを連れて廊下を進む。

 途中、すれ違った侍女に空いている客室の場所を聞き、そこに熱いお湯を持ってくるようにお願いした。


「すぐに戻ってきますから、ここで待っていてくださいね」


 客室に着くと、一良はアイザックを椅子に座らせ、一旦部屋を出てナルソンの執務室に走って向かう。

 そして、執務室に置きっぱなしだったボストンバッグを引っつかむと布でくるみ、何事かと視線を送ってくる各所の見張りの兵に見守られながら、アイザックの待つ客室へ急いで戻った。


 一良が部屋に入ると、アイザックが沈んだ表情のまま戻ってきた一良に頭を下げた。


「お待たせしました。今準備しますから」


 一良はアイザックに微笑み掛けると、ボストンバッグからキャンドル式のアロマポット、精油の小瓶が入ったポーチ、ガラスポット、それとハーブが入った小袋をいくつか取り出した。


「あ、あの、何の準備をしているのですか?」


「アイザックさんにお茶をご馳走しようと思って。アイザックさんはお茶は好きですか?」


「えっ!? そ、そんな、カズラ様にお茶をいれていただくなんて!」


 非常に恐縮した様子で立ち上がろうとするアイザックを、一良は、まあまあ、と椅子に座らせ、小袋からガラスポットにハーブを移す。


「ここ数日、殆ど休まずに働きづめでしたからね。そろそろ息抜きにお茶でもしたいと思っていたところですし、雑談ついでに少し付き合ってくださいよ」


 一良はそう言いながら、ポットの中に、リンデンフラワー、ローズペタル、セントジョーンズワートといったハーブを均等に入れる。

 部屋にあった棚から取っ手付きの陶器のティーカップを取り出してテーブルの上に並べると、部屋の扉がノックされた。

 先程の侍女がお湯を持ってきてくれたのだ。


 一良は侍女からお湯の入った銅のピッチャーを受け取って侍女を下がらせると、テーブルの上のガラスポットの中にお湯を注いだ。

 ガラスポットの中のハーブはお湯を注がれるとふわりと広がり、時間の経過と共にハーブから出た淡い黄色にガラスポット内が美しく染まる。


 ハーブがお湯で煮出されるまでの間、一良はお湯をアロマポットに注いだり、ポットの下部に蝋燭を設置したりしながら2分程待つ。

 そして、ハーブが十分に煮出されたことを確認してからティーカップにハーブティーを注ぎ、アイザックに差し出した。


「どうぞ、お口に合えばいいんですけど」


「ありがとうございます……いい香りですね」


 ハーブティーの入ったティーカップを口に近づけ、アイザックは仄かに香る甘い香りに少し微笑んだ。

 アイザックがハーブティーを口にするのを見て、一良も自分のティーカップにハーブティーを注ぎ、香りを楽しみながら一口飲む。


「どうです? もし口に合わないようなら別のお茶も作れますけど」


「いえ、とても美味しいです。ありがとうございます」


 ハーブティーを飲んで少し落ち着いた様子のアイザックに、一良は


「それはよかった」


 と微笑むと、机の上に置いたままにしてあった精油の小瓶が入ったポーチから、ラベンダーの精油瓶を取り出した。

 精油瓶の蓋を取り、アロマポットに張っておいたお湯の中に数滴たらす。

 そして、ボストンバッグからライターを取り出すと、ポットの下部に設置しておいた蝋燭に火をつけた。


「それは何なのですか?」


「これはアロマオイルといって、私の……神の国で取れる植物から抽出した油です。こうして火にかけると、その油特有の香りを楽しむことができるんですよ」


 アロマポットを火にかけると、すぐにラベンダー特有のやさしい香りが広がった。

 

「さて……アイザックさん、先日は同じ大きさの布袋を3000も用意しろだなんて言ってしまいましたが、もしどうしても都合がつけられないようだったら言ってくださいね。何が何でも用意しろとは言いませんから」


 一良はラベンダーの香りが部屋中に広がったことを確認すると、心配そうな表情でアイザックに言った。


「いえ、布袋については大丈夫です。既に町中の仕立て屋に発注をかけてありますので、明日中には全て用意できるかと思います」


「(……あれ? 布袋の用意が出来なくて凹んでいたわけじゃないのか)」


 アイザックの返事を聞き、一良は内心首を傾げた。

 てっきり、先日一良がアイザックに指示した内容をアイザックが達成することが出来ずに、ナルソンやジルコニアから大目玉を食らったのだろうと一良は思っていたのだ。

 だが、アイザックが凹んでいる理由はそうではないらしい。


「そうですか、それはよかった。先程はアイザックさんが深刻な表情をしていたので、私はてっきり……あの、何か辛いことがあったなら、私でよければ話くらいは聞けますよ? あ、でも、話したくなければ無理にとは言いませんから」


「っ……はい……ありがとう……ございます……」


 一良がそう言うと、アイザックは息を詰まらせ、泣きそうな表情で俯いてしまった。

 一良はアイザックが何か話し出さないかと、俯いたままのアイザックを黙って見ていた。

 そうして、そのまま暫く待ってみたのだが、アイザックが何も話し出しそうに無いので、一良は何か別の話題に変えることにした。


「そうそう、アイザックさんに聞きたいことがあるんですけど、聞いてもいいですかね?」


「……はい、何なりと」


 一良の言葉に、アイザックは顔を上げた。

 その表情は先程の泣きそうな表情ではなく、何か吹っ切れたかのように決意に満ちた顔になっていた。

 アイザック自身の雰囲気も、先程までのしょげかえったものではなく、何処かやる気に満ち溢れているかのような雰囲気が伝わってくる。


「(……え? ハーブティーとアロマオイルってこんなに極端な効果あるのか? それとも、この数分の間にアイザックさんの中で何かあったのか?)」


 急に雰囲気の変わったアイザックに、一良は面食らっていた。

 一良はやたらと凹んでいるアイザックに元気を出してもらおうと、抗鬱こううつ作用やリラックス作用のあるハーブを選んでハーブティーを作り、アイザックに飲ませたのだ。

 それだけではなく、抗鬱作用や鎮静作用のあるラベンダーの精油も使った。

 だが、それにしてもアイザックのこの変わりようは、いくらなんでも極端すぎる。


 以前、グリセア村で死に掛けていたバリンにリポDを飲ませた時ですら、体力回復の効果が出るまでに2時間以上掛かったのだ。

 だが、今回精油とハーブを使った目的は体力回復ではなく、精神面の作用を狙ったものである。

 もしかしたら、精油やハーブティーは食べ物以上に凄まじい効果を発揮するのではという懸念が一良の中で頭をもたげた。


「(いや、でもそれだと、前にバレッタさんとバリンさんに飲ませたハーブティーの説明がつかないな。もしこんな極端な効果があるなら、2人はハイビスカスを飲んだ直後からおしっこが止まらなくなってたはずだ)」


「あの、カズラ様、どうかなさいましたか?」


 過去にバレッタとバリンに飲ませたハーブの効能を思い浮かべながら一良が暫く考え込んでいると、急に黙ってしまった一良に不安を感じたのか、アイザックが心配そうな表情で一良に声を掛けてきた。


「あ、いえ、何でもないです」


 再びしょげかえられては元も子もないと、一良は慌てて口を開いた。

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