44話:青い刃の夜
バレッタたちがイステリアで一良と別れた次の日の深夜。
グリセア村にある村長邸の居間で、バレッタは壁に背をつけたまま膝を抱えて顔を伏せていた。
もう、かれこれ4時間はそうしているだろうか。
囲炉裏で燃えていた薪の炎はとうに消え、窓も閉められている室内には月明かりも入らず、室内は闇に包まれている。
バレッタは屋敷に戻ってきた後、暗い表情のまま馬車から積荷を降ろしてバリンの夕食の仕度を済ませると、自身は何も食べずにずっと膝を抱えて座っていた。
そんなバレッタの様子に、バリンは心配して何度か声を掛けたりもしたのだが、昨日と同様に碌な返事が返ってこなかった。
結局、バリンはそのまま諦めて先に寝室で寝てしまい、現在居間にいるのはバレッタだけである。
暫くそのままじっとしていたバレッタだったが、不意に顔を上げると屋敷の入り口へと目を向けた。
入り口の戸が、軋む音が聞こえた気がしたのだ。
「……誰?」
バレッタが呟くと同時に、入り口の戸がゆっくりと開き、月明かりが入り口の土間を照らす。
いつもならバレッタが寝る前に木製の閂を扉に掛けるのだが、今日はまだ閂を掛けていなかった。
「……カズラさん?」
もしや一良が帰ってきてくれたのではという思いが頭を過ぎり、バレッタは入り口に向かおうと虚ろな表情のまま立ち上がった。
が、次の瞬間、バレッタの表情は恐怖に凍りついた。
抜き身の長剣を持った男が、入り口から姿を現したのだ。
「……ッ! まだ起きてる奴がいるぞ! 逃げられる前に殺せ!!」
家に入ってきた男が背後に向かって叫ぶと同時に、長剣や短剣を持った4人の男が入り口から雪崩れ込み、居間にいるバレッタの姿を確認すると武器をぎらつかせながら肉薄する。
突然の出来事に、バレッタは思わず「ひっ」と悲鳴を上げその場から後ずさった。
「ん? 女じゃねぇか。しかも上玉だ」
バレッタに肉薄した大柄な男は、バレッタが女だと分かると、手に持った長剣を腰に挿してある鞘に素早く仕舞い、バレッタに掴みかかった。
両手首を掴まれたバレッタは、勢いのままその場に押し倒されてしまう。
「っ! お父さん!!」
バレッタは男に組み敷かれた体勢のまま、奥の部屋で寝ているであろう父に向かって何とか大声で叫ぶ。
だが、男はそんなバレッタの行動など全く気にしない様子で、舐めるような視線でバレッタの身体に目を向けている。
「ちょっと味見していくわ。お前ら後は任せた」
男はバレッタに目を向けたまま、バタバタと屋敷に侵入してくる他の男たちに声を掛ける。
声を掛けられた男たちは舌打ちをしながらも、バレッタを組み敷いている男を咎めようとはせず、屋敷の奥へと踏み込んでいった。
「時間が無いからな。ちゃちゃっと済ましてやるから安心しな」
「ひっ、やあっ」
男はそう言いながら、恐怖の余りに涙を流しながらガタガタと震えるバレッタの首筋に顔を近づける。
だが、男はバレッタの首筋に舌を這わせる寸前で、屋敷の奥から聞こえてきた怒声と破壊音に動きを止めた。
「……何だ?」
屋敷の奥から響いてくる騒音や叫び声などの只ならぬ雰囲気に、男は思わず顔を上げる。
それと同時に、奥の部屋に踏み込んでいったはずの2人の男が、慌てた様子で居間に飛び出してきた。
「何だあいつは!? どうなってんだ!?」
「落ち着け! 2人で同時に斬りかかるんだ!」
「お、おい! 一体どうしたんだ!?」
居間に戻ってきた男たちが慌てた様子で言い合っているのを見て、バレッタを組み敷いている男が仲間の男たちに声を掛ける。
「お、奥にいた奴がっふっ!?」
仲間の男が答えようと口を開いた瞬間、その男に奥の部屋から飛び出してきた何かが身体を直撃し、男はもんどりうちながら屋敷の入り口にまで吹き飛ばされた。
「おい! 騒ぎすぎだ……ひっ!?」
余りの騒がしさに、屋敷の外で待機していたらしい数人の男が屋敷の入り口から顔を出した。
そして、入り口の土間で首を半ばまで切断されて息絶えている仲間の死体と、その死体から流れ出す血の海で呻く仲間を見て絶句する。
「バレッタッ!」
男たちが入り口に吹き飛ばされた仲間に気を取られていると、屋敷の奥から全身を返り血で滴らせ、男たちから奪ったと思われる長剣を握り締めたバリンが飛び出してきた。
バリンはバレッタが男に組み敷かれているのを見て、その表情を憤怒に染め上げる。
「貴様らぁっ!!」
「う、動くんじゃねぇ! 動いたらこいつの喉を潰して殺すぞ!!」
バレッタを組み敷いている男は、咆哮を上げて突っ込んでこようとするバリンに慄きながらも、右手をバレッタの細い首にあてがった。
首を絞められる形になったバレッタは、咄嗟に自由になった左手で、自分の首を締めようとしている男の右手首を掴む。
そして、ぐっと奥歯を噛み締めて自身を奮い立たせると、男の右手首を掴んでいる左手を思い切り握り締めた。
「うぐっ!? 何しやが……ッ!?」
突如激痛が走った右手首に男が目を向けた瞬間、男の瞳が驚愕に染まった。
男の右手は、バレッタの左手を支点にして、くの字に折れ曲がっていた。
……手首が、握り潰されていたのだ。
「がふっ!」
バレッタは握りつぶした男の手首を離すと、男の顔面に思い切り左拳を叩き込んだ。
それと同時に骨を砕くような鈍い音が男の顔から響き、男は鼻と口から血を噴出しながら昏倒する。
「こ、この化け物どもがああああっ!」
あっという間に仲間を倒され、残された男は絶叫しながらバリンに斬りかかった。
バリンは目にも留まらぬ速さで男の斬撃を自らの持つ剣で打ち払うと、その勢いのまま凄まじい剣速で男の肩口に刃を叩きつけ、肩から腹の半ばまでを一気に切り裂いた。
上半身を二股に切り分けられ、男は驚愕に目を見開いたまま前方に倒れ込む。
バリンは倒れこんでくる男の腹に足をあてがうと、剣を引き抜こうと思い切り蹴り飛ばした。
だが、男を切り裂いた時点で既に剣は折れてしまっていたらしく、引き抜いた剣には刃が元の3割程度しか残っていなかった。
「う、うわああっ!」
屋敷の入り口からその光景を呆然と見ていた野盗の男たちは、バリンが男たちに目を向けると恐慌状態に陥り、我先にと逃げ出していく。
「バレッタ、無事か?」
バリンは逃げ出した男たちには構わず、座り込んだまま放心した様子で入り口を見つめているバレッタの傍まで駆け寄り、片膝をついてバレッタの肩に手を置いた。
肩に手を置かれた瞬間、バレッタはびくっと肩を震わせたが、心配そうに見つめる父に何とか頷き返す。
バリンはバレッタに怪我が無い事を確認してほっと息を吐くと、バレッタに殴られて気絶している男の元へ歩み寄った。
そして、折れてしまった剣を投げ捨てると、男の腰に挿さっている剣を引き抜き、何の躊躇も見せずに男の首に刃を突き刺して止めをさした。
「バレッタ、そこの鍋を叩いて村の皆を起こせ。私は奴らを追いかける」
「えっ!? ま、待って! お父さん!!」
言うが早いか、バリンは引き止めるバレッタを残して屋敷の外に飛び出していった。
屋敷を出る際、未だに入り口でのた打ち回っている男を蹴り飛ばし、しっかりと気絶させていった。
「何なんだあいつらは!? 皆殺されちまったぞ!」
「化け物だ……俺達は化け物の住処に手を出しちまったんだ……」
屋敷を飛び出し、村はずれの森の中に停めておいた馬車に向かい、男たちは全力で走っていた。
先程見た現実離れした光景に、全員がパニックを起こしている。
そうして喚き散らしながら暫く走って行くと、背後からカンカンと金属を打ち鳴らすような音が響いてきた。
バレッタが、鍋の底を叩いて村人達を起こしているのだ。
「くそっ! 村の奴らが追ってくる前に急いで逃げねぇと! 掴まったら命は無いぞ!!」
背後から聞こえてくる金属音に焦燥しながらも、男たちは必死に走り、何とか仲間の待つ馬車に辿り着いた。
「てめぇら、しくじりやがったのか!? 他の奴らはどうしたんだ!」
馬車で待っていた頭の男の怒声を無視し、男たちは大急ぎで馬車に飛び乗り、
「さっさと出せ! 逃げるんだ!!」
と大声で叫ぶ。
その只ならぬ様子に、馬車の周囲で待っていた他の仲間も慌てて馬車やラタに飛び乗った。
「おい! 他の奴らはどうしたんだって聞いてるんだよ!!」
「殺されたんだよ! 奴ら人間じゃねぇ、化け物だ!!」
戦慄した様子で叫ぶ手下の姿に、頭の男は言葉を失った。
屋敷には、手下を10人も送ったのだ。
それが半数は殺され、残りは逃げ帰ってきてしまった。
襲った家の住人は、余程の手練だったとでもいうのだろうか。
頭の男がそこまで考えた時、馬車が急停止した。
それと同時に、手下が何かを叫ぶ声が辺りに響く。
「おい、どうした!?」
頭の男が慌てて馬車の外に飛び出ると、暗い森の中、馬車の前方10メートル程の位置に、剣を持った壮年の男が1人立っていた。
頭の男と一緒に馬車を飛び出した5人の手下は、その男の姿を見て「ひっ」と小さく悲鳴を漏らす。
「……武器を捨てて投降しろ。さもなくば殺す」
剣を持った壮年の男――バリン――が言葉を発すると、周囲の温度が急激に低下したような錯覚を頭の男は受けた。
バリンから放たれる殺気の凄まじさに、生物としての本能が警笛を鳴らしているのだ。
こいつは、やばい。
「ふ、ふざけるなぁっ! お前ら、こいつを取り囲め!!」
バリンの殺気に思わずたじろいでいた手下たちは、頭の男の命令に気を取り戻すと、騎乗していた男もラタから降り、全員が剣や短槍を構えてバリンを包囲しようと散開した。
バリンはその場に立ったまま何もせずに、男たちが配置に着くのをじっと待つ。
「バカが。この人数相手に包囲されて、1人で勝てるとでも思っているのか?」
ものの数秒で完全包囲の状態を作ることに成功し、頭の男はバリンを小ばかにしたような表情で言い放つ。
バリンは男の台詞を聞くと、きょとんとしたような表情を作って見せた。
「包囲だと? いったい誰が包囲されているって?」
「……あ? お前以外に誰がいるっていうんだよ。恐怖で頭がいかれちまったのか?」
頭の男は呆れたように言うと、まあいい、と気を取り直してバリンに凄惨な笑みを向けた。
「楽には死なせてやらねぇぞ。お前ら、かか……」
「ちょっと待て」
バリンは手下をけしかけようとした頭の男の言葉を隔たって、周囲を見渡すように視線を巡らせた。
「……残すのは、こいつともう1人いればいい」
バリンがそう言った瞬間、頭の男の隣にいた、手下の男の首が飛んだ。
「なっ!?」
鮮血を噴出して倒れていく、首の無い手下の体。
その体の向こう側に、頭の男は見てしまった。
突如闇の中から現れた複数の村人達が、短剣や鉈を手に迅雷のような速さで手下たちに襲い掛かっていたのだ。
背後から、それも常軌を逸した速さでの襲撃に、手下たちは殆ど反応することも出来ず、全員が一撃で急所を貫かれ、その場に崩れ落ちていく。
辺りには一瞬にして、血の匂いが充満した。
「ひ、ひいっ!」
たまたま標的から外された幸運な手下の1人は、突如として現れた地獄のような光景に腰を抜かし、失禁しながらその場に尻餅を着いた。
バリンは呆然と立ち尽くす頭の男の傍に歩み寄ると、もう一度
「武器を捨てろ」
と呟いた。
「誰だ、止まれ!」
闇の中から近寄ってくる人の影に、天幕の周囲で見張りをしていた護衛兵の男は大声を上げた。
護衛兵の男が声を上げると、すぐに天幕の中から他の護衛兵が武器を手にして飛び出してくる。
「グリセア村のバリンです!」
「……バリン殿?」
近寄ってきた人影の言葉に、護衛兵たちは顔を見合わせた。
だが、見張りをしていた護衛兵の男はすぐに天幕の傍で燃えている焚き火から松明に火をつけると、その人影に近づいていった。
「バリン殿、いったいどうし……おい、凄い出血じゃないか!」
「いや、これは返り血だ。先程、村が野盗に襲われてな、その時に返り討ちにした奴の血だよ」
松明の灯りに照らされて浮き上がった血塗れのバリンの姿を見て驚愕する護衛兵の男に、バリンは慌てて弁解する。
「野盗だと!? 村の人たちは無事なのか!?」
「ああ、誰も怪我1つしていない。それに、野盗を3人捕まえたんだ。まぁ、1人はもう死んでしまうかもしれんが……すまないが、明日の朝にでも村に引き返して、野盗を連れて行ってくれないか?」
バリンの台詞に、護衛兵の男は驚いたような表情を見せたが、すぐに表情を引き締めると背後の仲間を振り返った。
「いや、今すぐ行こう。皆、準備してくれ」