395話:幸せなひととき
浴衣姿でタオルと替えの下着を入れた布袋を手に、3階にある大浴場へと向かう。
「バレッタさん、浴衣が似合うなぁ」
バレッタに横目を向け、一良はデレデレだ。
浴衣から覗く白い首筋が、とても色っぽい。
「えっ、そうですか?」
「もう最高ですよ。超かわいいです」
「えへへ。ありがとうございますっ」
エレベーターで3階へと移動し、大浴場前にやって来た。
ホテルには何組も泊まっているようで、部屋へと向かうカップルや高齢夫婦と何度もすれ違った。
広々とした湯上がり処にはソファーとウォーターサーバーが置いてあり、数人の男女がくつろいでいる。
ここで待ち合わせ、と決め、それぞれ脱衣所に入った。
バレッタは脱衣所に入ると、きょろきょろと辺りを見渡した。
作法は一良から教わったが、何しろ初めての経験なので緊張気味だ。
脱衣所には誰もいないが、棚には浴衣の入っているカゴがいくつかあった。
「えっと、カゴに服を入れて、小さいタオルを持って……」
浴衣と下着を脱いでカゴに入れ、タオルを持って浴場に入る。
「わっ、すごい」
石造りの大きな内風呂を目にし、しばし立ち尽くしてしまった。
洗い場に行き、イスに座る。
「ええと……こうかな?」
レバーを捻ると、さあっと壁に掛けられているシャワーからお湯が噴き出した。
思わずびくっと肩をすくめ、ドキドキしながらシャワーヘッドを掴む。
「あれ? 冷た……あっ。温かくなってき……あ、熱っ!?」
温度を調節し、髪を流す。
シャンプーとコンディショナーで髪を洗い、タオルにボディソープを付けて体を洗い始めた。
――すごいなぁ。こんな施設、村にあったら皆喜ぶだろうな。
体を洗いながら、村に残してきたリーゼたちのことを思い出す。
彼女たちがこれを体験したら、どんな反応をするだろう。
自分と同じように驚きの連続だろうなと想像し、くすっと笑った。
体を洗い終え、髪紐で髪を束ねて内風呂に向かう。
3人の年配の女性客が浸かっており、皆無言で温まっていた。
バレッタも、恐る恐る足先を湯に浸けて温度を確かめ、他の客を真似て頭にタオルを載せ、ゆっくりと湯舟に入った。
「……はあ」
肩まで湯に浸かり、体の芯から温まるような感覚に思わず声が漏れる。
強い硫黄の香りがするが、嫌な感じはしない。
何とも言えない心地良さに、身も心も解されていくような気がした。
――何だか、夢みたい……。
一良が村にやって来てからのことを思い出す。
村の復興、イステリアの経済改善、そして戦争。
どれも手の施しようのない状況だったが、一良のおかげですべてが上手くいった。
そして今、彼は自分の夫だ。
結婚式はこれからだが、あちらでは当人たちと互いの両親が了承した時点で夫婦である。
先に領主への届け出が必要なのは、イステリアなどの中心都市に限った話だ。
――リーゼ様たちのこと、どうするのかなぁ。
ぼんやりと考えながら温まっていると、先に入っていた客の1人が外湯に出て行った。
自分も行こう、と立ち上がり、外湯へと向かう。
ガラスの引き戸を開けて外に出ると、これまた立派な石造りの露天風呂があった。
屋根付きで周囲は塀で囲われており、青々とした植木がさらさらと風に揺られている。
うきうきしながら、湯舟に入る。
内湯よりも温度が高めだが、外気が涼しいおかげでちょうどいい。
――カズラさんと一緒に入れたら、もっと楽しいんだろうなぁ……リーゼ様たちとも、また一緒に来てみたいな。
そんなことを考えながら、バレッタは温泉を堪能するのだった。
たっぷりと風呂を楽しみ、バレッタは髪を乾かして湯上がり処に戻って来た。
先に待っていた一良が、スマートフォンを片手に「おかえり」と微笑む。
「どうでした?」
「最高でした! 露天風呂が、とにかくすごかったです。それに、お肌がすべすべになった気がします」
「ですよね。やっぱり、天然温泉は違うな……あ、そうだ。近くに貸切風呂をやってる温泉宿があるらしいんですけど、行ってみません? 当日予約できるみたいなんですよ」
そう言って、バレッタにスマートフォンの画面を見せる。
小奇麗な板の間に、陶器製の壺湯が湯気を立てている写真が載っていた。
源泉かけ流しで、カップルやファミリーにお勧め、と書かれている。
「素敵ですね! 行ってみたいです!」
「よし、夕食後に行きましょうか。予約、取れるかな?」
一良が電話をかけて確認すると、ちょうど夕食後の時間に予約が取れた。
電話を切り、スマートフォンを布袋にしまう。
「夕食まであと1時間くらいなんですけど、売店でも覗きます?」
「はい。あと、ゲームセンターにも行ってみたいです」
湯上がり処を出て、まずは売店へと向かう。
帰ってから食べよう、とご当地限定のお菓子をいくつか購入し、ゲームセンターに移動した。
レトロなゲーム機を中心に、たくさんの筐体が並んでいる。
小さい子供連れの家族が何組か遊んでいた。
「おー。これがゲームですか」
賑やかな音楽を発しているUFOキャッチャーに、バレッタが歩み寄る。
「カズラさん、これは何ですか?」
「UFOキャッチャーっていう、アームで掴んで、そこの穴にまで運ぶゲームです。取れた景品を貰えるんですよ」
一良が財布から100円玉を2枚取り出して、バレッタに渡す。
「どうぞ、やってみてください」
「よーし」
お金を入れ、一良に操作を教えてもらいながらバレッタがアームを動かす。
狙いは、最近流行りの小さくてかわいいキャラクターのクッションだ。
大きな3つの爪のアームが、むんず、とクッションを掴む。
「やった、掴んだ!」
ぐぐっとクッションが持ち上がり、真上にまでアームが上がる。
穴に向かって少し動いたところで、アームが微妙に開いてクッションが落下してしまった。
「あれ!? 何で!?」
「あはは。ですよねぇ。はい、今度は500円でどうぞ。3プレイできますから」
「は、はい」
バレッタが再び挑戦し、クッションを掴む。
しかし、先ほどとまったく同じように、クッションは落下してしまった。
首を傾げながら、さらに挑戦する。
結果はまったく同じで、500円玉は露と消えた。
「これ酷いですよ! どう見ても、持ち上げたところでアームが開いちゃってますもん!」
バレッタが憤慨した様子で、アームを睨む。
「バレッタさん、これを取るには『お布施』が必要なんです」
「……お布施?」
バレッタが怪訝な顔になる。
「ある一定以上のお金が貯まらないと、アームの力が弱くなっちゃうんです。まあ、上手くやると、そんな状態でも取れるみたいですけどね」
「な、なるほど……確かに、そうしないとお店が損しちゃいますもんね」
「どうします? 取れるまでやってみます?」
「うー……やります」
お金を入れてはクッションを掴み、お布施不足で落下する。
投入金額が2000円を超えたところで、バレッタが「うーん」と唸った。
「何だか、すごくもったいないことをしてる気が……2000円あったら、昼間に食べた釜めしを食べてお釣りがきます」
「でも、今諦めたら、突っ込んだ2000円はパァですよ?」
「うっ……って、そうやって後に引けなくさせる手法なんですね」
「せっかくだし、取れるまでやりましょう」
そう言われ、バレッタは後には引けぬとゲームを続けた。
何度かいい感じの掴みかたをしたのだが、やはりアームの握力不足でクッションは落下してしまった。
そして、投入金額が3700円になった時。
「うう、さすがにこれ以上は……あっ!」
それまで虚弱体質だったアームが覚醒し、クッションを掴んだまま穴の上にまで移動した。
ツメが開き、取り出し口にクッションが落ちて派手な音楽が流れる。
「おっ、取れた。はい、おめでとう!」
「あ、ありがとうございます」
一良がクッションを取り出し、バレッタに渡す。
バレッタは小さくてかわいいキャラクターのクッションを両手で持ち、何とも言えない表情になっている。
「バレッタさん? どうしました?」
「その……取れた瞬間に、『きたー!』って感じで、すごくテンションが上がって。これ、中毒性があるゲームですよ」
「あはは。面白いですよね。別のゲームも、見てみましょうか。あと15分くらいしたら戻らないとですけど」
その後、エアーホッケーでも遊んだのだが、すさまじい反射神経のバレッタに一良はまったく歯が立たず、バレッタの圧勝となったのだった。
部屋に戻り、食事の時間になった。
若い仲居さんが次々に並べていく料理に、2人とも「おー」と目を輝かせる。
夕食は懐石料理で、ナスと湯葉の煮物、果物のワイン蒸し、刺身、牛すき焼きなど、15種類以上もの料理が並んでいる。
その美しい料理の数々に、バレッタは目が釘付けだ。
「すっごく美味しそう! こんなに綺麗な料理、初めて見ます!」
喜ぶバレッタに、仲居さんが微笑む。
「ありがとうございます。どうぞごゆっくり、お食事をお楽しみください」
そう言って深々と頭を下げ、仲居さんは部屋を出て行った。
いただきます、と料理を食べ始める。
「うお、こりゃ美味い」
「美味しいですね! このゼリー状のお野菜のやつ、美味しくて頬っぺたが落ちそうです」
思い思いに料理を口に運びながら、今日のことを話す。
たった1日だけの温泉旅行だが、バレッタはとても満喫できているようだ。
「この街、本当にすごいです。街全体が観光に特化してるなんて、すごすぎます」
「草津は特にすごいですからね。日本には他にも、大規模な温泉街がいくつもありますよ」
「雑誌に特集が組まれてましたね。別府温泉とか道後温泉もすごいんですっけ」
「らしいですね。俺も行ったことはないんで、あちこち旅行してみましょう。北海道から沖縄まで、温泉宿に泊まりながら旅するってのもいいな」
「ぜ、贅沢ですね。すごくお金がかかりそうです」
「まあ、金ならあるんで。任せてください」
「さすがは億万長者です……」
そうして、ゆっくり料理を堪能した。
味もボリュームも満点で、2人とも大満足だ。
内線電話でフロントに連絡すると、すぐに仲居さんが片付けに来てくれた。
皿を下げ、布団が敷かれる。
ごゆっくりどうぞ、と仲居さんが部屋を出ていき、さて、と一良は新しいタオルを袋に詰めた。
「貸切風呂に行きましょうか。もう少しで予約の時間なんで」
「はい。夜の湯畑、きっと綺麗だろうな」
「ああ、確かに」
一良が窓に歩み寄り、湯畑を見下ろす。
「おお、ものすごく綺麗だ」
夜の湯畑はライトアップされており、とても幻想的な美しさだ。
座ったままでいるバレッタに一良は振り向き、小首を傾げた。
「バレッタさん、見ないんですか?」
「感動を取っておこうと思って。目の前で見るまで、我慢です」
「なるほど」
部屋を出て、ロビーへと向かい、ホテルを出た。
目の前に広がるライトアップされた湯畑に、バレッタが「すごい!」と声を上げた。
「すっごく綺麗ですね! 今まで見たどんな景色よりも綺麗ですよ!」
湯畑は青い光に照らされており、立ち上る湯気も相まってとても美しい。
駆け出すバレッタの後を、一良が追う。
「わあ……」
柵に掴まり、こんこんと湧き出る温泉を見つめるバレッタ。
昼間とは一変したその景色に、彼女の心は鷲掴みされていた。
「せっかくだから、記念写真を撮りません?」
「撮りましょう!」
昼間と同じ場所で、スマートフォンで自撮りをした。
さあ行こう、と貸切風呂を予約している宿へと向かう。
同じく湯畑前の2階建ての宿に入り、ホテルマンに風呂へと案内してもらった。
脱衣所兼休憩室に入ると、奥のガラス戸の先に壺湯が見えた。
石の湯口から、さらさらとお湯が注ぎ込まれている。
「オシャレなお風呂ですね!」
「こういう風呂もいいですよね。さあ、入りましょうか」
「はい……あ」
そこでようやく、バレッタは一良の前で裸にならなければならないことに気が付いた。
浴衣を脱ぐ一良を見ながら、顔を赤くする。
互いに何度も裸を見ているとはいえ、その時は極力部屋を暗くしていたのだ。
それに引き替え、ここはかなり明るい。
「ん? 脱がないんですか?」
「うう……しまった」
「何が?」
「カズラさん、分かってて誘導したでしょ」
「へっへっへ」
したり顔の一良にバレッタはため息をつくと、諦めて浴衣を脱ぎ始めた。
ブラジャーのホックに手をかけたところで動きを止め、ガン見している一良に顔を向ける。
「じろじろ見すぎですよ!」
「ごめん、ごめん。先に行ってますね」
一良が先に風呂場へと行ったのを確認してから、バレッタは下着を脱いで裸になった。
タオルで前を隠しつつ、風呂場に移動する。
タオルで体を洗っていた一良が、バレッタに振り向く。
「あれ? 隠さなくてもいいのに」
「うー。意地悪しないでください……」
真っ赤になっているバレッタに一良は笑い、体を洗い終えると場所を譲った。
「カズラさん、先に入ってていいですよ」
「んじゃ、お言葉に甘えて」
一良が壺湯に入ると、お湯が盛大にあふれ出た。
すだれから覗く夜空に彼が目を向けているのを確認しつつ、バレッタも体を洗う。
そして、バレッタも壺湯の前に立った。
タオルを湯に入れるのはマナー違反と聞いているので、諦めてタオルを床に置き、バレッタも一良に向かい合うかたちで壺湯に入る。
「……はあ」
気持ちよさそうに、バレッタが声を漏らす。
「何か俺、すごく幸せです」
夜空に目を向けたまま、一良がしみじみと言う。
「俺、バレッタさんと会えて、本当に良かったです。もしもあの時、あっちの世界に行かなかったらって思うと、ぞっとしますよ」
「私もです。カズラさんと会えなかった未来なんて、考えられません」
バレッタが優しく微笑む。
「今の私があるのは、全部カズラさんのおかげです。これからも、ずっと傍にいさせてくださいね」
「もちろん。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
「……隣、行っていいですか?」
「え? ど、どうぞ」
向かい合わせの状態から、バレッタが一良の隣に移動する。
両手で一良の腕を抱き、目を閉じて彼の肩に頭を預けた。
2人とも言葉を発さず、お湯の流れる音だけが響く。
「……バレッタさん、リーゼたちのことなんですけど」
静かに口を開く一良に、バレッタはゆっくりと目を開いた。




