391話:式の日取り
車を走らせ、ちょうど昼になる頃に屋敷へと戻って来た。
荷物を持って屋敷に入り、異世界への敷居をまたぐ。
景色が石造りの通路に変わり、バレッタは背後を振り返った。
「本当に不思議です。どういう仕組みなんでしょうか?」
「不思議ですよねぇ。強制転移もすごいですし、魔法か何かですかね?」
「そ、それはさすがに……魔法なんて、この世には存在しないですよ」
「でも、ティタニアさんたちの力って、魔法みたいなものですよね? あれと同じような感じなんじゃ?」
一良の意見に、バレッタは「うーん」と唸る。
「……あの力も、きっと何か原理があると思います。科学で解明できないことなんて、ないと思います」
「バレッタさんらしい考えかたですねぇ」
そうして一良が一歩を踏み出すと、バレッタが「あっ」と声を上げた。
「カズラさん。お義父さんとお義母さんに、私が日本に来れるようになったことを伝えないと」
「あっ、そうだった。戻りましょう」
再び屋敷に戻り、一良がスマートフォンを取り出す。
父親に電話をかけると、5コールほどして繋がった。
「もしもし、父さん?」
『おう。どうした?』
「バレッタさん、妊娠してた。こっちに来れるようになったよ」
『えっ!? もう!? 今、そこにいるのか!?』
驚く父に、一良が苦笑する。
「うん。ビデオ通話に切り替えるね」
スマートフォンを操作してビデオ通話に切り替える。
「父さん、スマホを離して、ビデオ通話にして」
『お、おう』
画面に父の緊張した顔が映し出され、バレッタが「わあ」と声を上げた。
父の背後に映るヤシの木に、一良が小首を傾げる。
「す、すごいですね。相手の顔を見ながら……あっ! バ、バレッタと申します!」
『どうも! 一良の父の真治です! 息子がお世話になってます!』
お互い緊張しきった声で挨拶し、ペコペコと頭を下げる。
「父さん、後ろにヤシの木が見えるんだけど、どこにいるの?」
『今、沖縄にいるんだよ。明後日に帰ることになってる』
「そ、そっか。じゃあ、顔合わせは帰って来てからだね」
『だな。おーい! 睦! バレッタさんと電話が繋がったぞ!』
彼の大声の直後、ばたばたと足音が響いて画面が激しく動き、母の睦が顔を覗かせた。
おでこにサングラスをかけており、服装はアロハシャツだ。
いつもながら、ものすごく若い。
『バレッタさん!? きゃー! やっぱり美人ねぇ!』
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
『よろしくね! どうしよ、旅行の真っ最中だよ。真治、顔合わせはどうするの?』
『3日後の夜でどうだ? 親父たちにも、後で電話しておこう』
『だってさ。一良、予定空けておいてね? そっちのお屋敷に行くから、お祝いしましょ』
「うん。夜の7時くらいでいいかな?」
『それでいいよ。私たちもバレッタさんのご両親に、挨拶しないとよね』
「そうだね。結婚式も挙げるから、母さんたちも来るって伝えておくよ」
『あ、それは無理よ。私たちは、そっちには行けないから』
「えっ?」
てっきり両親も来れるものだと考えていた一良が、驚いた顔になる。
「行けないって、何で?」
『その場所には、一良しか行けないの。私も、別の場所からこっちに来たのよ』
「やっぱり、そうだったんですね」
バレッタが納得した様子で頷く。
「あの、カズラさんは、お嫁さんを探すために、私の生まれた世界に来たんですよね?」
『うん。一良と相性がよくて子供を作れる年齢の人がいる世界に、あそこは通じるようになってるの。だよね?』
『そう聞いてる。だから、俺が行ける世界と一良が行ける世界は別々なんだ。口伝でしか伝わってないから、確証はないけどな』
「……俺、あっちの食べ物で栄養が取れなくて、危うく餓死するところだったんだ。それも知らなかったってことだよね?」
『『何それ!?』』
両親の驚いた声が響く。
『そんな場所があるなんて、聞いたことないぞ!?』
「そっか。そういえば、ご先祖様っぽい人があっちで死んでたらしくてさ。そのせいで、何も伝わってなかったのかな」
『そ、そうか。まあ、行く場所によっては、危ない目に遭うこともあるからな』
真治が冷や汗を掻きながら言う。
「危ない目って……それはあらかじめ教えてくれよ。命に関わるんだから」
『いや……お前には、自然に伴侶を見つけてほしかったんだよ。先にあれこれ教えて身構えちゃうと、せっかくの出会いが台無しになるかもしれないと思ってさ』
「ええ……暴論すぎるように思えるけどなぁ」
不満げな一良に、睦が『まあまあ』と口を挟む。
『お父さんも、一良を思ってのことだったんだよ。お父さん、あっちでかなりつらい目に遭ったからさ』
「つらい目? 何があったの?」
一良がそう言った時、プシュー、とバスの音が響いた。
『あ、ごめん! バスが来ちゃったから、また後でね。バレッタさん、一良のこと、よろしくね!』
睦がにこりと微笑む。
バレッタも、とびきりの笑顔を彼女に向けた。
「はい! 任せてください! 今後とも、よろしくお願いします!」
『うん。会えるのを楽しみにしてるから。じゃあ、またね!』
通話が切れ、一良がスマートフォンをポケットにしまう。
「うーん。まさか本当に、お嫁さんを探すための扉だったとは」
一良が背後を見る。
敷居の先は、何もない畳部屋があるだけだ。
初めて扉を開けた時に、南京錠が勝手に壊れて消えてしまったことを思い出す。
あれについても、後で聞きたいところだ。
「……もしかしたら、私じゃなくて、リーゼ様やジルコニア様がカズラさんと相性のいい人なのかもしれないってことですよね」
複雑そうな顔をしているバレッタに、一良が苦笑する。
「そうかもしれませんけど、俺は初めからバレッタさんに惹かれてましたよ。なんていい娘なんだろうって、ずっと感じてましたし。だからきっと、俺はバレッタさんに会うために、あっちの世界に行ったんですよ」
「う……あ、ありがとうございます。すごく嬉しいです。えへへ」
バレッタが照れて顔を赤くする。
「それじゃ、村に戻りますか」
「はい!」
再び敷居をまたぎ、通路へと移動する。
雑木林を抜けて村に出ると、リーゼとティタニアとウリボウたちが子供たちと追いかけっこをしていた。
「あっ、カズラ、バレッタ!」
リーゼが子供たちをティタニアたちに任せ、2人に駆け寄る。
「日本に行ってたの?」
「うん。バレッタさんと一緒に、両親に挨拶してきたんだ」
「そうなん……え!? 今、バレッタと一緒にって言った!?」
リーゼが一良に詰め寄る。
「どうやったの!? どうやって、バレッタを日本に連れて行ったの!?」
「それが、俺の子供を妊娠していれば通れるみたいなんだ」
「にっ……」
リーゼが目を見開き、バレッタを見る。
「に、妊娠しちゃいました」
ぎこちなく微笑むバレッタに、リーゼは唖然としていたが、すぐに微笑んだ。
「そうなんだ。よかったね! おめでとう!」
「はい。ありがとうございます」
「そっか、バレッタ、お母さんになるんだ……って」
リーゼが、少し真剣な顔になる。
「生まれてくる子供って、私たちみたいに力持ちになるのかな?」
「どうなんでしょう? カズラさんのご両親に聞いてみないとですね」
「うん。その、私が心配してるのは、お腹の中にいる子供が力持ちになっちゃったら、お腹の中で赤ちゃんが動いたら、バレッタのお腹が破けちゃったりしないかなって……」
「「……」」
その様子を想像し、一良とバレッタの顔が強張る。
「い、いや、さすがにそれは大丈夫なんじゃないか? いくら力持ちっていっても、胎児なんだから」
「うう、何だか心配になってきました。後で、お義母さんに聞いてみます……」
「ま、まあ、たぶん大丈夫だよね? それより、ニィナたちが、バレッタの結婚衣装を準備し始めてるの! 見に行こうよ!」
そうして、3人はニィナの家に向かうのだった。
ニィナの家の前に着くと、中からわいわいと騒ぐ声が響いてきた。
こんにちは、と引き戸を開き、中に入る。
「あっ、いらっしゃい!」
ニィナが一良たちを見て、にこりと微笑む。
他の娘たちとニィナの両親もおり、反物を選んでいるようだ。
「カズラ様、このたびはおめでとうございます」
「バレッタちゃん、よかったね。おめでとう!」
祝福の言葉を投げかけるニィナの父と母に、2人も「ありがとうございます」と頭を下げた。
「バレッタ、ドレスに使う生地を選んでるんだけどさ。これとかどうかな?」
床に広げていた薄緑色とピンク色の反物を、ニィナが広げて見せる。
「わ、すごく綺麗だね。それ、どうしたの?」
「お父さんとお母さんが、イステリアに行った時に買ったんだって。私が結婚する時に使うつもりだったんだってさ」
「ええっ? そ、そんな大切なもの、使っちゃダメだよ。とっておきなよ」
「いいんだって。私、まだ相手もいないんだし。ね、お母さん?」
ニィナが目を向けると、彼女の母親は苦笑しながら頷いた。
「ええ。また新しく買えばいいし、バレッタちゃんのに使って――」
彼女がそう言いかけた時、コンコン、と戸がノックされた。
ニィナが返事をすると、手に服を抱えたバリンが入ってきた。
「おっ、帰って来てたのか」
バリンがバレッタに微笑む。
「うん、さっきね。その服は?」
「これ、シータと結婚した時のドレスなんだけど、バレッタにどうかなと思ってな」
「えっ、お母さんの?」
バレッタがバリンに駆け寄る。
ドレスを受け取って広げ、「わあ!」と声を上げた。
緑を基調とした可愛らしいドレスだ。
大切にしまってあったようで、まるで新品のように綺麗だ。
「おお、懐かしい。次期村長の結婚式だからって、皆で奮発してお金を出し合って作ったんですよねぇ」
ニィナの父親が言うと、彼の妻も懐かしそうに目を細めた。
「懐かしいわね……私も、シータと一緒に仕立てたの。楽しかったなぁ」
「バレッタ、それを着なよ! きっと、お母さんも喜ぶよ!」
ニィナの言葉に、他の娘たちも頷く。
バレッタは彼女たちを振り返り、嬉しそうに微笑んだ。
「うん。私も、これを着たいな」
「それじゃ、決まりね! カズラ様は、衣装はどうするんですか?」
ニィナが一良に言うと、マヤが「はいはい!」と手を挙げた。
「私、神様の世界の結婚式の衣裳を見てみたい!」
「あ、それいいね!」
「私も見てみたいなー!」
「カズラ様、そうしましょうよ!」
他の娘たちが、わいわいと一良に迫る。
「じゃ、じゃあ、そうしましょうかね。用意しておきますよ」
頷く一良に、皆が「やった!」と大喜びする。
「衣装を仕立てなくていいなら、すぐに式を挙げられるね。村長さん、いつにしましょうか? 私の父も、それに合わせて来ると言っているのですが」
リーゼが聞くと、バリンは「うーん」と唸った。
「そうですね……料理の準備もありますし、2日後くらいでしょうか。皆はどう思う?」
バリンの問いかけに、皆が「いいですよ!」と同意する。
こうして、2日後に一良とバレッタの結婚式が挙げられることになった。
一良は嬉しそうにしているバレッタを見て、日本からの帰りにアルカディアン虫を採ることを彼女がすっかり忘れていることに、心底ほっとしていた。