371話:あまり
数時間後。
いつものようにマリーに起こされ、一良は食堂にやって来た。
先に席に着いていた皆が、おはようございます、と挨拶する。
カーネリアンもおり、ティタニアはいつもどおり、特別席でお座りしていた。
「おはようございます。待たせちゃいましたね」
席に向かいながらちらりとエイラを見ると、彼女は少し顔を赤くしてうつむいていた。
ジルコニアの件もあり、これは大変なことになりつつあるのでは、と一良は内心冷や汗を掻いた。
表情には出さず、そのまま席に着く。
いただきます、と皆で料理を食べ始めた。
「カズラ、午後からグリセア村に行くんでしょ? それまではどうするの?」
リーゼが料理を頬張りながら、一良に聞く。
「皆クタクタだろうし、自由時間かな。あ、ナルソンさん、異民族の対応とかで、手伝えることがあれば俺もやりますよ?」
すべて丸投げだったことを一良は思い出し、ナルソンに申し出る。
「いえ、あちらは大丈夫です。カイレン執政官とアロンドが、上手いことやったようですので」
「上手いこと? 何をどうやったんです?」
「異民族の威力偵察があったのですが、わざと部族軍に壊走させて、追ってきた奴らをバルベールのバリスタと弓兵の一斉射撃で穴だらけにしてやったとのことです。部族軍の出番は、まったくなかったようでして」
現在、バルベール・部族連合軍の総指揮をしているのはカイレンだ。
わざと壊走してカウンターで大打撃を与えるのはカイレンお得意の戦法で、完全に初見だった異民族はまんまと罠にはまったのである。
しかも、部族軍よりも長大な射程を誇るバルベール弓兵が待ち構えていたので、彼らは一方的に損害を被ることになった。
部族軍がバルベールと手を組んでいることを、彼らは知らなかった、というより、バルベールという国の存在を知っていたのかすら怪しい。
「それはすごいですね。バルベール軍って、やっぱり強いんですね」
「部族軍との戦いで戦慣れしていますから。異民族にしてみれば、いきなり戦う相手が替わって驚いたかと」
「そんなバルベールを相手に圧勝したのですから、アルカディア軍はさすがというほかありませんな」
カーネリアンが穏やかな表情で言う。
「無線でプロティアとエルタイルの司令官と話しましたが、彼らはかなり焦っているようです。なにしろ、同盟をないがしろにしている間に戦争が終わってしまったうえに、いつの間にやら我らがバルベールだけでなく部族同盟とも親密になってしまったのですから」
「あー、彼らは気が気じゃないでしょうね。2カ国については、どうすることになったんです?」
一良がカーネリアンに尋ねる。
「以前、ナルソン殿が話していたとおりです。彼らにはバルベールからの賠償金や領土の割譲はなし。代わりに、我らは今までの彼らの日和見を咎めない。すべての国で、交易は行う。それくらいですね」
「そっか。彼らは文句は言いませんでしたか?」
「我らの圧勝と無線機の存在に驚きすぎて、それどころではなかったようです。後で、何か注文を付けてくる可能性はありますが」
「その辺りは私やカーネリアン殿で上手いことやりますので、カズラ殿はご心配なさらず。今後は、のんびりと過ごしていただければと」
ナルソンがジルコニアに目を向ける。
「ジルも、もう軍の管理はしなくていいぞ。だが、今までどおり屋敷は自由に使ってくれ。行きたいというなら、軍部に出向いて口出ししてくれてもいい。皆に話は通してある」
「うん、ありがとう。そういうことなら、今までどおり過ごさせてもらうわ」
ジルコニアが微笑む。
リーゼも、今までと変わらないと分かって嬉しそうだ。
「ナルソン殿。俺らも自由にあちこち行っていいのかい?」
ラースが言うと、ナルソンはすぐに頷いた。
「ああ。好きに見て回ってくれ。資料室以外なら、どこでも行っていい。必要なら、アイザックかハベルに案内させよう」
「かたじけない。貴君らの訓練法に興味があってな。昼まで、俺は軍部を見させてもらおうかな。ティティスとフィーちゃんはどうすんだ?」
「私は、お世話になった方々に挨拶をしてきます」
「私はバレッタさんにくっついているのですよ! 大工工房で、製材機を見せてもらう約束をしているのです!」
フィレクシアがうきうきした様子で言う。
王都からずっと、フィレクシアはことあるごとにバレッタに付いて回っていた。
バレッタも頭の回転の速い彼女とは話が合うようで、一緒にいて楽しいらしい。
これから2人は協力して足踏み式のミシンを作る約束をしている。
資料は百科事典のものしかないのだが、すでに2人は大まかな内部機構の設計をまとめ終わっていた。
片方が考えに躓いても即座にもう片方が改善案を出すので、設計に遅延がまったく生じないのだ。
製材機を見に行く理由は、ただ単にフィレクシアが見てみたいと言っているのと、製材機に用いられているピストン構造をその目で彼女に確認してもらうためである。
「そうか。まあ、迷惑かけないようにな」
「大丈夫ですって。ね、バレッタさん?」
にひ、とフィレクシアがバレッタを見る。
「はい。私が付いてますから、安心してください」
「カズラはどうするの?」
リーゼが一良に話を振る。
「部屋でお菓子食べながらゾンビの海外ドラマを見ようかな」
「あ、警察官が主人公のやつ? 私も続きが見たい!」
「いや、学校内に閉じ込められた生徒たちが逃げ惑うやつ。この間、出てるシーズンまとめて買ってきたんだ」
「へー、そんなのもあるんだ」
「あの、リーゼ様。面会をしたいというかたが大勢いまして……」
「げっ」
エイラの言葉に、リーゼがあからさまに嫌そうな顔になる。
「先ほど参られまして、一応お断りをしたのですが、どうしてもとおっしゃられて。少しでもいいからと、客室でお待ちになられているのですが、いかがいたしますか?」
「ま、待ってるの? 断れないじゃない……」
「では、お食事の後から面会でよろしいですか?」
「はーい」
リーゼが嫌そうに返事する。
「まあ、終わったら来なよ。それまで、別の映画でも見て時間潰してるからさ」
「分かったー」
そうして、午前中は自由時間となったのだった。
自室に戻ってきた一良は、どの映画を見ようかとダンボール箱を漁っていた。
「たまにはサメ映画でも見るか」
湖に現れたサメに襲われる、という内容の映画のケースを手に取った。
先日、日本に帰った際に、「サメ映画祭り!」と書かれた垂れ幕の前に大量のサメ映画があったので、いくつか買ってきたのだ。
「サメ映画って、日本でだけやたらと人気があるって話だよな。これ、面白いんだろうか?」
巻き上げ式スクリーンをセットし、パソコン経由でプロジェクタから投影する。
映画が始まると、いかにも夏といった格好をした演者たちが、あれこれと話しながらキャンプ場のような場所にやって来た。
何やら小汚い水辺に移動し、パシャパシャと水遊びを始める。
「……これ、夏じゃなくて秋じゃないのか? どう見ても木が枯れてるんだけど」
見ているこちらが寒くなりそうな環境で水遊びをするイケメン男子や水着女子たち。
すると、膝下ほどしかない浅瀬なのに、水中を泳ぐサメの視点に切り替わった。
視点は彼らの足元にまで進み、ざばっといきなりサメが飛び出してくる。
「む、むう……」
これは深く考えてはいけない映画だなと考え、映画を見続ける。
季節や水深がどうこうということを考えなければストーリー的には問題ないので、余計なことを考えないようにしながら映画を楽しむ。
そのうちサメが増え始め、狭くて浅い川の水面に背びれを立てたサメが登場人物を追い回し始めた。
音楽がやたらといい出来なのが、妙に面白い。
そうして映画を楽しんでいると、コンコン、と扉がノックされた。
「ジルコニアです」
「っ!? はい!」
一良が返事をすると、ジルコニアが部屋に入ってきた。
「すみません。暇なんで、ご一緒してもいいですか?」
「ど、どうぞ」
ジルコニアが一良の隣に座る。
画面では、岸から川に斜めに倒れた朽木に水着美女が乗っていて、川にはサメがうようよおり、対岸にいる主人公に助けを求めている。
どうして反対側の岸に移動しないのだろうかと一良は思ったが、隣にいるジルコニアが気になってそれどころではない。
「……何で、あの子は向こう岸に逃げないんですか? 水にいるアレに襲われそうなんですよね?」
わーきゃー騒いでいる登場人物たちを見たジルコニアが、困惑顔で言う。
「さ、さあ? でも、陸に逃げたら話が終わっちゃいますし、どうにかして水辺にいる流れにしたいんですよ、きっと」
「そ、そうですか。不思議な映画ですね……」
そうして、2人とも黙って映画を見る。
やがてクライマックスに差し掛かり、広い湖のシーンになった。
大きな板の上に乗った4人の女性がサメの出現に大騒ぎし、主人公たちが「水に飛び込んでこっちまで泳げ!」と無茶なことを言う。
「いや、死ぬ死ぬ。普通に死ぬだろ」
「あっ!? 飛び込みましたよ!」
「お、おお? ……マジか。泳ぎきるとは」
何だかんだで見入ってしまい、お互いツッコミを入れながら映画を楽しむ。
今まで見た数々の映画とは違い、頭を空っぽにしてツッコミを入れながら見ることができて、かなり面白い。
そうして数名の死者は出たものの、ハッピーエンドに終わってエンディングロールが流れ始めた。
「……めちゃくちゃ面白かったですね」
「私も途中からでしたけど、雑な感じの作りが逆に面白かったです。それと、音楽がすごくいい映画でしたね」
「何か腑に落ちないけど、いい映画でしたね。腑に落ちないのが、また面白いというか」
おかしな感想に、2人で声を上げて笑う。
あそこがよかった、あの人は死ぬ必要あったのか、といった話をしながら笑っているうちに、エンディングロールが終わった。
しん、と部屋が静まり返る。
「……あの、この間はすみませんでした。その、いきなりキスしちゃって」
ジルコニアが顔を赤くしながら、一良に謝る。
「えっ!? あ、いや、大丈夫なんで。はは」
「本当にごめんなさい。でも、あれが私の本心なんですよ? あなたがいてくれたから、今の私があるんですから」
ジルコニアが気恥ずかしそうに、膝に目を落とす。
そして、顔を上げて一良の目を見つめた。
「私、カズラさんのことが大好きです」
ジルコニアが頬を染めて言い切る。
「あっ、返事とかは別にいらないですよ?」
一良が口を開く前に、ジルコニアが言葉を紡ぐ。
「付き合ってほしいとか、結婚してほしいなんて言いません。でも、これからも傍にいさせてほしいんです」
「は、はい。それは、もちろん」
頷く一良に、ジルコニアがにこりと微笑む。
彼女の顔は、赤いままだ。
「こんなこと言ったら、カズラさんが困るのは分かっていたんですけど。どうしても、我慢できなくて吐き出しちゃいました」
「え、いや、困るだなん――」
「困らないと、ダメですよ」
ジルコニアが右手の人差し指を、一良の唇に添えて優しく言う。
「じゃないと、ずっとあなたのことを想ってるあの子がかわいそうです。……ごめんなさい。勝手なことばかり言って」
ジルコニアはそう言うと苦笑し、立ち上がった。
「それじゃ、お邪魔しました。あまり気にしなくていいですからね?」
そして、にこりと微笑み、部屋を出ていった。
「……いや、気にするって」
閉まった扉を見つめながら、一良はしばらく呆けていた。
扉を後ろ手に閉め、ジルコニアはため息をついた。
「……はあ。ファーストキス、とっておけばよかったな」
目尻に浮かんだ涙を指で拭い、小さくつぶやく。
ナルソンと結婚してから、最初の戦争を休戦というかたちで終えた後、ジルコニアは酷く焦っていた。
仇の所在は一向に掴めず、次にバルベールと戦端が開かれたらまず勝てないことをその時は理解していた。
ナルソンは軍の掌握とリーゼに親として振る舞うこと以外は求めてこなかったが、仇の捜索については「調査中だ」、と言うばかりだった。
だから、自分がナルソンに気に入られれば、彼も本気になって仇を探してくれるのでは、と考えた。
体を使って篭絡できればと考えたこともあるが、トラウマが酷すぎて考えただけで体がすくんでしまい、無理だと諦めた。
なので、せめて他の方法でと、休戦後は彼にことさら好意的に接し、どうにか我慢して自らキスをしたことも何度かあったのだ。
ナルソンは何も言わずに応えてくれたが、聡明な彼のことだ、そんな浅はかな考えは見透かされていたように、今では思える。
勝手にやっておいて愚痴を吐くなど、失礼極まりない話だとジルコニアは苦笑した。
「ま、いっか。どうとでもなれってね」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、少しアイザックかハベルを鍛えてやろうと、彼らがいるはずの訓練場へと足を向けたのだった。




