360話:水も滴るいい女
それから約1時間後。
すべての王族と貴族たちに、一良主導で地獄と天国の動画上映会を行った。
今は上映後の質問タイム中だ。
動画を見た者たちは、青い顔をしていたり、困惑していたり、歓喜で興奮していたりと、それぞれの今までの行いが顔に出ていた。
要職に就いていない彼らの妻や子供たちは、別室で親睦会という名のお茶会中である。
「なるほど! 不正を働かず、民のため、国のために尽くすことが大切なのですね!」
以前行ったイステリアでの上映会に参加していなかった文官が、興奮した様子で言う。
彼はフライス領の徴税長官だ。
「はい。一番大切なことは、悪い行いに手を染めないことです。でないと、先ほどのデュクスさんみたいな目に遭うことになります」
一良の台詞に合わせ、バレッタがデュクス氏が怪物に首を引き千切られているシーンを再生する。
見ている者たちから悲鳴が上がり、何人かは頭を抱えたり失禁したり泣き始めたりしてしまった。
失禁した王族の中年男性2名が、エイラとマリーに連れられて部屋を出て行く。
皆、その背中を「いったいどんな悪事を働いていたんだ」といった目で見送った。
「あ、あの! 彼はいつまであの責め苦を受け続けるのですか!?」
王都の裁判官の老人が、手を挙げて質問する。
「私の管轄外なので分かりませんが、おそらく永遠にですね。そのうち解放されるかもしれませんが」
「そ、そんな……ひぃぃ」
老人が失禁し、泡を吹いて倒れる。
ゴン、と床に頭を打って気絶してしまった彼を、リーゼが慌てて抱えて部屋を出て行った。
「おい、カズラ、お漏らし大会になっちまうぞ。デュクスさんをこれ以上いじめるなって」
ルグロが真面目な顔で意見する。
「そ、そうだね。じゃあ、怖い話はこれくらいにして、勲功の褒美の授与に移ります。エルミアさん、名簿の読み上げをお願いします」
「承知しました」
エルミア国王が立ち上がり、一良の隣に来る。
紙を取り出し、目を細めながら顔を引いた。
「ええと、まずは……むむ」
「あ、もしかして、文字が見えませんか?」
「も、申し訳ございません。年々、目が悪くなってしまって……」
「バレッタさん、老眼鏡を」
「はい」
バレッタが一良のバッグから老眼鏡の入った紙袋を取り出し、一良に渡す。
「これ、老眼鏡っていうんですけど、小さい文字でもよく見えるようになるんです。視力ごとに種類があるんで、ご自身に合うものを選んでみてください。こうやって、顔に付けるんです」
一良がお手本に、老眼鏡を1つかける。
当然ながら、一良の目にはまったく合わない。
「ほほう、そんなものがあるのですか。どれ……」
エルミアが老眼鏡を付け、紙を見る。
「おお見えるようになりました。少々ぼやけていますが」
「なら、それは合わないやつですね。他のを試してみてください」
そうしていくつか老眼鏡をかけ、ちょうどいい度のものが見つかった。
「おほん。このたび、グレイシオール様に代わり、私が善行を積んだ者を何人か選定した。褒美の品を与えるゆえ、名前を呼ばれたら前に来るように。イーレア・アルカディアン」
「はっ!」
先ほど城の前で一良に善行アピールをしていた中年男が、エルミアの下へと駆け寄る。
「私財からの継続的な孤児院への資金提供を善行とみなす。報告書に違いはないな?」
「はい! 子供たちが不自由ない暮らしができるよう、必要額を都度精査して提供しております!」
「うむ。見事である。バレッタ、彼に褒美を」
「はい」
バレッタが足元に積まれている紙包みを拾い、イーレア氏に手渡した。
彼は深々と頭を下げてそれを受け取ると、ホクホク顔で席に戻って行った。
中身は、オパールガラスのコップ、化粧品、シャンプーなどの洗髪剤と、その使いかたを記した説明書だ。
一良の意向で、妻帯者には化粧品を、独身者には万年筆を包んである。
「これからも頑張ってくださいね!」
「承知しました!」
流れでバレッタにまで敬語で彼が答える。
パチパチ、と皆の拍手を受けながら彼が席に戻り、エルミアは次の者の名を呼んだ。
そうしてしばらくの間、授与式は続いたのだった。
授与式後、一良は老眼が始まっている王族と貴族を集めて老眼鏡の試用をさせていた。
他の者は帰宅を命じられたため、この場にはいない。
皆が一良に話しかけたくて仕方がなかったのだが、それを許すといくら時間があっても足りないので帰らせたのだ。
後日、質問内容を書面にまとめて提出してもらうことになっている。
「ほほう。これは便利ですな」
老眼鏡をかけたマクレガーが、自身の手のひらを近づけたり遠ざけたりする。
「マクレガーさんって、おいくつなんですか?」
「今年で52になります。目が悪くなってしまって、困っていたので助かりました」
マクレガーは半分以上が白髪なため、一良は60歳近いのかと思っていた。
地球では一般的に頭髪の半分が白くなるのが約55歳との統計があるのだが、もちろんそれは人による。
日頃から、彼も苦労しているのだろう。
「む。近くが見えるようになるのはいいが、遠くはぼやけてしまうのか」
老眼鏡をかけたサッコルトが、部屋を見渡してつぶやく。
「近くを見る時だけに使うものですからね」
「なるほど。付けっぱなしというわけにはいかないのですな」
「あー、確かに不便ですよね。遠近両用のもあるんですけど、人によって合う合わないがあるんですよねぇ」
「あ、いや、これでじゅうぶんです! お気遣い、ありがとうございます!」
「あの、カズラ様。先ほどの地獄と天国についてなのですが……」
サッコルトと話している一良に、王族の中年男がおずおず声をかける。
「こら、その質問はなしだと言っただろうが」
「し、しかしミクレム殿。どうしても気になってしまって……」
彼に続いて、他の王族や貴族たちも控えめに賛同の声を上げた。
皆、大なり小なり悪いことをしてきたようだ。
フライス領の者たちは、皆が穏やかな顔で老眼鏡を選んでいる。
誰一人として地獄行きの懸念がないのかと、一良は内心驚いていた。
「カズラ、私に答えられる範囲で、別室で話を聞いておこうか?」
赤い伊達メガネをかけたリーゼが提案する。
バレッタやティティスたちも伊達メガネを選んでおり、きゃいきゃいと楽しそうにしている。
部屋の隅では、獣の姿のティタニアがへそ天状態で眠りこけていた。
「ぜ、ぜひお願いいたします!」
「カズラ様、どうかお願いいたします!」
「このままでは、気になって眠れませぬ!」
ここぞとばかりに、彼らが必死の形相で訴える。
「うーん……リーゼ、疲れてるだろ? やっぱり後で書面回答のほうがいいんじゃないか?」
「ううん、私は大丈夫。皆様の気持ちは分かるし、安心させてあげたいの」
天使のような台詞を吐くリーゼに、皆が「さすがリーゼ殿!」と褒めたたえた。
こうなっては断るわけにもいかず、一良は渋々頷いたのだった。
それから、約2時間後。
風呂に入ってさっぱりした一良は、用意されていた客室でベッドに座っていた。
部屋はいつも一良が使っている部屋の2倍近くの広さがあり、謎の絵画やら壺やらの調度品がいくつも飾られている。
ベッドはキングサイズで、ふかふかの布団に天蓋まで付いていた。
「あー、疲れた。ようやく休めるよ」
クーラーボックスから冷えたサイダーの缶を取り出し、プシュッとフタを開けて一口飲む。
すると、コンコン、と扉がノックされた。
「エイラです」
「どうぞ」
失礼します、とエイラが部屋に入ってきた。
「あの、カズラ様。リーゼ様が、いまだに王族の方々の質問に答えているのですが……」
「えっ!? まだやってるんですか!?」
「はい。どなたかが、先にお帰りいただいたかたにも質疑の場が設けられたことを伝えてしまったようで、大勢押しかけてしまって」
「むう。そりゃあ、他の人に言うなとは言ってないけどさ……今日はもう帰ってもらうようには、リーゼは言わなかったんですか?」
「それが、『皆様が納得するまできちんと説明する』、とおっしゃっていて。カズラ様には、今日は言わないようにと申し付けられたのですが」
「いや、さすがに帰ってもらわないと。俺が注意してきますよ」
「申し訳ございません、お願いします」
部屋を出て、質疑が行われているという会議室にエイラと向かう。
廊下はしんと静まり返っており、点々と配置されている壁掛け燭台のおかげで足元ははっきり見える。
ナルソン邸よりも、かなり豪勢にロウソクが使われているようだ。
「ナルソンさんたちは、もう休んだんですか?」
コツコツと石造りの廊下を歩きながら、一良が尋ねる。
「はい。皆様、かなりお疲れのようでして、何があっても明日の朝までは起こさないようにとナルソン様には申し付けられました」
「はは。今日はずっと移動しっぱなしでしたもんね。エイラさんも疲れてるんじゃ?」
「ですね……カズラ様とお茶会ができないと、疲れが取れません」
「俺もですよ。エイラさんとお茶しないと、1日が終わった気がしなくって」
「……はあ」
一拍置き、エイラがため息をつく。
「だ、だいぶお疲れですね。リポD、後で飲みます?」
「いらないです……」
はあ、とエイラが再びため息をつく。
急にため息をつき始めたエイラに一良が困惑していると、廊下の先にある部屋の扉が開いた。
中からぞろぞろと王族と貴族たちが出てきて、一良たちには気づかずに反対側の廊下へと去って行った。
「ちょうど終わったのかな?」
「そのようですね……あ、リーゼ様」
ひょこっとリーゼが顔を出し、こちらに顔を向けた。
一良とエイラが、彼女に駆け寄る。
「お疲れ。ようやく終わったのか」
「うん。エイラ、カズラには言わないでって言ったよね?」
「申し訳ございません。ですが、あまりにも遅くなっていたので心配で」
むう、と不満顔になるリーゼに、エイラが謝る。
「まあ、いいけどさ。あー、疲れた」
「皆、納得してくれたか?」
「一応ね。どれだけ悪いことをしてたとしても、これから頑張れば挽回できるって言ったらほっとしてた。徳を積むには何をすればいいのかってずっと聞かれて、本当に困ったよ」
「そっか。俺がやらないといけないことなのに、ごめんな」
「あ、気にしなくていいって! 私が手伝いたかっただけなんだから」
にこっとリーゼが微笑む。
「エイラ、今からでもお風呂に入れるか確認してくれる? 私、一良の部屋で休んでるからさ」
「承知しました」
エイラと別れ、一良はリーゼと部屋に向かう。
「ほんと、ありがとな。大変だったろ?」
「これくらい平気だよ。まあ、大変だったけどさ」
あはは、とリーゼが笑う。
「明日は、皆でこれからについての会議だよね? カズラも出るの?」
「まあ、出ないわけにはいかないだろうな。ご意見番みたいになっちゃってるし」
「そうだね。カズラの言うことは絶対みたいな感じになってるもんね」
「正直、この立場はしんどいんだよなぁ。俺、ただの一般人だしさ。エルミアさんたちで適当にやってほしいよ」
「なら、途中で一緒に、こっそり抜け出しちゃわない?」
急にそんなことを言うリーゼに、一良が苦笑する。
「いや、さすがにそれはダメだろ」
「そう? 疲れたから先に失礼するって言えば、誰も反対しないと思うけど。後のことはお父様に任せちゃえばいいよ」
「おま、ナルソンさんが聞いたら怒られるぞ」
「えー、絶対に怒られないと思うけどなぁ」
そんな話をしながら、部屋に戻ってきた。
ぽすん、とソファーに座って背伸びをするリーゼに、一良がクーラーボックスからレモングラスティーのペットボトルを取り出して手渡す。
「ありがと……って、お酒がいいんだけど」
「疲れてるところに酒はやめとけ。どうせ、明日の夜あたりは戦勝会とかやるんだろうし。その時にいくらでも飲めるって」
「ん、分かった。ほら、カズラも座りなよ」
リーゼが隣を、ぽんぽん、と叩く。
「そうだな」
一良がフタを開けたペットボトルを手に、リーゼの隣に座る。
「とうっ!」
「おわっ!?」
隣に一良が座ると同時に、リーゼが一良に抱き着いた。
その勢いでペットボトルの口から、お茶が盛大に2人にかかった。
「冷たっ!? お茶被っちゃっただろうが!」
「んふふー。癒してー。おじさんたちに囲まれっぱなしで疲れたー」
リーゼはニヤつきながら、一良にしがみついている。
「あーもう、ズボンまでびしょびしょだよ……」
「私もだ。ねえ、これ、いやらしくない? エロエロじゃない?」
自身の濡れた服の襟を少しひっぱりながら、リーゼが上目遣いで言う。
「……そうだけど、台詞がおっさんすぎて残念なことになってる」
「もー! そこは『確かに!』とか言いながら、ケダモノみたいに襲いかからなきゃダメじゃないの!」
「何で俺は叱られてるんですかね!?」
ツッコミを入れながら一良がリーゼを引き剥がし、「あーあ」と自分を見る。
上着もズボンもびっしょりだ。
「ねね、さっきの話なんだけど」
「さっきのって?」
一良がシャツを脱ぎながら小首を傾げる。
「会議を途中で抜け出すって話。あれ、やりたいなって」
「うーん。そりゃあ、俺だって抜け出したいけどさ……」
「じゃあ、行けそうだったら行くって感じでどうかな?」
「まあ、それならいいけど、無理じゃないかなぁ」
「やった! 絶対に抜け出せるって!」
「分かったから、タオル取ってくれ。棚に入ってたりしないかな」
「はーい!」
そうしていると、コンコン、と扉がノックされてエイラが入って来た。
「失礼しま……えっ、お二人とも、何でびしょびしょなんですか?」
「リーゼのせいでお茶を被りました」
「私のせいでお茶を被りました」
リーゼがご機嫌な様子で、一良を真似て言う。
「は、はあ。カズラ様も、もう一度お風呂に入られますか? いつでも使える状態にしてあるとのことですが」
「そうします……」
「カズラ、一緒に入ろうよー。ぐへへ」
「わざと残念ポイント稼ぎにいってないか?」
そんなこんなで、一良は本日二度目の風呂に入り、ようやく休むことができたのだった。