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36話:悩める貴族の下ごしらえ

 一良たちがアイザックに付いていくと、一つの天幕の前に辿り着いた。

 天幕の大きさは、日本で言うところの畳6畳分程であり、外形は長方形である。

 天幕の中心には柱が建っているのか、天井は三角形になっていて、雨が降っても水が溜まるといったことは無さそうだ。


 この天幕の他にも、周囲にはいくつか天幕が張られており、どれも大きさは似たり寄ったりである。

 また、未だに設置途中の天幕も周囲に多数あることから、目の前にある天幕が優先的に組み上げられたことがわかる。


「こちらの天幕でございます」


 アイザックはそう言うと、厚手の布で出来た天幕の入り口を開け、中に入って行った。

 一良たちも、アイザックに続いて天幕に入る。


「わぁ……すごい……」


 天幕に入ってすぐに目に飛び込んできた光景に、バレッタが感嘆の声を漏らした。

 それもそのはず、中には動物の上等な毛皮が敷かれた木製の簡易ベッドが端に設置してあり、中央には長テーブルと長椅子が置いてある。

 それに加え、火の付いた蝋燭の入ったランタンが天井の柱から吊り下げられているのだ。


 天幕内は蝋燭の暖かな光で照らされており、ちょっとした作業をするのには支障がない程度には明るい。

 この世界の一般人にとって、野営をする際は露天での野宿が当たり前であり、以前一良たちが泊まった休憩小屋などの施設を除けば、このような恵まれた環境で休むということはかなり稀なのだ。


「それでは、すぐにお食事をお持ちいたします。食事の後にお二人分の敷き布も用意させますので、お使いください」


 アイザックはそう言って一良に向かって頭を下げると、天幕の外へ出て行った。

 一良はアイザックの背を見送ると、手に持っていたボストンバッグなどの荷物を置き、ふう、と息を吐いた。


「いやぁ、これはなかなか居心地がよさそうですね。こんな天幕をいくつも運んでいるなら、馬車が一杯になるはずだ」


「ほんとですね。でも、この中にいれば、夜の冷え込みも気にしないで休めそうです」


 そんなことを一良たちが数分話していると、天幕の外から、


「お食事をお持ちいたしました」


 と声が掛けられた。

 心なしか、その声には緊張が感じられる。

 一良が、どうぞ、と返事をすると、失礼します、との声の後に2人の若い兵士が天幕内に入ってきて、置いてある長テーブルと長椅子を少し端に寄せ、天幕の外から新たな長テーブルと長椅子を運び込んできた。

 2人の兵士は、運んできたテーブルと椅子を元からあるテーブルに向き合わせるように設置すると、一良に向けて深く一礼して退出した。

 2人の兵士が退出するのと入れ替わりに、今度は別の3人の兵士が食事の載った木のトレーを、それぞれ手に持ち入ってきた。

 食事を運んできた兵士たちはテーブルの上に手早くトレーを置くと、先ほどの2人の兵士と同様に、一良に深く一礼をして出て行った。


 一良は兵士たちが出て行くのを確認すると、運び込まれた食事を見て、


「これがコンバットレーションってやつか」


 と、うきうきした声を漏らすと、傍らに置いておいたボストンバッグからデジカメを取り出して起動し、パシャリと記念に写真を撮った。

 一良は撮った写真を確認すると、電源を切って再びボストンバッグの底に仕舞う。


「それにしても、貴族の軍隊では随分と豪勢な食事が食べられるみたいですね。とても食糧不足の真っ只中とは思えませんよ」


 デジカメを仕舞いながら言った一良の言葉に、村長とバレッタは深く頷いた。

 それもそのはず、テーブルに置かれた3つのトレーの上には、こぶし大の大きさのパンが2つと干し肉にふかした芋、深皿になみなみと入れられた穀物のオートミールが入れられている。

 更に、一良用と思われるトレーの上には、小ぶりなリンゴのような果物と、果実酒の入った銅のコップまで置いてあるのだ。


 食べ物が無い無いと騒いではいても、あるところにはあるという事実が如実に反映されていた。


「でも、私達の分までこんなに用意してくださるなんて……ちょっと意外です」


 アイザックかハベルが気を使い、2人の分も用意させたのだろう。

 村長とバレッタに気を使ってというより、一良の心証を良くする為の行為だと思われるが。


 何はともあれ、用意された食事を眺めていても仕方が無い。

 3人はトレーの前にそれぞれ座ると、いただきますと言って料理に手をつけた。


「パンなんて久しぶりだなぁ」


 一良はそう言いながら、パンを千切って食べようと、端をつまんで引っ張った。

 が、いくら力をこめてもパンは一向に千切れない。


 どんだけ硬いんだ、と思いながらバレッタと村長のほうを見てみると、2人は普通にパンを端から千切って口に入れている。


「んん?」


 その様子に、一良は自分の千切り方がいけなかったのかと、今度は両手でぎゅっと握って引き裂くように力を込めた。

 手がプルプルと震えるほどに思いっきり力を込めると、ミチミチ、と嫌な音を立てながら、パンはようやく2つに裂けた。


「あの、このパンやたら硬くないですか?」


 自らの半分に千切ったパンと、美味しそうにパンを頬張っているバレッタたちを交互に見ながら一良がそう言うと、バレッタと村長が小首を傾げた。


「えっ、そうですか? 私のはそこまで硬くはなかったんですけど」


「私のも特に硬くはないですぞ」


 不思議そうにそう言う2人に、実際食べればそこまで硬くないのかな、と一良は呟きながら、千切ったパンを齧ってみた。


「……」


 硬い。

 中の白い部分はまだマシだが、皮の部分に至っては、これは本当にパンなのかと疑ってしまうほどに硬い。

 仕方無しに、一良は千切ったパンをオートミールにつけてふやかしてみると、何とか食べられる程度の硬さには戻すことができた。


「(そういえば、ソビエト連邦のレーションで出る黒パンが、意味が解らないくらい硬いって書いてある記事を見たことがあるけど、これもそれと同じなのかな)」


 何とも感慨深げに、妙に納得したような表情でパンを齧っている一良に、バレッタは自らの持つパンと一良のパンを見比べながらも、苦も無く指先で石のように硬いパンを端から千切り、口に入れるのだった。



 

 天幕内で一良たちが夕食を食べている頃、一良たちの天幕から少し離れた場所にある天幕にて、アイザックとハベルが明日の行軍計画について話し合っていた。

 2人の居る天幕内には、一良たちが居る天幕と同様に蝋燭入りのランタンが天井の柱から吊り下げられ、天幕内を仄かに照らしている。


「この行軍速度だと、イステリアに到着するのは明後日の日の入り直前か……」


 テーブルの上に置かれた数枚の皮紙に、羽ペンで本日の行軍記録を記載しながらアイザックは唸った。

 イステリアを出立する前に立てた計画では、片道2日の行軍で済ませられるはずが、実際は片道3日も掛かっている。

 野営準備に異常な時間がかかるため、日の入りを見越してかなり早めに行軍を切り上げていることが原因だった。


 貴族出身の部下たちの殆どは、日頃の身の回りの雑務は全て従者や奴隷に行わせている。

 そのため、今回の行軍訓練のように、天幕の設置から食事の支度までの全てを自分達で行うとなると、日頃やり慣れていないせいで作業効率が最悪となるのだ。


 極少数の非常に貧しい下級貴族出身の兵士たちは例外で、慣れた手つきで料理や身の回りの雑務を行っている。

 彼らは軍に入る前から日常的に雑務をこなしていたため、今回のような野外行軍訓練はともかく、イステリアで通常訓練をしている際も優秀な成績を残しているのだが、何とも皮肉な話である。


「本来ならば明日中にでもイステリアに戻りたいところですが、こればかりは……。夜を徹して行軍すれば、明後日の朝にはイステリアに着きますが……」


 ハベルは自分の言葉に溜め息を吐き、無理な相談だと肩を落としている。

 自分達だけならばともかくとして、同行している一良にそのような真似をさせるわけにはいかない。

 従者さえ連れてきていれば、との思いがハベルの頭に浮かぶが、そのような考えはおくびにも出さずに飲み込んだ。


「それよりも、イステリアに到着した後のことです。ナルソン様には、すぐにグレイシオール様と面会していただけるように話を通さねばなりません」


「そうだな。イステリアに戻り次第、俺がすぐにナルソン様に面会をお願いしに行こう。理由を説明して最優先での面会を進言すれば、そんなにグレイシオール様をお待たせすることにはならないとは思うが……」


 アイザックとしては、他の公務を中断してでも、早急にナルソンに一良と面会をしてもらいたい。

 しかし、一良がグレイシオールだと確信しているのは自分とハベルだけで、ナルソンはまだその事実を知っているわけではない。

 場合によっては飛び込みの面会は後回しにされ、一良の不興を買ってしまうのではないかとアイザックは心配していた。


 ハベルはそんなアイザックの心配を見越していたかのように、ここぞとばかりに自らの提案を口にした。


「はい。ですが、万が一ナルソン様へのお取次ぎが上手くいかなかった場合、グレイシオール様をイステール邸内の待合室でお待たせしてしまうことになります。ですので、ナルソン様の準備が出来るまで、我がルーソン家の館でお持て成しさせていただければと思うのですが……」


「ナルソン様のお屋敷より先に、お前の屋敷にグレイシオール様をお連れするというのか?」


 ハベルの提案に、アイザックは一瞬顔を顰めた。

 直ぐにナルソンに面会をしてもらえるかわからないとはいえ、国賓の遥か上を行くグレイシオールを、そのように扱っていいものか。


「はい。本来ならばすぐにナルソン様の下へお連れする必要があるとは思いますが、イステリアに到着するのは明後日の夜です。そこから急いで面会となると、ナルソン様はもとより、グレイシオール様にもご苦労を強いてしまうのではないかと……もちろん、グレイシオール様にご相談し、ナルソン様にも了承を得るという前提ですが」


「……なるほど。面会が短時間で終わるはずはないから、無理して夜中に面会をねじ込むよりも、その方がいいかもしれないな。だが、それならばお前の屋敷じゃなくて、俺の……スラン家の屋敷にお連れしたほうがいいだろう」


 アイザックがそう言う理由は、家の格式の問題である。

 この部隊でアイザックが隊長、ハベルが副長となっていることから解るように、家柄においてもアイザックはハベルよりも、多少ではあるが格上なのだ。

 普通に考えて、どちらの家で一良をもてなした方がいいかは一目瞭然である。


「あ、いや、それはそうなのですが……隊長はイステリアに戻った後は報告書の作成とか、ナルソン様との面会時間の調整とかで忙しいじゃないですか。その点、私は帰還後は次の日まで暇なので、イステリアに着いてすぐにグレイシオール様を屋敷にご案内できますし、屋敷の者にも直接指示を出せますから、私の屋敷にお連れしたほうが何かと都合がいいですよ」


 自分の家に連れて行く、と言い始めたアイザックに、ハベルは少し慌てた様子で早口で反論する。

 そんなハベルの言い分に、アイザックも「それもそうか」と納得した。

 今この場で、一良がグレイシオールだと知っているのは、バレッタと村長、それに自分達2人しかいないのだ。

 家で持て成すにしても、常に自らの目を光らせておかなければ、何か問題が起きかねない。


「確かに、お前の言うことは一理あるな。俺が帰還後の予定を全て返上してグレイシオール様を家にお連れするとなると、そうする理由を他の人間に説明する術がないからな……」


 現時点では、一良がグレイシオールであるという事実はトップシークレットである。

 部隊の兵士たちには、一良の素性を『他国の亡命貴族』と説明してあり、グレイシオールであるという事実は秘密にしてある。

 この部隊内であればそれでも通るが、イステリアに戻り、一良とナルソンが面会するまでの間は、アイザックかハベルのどちらかが一良に張り付いている必要があるのだ。

 下手に目を離している隙に、「誰だこいつ?」とアイザック以上の権力者に目をつけられたら大事である。


 本来ならばアイザックが一良に張り付いているのが最善なのだが、それまで持っていた仕事の予定を返上する言い訳が出来ないのだ。

 アイザックがナルソンに直接「この人グレイシオール様なんで、面会時間が取れるまで匿っておいてください」と言えるのならば話が早いが、さすがにそれは無理な相談である。


「よし、では明日になったら、グレイシオール様に今の内容をお話しよう」


 ハベルはアイザックの言葉にほっと息を吐くと、了解しました、と返事を返すのだった。




 一良が初めて軍隊での野営を経験してから2日後の夜。

 一良はハベルに連れられて、イステリアの中心部に近い大通りを歩いていた。

 大通りの両脇には、いかにも豪邸といった感じの石造りの大きな屋敷が何軒も建っており、その殆どは平屋であるが、2階建ての部位を持っている建物もちらほら見られる。

 街の外周で多く見かけた、2階建てや3階建ての建物がひしめき合うように乱立された景観とは対照的な、何とものんびりした景色が広がっていた。


 アイザックや他の兵士たちとは、イステリアに着いて直ぐに別れ、今一緒にいる兵士はハベルだけである。

 一良とハベルの後ろには、バレッタと村長も付いて来ている。

 昨日の朝、ハベルが自らの屋敷で一良に一夜を過ごして欲しいと頼んだ際、是非バレッタと村長も一緒に来てくれと笑顔で申し出てくれたのだ。

 バレッタと村長はかなり驚いた様子で、非常に恐縮しながら礼を述べていたのを、一良はよく覚えている。


「ここが私の屋敷です」


 何軒か大きな屋敷を通り過ぎると、立派な広い庭を持った、石造りの豪邸の門の前でハベルが立ち止まった。

 建物は平屋であるが、敷地の端のほうに二階建ての細長い石造りの建物が併設してある。

 門の前には男が一人立っており、ハベルを見ると、お帰りなさいませ、と深く頭を下げ、閉じていた木製の門を押し開いた。

 門を開くと同時に、門の端に括りつけられていた銅の鈴がちりちりと鳴った。


 開いた門を通って敷地内に入るハベルに続き、一良たちもぞろぞろと後を着いていく。

 一良たちがそうして歩いていると、門を開けた男が早足で一良たちの脇を追い越し、屋敷の大きな観音開きの木製扉の前に立った。

 男はハベルが扉にある程度近づいたことを確認すると、両手を使って扉をゆっくりと開け放った。

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