348話:誓いの腕輪
数時間後。
アロンドの結婚という突然の吉報に、一良たちやバルベール側の者たちは、てんやわんやの大騒ぎとなっていた。
カイレンとエイヴァーの両執政官、元老院議員たち、ラッカとラースをはじめとした将軍たち全員が婚儀に出席することになり、大慌てで祝いの品やら礼装やらを揃えに駆けずり回っている。
そんななか、バレッタとリーゼは、ティティスとフィレクシアと一緒に、宿屋の一室でドレスを選んでいた。
ティティスが持ってきた大量のドレスが、ベッドに広げられている。
「こちらなどどうでしょうか。バレッタさんにお似合いかと思いますが」
ティティスが薄緑色のドレスを、バレッタに差し出す。
ワンピースの上にレースの肩掛けが付いた、可愛らしいドレスだ。
派手過ぎず地味過ぎず、結婚式の参列にはちょうどよく見える。
「すごくかわいいドレスですね……私、これにします」
「はー、すっごい。バルベールって、服飾も進んでるんだなぁ」
リーゼが物珍しそうに、あれこれとドレスを手にとっては体に当てて姿見で見ている。
「アルカディアのドレスとは、デザインがだいぶ違いますか?」
「違うっていうか、こう、がっつり『ドレスです!』みたいな感じのものが多いのよ。こういう、控えめだけど品があってかわいいデザインは少なくて」
戦争が終わって気が抜けたのか、普段の口調でリーゼが話す。
「でも、私たちまでめかし込まなくてもいいんじゃないの? 軍服で十分だと思うけど」
「せっかくの祝い事ですから、華やかにしたほうがいいかと。リーゼ様の美しさは我が国でも評判ですし、きっと参列者も期待しています」
「ひょ、評判って……えへへ」
ティティスに持ち上げられ、まんざらでもない様子のリーゼ。
実のところ、評判といっても、リーゼが議事堂に来て以降に議員たちが時たま話題に上げているくらいだ。
まだ未婚ということもあり、政略的にもあわよくば、と考えている者たちは少なからずいるのだが。
「ティティスさん、カイレン様はどの色が好きでしょうか?」
ベッド上のドレスとにらめっこしながら、フィレクシアが尋ねる。
「赤が好きですよ」
「赤、ないじゃないですか!」
「私たちは参列者ですから、あまり派手な色を着るわけにはいかないですよ。控えめにしないと」
「むうう……」
そうしてあれこれ皆で悩みつつも、それぞれ気に入ったドレスを着る。
リーゼは紺色のドレスを選び、ティティスはベージュ、フィレクシアは薄いピンクを選んだ。
どれも落ち着いたデザインだ。
バレッタは頬が緩んでおり、鏡に映った自分を見つめている。
「バレッタ、何か嬉しそうじゃない。そのドレス、そんなに気に入った?」
リーゼが聞くと、バレッタは嬉しそうに頷いた。
年越しの宴の折に、アロンドのゲロの件でドレス姿を一良に見てもらえなかったことを悔やんでいたからだ。
褒めてもらえるといいな、とバレッタは緊張半分、期待半分といった感じだ。
「はい。すごくかわいくて、気に入っちゃいました」
「そっか。ティティスさん、このドレスって貰っちゃってもいい?」
「もちろんです。どうぞ、お持ち帰りください」
「だってさ。よかったね!」
「えっ、そんな、悪いですよ。こんな高そうなもの……」
遠慮するバレッタに、ティティスが微笑む。
「いえいえ、貴国にかけていただいたご慈悲のお礼の1つとさせてください」
「そうですよ! 国ごと滅ぼされてもおかしくなかったのに、こんな甘々な対応をしていただいたんですから!」
フィレクシアはそう言うと、バレッタの腕に自身の腕を絡めた。
「私たちは皆さんに感謝しきりなのです。これから、もっともっと仲良くさせてくださいね!」
「ふふ、そうですね」
そうして、皆でわいわいと話しながらドレスを着込むのだった。
空がオレンジ色に染まり始めた頃。
今朝まで部族の野営地があった場所の中央に、急遽用意された大量のテーブルが並べられていた。
バーラルの住民と部族の者たちが総出で調理に取り掛かり、半径数百メートルにもおよぶ野外宴会場に様々な料理が並べられている。
昨夜まで生きるか死ぬかという状況にあったことが嘘のようで、皆が楽しげな表情だ。
早く料理を食べさせろ、式はまだなのか、という声が、部族の者たちの間から漏れ出ていた。
「おー! バレッタさん、めちゃくちゃかわいいじゃないですか!」
先にやって来ていた一良が、馬車から降りて来たバレッタに駆け寄った。
期待どおりの反応に、バレッタの頬が緩む。
一良は貴族服のままで、特にめかし込んではいない。
周囲にいる者たちの目が、一斉にバレッタに向けられる。
「そのドレス、すっごく似合ってますね! 借りてきたんですか?」
「ティティスさんが用意してくれたんです。しかも、プレゼントしてくれるって」
「へえ、それはよかった――」
「ねえねえ、私も見てよ」
続いて降りて来たリーゼが、一良の顔を掴んで自分に向ける。
マリーは馬車を降りるなり、先に来ていたリスティルに駆け寄って行った。
「おっ、リーゼもかわいいぞ。そういう控えめなドレスもいいよな」
「んふふ、ありがと。年越しの宴の時のと、どっちが好み?」
「甲乙つけがたいなぁ。どっちも似合ってるって」
「えー? 適当言ってるんじゃない?」
「そんなことないって。リーゼは素体が完璧だから、何着ても似合うんだよ」
「そ、そう? えへへぇ……」
にへら、とリーゼの顔が緩む。
「カズラさんは、着替えなかったんですか?」
「ええ。というか、かわいいドレスを着てきたのは、バレッタさんたちだけですよ」
「えっ?」
近くにいるナルソンやジルコニアたちに、バレッタが目を向ける。
ナルソンは貴族服、ジルコニアは鎧下姿で、元老院議員たちも正装しているわけではない。
少し離れた場所でゲルドンと話しているカイレンやエイヴァーたちは鎧姿だ。
「あ、あれ? どうして私たちだけ?」
「カイレンさんが、綺麗どころには少しオシャレしてもらったほうが華になるからって、ティティスさんを寄こしたらしいですよ」
「すみません、お伝えし忘れていました」
ティティスがすまし顔で、バレッタに謝る。
フィレクシアはすでにその場にはおらず、カイレンの下へと駆け寄っていた。
話しているカイレンの腕を掴んでドレス姿を見せつけ、褒めてもらったのか頭を撫でられている。
カイレンたちが一良たちに振り向き、ぺこりと頭を下げる。
「ジルコニア様にもお願いしたのですが、断られてしまって」
「せっかくの式なんですから、ジルコニアさんも着ればよかったのに」
一良が残念そうに言うと、ジルコニアは苦笑した。
「一応、将軍っていう立場ですし。おめかしする必要はないですよ」
「えー。せっかく美人なのにもったいないなぁ」
「あら。それなら、今度何か着ましょうか? カズラさん好みの服、何でも着ますよ?」
「いや、旦那がいる前で何言ってるんですか……」
一良が言うと、ジルコニアは「あ、そうだ」と、ぽん、と手を打ち、ナルソンに顔を向けた。
「ナルソン、私たちの結婚のことなんだけど」
「ああ。イステリアに戻ったら、手続きしておくよ。本当にイステール家を出るんだな?」
「えっ!?」
リーゼが驚いて目を剥く。
近くにいた
「お、お母様! どういうことですか!?」
「ごめんね。もともと、そういう約束だったから」
ジルコニアがリーゼの頭を撫でる。
「私には、貴族なんて向いてないの。これからは、平民として生きていこうと思って」
「そんな、離婚する必要なんてないじゃないですか! それに、イステール家を出てどこにいくつもりなんですか!?」
「カズラさんと一緒に、グリセア村で暮らそうかなって。イステリアにもちょくちょく行くようにするから、いつでも会えるわよ」
「……は?」
リーゼが一良に目を向ける。
「どういうこと? カズラ、やっぱりお母様と――」
「いろいろと誤解を生みそうだから、その話は後にしとけ」
一良がリーゼの言葉を遮った時、ゲルドンが小走りでやって来た。
「いやはや、皆様。突然の誘いもかかわらず来てくださり、ありがとうございます」
「あ、ゲルドンさん。このたびは娘さんのご結婚、おめでとうございます」
一良がぺこりと頭を下げると、ゲルドンは恐縮した様子で頭を下げた。
「ありがとうございます。ところで、アロンドが頬を腫らしていたのですが、何があったかご存知で?」
「ん? アロンドさんから聞いてないんですか?」
「それが、奴に聞いても『いろいろあって』としか答えませんでな……アルカディアを裏切ったように見せる策の件をとがめられたのでしょうか?」
「違います。ただの兄妹喧嘩みたいなものなんで、気にしないでください」
一良が答えると、ゲルドンはきょとんとした顔になった。
「兄妹喧嘩?」
「ええ。マリーさんと昔いろいろあって。仲直りの印に、一発ビンタを食らっただけです」
一良が傍で控えているマリーに歩み寄り、その肩にぽん、と手を置く。
マリーは肩をすぼめ、「すみません……」と小さく漏らした。
リスティルは口を半開きにして、驚いた顔でマリーを見ている。
「そうでしたか! いやぁ、これからおたくらの国の貴族と親戚になるってのに、あいつが罪人にでもされるのかと気が気ではありませんでしてな。よかった、よかった。うはは!」
ゲルドンがほっとした様子で、豪快に笑う。
「ところで、アロンドさんとウズナさんは?」
「先に東側にいる連中のところで式を始めていましてな。そろそろこっちにも来る頃かと」
「え? 式って、この場所でやるんじゃないんですか?」
「ん? ……ああ、我らの部族の婚儀は、バルベールやアルカディアとは違いまして。『夫婦2人で皆のところを回り、既婚者に婚姻の銀腕輪を撫でてもらう』、というものなんです」
「へえ、面白い風習ですね。腕輪を撫でることには、どんな意味が?」
「『不貞を働いたら二度と他の奴に手を出せないように、先輩の俺たちが利き手を切り落とすからな』という誓約ですな」
「不貞の罰が重すぎる……」
「皆さーん! そろそろ新郎新婦が来るそうですよー!」
一良とゲルドンが話していると、フィレクシアが大きな木の椀を持って駆け寄って来た。
椀には花びらがどっさりと載っている。
カイレンやエイヴァーたちも、こちらに歩いて来た。
「1人1握りずつ、取ってくださいね!」
「あ、もしかして、アロンドさんたちが来たら、これを投げかけるんですか?」
「はい! 『自然の精霊の祝福あれ』、という意味だそうですよ!」
フィレクシアが皆を回り、花びらを配る。
すると、遠くの方から歓声が聞こえて来た。
アロンドたちがやって来たようだ。
花びらを受け取ったルグロが、ニコニコしながら一良の隣にやって来る。
「いやぁ、いいねぇ。こういう堅苦しくない結婚式ってのはさ」
「ルグロの時は、かっちりした感じの式だったの?」
「ああ。何十人もあれこれ祝いの演説をしてよ。朝から晩までずっとそんなのだった。まったく楽しくなかったぞ」
「それは疲れるねぇ……」
「カズラ、アロンドたちが来たよ!」
リーゼが一良の腕を引く。
わあわあと皆に花びらをかけられながら、アロンドとウズナが腕を組み、ゆっくりと歩いて来た。
アロンドは毛皮で作られた豪奢な服を着ていて、腰に剣を差している。
ウズナは赤い刺繍の施された白い帽子に、同じく艶やかな赤色の刺繍が施された白いドレスを着ている。
以前、リーゼたちが着ていたようなものとは違い、落ち着いた印象のドレスだ。
「わあ。ウズナさん、素敵ですね!」
祝福の言葉を投げかける人々に笑顔を振りまくウズナを、バレッタがうっとりとした目で見つめる。
アロンドはさすがというか、完璧な笑顔と立ち振る舞いで皆に「ありがとうございます」、と答えていた。
左頬が少し腫れているが、化粧がされていて赤みは消されている。
「ですね。すごく幸せそうだ」
「よし。皆様、両脇に均等に並んでいただけますかな?」
ゲルドンに言われ、アロンドたちが通れるように、一良たちが均等に分かれて道を作る。
「アロンドさん、ウズナさん、おめでとうございます!」
「アロンド兄さん、おめでとうございます!」
「おめでとう!」
一良、マリー、リーゼが口々に祝福の言葉を投げかけ、花びらを2人の頭上に放る。
他の面々も同じように、最高の笑顔で花びらを放った。
ルグロ、ナルソン、ジルコニアが、アロンドとウズナの右腕に着けられた銀腕輪を撫でる。
「アロンド、我らの部族を頼んだぞ! ウズナも、こいつをしっかり支えてやれ!」
「承知しました。生涯、部族の繁栄のために力を尽くします」
「私も頑張るね!」
拍手しながら言うゲルドンに、アロンドとウズナが答える。
アロンドは一良に言われたとおり、すでに腹を括ったようだ。
ウズナは頬を染めてニコニコ顔で、とても幸せそうだ。
「お二人とも、お幸せに!」
バレッタが大きな声で言うと、アロンドは彼女ににっこりと微笑んだ。
「ありがとう。キミも、幸せになるんだよ。困ったことがあったら、いつでも俺やウズナに相談してね」
アロンドの台詞に、バレッタが「はい!」と元気に頷く。
アロンドたちは一良たちの間を抜け、カイレンや元老院議員たちの作った道へと進んで行った。
ティティスとフィレクシアは、カイレンたちの傍でアロンドたちを待ち構えている。
「へえ、やっぱりあいつ、大人だね。バレッタの嫌味、完全に受け流してたじゃん」
「バレッタも言うわねぇ」
リーゼとジルコニアが言うと、バレッタは慌てて手を振った。
「ち、違いますよ! 嫌味じゃないです! 今日の昼食の後で、エイラさん伝いにアロンド様に呼ばれて、謝られたんです。それで私も、『分かりました』って答えて、仲直りできたんです」
「えっ。謝られたって、どんなふうに?」
リーゼが少し驚いて聞く。
「私がバルベールの間者なんじゃないかって疑ってたことと、その……えーと」
バレッタが隣にいる一良をちらりと見る。
「そ、そういうことで意地になって、酷いことを言ってしまったって。すごく失礼なことをしたって、頭を下げられました」
「大変でしたね。その時は気付いてあげられなくて、すみませんでした」
「い、いえ、隠していた私が悪いので……」
「よし! 後はたらふく食って飲むだけだな! 皆様がた、今夜は盛大に酒盛りといきましょうぞ! うはは!」
ゲルドンが笑いながら、ルグロの肩をばんばんと叩く。
「そうだな! んじゃ、いただくとするか! カズラ、ナルソンさん、行こうぜ! ジルコニア殿、今日は飲みすぎて吐かないようにな!」
「そういえば腹ペコだ……あ、しまった。缶詰とか持ってきておけばよかった」
「む、それでしたら、マリーたちに用意させましょうか」
「カズラさん、チョコをたくさん持ってきてありますから、一緒に食べません?」
一良がルグロたちと一緒に、料理の並んでいるテーブルへと向かう。
すると、リーゼはバレッタに目を向けた。
「何でアロンドに言い寄られてたって言わなかったの?」
「う……その、そういうことがあったって知られるのが嫌で……」
「そうなの? 私なら、ヤキモチ焼いてもらえるかもって思って言っちゃうけどなぁ」
「うー……」
バレッタが口をへの字にして唸る。
リーゼの言うようにも少し考えたのだが、もしもそういうリアクションがなかったらものすごく凹むので、怖くて言えなかったのだ。
一良を試すような真似をするのは気が引ける、という理由もあったのだが。
「おーい! バレッタさん、リーゼ!」
バレッタたちが来ないことに気付いた一良が、振り返って呼びかける。
「はいっ! 今行きます!」
バレッタがびくっと肩を跳ね上げ、慌てて一良の下へと駆けて行った。
「んー……ちょっといい子すぎるんじゃないかなぁ?」
「リーゼ、どうした?」
「今行くー!」
リーゼはぱっと笑顔になり、バレッタの後を追うのだった。