346話:クリティカルヒット
アロンドが動画を見せられているという部屋の前に一良たちがやって来ると、アイザックが扉の前で見張りをしていた。
「カズラ様、おはようございます。よく眠れましたか?」
「おはようございます。もう爆睡ですよ。目を閉じた瞬間眠っちゃいました。アロンドさんは中に?」
「はい。ジルコニア様たちが尋問しています。どうぞ」
アイザックが扉を開き、2人が中に入る。
室内は真っ暗で、巻き上げ式スクリーンには地獄の動画が一時停止されていた。
シーンは、グレゴルン領の徴税官のデュクス氏(故)が、怪物に頭と胴体を引っ張られているところだ。
ちょうど首が千切れかかる寸前といったところで停止されていた。
額に脂汗を浮かべたアロンドが、一良に顔を向ける。
表情が引きつっており、会釈する余裕すらないようだ。
「あ、カズラ。おはよ!」
「カズラさん、おはようございます」
リーゼとジルコニアがにこやかに、一良に手を振る。
2人とも私服姿だ。
部屋にはルグロとナルソンもいて、同じように一良に挨拶した。
マリーとハベルも部屋の隅に立っていて、一良に頭を下げた。
「おはよう。どこまで説明した?」
「天国と地獄の説明と、悪いことしたり神様に不敬を働くと酷いことになるよって話したところだよ。今映ってるのは、巻き戻したところ」
「そっか。アロンドさんに質問はまだ?」
「うん、これからするところ」
一良は頷くと、置いてあったイスを持ってアロンドの隣に置いた。
すとん、と腰を掛け、アロンドに笑顔を向ける。
「いきなり変な物見せちゃってすみません。驚いたでしょう?」
「は、はい……もう、何が何やら……」
いつもの彼らしからぬオドオドした態度で、アロンドが頷く。
「ですよねぇ。あ、まだ聞いていないと思うんですけど、実は俺、グレイシオールなんですよ」
「……えっ」
突然の告白に、アロンドがぎょっとした顔になる。
一良は気にせず、スクリーンに目を向けた。
「アルカディアが危機的状況に陥っているのを知って、居ても立っても居られなくて。あまり手を出しすぎないようには気を付けていたんですけど、結局大掛かりに支援することになっちゃいました」
「は、はあ」
スラスラと話す一良に、アロンドは理解できているんだかいないんだかといった顔で頷く。
リーゼとジルコニアはそれが面白くてたまらないようで、笑いをかみ殺していた。
一良はもう何度も繰り返してきた演技なので、慣れたものである。
「イステリアでは、アロンドさんにはいろいろと手伝ってもらって、本当に助かりました。すごく信頼していましたし、アロンドさんに任せておけば大丈夫だって安心していたんです。なので……」
一良は険しい表情で、アロンドを見た。
「いきなり姿をくらました時は、愕然としました。まさか、我々を裏切るなんて、と」
「い、いえ! 私は裏切っておりません! すべては、祖国のために行ったことなのです!」
アロンドが慌てて否定する。
一良は表情を変えず、はい、と頷いた。
「分かっています。ウズナさんと話していた時も、そう言っていましたし」
「は、はい! 祖先の名に誓って、私は――」
「文官のカズラとしてではなく、グレイシオールとして質問します」
アロンドの言葉を遮り、静かな口調で一良が言う。
「質問に対して嘘をついた場合、私の権限で、アロンドさんを死後にあそこに送らせてもらいます」
一良が、デュクス氏が引き千切られかかっている映像を指差す。
ルグロが「なんだよ……」と小声で漏らす。
やっぱりあの世での処遇の権限があるんじゃないか、と一良がしらばっくれていたことを内心怒っているのだ。
そんなルグロを、ナルソンが「きっと彼だけ特別ですよ」と宥めている。
彼らの背後に立っているマリーは、真剣な表情で一良たちを見つめていた。
「アロンドさん。あなたがバルベールに亡命したのは、いずれ負けるであろうアルカディアを見限ったからですか?」
「いいえ。私は祖国のため、そしてルーソン家の名誉のために、バルベールに渡りました」
アロンドはそれまでのオドオドした表情から一転、真剣な表情で力強く言い切った。
リーゼとジルコニアが、驚いた顔になる。
「理由を聞かせてもらえますか?」
「……私は、自分の家柄に、血筋に誇りを持っています。100年以上前に祖先がイステール家に取り立てていただいてから、一族はイステール家のため、領民のために力を尽くしてきました」
アロンドが、握り締めている自分の手に目を落とす。
「文官としてイステール領の繁栄に全力を注ぎ、その見返りとして多額の恩賞と地位をいただいてきました。我が一族を重用し、重要な地位に就けてくださったイステール家には、言葉に尽くせないほどのご恩があります。イステール家に対して、我が一族はすべてを捧げて尽くす義務があると考えています」
しんと静まり返った室内に、アロンドの声だけが響く。
ジルコニアとリーゼ、そしてバレッタも、真剣な顔で聞き入っていた。
「それにもかかわらず、父のノールは、イステール家を裏切ってバルベールに寝返りました。祖先の偉業を台無しにし、家名に永遠に消えることのない汚名を着せたのです。私には、そんな父に従うことなど、到底できませんでした」
「つまり、一族の名誉のために、今までのことをしてきたと?」
「はい。私にとって、一族の名誉は命よりも重いのです」
アロンドが顔を上げ、一良を見る。
「父が何年も前からバルベールに寝返っていたと知った時は、心底失望しました。ですが、あの時にイステール家にすべてを報告したとしても、我が一族は取り潰されることは確実でした。ならば、汚名を返上できるほどの事を成してやろうと、一計を案じたのです」
「……一族の名誉のために、命を賭けたというのか」
ナルソンがつぶやく。
ルグロは感銘を受けたのか、キラキラとした目でアロンドを見ていた。
一良は表情を変えず、頷いた。
「なるほど。では、講じた策が間に合わずに、バルベールがアルカディアを圧倒して滅ぼすことになっていたら、どうしましたか?」
「そうですね……」
アロンドが少し考える。
「きっと、そのままバルベールでの地位を確立させ、その後で国に不満を持つ者を少しずつ探し出して各地で内乱を起こさせたと思います。国を瓦解させれば、イステール家の無念を晴らして少しは恩に報いることができると考えたかと。実際できるかは、分かりませんが」
「……それは、ルーソン家の名誉と、どう関係が?」
「アルカディアが滅びた時点で、我が一族はバルベールで永久に『裏切り者の一族』とそしられます。ですが、その国を潰してしまえば、汚名を返上できずとも消し去ることはできるので。一石二鳥というわけです」
「そうですか……分かりました」
一良が表情を緩める。
本当に裏切るつもりはなかったと分かり、一良は心底安堵した。
あの動画を見て、地獄行きを覚悟してまで嘘をつき通していたとしたらそれまでなのだが、そこは考えても仕方がない。
「それと、マリーさんのことなのですが」
一良が、壁際に立つマリーに目を向ける。
マリーは、びくっ、と肩を跳ねさせた。
リスティルはこの場にはおらず、別室で休んでいる。
これは、マリーが「母には動画を見てもらいたくない」と願い出たからだ。
今後の人生を健やかに過ごすには、天国と地獄の存在の有無について考えないでいられたほうがいいだろうから、というのがマリーの考えだった。
「アロンドさんは、ずっとマリーさんにつらく当たっていたと聞いています。それも、日常的に暴力まで振るって。それは間違いありませんね?」
「……はい。バカなことをしたと、悔やんでおります」
「嘘じゃありませんね? もしも、この場を凌ごうとして反省したフリをしているのなら、死後にバレることになりますよ?」
「嘘ではありません」
アロンドが言い切る。
「以前、ハベルにも言われましたが、あれはただの八つ当たりでした。本人にはどうすることもできないことなのに、酷いことをしてしまいました」
アロンドがマリーに目を向ける。
「マリーの母親のリスティルは、あれだけ酷い仕打ちをした私に、一言も恨み言を言いませんでした。バルベールに思惑をバラされて殺されるかもと思っていたのですが、それどころかずっと私に尽くしてくれました。そんな彼女の娘を、憎むことなどできません」
「ふむ。リスティルさんをバルベールに連れて行った理由を聞かせてもらえますか? 亡命途中にグレゴルン領で偶然会って連れて行ったと、リーゼから聞きましたが」
「いいえ、偶然ではありません。以前から彼女の所在は知っていたので、彼女の所有者にあらかじめ手を回しておき、不審に思われないように偶然を装って接触しました。彼女は、有用な駒になると思ったので」
さらりと答えるアロンドに、リーゼが「やっぱり」とつぶやく。
柔らかくなってきていたジルコニアとバレッタの表情が、再び険しくなった。
「駒……ですか?」
「はい。バルベールと部族側での工作を成功させた後、私はどうしてもアルカディアに戻りたかった。そこで目を付けたのが、カズラ様です」
「マリーちゃんを大事にしているカズラさんなら、リスティルさんを手土産に事情を話せば、自分を擁護してくれると考えたんですね?」
バレッタが口を挟む。
アロンドは彼女に目を向け、にこりと微笑んだ。
「うん、そのとおり。さすがだね」
「でも、納得できないことがあります」
バレッタが冷たい目で、アロンドを見る。
「あなたは、ずっと血筋に誇りを持っていたのでしょう? なのに、リスティルさんが自分のために尽くしてくれたからといって、簡単に考えを改めたのはおかしくないですか? ことあるごとに、マリーちゃんのことを殴っていたくらい、同じ血が流れていることを憎んでいたというのに」
バレッタが言うと、アロンドは「うん」と頷いた。
「ああ。つい最近まで、そう思っていたさ。でも、ゲルドン様のところで過ごしていて、思い直したんだよ」
「何が……あったのですか?」
マリーが口を開く。
皆、彼女が口を挟むとは思っていなかったので、驚いた目を向けた。
アロンドは気にした様子もなく、マリーに微笑んだ。
「ウズナさん……ゲルドン様の娘さんなんだけどさ、その娘の影響なんだ。彼女、ゲルドン様たちが襲撃した異民族の野営地から、赤ん坊の時に攫われてきたんだよ」
それでね、とアロンドが続ける。
「彼女、言ってたんだ。『血が繋がってるかなんて関係ない』ってさ」
部族の者たちとの生活を、アロンドがかいつまんで話す。
自分たちを追い詰める異民族の子供であるにもかかわらず、ゲルドンの娘として大切に育てられ、誰一人としてウズナを毛嫌いする者はいなかった。
皆が彼女を家族として扱い、しかも次期族長の妻になる者として敬っていた。
ウズナ自身も、自分が攫われてきた子供だということを知っているにもかかわらず、「今どうあるべきか」だけを考えて生きていた。
ハナから出自など気にしていない彼女たち、そして、あれだけ酷い扱いを受けていたにもかかわらず自分を信じてくれるリスティルを見ていたら、自分がマリーにしてきた行いが酷く馬鹿げたものに思えてしまった。
マリーを憎んでも、何も解決しない。
ならば、彼女の存在を受け入れて、そのうえでルーソン家の名誉を守る方法を考えるべきだと気づいたのだと語った。
「正直なところ、頭では納得できているはずなのに、心のどこかで奴隷の血が混ざることに対して不快感をいまだに感じている部分はあります」
アロンドがやるせない表情で語る。
「しかし、それは改めるべきだということも理解しています。これからはすべてを受け入れて、ルーソン家の再興に力を尽くしたいのです」
「ふーん……」
ジルコニアが立ち上がり、ノートパソコンへと向かう。
マウスを操作し、動画を再生させた。
デュクス氏の頭と胴体が怪物に引き千切られ、ぽい、と亡者の群れの中に放り込まれる。
「嘘をついたらコレだけど、大丈夫? 本心を言ってる?」
「だ、大丈夫です。本心ですので」
「ほんっとうに? 脅してるんじゃなくて、心配して言ってるのよ? 今ならまだ、正直に話せば死ぬ前に挽回できるかもしれない。本当の本当に大丈夫なのね?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「そ。分かったわ」
ジルコニアが動画を止め、マリーを見る。
「って言ってるけど、マリーはどうするの?」
「えっ?」
話を振られると思っていなかったマリーが、きょとんとした顔になる。
「アロンドは、あなたと家族として、一緒にルーソン家を守っていきたいんですって。でも、それはあなたが許せばの話だと私は思ってる」
「……」
マリーが、アロンドに目を向ける。
アロンドはすぐさま、彼女に深々と頭を下げた。
「マリー。今までのこと、本当にすまなかった。謝って許されることじゃないとは分かっているが、どうか許してもらえないだろうか?」
「っ……」
頭を下げるアロンドに、マリーがたじろぐ。
その肩に、ハベルがそっと手を置いた。
「マリー、正直に言っていいんだ。兄上を許せないというのなら、それでいい。兄上をルーソン家から除名して、今後は俺たちとは赤の他人になってもらう。二度と会うことがないように、ジルコニア様に手配してもらうよ」
ハベルの言葉に、アロンドは頭を下げたまま、げっ、という顔になった。
今までマリーにしてきた仕打ちを考えれば、じゃあそれで、とマリーは答えるだろうからだ。
ジルコニアは勝手な発言をしたハベルに、呆れ顔になっている。
マリーの今までの功績に免じて、頼まれればそうするつもりではあるのだが。
すると、マリーはアロンドへと向かって歩き出した。
頭を下げ続けている彼の前で、立ち止まる。
「アロンド様、お顔を上げてください」
アロンドが恐る恐る、顔を上げる。
つらそうな表情のマリーと、目が合った。
「私が初めてアロンド様に頬を張られたのは、6歳の時でした」
「そう……だったか。本当にすまない」
「あの時の痛みは、今でも忘れません。口の中が裂けて、血が止まらなくて。床に零れたそれを、汚いと言ってさらにお腹を蹴飛ばされて」
「……」
アロンドの額に、みるみるうちに脂汗が浮かぶ。
マリーは目に涙を浮かべており、一良たちは愕然とした顔になった。
小さな子供にそこまでの仕打ちをしていたとは、軽蔑に値する所業だ。
「それからも、ことあるごとに殴られて、どうしてこんなことをするんだろうって、どうすれば許してもらえるんだろうって、ずっと考えていました。そのうち、唯一庇ってくれていた母も、病気がちだからと売られてしまって、私は1人になってしまいました」
でも、とマリーが続ける。
「母と再会できたのは、アロンド様のおかげです。それには、心から感謝しています。それに、母はアロンド様のことを心から慕っています。だから……」
マリーが涙を浮かべたままにこりと微笑み、右手を大きく振りかぶる。
「これで、すべて許します」
「ぶっ!?」
バチィン! とアロンドの左頬に、マリーは平手打ちをした。
アロンドが座っていたイスから吹っ飛び、床に転げる。
「これからは、アロンド兄さんと呼ばせて……あ、あれ?」
床に倒れ伏したままピクリともしないアロンドに、マリーが怪訝な顔になる。
だが、アロンドの口から床に血が広がっていくのを見て、慌てた顔になった。
「えっ!? あ、アロンド様!? 私、そんなに強くは……」
「お、おい。まさか、死んじまったんじゃねえだろうな?」
ルグロの言葉に、全員が慌ててアロンドに駆け寄る。
倒れ伏している彼の首に、ジルコニアが指を当てた。
続けて、両手で首と頭を掴んで少し動かす。
「……生きてるわ。首も折れてないし。はぁ」
なぜか残念そうに言うジルコニア。
全員から、安堵の吐息が漏れる。
純粋に彼の無事に安堵しているのはルグロ、一良、マリーだけで、他の者たちは今後のゲルドンたちの心証を考えての安堵だ。
ジルコニアは立ち上がって、少し離れた場所で腰をかがめた。
何かを拾い、マリーに歩み寄る。
「はい。これ、アロンドの奥歯。綺麗に根元から抜けてるし、記念に首飾りにでもしたら?」
「えっ!? 私、何てことを! ど、どうしよう!」
「あの、兄上の顎が外れているように私には見えるのですが……」
明らかに位置がおかしくなっているアロンドの下顎を、ハベルが見つめる。
「あらほんと。顎なんて嵌めたことないんだけど、どうやるのかしら? バレッタ、分かる?」
「分かりますけど、私は触りたくないです。お教えしますのでジルコニア様がやってください。彼を座らせてから頭部を固定して、下顎臼歯部を親指で下方に強く押し下げながら――」
「えー。私だって嫌よ。口に指を突っ込むってことでしょ?」
ジルコニアがあからさまに嫌そうな顔をした時、扉が開いてアイザックが顔を覗かせた。
「あの、すごい音がしましたが……うわ!?」
口から血を流して倒れているアロンドを見て、アイザックが驚く。
「あ、ちょうどよかった。あなた、アロンドの顎を嵌めなさい」
「は、はあ」
状況がよく分からないまま、アイザックはアロンドに歩み寄るのだった。
小説16巻が10月28日発売予定です。
後ほど、活動報告にて表紙や内容の詳細を公開いたします。
よろしくお願いいたします!




