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35話:軍隊とのひととき

 不安げに見送る村人達をその場に残し、一良たちがアイザックに引き連れられて村を出ると、村から少し離れた場所でアイザックの部隊が待機していた。

 部隊には騎兵もいるようであり、数頭の馬によく似た動物――ラタ――が近くの木に繋がれている。

 兵士たちは大部分が座り込んで休んでおり、立っているのは周囲を警戒している警備兵だけだ。

 兵士たちの集まっている中心には、ほろ付きの荷馬車も置いてある。


 現在一良は手ぶらであり、ボストンバッグとキャリーケースは屋敷で見張りをしていた2人の兵士が持っている。


 一良たちが部隊に近づくと、副長のハベルがこちらに気付いて駆け寄ってきた。


「副長、出立準備は出来ているか?」


「いつでも出発できます。グレ……カズラ様は騎兵用のラタにお乗りいただければと思うのですが、いかがでしょうか?」


「構いませんよ」


 騎兵用、というハベルの言葉を聞き、一良は木に繋がれているラタに目を向けながら答えた。

 ラタには鞍が着けられており、乗り心地は悪くはなさそうだ。


 ハベルは一良の返事を聞くと、木に繋がられているラタの元へ駆けていった。


「イステリアまでは2日から3日程掛かります。本当は馬車にお乗りいただければよかったのですが、馬車には天幕などの荷物を満載しておりまして……」


「あぁ、別に大丈夫ですよ。気にしないでください」


 以前、イステリアまで徒歩で移動したことのある一良としては、徒歩での移動がどれほど大変なのかは重々承知している。

 足裏にマメを作らずに移動できるのであれば、文句などあろうはずもない。


 アイザックは一良の言葉を受け、頭を下げながら礼を述べると、座り込んでいる兵士たちに向き直った。


「全軍、2列縦隊! 行軍用意急げ!」


 アイザックが大声で指示を出すと、座っていた兵士たちは即座に立ち上がり、駆け足で2列の行軍隊形を作り始めた。

 兵士たちの大部分は歩兵のようだが、少数の騎兵と思われる兵士たちは、ラタの繋がられている木に駆け寄って手綱を解いている。


「カズラ様、ラタにお乗りするのを手伝わせていただきます」


 兵士たちが大急ぎで行軍隊形を作っている様子を、一良が「おお……」と興味津々で眺めていると、ラタを連れたハベルが戻ってきて声を掛けた。

 ハベルに手綱を引かれているラタを見て、一良はとあることに気が付いた。


あぶみが無いのか……」


 そう、このラタには鞍こそ着いてはいるものの、鐙が付いていないのだ。


 鐙とは、馬の腹の左右に吊り下げる足場のことである。

 馬に乗る際の足掛かりとして使ったり、騎乗中の姿勢制御用の足場として用いるものであり、これが有るのと無いのとでは騎乗のし易さに雲泥の差が出るのだ。


「あぶみ……ですか?」


 一良のポツリと漏らした呟きを聞き、ラタの手綱を持っていたハベルが一良に聞き返した。


「あ、いや……」


 一良は周囲の騎兵に視線を滑らせ、それらのラタにも鐙が付いていないことを確認すると、ハベルに


「何でもありません」


 と言って、ラタに付いている鞍に手を掛けた。

 一良が鞍に手を掛けると、ハベルは直ぐに一良の背後に回り、下から押し上げるようにして一良をラタに乗せる。

 実は今回が騎乗初体験である一良は、多少もたつきながらも、ハベルの補助のお陰で何とかラタに跨った。

 ラタの背の上は結構高く、目線の高さは2.5メートル程だろうか。


 馬上の人……もとい、ラタ上の人となった一良が周囲を見渡していると、部隊の兵士たちは程なくして行軍隊形を整えた。

 背後にはバレッタと村長が自分達の荷物を持ち、ラタに乗っている一良を見上げている。

 当然ながら、ラタに乗るのは一良だけで、バレッタと村長は徒歩で移動するようだ。


「それでは、私は部隊の先頭に参ります。何か御用がある時は、副長にお申し付けください」


 一良がラタの上で一息ついていると、傍らで騎乗の様子を見守っていたアイザックが一良に声を掛け、部隊の先頭へ歩いて行った。

 アイザックが先頭に着くと同時に、


「前進!」


 と、アイザックの声が響き、部隊はぞろぞろと行軍を開始した。


「おっと、これは結構揺れるなぁ」


 歩き始めたラタの背に揺られながら、一良は両足でラタの腹を挟んでバランスを取る。

 鞍に乗っているお陰で転げ落ちるということは無いが、鐙が無いために踏ん張りが効かないのだ。

 これは、長時間乗っていると中々に疲労が溜まりそうである。


「カズラ様、もし騎乗が合わないようでしたら、直ぐに馬車の用意をさせますので、お申し付けください」


 手綱を引いているハベルは一良の言葉に即座に反応し、そう申し出た。

 しかし、馬車を用意するということは、その中の天幕などの荷物を兵士たちに持たせるということである。

 馬車を用意しろ、と一良が言えば即座に実行しそうではあるが、他の兵士たちに白い目で見られることは間違いない。

 ここは、多少疲れてもラタの背に揺られていたほうがよさそうだ。


「あ、いえ、このままで大丈夫です……あの、少し聞いておきたい事があるのですが」


 ハベルの申し出をやんわりと断りつつ、一良は話しかけられたついでに、いくつかハベルに質問をしてみることにした。


「はい、何なりと」


 ラタの手綱を引きながら人懐っこい笑顔で一良を見上げるハベルに、一良は若干の好印象を受けつつ口を開いた。


「先ほど、アルカディア全体で大規模な飢饉が発生していると言っていましたが、食糧不足の他に何か国内で問題になっていることはありますか?」


 村を出る前にアイザックとハベルに懇願されたものは大飢饉の救済なのだが、その他にも大きな問題になっていることがあるのならば、予め知っておいて損は無い。

 イステリアの領主であるナルソンら首脳陣に一良がグレイシオールだと認められた暁には、あれこれと飢饉以外の問題について相談を持ちかけられることになるのは必至なのだ。

 それならば、今のうちから内容を把握しておき、対策を考えておくのも悪くは無いだろう。


「食糧不足以外ですと、時折発生する大洪水が大きな問題になっています。毎年、スイプシオール様に祈りと供物を捧げて水害が起こらないようにお願いをしているのですが、願いを聞き入れていただける時とそうでない時の差がどうにも激しいのです。スイプシオール様にお願いするだけではなく、自分達でも出来るだけ洪水の被害が大きくならないように河川の整備を行っているのですが、一旦大雨が降り始めるとどうにもならないのです」


 ハベルの話を聞き、一良は以前バレッタから聞いた洪水の話を思い出した。

 バレッタの話では、雨の多い時期になるとよく川が氾濫して洪水が起きるということらしいが、それはグリセア村に限ったことではないらしい。

 アルカディア内で洪水が大きな問題になっているということからして、治水技術が低く、上手い対策が取れないのだろう。


 水の神様であるスイプシオールに供物と祈りを捧げて何とかしようという、一良からしてみれば何の役にも立たない非科学的な対応策も採られているようだが、こちらの世界ではそれが当たり前なのだ。


「洪水ですか……それは大変な問題ですね。他にも何かありますか?」


「はい、洪水の他にも、船乗り達の間で謎の奇病が……」


 こうして、一良はイステリアへの道中、手綱を引いて先導するハベルを相手に、アルカディアで発生している数々の問題についての予習を行い、頭の中で対策を講じるのだった。



 アルカディアで発生している問題について、ハベルから説明を受けながらラタに揺られること4時間。

 アイザックの指揮する部隊は、天幕を張るべく行軍を停止した。

 太陽は大きく傾いてきており、あと2時間もすれば辺りは闇に包まれるだろう。

 途中、何度か10分程度の休憩を挟んではいるものの、ずっとラタに跨っていた一良の尻は痛みに悲鳴を上げている。


 ハベルに手伝って貰ってラタを降り、自身の尻を撫でながら一良が腰を伸ばしていると、一良の後方を付いて来ていたバレッタが水の入った皮袋を持って村長と共に近寄ってきた。


「カズラさん、お疲れ様でした。はい、お水です」


「ありがとうございます。ラタに乗るのって結構疲れますね……」


 長時間の乗馬でヘロヘロになっていた一良は、バレッタに礼を言って皮袋を受け取ると、喉を鳴らして水を飲んだ。

 一良の周りでは、部隊の兵士たちが荷馬車から天幕や炊事道具などを取り出し、大急ぎで野営の準備を始めている。


「カズラ様、お食事についてなのですが……」


 一良が水を飲んで一息ついたのを見計らい、すぐ傍で待機していたハベルが一良に声を掛けて来た。


「今用意出来るものは、行軍用に用意していたパンや干し肉などしかございません。他の兵士たちと同様のものになってしまい、大変申し訳ないのですが……」


「あ、それで全然構いませんよ。ありがとうございます」


 心苦しそうにそう申し出るハベルに、一良は笑顔でそう答えた。

 一良にしてみれば、軍隊の食事というものを体験できる絶好の機会なのだ。

 食事の質がどうこうという前に、この世界の軍隊ではどんな食事が出てくるのかという興味が大きい。


「ありがとうございます。それでは、私も野営準備を手伝ってまいりますので、カズラ様たちは暫しここでお待ちください」


 ハベルはそう言うと、近場の兵士たちに混ざって天幕の準備をし始めた。

 一良たち3人は、兵士たちが準備を整えるまでこの場で待機である。


「軍隊の食事なんて初めて食べますけど、パンに干し肉まで付いてくるなんて、軍の食糧事情は優遇されているみたいですね」


 天幕の準備をしているハベルを見ながら一良がそう感想を述べると、バレッタと村長も頷いた。


 以前、イステリアの共同宿泊所に泊まった際に食べた食事は、野菜が少しだけ入った極薄スープだったので、それと比較すると大変なご馳走である。

 無論、そのような場所での食事と軍隊の食事を比べるのは間違っているのだろうが、それを念頭に置いても、先ほどハベルから聞いた食事内容はとても豪華に思える。

 パンや肉が食べられる時点で、そこらの農民よりは遥かに恵まれた食生活なのだ。


「私が昔軍に居た時にも、パンが出ることはありましたが、干し肉が出たことは一度も無かったですね。この部隊の兵士たちは貴族様のご子息達のようなので、特別優遇されているのかもしれません」


「えっ? この部隊の兵士たちって全員貴族なんですか?」


 貴族という単語を聞き、一良は初耳といった表情で村長に問い返した。

 村長とバレッタは兵士たちが腰に下げている短剣の装飾に気付いており、軍隊がグリセア村に到着した当初から兵士たちが貴族だと気付いていたのだが、予備知識の無い一良はそんなことに気付くはずもない。

 また、村長とバレッタも兵士たちが貴族であることを一良に説明していなかったので、一良は兵士が全員貴族だなどとは夢にも思わなかったのだ。


「はい、兵士の皆さんが腰に下げている短剣には家紋の装飾がなされているので、貴族様だと思います。アイザックさんやハベルさんは、貴族様の兵士を従える立場の方なので、他の兵士の方よりも上位の貴族様だと思いますよ」


 バレッタの説明を聞き、一良は改めて周囲にいる兵士たちが腰につけている短剣に目をやった。

 そしてよくよく短剣を観察してみると、確かに彼らの下げている短剣には美しい装飾がなされており、それらの装飾は兵士の一人ひとりによって違ったものとなっている。


「何とまぁ……全く気が付きませんでしたよ。貴族でもこういった軍隊に入って、しっかり兵士として訓練をしている人が沢山居るんですね」


「兵士は兵士でも、この部隊の方たちは指揮官候補の方たちだと思います。こういった部隊で何年か経験を積み、それぞれ自分の領地で召集した軍隊の指揮官となったり、イステール家の所有する軍の中で部隊長を務めたりするものだと聞いたことがありますね」


 すらすらと説明する村長の言葉を聞きながら、一良は、なるほど、と頷いた。

 つまるところ、この部隊は士官候補生の集まりみたいなものなのだろう。

 そうであるのならば、食事内容がより充実しているのも当然に思われた。


 その後、一良のキャリーケースなどの荷物を運んでいた兵士たちが一良の元に荷物を置きにやってきた後は、特に一良たちに話しかける者はなく、一良たち3人は周囲の様子を眺めながらアルカディアの近況などについての雑談をするのだった。


 一良たちがそうして雑談すること約1時間。

 空に輝いていた太陽は、地平線に触れるほどにまでその身を下ろし、さすがに一良も「随分と時間が掛かっているな」と感じ始めていた矢先に、ようやくぽつぽつと天幕が張られ始めた。

 それと同時に夕食の準備も整いつつあるようで、何かを煮込むいい匂いが漂ってくる。


「カズラ様、大変お待たせいたしました。天幕の準備が整いましたので、ご案内いたします」


 すると、作業をしている兵士たちの中から、若干疲れた顔をしたアイザックが一良の元にやってきた。

 一良は作業をしている兵士たちの姿を見ていて何となく気付いたのだが、この部隊の兵士たちの練度はそれほど高くは無いのだろう。


 兵士たちの顔をよく見てみると、それはどれも皆若く、一良より年上に見える者はアイザックを含めて一人もいない。

 詳しくは解らないが、この部隊に所属している兵士たちは、指揮官候補という肩書きを持った新兵みたいなものなのかもしれないな、と一良は思った。


「わかりました。バレッタさんとバリンさんも一緒でいいですね?」


 先に立って先導しようとするアイザックに一良がそう問いかけると、アイザックは一瞬考えるように一良の傍にいるバレッタたちにちらりと目を向けたが、すぐに口を開いた。


「……は。カズラ様がそう申されるならば、そのように用意致します」


 アイザックの返答に一良は頷くと、地面に置いておいたキャリーケースを手に取った。

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