335話:一般市民の価値観
すぐにムディアを出発した一良たちは、数時間バイクを走らせて国境沿いの砦に向かっていた。
普段一良の護衛に付いているニィナたち村娘も一緒だ。
カイレンの副官であるセイデンも一緒で、グリセア村の若者が運転するバイクのサイドカーに乗っている。
「こんなに早く砦に着くとは……」
遠目に見えてきた国境沿いの砦を眺め、セイデンが唸る。
現在は移動中に襲われる心配がまったくないため、かなりの速度でバイクを走らせている。
道が平坦だったことも手伝って、わずか3時間少々でここまで来たというわけだ。
「無線機といい、このバイクといい。いくら我らが鉄器や新兵器を揃えて軍団を増設しても、勝てるわけがなかったということだな……」
「そりゃそうだよ。まったく、さっさと降伏してれば余計な死人を出さずに済んだのに」
若者は運転しながら、ため息交じりにセイデンに言う。
「交渉中に軍が動き出した時なんて、俺ら皆で『あーバカだなぁ』って呆れてたんだぞ? 死んだ議員さんたち、きっと今頃地獄で酷い目に遭ってるよ」
「……言ってくれるではないか。議員たちが地獄行きだと、どうして分かる?」
不快そうに顔をしかめるセイデンに、若者が眉間に皺を寄せる。
「いや、そんな顔されても……俺は見たことないけど、天国と地獄って本当にあるらしいし」
「天国と地獄が? どういうことだ?」
セイデンに聞かれ、若者が「いけね」と漏らす。
警備に立っていた折にバレッタと一良が話していたのを立ち聞きして知っていたのだが、うっかり口が滑ってしまった。
「おい、何が『いけね』なんだ?」
「あー、いや……まあ、悪いことはしないほうがいいってことだよ。神様には逆らっちゃダメなんだって」
「何が何やらさっぱりだぞ。ちゃんと話せ」
「あ、後でカズラ様に聞いてみなよ。俺が言うのはまずいと思うから」
彼らがそんな話をしているうちに、砦の防御陣地に到着した。
あらかじめ無線で連絡を受けていたロズルーの妻のターナたち女性陣と侍女たちが、丘の上の城門の前で大きく手を振っている。
市民兵も大勢集まっており、城壁の上や門の前で歓声を上げて一良たちを迎えた。
「カズラ様、おかえりなさい!」
「お疲れ様でした!」
「皆、早く燃料を補給して!」
女性陣がガソリン携行缶を手にバイクに駆け寄る。
ターナと侍女たちが、おにぎりとコップの載ったお盆を手に一良たちに歩み寄った。
オルマシオール用に、ミャギの丸焼きもある。
「カズラ様、お疲れ様でした。お食事をどうぞ。あなた、おかえりなさい」
ターナがバイクに跨っているロズルーに、にこりと微笑む。
「ああ、ただいま。ミュラは?」
「あら? さっきまで一緒にいたんだけど……」
ターナが背後を振り返る。
すると、一抱えほどもある木箱を手にしたミュラが、コルツやルグロの子供たちと一緒に駆けて来た。
「お父さん、おかえりなさい!」
ミュラが満面の笑みで言い、木箱の中身をロズルーに見せる。
そこには、綺麗な花の冠がたくさん入っていた。
「うお、これはすごいな。ミュラたちが作ったのか?」
「うん! ルルーナ様たちも一緒に作ってくれたの!」
「そうか、そうか。ありがとな」
ロズルーに頭を撫でられ、ミュラが嬉しそうに微笑む。
かがんだロズルーの頭に、ミュラが花の冠を載せた。
その様子を微笑ましげに一良が見ていると、ルルーナとロローナが歩み寄って来た。
「カズラ様、対バルベール戦線の勝利、おめでとうございます」
「多大なるご支援、王家と国民を代表して、感謝申し上げます」
深々と腰を折る2人。
いつもながら、礼儀正しくて大変よろしい。
「いえいえ。こちらこそ、ご尽力感謝いたします」
「カズラ様! 冠をどうぞ!」
末妹のリーネが花の冠を手に、一良に駆け寄る。
一良がしゃがんでそれを被せてもらい、コルツに目を向けた。
コルツはバイクに興味があるのか、一良の乗っているバイクの周りをうろちょろしている。
「コルツ君、左腕の具合はどう? 痛んだりしない?」
「うん。大丈夫だよ。もう傷口も完全に治っちゃってるし」
ほら、とコルツが袖を捲り、左腕を見せる。
傷口は綺麗に塞がっており、肌はつるんとしていて痕もない。
まだそれほど日数は経っていないというのに、驚異的な回復力だ。
「おお、ほんとだ。大丈夫そうだね」
「うん! だから、心配しなくていいよ! 俺、右手だけでも、大体のことはできるから!」
コルツが、にっと笑顔を一良に向ける。
「コルツのことは私が面倒見るから大丈夫です! ね、コルツ?」
ミュラがこちらを振り向き、可愛らしく微笑む。
コルツは恥ずかしそうに顔を赤らめ、「う、うん」と頷いていた。
2人とも仲良くやっているようだ。
そうしていると、慌てた様子でルティーナが駆けて来た。
どういうわけか、鼻血を垂らしている。
「でっ、出迎えが遅くなり申し訳ございません! この度の戦の勝利、おめでとうございます! うええ……」
「うわ、ルティーナさん、鼻血出てますよ!?」
「すみません。慌てて走ってたら、転んでしまって」
てへへ、とルティーナが頭を掻く。
バレッタが駆け寄り、ハンカチを差し出した。
ありがと、と礼を言ってそれを受け取り、鼻を押さえる。
「さっき、ルグロと無線で話しました。部族とも講和を結ぶのですね?」
「はい。すべての戦争を終わらせてしまおうと決まったので。上手くいけば、これで全部終わりです」
一良が言うと、ルティーナはほっとした様子で微笑んだ。
「ああ、よかった。もうすぐ皆、家に帰れるのですね!」
「ですね。そのためにも、急がないと」
一良がセイデンに振り向く。
「セイデンさん。あなたはこのまま、グレゴルン領方面の港町……ラキールでしたっけ。そこに向かってください。一応、護衛も付けますから」
「承知しました。さあ、行こうか」
おにぎりを手にしたまま侍女を口説いている若者に、セイデンが声をかける。
「えっ? 食事は?」
「私が持っててやるから、走りながら食え。一刻を争うんだぞ」
「うう、分かったよ。少しくらい休みたかった……」
若者はおにぎりをセイデンに渡すとアクセルを捻り、近衛兵の運転する2台のバイクを従えて、丘を下って行った。
「俺たちもすぐに出発しないと。皆さん、急いで食事を済ませてください」
一良が言うと、すぐ後ろでバイクに跨っているリーゼが「えー」と声を上げた。
「少しくらい休もうよ。もうクタクタなんだけど」
「ダメダメ。村に着いたら休んでいいから、もう少し頑張れって」
「もぐもぐ……そうよ。これくらいで、だらしないわねぇ」
「むぐむぐ……リーゼ様、あとちょっとですから。頑張りましょう」
ジルコニアとバレッタに言われ、リーゼが疲れた顔で「あー」と天を仰ぐ。
リーゼは朝にバーラルを出てから運転しっぱなしなので、かなり疲れているのだ。
「お尻いたーい。腕も痺れたー。カズラ、元気ちょーだい。ちゅーして」
「もぐもぐ、よし、行くか! 出発!」
「無視!? おにぎり、まだ食べてないんだけど!?」
あっという間におにぎりを食べ終えた一良が、アクセルを捻って砦内へと走り出す。
リーゼは慌てて片手でおにぎりを2つ掴むと、「お、お気をつけて」と手を振るターナたちに見送られて彼の後に続くのだった。
「ねえねえ、バレッタ」
夕日を背にバイクを走らせながら、ニィナがバレッタのバイクに並走させて声をかけた。
バレッタはミュラたちから貰った花の冠を腕にかけており、鼻歌混じりでずいぶんと機嫌がよさそうだ。
「ん、なあに?」
「今朝からずっとご機嫌じゃん。カズラ様と、何か進展したの?」
2台前を走るリーゼの背を見ながら、ニィナが小声で聞く。
「特に何もないよー。えへへ」
にへら、と表情を緩めて言うバレッタ。
ニィナが怪訝な顔になる。
「顔、とろけてるじゃん。いいことあったんでしょ?」
「うん。えへへ」
ニコニコ顔で言うバレッタに、ニィナがニヤリとする。
「ってことは、上手くいったってことね? キスくらいしたの?」
「キ、キスなんて、そんなのしてないよ」
「はあ? 何それ? リーゼ様がいない間に、上手いこと出し抜いたんでしょ? カズラ様をモノにしたんじゃないわけ?」
ニィナが言うと、バレッタの表情が強張った。
一良に対して特に何をしたわけでもないのだが、何となく後ろめたい気持ちが湧き起る。
「そ、そんなんじゃないよ……」
「ふーん? まあ、最近のあんたたちを見れば大丈夫だとは思うけどさ。最後まで油断しちゃダメだよ? 勝ったと思って安心してる時が、一番危ないんだから」
「……」
バレッタは勝った負けたなどという考えかたをしたことはなかったが、そう言われるとものすごく嫌な気分になった。
自分が相手の立場なら、と常日頃から考えてしまう癖で、どうしても彼女のことを考えてしまう。
それ自体、自分が優越感に浸っているとも認識してしまい、なおのこと気分が落ち込んだ。
「ほらまた、そんな顔して。『リーゼ様に悪いなぁ』とか思ってるんだったら、もういい加減腹を括りなさい。重婚するっていうなら、話は別だけどさ」
「……う」
「ちょ、ちょっと。何でいきなり顔色が白くなるのよ。重婚のくだりは冗談だって」
途端に死人のような顔つきになったバレッタに、ニィナが慌てる。
ニィナ個人としては、重婚という行為はあり得ないと考えている。
いくら仲のいい親友であっても、それがたとえバレッタとであっても、夫をシェアするなどという行為はとても耐えられる気がしない。
きっとそれは、バレッタも同じだろう。
「もしかして、カズラ様って、リーゼ様も娶ろうとしてたりするの? みんな一緒に、みたいな」
「分かんない……けど、日本の法律だと重婚は禁止されてるよ」
「日本? 神様の世界のこと?」
「うん……」
「なんだ、そうだったの。なら、大丈夫じゃない?」
ニィナがやれやれといったように息をつく。
「でもまあ、もし重婚するとか言われたら、こう言ってやりなよ。『アイザック様とカズラ様で、私をシェアするのを想像してみて』って」
「な、何でそこでアイザックさんが出てくるの?」
「だって、あの2人って超仲いいじゃん。もしアイザック様が女だったら、カズラ様は絶対にアイザック様とくっついてるよ。アイザック様が男で本当によかったよ」
「ええ……」
「だから、重婚するとか言い出したら、『アイザック様と毎晩交互に私を抱けるのか!? あんたはそれが許せるのか!?』って言ってやればいいのよ。ついでに、法律違反も突いてさ」
「いつも思うけど、ニィナってやたらと過激なこと言わせようとしてくるよね……」
そうしてしばらく走り、月が顔を出す頃にグリセア村に到着した。
守備隊の兵士たちが大きく手を振って、一良たちを迎える。
一良はそれに手を振り返し、そのまま村の中へと入った。
「カズラ様、お疲れ様です!」
「カズラ様、おかえりなさい!」
「あっ、オルマシオール様だ!」
停車した一良のバイクに、村人たちが駆け寄る。
子供たちはオルマシオールに群がり、顔やら尻尾やらをもふもふと触りまくっている。
オルマシオールは慣れたものなのか、微動だにせずされるがままになっていた。
「出迎えありがとうございます。明日の昼か夜に、物資をたくさん持ってきます。荷馬車は用意できていますか?」
「はい。今ある守備隊のものに加えて、イステリアからも来ることになってますよ。明日には到着すると聞いています」
「了解です。それじゃ、俺はこのまま神の世界に戻るんで」
「あっ、カズラ様。その前にお伝えしないといけないことが」
若い女性が一良に声をかける。
「さっきアイザックさんから無線連絡があって、時間があったらお話ししたいとのことです。相談ごとがあるとのことで」
「ん、そうですか。なら、今話しちゃいましょうかね。リーゼ、アンテナを東北東に向けてくれ」
「うん」
リーゼが携帯用アンテナを取り出し、東北東に向ける。
一良が呼びかけると、すぐにアイザックが出た。
『カズラ様、お忙しいところ申し訳ございません。どうぞ』
「いえいえ、大丈夫ですよ。それで、相談って何ですか? どうぞ」
『それが、カーネリアン様が「政治の仕組みについて、グレイシオール様に助言をいただきたい」とのことで。ムディア制圧後に詳しく話を聞いたのですが――』
アイザックが事の顛末を説明する。
カーネリアンは、現在のクレイラッツで行っている直接民主制という仕組みに限界を感じているということ。
現状、自分の意思決定に意見する者がまったくおらず、半ば独裁のような状態になってしまっていること。
自分がいなくなった後、後継者が国を自分の物のように扱う可能性や、軍部が発言力を持ちすぎて政治権力に偏りが起こる可能性を危惧しているといったことを話した。
『――というわけでして、国家の政治形態とはどうあるべきなのかの意見が欲しいそうです。どうぞ』
「なるほど……分かりました。最良の政治形態と言えるかどうかは分かりませんけど、後で俺が相談に乗ることにします。どうぞ」
『あっ、いえ、カズラ様がグレイシオール様であることは、クレイラッツの者たちには伏せているので。別の者を間に挟むべきかと。どうぞ』
一良がグレイシオールであるということは、信奉する神が違うということからクレイラッツ人には伏せてある。
カイレンやバルベールの重鎮たちには脅しを行った都合で暴露してしまっているので、今さら感はあるのだが。
「あー、そういえばそうでしたね。まあ、カイレンさんたちには話しちゃってるんで、今さらなんで彼らにも話してしまいましょう。後から人づてに知って不快に思われてもアレですし。どうぞ」
『承知しました。では、また後ほど。どうぞ』
「はい。戻ったら2人で酒でも飲みましょう。通信終わり」
一良は無線機を腰に戻し、バレッタに振り返った。
「バレッタさん、村にあるもので、先に前線に送る必要があるものってありましたっけ?」
「……」
「バレッタ、カズラが呼んでるよ?」
リーゼに声をかけられ、ぼうっとしていたバレッタが、はっと顔を上げる。
「あっ、はい! 何ですか?」
「村にあるもので、先に前線に送る必要があるものはあったかなって」
「ええと……火薬とか爆弾は定期的に輸送してますから、急いで送るものは特にないですね」
「そっか。なら、俺が戻って来るまで皆は休憩で。バレッタさんも、ちゃんと休んでくださいね。すごく疲れてるみたいですし」
「は、はい……」
浮かない顔のバレッタに、リーゼが小首を傾げる。
「それじゃ、俺はこれで」
「ねえ、今日はこっちで休んで、あっちに行くのは明日にしたら? カズラも疲れた顔してるよ?」
リーゼがバレッタから一良に視線を移す。
「いや、とにかく急がないとだし、今日中にできるだけ発注を済ませたいんだ」
「うーん……なら、電話で発注したら、また戻って来るのは? それで、明日の朝一でまたあっちに行くのはどうかな?」
「カズラさん、そうしたほうがいいですよ。疲れて夜道を運転して、事故を起こしたら大変ですよ?」
「日本でカズラさんに何かあっても、私たちは何もできないんですから。今日のところは、こちらで休んだほうがいいですよ」
バレッタとジルコニアも、リーゼに続く。
エイラも、うんうん、と頷いていた。
「カズラ様、夕食の用意もできていますから、今日のところはお休みしてはいかがでしょうか?」
「カズラ様、疲れたらちゃんと休まないとです!」
先ほどの女性と、4歳くらいの女の子も心配そうに言う。
「……じゃあ、そうしますか。発注だけして、戻ってきますね」
一良が言うと、皆がほっとした様子で微笑んだ。
「うん。それがいいよ。ご飯食べたら、お風呂で背中流してあげよっか?」
リーゼが「にひひ」とそんなことを言う。
「そんなことしなくていいって……んじゃ、行ってきます」
そうして、一良はバイクに乗ったまま、雑木林へと去って行った。
リーゼたちはその場にバイクを残し、ぞろぞろとバリン邸へと向かう。
「ねえ、マヤ」
それを見送りながら、ニィナがマヤに声をかけた。
「ん? どしたの?」
「もしもさ。マヤが私と同じ人を好きになったとして、その人が2人とも妻になってくれって言ってきたらどうする?」
「ええ……いくらニィナとでも、それは無理だよ。ていうか、言われた瞬間にそいつのことぶん殴るよ」
心底嫌そうな顔で、マヤが言う。
「だよねぇ……」
「あ、でも、カズラ様だったら別にいいかな。何か、そういう枠を飛び越えてる存在だし。すっごく大事にしてくれそうだしさ。ニィナと乳繰り合ってるのを見ても、我慢できるかも」
「そ、そう」
「おーい、早く行こうよ! ご飯食べよ!」
先に歩き出していた娘たちが、2人を呼ぶ。
ニィナたちは「今行く!」、と答え、駆け出した。