329話:女たらし
その頃、バルベール首都バーラルの議場では、アロンドが元老院議員たちに講和を訴えていた。
アロンドの隣には、彼が取り入っている部族の族長の娘であるウズナが、険しい顔で黙り込んでいる。
2人から一歩下がったところでは、マリーの母親であるリスティルが、不安げな顔でたたずんでいた。
ウズナについては先ほどアロンドが紹介し、リスティルについては従者だと説明していた。
「部族同盟は、これ以上の戦闘は望んでおりません。彼らが求めているのは安住の地であり、殺戮ではないのです」
「……アロンド補佐官。いや、もう補佐官ではないか」
座って腕組みしていたカイレンが、アロンドに話しかける。
カイレンがアロンドに会うのは、今は亡きヴォラスに紹介された時以来だ。
「我らを裏切り、蛮族の手先になっていたとは……やってくれたな」
「それは少し違います。私は、アルカディアの手先ですので」
アロンドがにこりと微笑む。
「私は祖国があなたがたの侵略を撥ねのけられるよう、今まで動いてまいりました。部族同盟へ攻勢を働きかけたのも、そのためです。しかし、あなたがたの破滅を望んでいるわけではありません」
「それは、蛮族どもの総意とは違うだろう? このバーラルを陥落せしめ、土地も人も建物も、すべてを手に入れるつもりでは?」
「そう気張っている者たちも確かにいます。しかし、理性的な思考の持ち主もいるのです。私を庇護してくださっている、ゲルドン様がその筆頭です」
「理性的、か。和平協定を破って大攻勢をかけ、数多くの街を住人ごと蹂躙しておいてよく言えるな」
「中部より東の街については、そういったことがあったことは承知しています。しかし、我が主ゲルドン様の統制の利いている地域では、誓ってそのような真似はしておりません」
「中部より東? 撤退してきた守備軍の話だと、北の中部地域でもいくつも村落が焼き討ちに遭ったと聞いているぞ」
議員の1人が、カイレンたちの話に口を挟む。
「ですから、それはゲルドン様の統制外の者たちが勝手に行ったことで――」
アロンドの言葉を、ウズナは黙って聞きながら議員たちを見渡した。
彼らの視線は敵意に満ちたものであり、とてもアロンドの話を受け入れるような雰囲気ではない。
それに、とウズナは考える。
――アロンドの奴、本当にこんな話をするために、ここに来たの?
彼女の知るアロンドは、絶対に成功すると確信を得るまで、行動に移さない男だ。
周到に準備をし、失敗した場合にも別案を用意したうえで行動する人物だと、ウズナは思っている。
自分たちのところに転がり込んで来た時は危うく殺されかけるという博打はしたが、それでもゲルドンが納得するに十分な情報を持ってのことだった。
だが、今の彼は、表情こそは余裕たっぷりに見えるものの、やっていることは完全に綱渡りだ。
提案を突っぱねられて反逆者として殺されてもおかしくない状況になっており、それを回避するための情報が何かあるのかと思えばそうでもなさそうに見える。
いったい彼が何を考えているのか、ウズナにはまったく分からなかった。
「カイレン執政官、そう虐めるものではありませんよ」
アロンドを睨みつけているカイレンに、エイヴァーが柔和な表情で話しかける。
「条件はともかく、講和というのは検討に値します。現に我らは、彼らに手痛く打ち負かされていますし」
「エイヴァー執政官、腑抜けたことを言わないでいただきたい。彼らは、祖先が血を流して手に入れた土地を明け渡せと言っているのですよ」
「それはそうですが、このまま戦うというのは、我らにとって被害が大きすぎます。この辺りで手打ちというのも、ありではないかと」
「何を言うのですか! 好き勝手やられて、このまま――」
カイレンとエイヴァーが言い合いを始める。
それに合わせて、議員たちもやいのやいの騒ぎ始めた。
もちろんこれは、カイレンや議員たちがわざとやっていることだ。
意見が割れているので蛮族側の要求を丸々受けることはとてもできない、双方が納得する着地点を模索しよう、と提案する下準備である。
バルベール側は領地を明け渡して講和する気など欠片もないので、可能な限り時間を稼ぐことが目的だ。
ムディアにいる本隊が帰還し、同盟国軍の支援が行われるとなれば、万が一にも敗れることはないからだ。
「ねえ、ハベル様」
「はい」
窓辺でそれを見ていたリーゼが、ハベルに話しかける。
険しい表情でアロンドをじっと見つめていたハベルが、リーゼに顔を向けた。
「アロンド、何か様子が変じゃないですか?」
「変、というと?」
「あの提案、行き当たりばったりに思えます。まるで考えなしで飛び込んできたように見えるのですが」
リーゼが言うと、ハベルは怪訝な顔になった。
「そうですか? ごく普通の交渉に見えますが」
「えー……」
リーゼが呆れ顔でハベルを見る。
「そ、そんな目で見ないでください。本当に分からないんですから」
「だって、もし私たちがこの場にいなければ、あんな講和提案は簡単に突っぱねられて、返事の代わりに生首を送り返されるような内容じゃないですか」
「そうなのですか? 仮にも使者なのですし、そこまでするなんてことは……」
「状況を考えてみてください。アロンドは、バルベールを裏切って蛮族領に逃げ込み、和平協定を破って全面攻勢をかけさせたんですよ? 普通に考えて、その張本人が姿を現して無事で済むわけがないじゃないですか」
「ですが、それでも兄上を処刑したら、交渉の余地なくこのまま戦闘継続になると議員たちは考えるのでは。私たちがいなかったとしても、今やっているように時間稼ぎのために利用するかと」
「この鉄壁を誇る首都が健在なのに? バルベールがそんな弱気な真似をするなんて、私がアロンドなら考えないと思います」
「そ、そうですか……うーん」
「皆様の考えは分かりました」
リーゼとハベルが小声で話していると、カイレンが議員たちに声をかけた。
それまで騒いでいた議員たちが、即座に静まり返る。
「現状、確かにこれ以上の戦いは双方にとって不利益でしょう。しかし、彼らの要求はあまりにも度が過ぎている」
「ええ。北部地域の割譲というのは、さすがに承服しかねますね。講和を結ぶにしても、今一度蛮族側には条件の緩和を要求しましょう」
エイヴァーがカイレンに続く。
「ええ。アロンド殿にはいったんあちらに戻っていただいて、条件をまとめ直してもらうというのではいかがでしょうか?」
エイヴァーの意見に、議員たちが「異議なし」と声を上げる。
カイレンは頷き、アロンドに目を向けた。
「聞いてのとおりだ。それでよろしいか?」
「承知いたしました。差し当たって、1つお願いがございます」
「何だ?」
「こちらの者、名をリスティルというのですが、彼女をそこにおられるリーゼ様に引き渡させていただきたいのです」
アロンドがリーゼに目を向ける。
彼の隣にいたウズナが、驚いた目を彼に向けた。
「リーゼ様、おひさしぶりでございます」
「……ええ。一年以上ぶりですね」
険しい表情のリーゼにアロンドは微笑む。
「リーゼ様。彼女を連れて帰っていただけませんでしょうか」
「私はかまいませんが……」
リーゼがカイレンに目を向ける。
カイレンはそれに気付くと、「好きにしろ」といったように両手を広げてみせた。
もとより、彼らはリーゼに逆らうことはできないのだ。
アロンドはほっとした様子で微笑むと、リスティルを引き寄せ抱き締めた。
「今まで、苦労をかけたね。マリーに、俺が今までのことを詫びていたと伝えてくれ」
「アロンド様……」
「向こうに戻ったら、ナルソン様に俺を指名して講和交渉の席を設けるようにお願いしてくれ」
後の言葉は彼女にだけ聞こえる声量でアロンドは言い、リスティルから離れた。
「……では、連れ帰らせてもらいます。リスティルさん、こちらへ」
リーゼが言うと、リスティルは不安げな顔をアロンドに向けた。
そんな彼女に、アロンドが微笑む。
「ほら、行きなさい」
「は、はい」
アロンドに背を押され、リスティルがリーゼの下へと進みだす。
しかし、数歩歩いたところで、アロンドに振り返った。
その瞳からは、ぽろぽろと涙が零れていた。
「アロンド様っ、このご恩は、生涯忘れませんっ」
涙で顔をくしゃくしゃにしているリスティルに、アロンドが苦笑する。
「いやいや。今まで俺がしてきたことを考えれば、恩なんて感じる必要はないよ」
アロンドがリスティルに優しく語りかける。
事情を知らないウズナやカイレンたちは、何の話だと困惑顔だ。
「マリーのことは、本当にすまなかった。バカなことをしたと、ずっと後悔してるんだ」
「いいえ、いいえ! アロンド様の立場を考えれば、当たり前のことです!」
「いいや、どう考えても悪いのは俺だ。本当に、お前にもマリーにも、悪いことをした」
「アロンド様……」
「さあ、行きなさい。今まで離れ離れだった分、これからはマリーと一緒に幸せに暮らすんだよ」
「……はいっ」
リスティルは頷くと、再びリーゼたちの下へと歩き出した。
2人のやり取りを見ていたハベルは、唖然とした顔になっている。
「……いったい、何がどうなってるんでしょうか」
「よく分かりませんが……まあ、マリーがお母さんに再会できるようでよかったです」
話しているハベルとリーゼの下に、リスティルが階段を上がってやって来た。
リスティルはリーゼに深々と礼をすると顔を上げ、ハベルににこりと微笑んだ。
「ハベル様、おひさしぶりでございます」
「ああ。こんなところでまた会えるなんて……まさか、兄上と一緒にいたとは」
「はい。お屋敷を出てから、私は――」
リスティルが今までの経緯を、ハベルに話す。
ハベルの父、ノールに病気がちなのを理由に売り飛ばされた後、グレゴリアの豪商のところで使用人をしていたこと。
今から1年と少し前に、街なかで「偶然」アロンドと再会し、彼が豪商に直談判して自分を買い取ってくれたこと。
彼にノールの反逆の件を説明され、このままだとアロンドの身だけでなく、昔ノールに仕えていたリスティルにも危険が及ぶかもしれないと聞かされたこと。
生き延びるため、そして汚名を返上し、祖国を救うために力を貸してくれと頼まれ、彼に連れられて船でバルベールへと向かったこと。
それから彼がバルベールを裏切って蛮族の下へと向かって今に至るまで、彼の従者として付き従っていたことを話した。
「アロンド様は、アルカディアのために命を賭けた真の忠臣でございます。リーゼ様。どうか、寛大なご配慮をお願いいたします」
「事情は分かりました。アルカディアに戻った後、今の話をもう一度、お父様にしてください。私からも口添えはしますから」
「はい!」
リーゼの言葉に、リスティルが嬉しそうに微笑む。
そして、リーゼはカイレンに目を向けた。
「カイレン執政官。彼を帰す前に、私たちだけで話す場を設けさせていただきます。ここの屋上を使わせてください」
「承知しました」
カイレンは頷くと、警備の兵に指示を出してアロンドの下に向かわせた。
建物の中を見せるつもりはないようで、来る時に被せていた布袋を被せるようだ。
「ハベル様。ここで彼女と待っていてください。少ししたら戻ります」
「はっ。ですが、私もご一緒したほうが……」
「喧嘩でもされたら面倒です。ここで大人しく待っていてください」
リーゼにぴしゃりと言われ、ハベルが頷く。
「おい、アロンド!」
リーゼが階段を下り始めると、布袋を被せられようとしているアロンドにウズナが声をかけた。
布袋を持っている兵士が、手を止める。
「あんた、私たちを裏切るつもりじゃないだろうね!? 爺さんたちがあっちに残ってるのを、忘れるんじゃないよ!?」
焦った様子で言うウズナ。
アロンドは、そんな彼女に微笑んだ。
「そんなことしないって。大丈夫だから、俺を信じて待っていてくれ」
「……本当だね? 嘘だったら、殺してやるから」
「うん。その時は、素直に殺されるさ」
「そ、その時はって」
「冗談だよ。大丈夫、俺はキミを裏切ったりなんてしない」
「……分かった。あんまり時間かけないでよ」
言い切るアロンドに、ウズナが渋々といった様子で頷く。
話が終わったとみて、兵士がアロンドに布袋を被せた。
――……完全にたらしこんでるじゃん。
まさか族長の娘をたらしこむとはとリーゼは感心しながら、アロンドの下へと向かうのだった。




