320話:うきうきジルさん
「ふむ。足を止めたようですが、この旗が我が国のものだと気づいたようですね」
ジルコニアの隣で、カーネリアンが旗を見上げる。
街では外出禁止令が出されており、すべての市民が家の中に押し込められている状態だ。
いつ攻撃を受けても大丈夫なようにと、多数のクレイラッツ軍兵士が配置についている。
「そうですね。私が声をかける前に止まってましたし」
「さて、クタクタの状態で、連中はどう動くか見ものですね」
「ジルコニア様、それすごいですね! 声が大きくなったのですよ!」
フィレクシアがジルコニアが持つ拡声器を見つめ、瞳を輝かせる。
「便利よね。これさえあれば、発声練習なんてしなくてもいいし」
そう言いながら、ジルコニアは双眼鏡を覗き込んだ。
部隊指揮官になるためには、声量の大きさも1つの条件となっている。
戦場では声を張り上げて指示を出さねばならないので、声の小さな者では指揮官たりえないからだ。
ジルコニアも発声練習はしており、相応の大声を出すことはできる。
女性の声はよく響くので、兵士たちの評判は上々だ。
「カイレンたち、驚きすぎて固まってるわね。ふふ、いい表情」
唖然とした顔になっているカイレンたちに、ジルコニアがもう一度拡声器を口に当てた。
「こーんにーちはー!」
「ジルコニア様、今は朝なのですよ」
「おはよーございまーす!」
その呼びかけはどうかと思う、とカーネリアンは苦笑しながら、カイレンたちを見つめる。
周囲のクレイラッツ兵たちは2人のやり取りが面白かったのか、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
「あなたたちの大事なムディアは、クレイラッツ軍に占領されちゃってまーす!」
ジルコニアが双眼鏡を覗きながら叫ぶと、遠目に見えるバルベール兵たちがざわつく様子が見て取れた。
カイレンの隣にいるラッカが、大声で何やら指示を出している様子も見える。
その直後、斥候と思われる騎兵たちが、北に展開しているアルカディア・クレイラッツ連合軍の防御陣地に向けて駆け出した。
それがアルカディア軍なのか、近づいて確かめるつもりなのだろう。
「あなたたちの左手に見える軍勢は、アルカディアとクレイラッツの大軍団でーす! 街も兵士で大混雑してますよー!」
ジルコニアが楽しげに、声を張り上げる。
今まで散々苦労させられてきた敵軍が動揺しているのが、楽しくて仕方がなかった。
「あなたたちはもう逃げられませーん! 大急ぎで行軍しちゃったからヘトヘトですよねー? 食料だってほとんど残ってないでしょー? そんな状態で私たちと戦えるんですかー?」
「ジ、ジルコニア殿。あまり煽るような言いかたはやめたほうが」
カーネリアンが焦り顔でたしなめる。
「大丈夫ですよ。あっちの兵士たちを動揺させたほうがやりやすいですし、煽るくらいでちょうどいいじゃないですか」
「しかし、これから交渉しようというのに、小馬鹿にした言いかたは……」
「まあまあ。私に任せてください」
「ジルコニア様、名乗らないとですよ! あと、私のことも!」
フィレクシアの指摘に、ジルコニアが「あっ、そうだった」と漏らす。
「私はジルコニア・イステールでーす! フィレクシアも一緒にいまーす!」
「いますよー!」
フィレクシアが合いの手のように続く。
何だか楽しそうだ。
「今戦ったら、すんごい被害が出ちゃいますよー! 大勢が死ぬことになりますねー! どうでしょう、この辺で一度、話し合いをしてみませんかー?」
ジルコニアが言葉を発する間にも、カイレンたちは何やら怒鳴り合っている様子だ。
彼らの背後では兵士たちが大急ぎで戦闘隊形を取り始めており、続々と後続が森の外へと出てきている。
「もちろんタダでとは言いませんよー! フィレクシアをお返ししますからー!」
ジルコニアが言うと、フィレクシアがカイレンたちにぶんぶんと手を振った。
かなり遠いが、きっと分かるはずだ。
「さて、行きましょうか。フィレクシア、行くわよ」
「はい!」
ジルコニアとフィレクシアが、階段を駆け下りる。
ジルコニアはバイクに跨り、フィレクシアはサイドカーに乗り込んだ。
バイクを使う理由は、オルマシオールやウリボウたちが一緒だと、ラタが怯えて使い物にならないからだ。
カーネリアンが階段下の兵士に声をかけ、城門を開けさせる。
「ジルコニア殿。よろしくお願いいたします」
「任せてください。兵士たちには臨戦態勢を取らせておいてくださいね」
ジルコニアがバイクのエンジンをかけると同時に、お座りしていたオルマシオールが腰を上げた。
「連中、なかなか来ないわね」
城門から300メートルほどの位置にやって来たジルコニアが、バルベール軍を眺めながら言う。
彼らは今も戦闘隊形を構築中で、カイレンはラッカ、ラースと何やら話し合っている様子だ。
オルマシオールは3頭のウリボウと一緒に、バイクの前でお座りしている。
残りのウリボウたちは、城門の前でお留守番だ。
「ジルコニア様、さっきの声を大きくする道具を、私に使わせてほしいのですよ」
「ええ、いいわよ。早く来いって、呼びかけてくれる?」
「はい!」
フィレクシアが拡声器を受け取る。
「そこのボタンを押しながら話して。声が大きくなるから」
「分かりました!」
フィレクシアがわくわくした顔で、ボタンを押し込む。
そして、大きく息を吸い込んだ。
「カイレン様ー! フィレクシアなのです! こちらに来てくださーい!」
フィレクシアの声が、辺りに響く。
すると、カイレンがこちらに向かって駆け出した。
隣にいたラッカとラースが、慌ててその後を追う。
「おっ、来た来た。よくやったわ」
ジルコニアがフィレクシアの頭を、ぽんぽんと撫でる。
拡声器を返してもらい、口に当てた。
「はーい、そこで止まってくださいねー」
カイレンたちが20メートルほどの距離に近づいたところで、ジルコニアが言う。
彼らは素直に従い、ラタの足を止めた。
というよりも、オルマシオールの姿に怯えたラタが勝手に止まってしまった。
いななき暴れ出しそうになるラタを、カイレンたちは慌てて宥める。
「こ、こら! 落ち着け!」
「ああ、ちくしょう! おい、ウリボウどもを離れさせろ!」
ラースの怒鳴り声に、オルマシオールがジルコニアに振り向く。
彼女がこくりと頷くと、オルマシオールたちは少し後ろに下がった。
ようやくラタが暴れるのを止め、カイレンたちがジルコニアに向き直る。
「おい、どうしてお前らがここにいるんだよ!? あの軍勢は何だ!?」
激怒した様子で、カイレンが怒鳴る。
「どうしても何も、砦から出て来ただけだけど?」
きょとんとした表情で、ジルコニアが答える。
煽る気満々だ。
「ふざけるな! 撤退の邪魔はしないって約束だろうが!」
「だから、邪魔はしなかったじゃない。約束したのは、『砦からの撤退』のはずでしょう?」
「そういうのは屁理屈って言うんだよ!」
「ジルコニア将軍。あなたたちは、いつムディアを占領したのですか?」
カイレンとは違い、冷静な声色でラッカが尋ねる。
「んーと……7日前くらいかしら」
「そんなはずはありません。つい半日前に、私たちはムディアに伝令を出しました。その時は何も――」
「ムディアの兵士たちに、何事もないように応対させただけよ。少し考えれば、分かると思うんだけど?」
「ちょっと、ジルコニア様! もっと柔らかく言うのですよ!」
フィレクシアがはらはらした様子で窘める。
「あら、ごめんなさいね。今までのことを思い出したら、どうしても意地悪したくなっちゃって」
「おい、フィーちゃん。何を仲良さそうに話してんだコラ」
ラースがイラついた様子でフィレクシアを睨む。
「ラースさん。いろいろと思うところもあると思いますが、まずは話を聞くのですよ。ジルコニア様は、講和の話をしようとしているのです」
「ああ? 講和だぁ?」
ラースが顔をしかめ、ジルコニアを見る。
「ええ、そうよ。率直に言うけど、あなたたち、北の蛮族から大攻勢を受けてボロボロなんでしょう?」
ジルコニアの言葉に、カイレンたちが目を見開く。
「現状、私たちと蛮族に挟み撃ちにされてる状態よね? 北の守備隊は全面撤退してるし、ムディアは陥落しちゃってるし、プロティアとエルタイルはこちら側に立って軍を動かし始めたし。かなりまずいんじゃないの?」
「プロティアとエルタイルが?」
額に汗を浮かべ、カイレンが絞り出すように言う。
「ええ。つい先日連絡が来たの。バルベールはもうダメだって判断したみたいよ? まったく、今さらどのツラ下げてって気もするけど」
「……」
「あ、言っておくけど、蛮族のことはティティスやフィレクシアがしゃべったわけじゃないわよ?」
「へえ。なら、どうやって知ったってんだ?」
「彼らが見てきてくれたのよ」
ジルコニアが背後のオルマシオールたちを見る。
「ふざけるな! あのケダモノが人の言葉を話せるっていうのかよ!」
『話せるとも』
突如頭の中に響いた声と強烈な眠気に、カイレンたちが大きくよろめく。
フィレクシアは速攻で意識を失い、サイドカーに座ったまま、ぐう、と寝息を立て始めた。
「なっ……んだ、今のは……」
「あ、頭の中に、声が……」
カイレンとラッカがふらつきながらも、その場に踏みとどまる。
ラースは怒りの表情で折れている右手に力を込め、その痛みで意識を覚醒させた。
背負っている大剣を左手で掴み、一息で引き抜く。
それと同時に、吊っている右腕を口元に当てた。
ジルコニアがフィレクシアの頭を小突き、目を覚まさせる。
「カイレン、毒だ! 離れるぞ!」
「はあ? あなた、バカなの?」
「ああ!?」
呆れ顔で言うジルコニアに、ラースが怒鳴る。
「こんなだだっ広いところで、どうやってあなたたちだけに毒を吸わせるのよ。ちょっとは頭を使ってよ」
「ラースさん! そこのおっきなウリボウは神様なのです! オルマシオール様なのですよ!」
フィレクシアが言うと、3人が唖然とした顔になった。
「フィレクシア、お前……」
「まさか、洗脳されているとは……いったい、彼女に何をしたのですか?」
愕然としているカイレンと、憎悪の視線をジルコニアに向けるラッカ。
ジルコニアは「ああもう」と頭を掻いた。
「いいから、話を聞きなさいよ。私は、あなたたちに講和の提案をしに来たの」
「何が講和だ! てめえ、ティティスに何かしてやがったら許さねえぞ!」
「だから、何もしてないって」
「カイレン様、これを見るのですよ!」
フィレクシアが懐からサイリウムを取り出す。
「本当に、神様が出現したのです! これは、中に光の精霊の力が込められている道具なのですよ!」
フィレクシアがサイリウムを折り曲げる。
パキパキと音を立てて折れた部分が赤く光り輝き、そのままぶんぶんと強く振った。
強い光を放つサイリウムを見て、カイレンが目を丸くする。
「私はグレイシオール様と会ったのです! 私たちが乗って来た乗り物も、彼が供与したものなのです! 他にも、とんでもない兵器をたくさん持っていたのですよ!」
「……バカなこと言うな。それは、何か仕掛けがあるただの道具だろ。神様なんて、この世には――」
「本当なのです! 信じてください!」
カイレンの言葉を遮り、フィレクシアが叫ぶ。
「このままだと、私たちの国は一晩のうちに破壊し尽されてしまうのです! 証拠を見せますから、どうか一緒に来てください!」
必死の形相のフィレクシアに、ラースが、ぺっと唾を吐き出す。
「何を言い出すかと思えば、一緒に来いだぁ? そのまま俺らを殺すつもりなんだろうが」
「ラースさん、本当なのです! 信じてくださいってば!」
「おい、カイレン。フィーちゃんはもうダメだ。これは、単なる時間稼ぎだ」
「ラースさん!」
「なら、どうすれば信じてくれるの?」
ジルコニアが困り顔で言う。
「今のあなたたちの状況を考えてみなさいよ。食料の手持ちは僅かで、補給もできない。無理な行軍で兵士たちは疲労困憊。ムディアは占領されてて、北には敵の大軍団が陣を張って待ち構えてる。戦ったら、間違いなく全滅するわよ?」
「……」
カイレンが押し黙る。
斥候が北の軍勢を確認しに行ってはいるが、ジルコニアの言っていることはブラフではないだろう。
ムディアが占領されてしまっているのが、その証拠だ。
北にいる軍勢は、ざっと見ただけでも数万はいる。
砦から自分たちを追い抜いて陣を張ったというのがたとえ嘘で、あそこにいるのがクレイラッツ兵だったとしても、戦えばとんでもない被害が出るだろう。
完全に、この状況は詰んでいるのだ。
「その証拠というのを、この場で見せることはできないのですか?」
カイレンに代わり、ラッカが問いかける。
「うーん……別にいいけど、ちょっと見づらいわよ?」
「見づらい、とは?」
「そのままよ。3人とも、こっちに来なさい」
「「「……」」」
ちょいちょいと手招きするジルコニア。
当然ながら、誰も動かない。
「何もしないって。ほら」
ジルコニアが腰から長剣と短剣を抜き、後ろに放り投げる。
オルマシオールが長剣を、ウリボウの1匹が短剣を口でキャッチした。
「オルマシオール様、ウリボウたちと、ムディアに戻っててください」
『……気をつけろよ』
オルマシオールが言い、ウリボウたちと駆け戻って行く。
再び襲った強烈な眠気に、カイレンたちがよろめく。
ぐう、と寝てしまったフィレクシアの頭を、ジルコニアがまた小突いた。
「ほら、これでいいでしょう? あなたたちも武器を置いて、こっちに来なさい」
「……お前ら、行くぞ」
「お、おい!」
「兄上、行きましょう」
カイレンが剣を抜いて地面に置き、ジルコニアに歩み寄る。
ラッカにうながされて、ラースも地面に剣を置いて後を追う。
ジルコニアはポケットから、スマートフォンを取り出した。
「ええと、この花みたいなマークを押して、と」
「それは何だ? 何やってんだ?」
ポチポチとスマートフォンを操作するジルコニアに、歩み寄ったカイレンがいぶかしむ。
「えっとね。これは、スマホっていう道具なの。これ、見てくれる?」
ジルコニアがスマートフォンの画面を、カイレンたちに向ける。
そこには、数日前に一良がティティスとフィレクシアに見せた、映画の切り抜き動画が映っていた。