317話:プロティアの兵士たち
一良がティティスたちと話している頃。
アイザックはバイクに跨り、月明かりに照らされた街道をプロティア王国へと向かっていた。
カーネリアンはこの場にはおらず、占領したムディアでカイレン率いる軍勢がやって来るのを待ち構えている。
同行しているのはジルコニア直属の部下が5名。
全員が身体能力強化済みであり、食料と水もたっぷり持ってきている。
「アイザック様、前方に騎兵が2騎います」
サイドカーで双眼鏡に目を当てていた兵士が、アイザックに声をかける。
騎兵たちは走りながらこちらを振り返っており、慌てふためいている様子だ。
2人とも、若い男のようだ。
「プロティアの斥候だろう。速度を落しながら接近するぞ」
アイザックの指示で全員がアクセルを緩め、じわじわと騎兵たちに接近する。
騎兵たちが剣を抜いて反転したのを見て、アイザックはバイクを停止させた。
「書状をくれ」
「はっ!」
バイクを降り、サイドカーに乗っている兵士から書状の入った筒を受け取る。
「アルカディア王国、第1軍団のアイザック・スランだ! プロティア王国に、使者として向かっている!」
アイザックが叫ぶと、騎兵たちは何やら話した後にこちらに向き直った。
「我らはプロティア王国騎兵隊だ! 使者であるという証拠を見せろ!」
「承知した! お前たちはここで待て」
アイザックは部下たちに指示を出すと、騎兵たちに駆け寄った。
「これが書状だ」
アイザックが差し出す書状を騎兵の1人が受け取り、蝋印を確認する。
エルミア国王の署名済みで、本文は後からナルソンが書いたものである。
戦況の推移によって書状の内容は変える必要があったため、いくらでも作成できるように数十枚を用意してある。
封蝋に使うための王家の蝋印鑑もナルソンが預かっており、交渉の全権はナルソンが握っている状態だ。
王都にも無線機を持ったグリセア村の若者が行っているので、情報は常に共有している。
「……確かに、アルカディア王家の蝋印だ。しかし、貴君らが乗ってきたあれは何だ?」
「あれは、グレイシオール様からお借りした乗り物だ」
「……そうか。やはり、噂は本当ということか」
騎兵が唸り、書状をアイザックに返す。
「砦での戦いは見させてもらったよ。あのバルベール軍の大軍を相手に、あそこまで一方的に打ちのめすとは驚いたぞ」
「我らには神が付いているからな。バルベール軍など、物の数ではない」
自信たっぷりに言うアイザックに、彼はうんうんと頷いた。
心なしか、表情が和らいで見える。
「アルカディアの……イステール領はすさまじい早さで復興したんだろう? あれも、グレイシオールがやったのか? どんなことがあったのか教えて――」
「いや、説明したいのは山々だが、今は一刻を争うんだ」
アイザックが彼の言葉を遮る。
「我らは、バルベールのムディアを占領した。その知らせとともに、この書状を一刻も早くプロテス(プロティアの首都)に届けなければ」
「何!? ムディアを占領!?」
驚く彼に、アイザックは神妙な顔で頷く。
「ああ。これで、バルベール軍は南方の最重要拠点を失ったことになる。おい、証拠を見せてやれ」
アイザックが振り返って言うと、バイクに跨っている兵士たちが荷物からバルベール軍の軍団旗を3つ取り出して広げた。
2つはクレイラッツ方面に張り付いていたバルベール軍第2軍団と第4軍団のもの。
もう1つは、ムディアの守備軍団旗だ。
旗にはこちらの世界の文字で軍団番号を示す文字と、守備軍を示す文字が刺繍されている。
「うわ、ほんとかよ……占領したのはいつだ?」
「3日前だ。ムディアを占領したことによって、この戦争の形勢は完全にこちらに傾いた。貴国とエルタイルが参戦すれば、この戦争は我らの勝利が確定する。2カ国とも国内が厳しい状況にあると聞いてはいるが、何としても戦いに加わってほしいんだ」
アイザックが言うと、彼は表情を曇らせた。
「ああ。その知らせを聞けば、きっと王家は首を縦に振るよ。戦友に不義理を働くような真似は、これで終わりだな」
最後は消え入るような声で、彼は言った。
今まで自国がバルベール寄りになっていたことを、心底恥じているのだ。
生き残るためとはいえ、かつての仲間を見捨てるような行いは、到底許されるものではないと考えていた。
「よし。貴君らのラタはここに置いていけ。バイクに乗って行けば、明日の昼にはプロテスに着けるはずだ」
アイザックが部下に指示を出し、2つのサイドカーに乗った荷物を別のバイクにまとめさせる。
それを見て、騎兵たちは慌てた顔になった。
「そ、それに乗れっていうのか?」
「ああ。ラタよりはるかに速い乗り物だからな。今は時間が惜しいんだ」
「そうは言っても、こんなところに相棒を捨てていけないよ。近くの街に預けるから、寄り道させてくれ」
そう言ってラタのたてがみを撫でる彼に、アイザックが顔をしかめる。
とはいえ、彼の言い分も分かる。
騎兵にとって、ラタは大切な友達なのだ。
「分かった。だが、急いでくれよ」
アイザックがバイクに乗り、アクセルを捻る。
バイクが走り出すと同時に、騎兵たちも駆け出した。
「そうだ、まだ名乗ってなかったな。俺はフォスターだ」
「ヘイゼルだ」
騎兵たちが振り返り、自己紹介をする。
「ああ、よろしく頼む。皆、挨拶してくれ」
そうして、アイザックたちは自己紹介をしながら街へと向かって進むのだった。
翌日の昼。
プロティアの騎兵たちをサイドカーに載せ、アイザックはプロテスへと続く街道をひた走っていた。
前方にはプロテスの防壁が見えてきており、あと数分で城門に到着するだろう。
途中、行き交う隊商や巡回の兵士たちと遭遇したが、騎兵たちが事情を説明してくれたおかげで、ここまで何事もなく済んでいる。
食事は走りながらで、止まったのはトイレ休憩のみだったので、全員クタクタだ。
道中、アイザックはフォスターといろいろと話したのだが、彼はかなり気さくな性格のようで、プロティアの様子をあれこれと話してくれた。
彼曰く、王家は11年前までの戦争のことでバルベールをかなり恐れている様子で、今回の戦争では同盟国側に付くと国が滅びかねないと考えているのでは、ということだった。
つい半年前まではバルベールに対する好意的な話があれこれと宣伝されていたのだが、休戦協定を破ってイステール領の砦を攻めた事実が広まった途端、ぴたりと止まったらしい。
同盟国が攻められたのだから再び参戦か、と市民たちは戦々恐々としていたのだが何も起こらず、ひたすら傍観を決め込む王家の態度に国内は不穏な空気が広まっていたとのことだ。
「城門の手前で停まってくれ。このまま乗り込んでは騒ぎになってしまう」
「承知した」
アイザックたちが速度を落とし、城門へと接近する。
見張りの兵士たちはバイクを見て慌てふためいている様子だ。
城門の少し手前でバイクを停めると、門から数人の兵士たちが駆け出してきた。
「おい、それは何だ……って、フォスターじゃないか!」
その中の若い兵士がフォスターの姿を見て、目を丸くする。
見たところ、フォスターたちと同年代のようだ。
「ああ、ひさしぶり。アルカディアから使者を連れて来たぞ」
「使者だって? まさか、こんなに早く来るとは……」
兵士が驚きながらも、城門を振り返る。
そこでは多数の兵士たちがごったがえしており、ざわざわとアイザックたちに目を向けていた。
「悪いんだけど、道を空けさせてくれないか? 急いで陛下に書状を届けないといけないんだ」
「……ムディアが陥落したことの知らせか?」
兵士の言葉に、フォスターが驚いた顔になる。
「知ってたのか?」
「ああ。今朝、斥候が大急ぎで戻って来たんだ。急ぎすぎたみたいで、ラタが潰れちまってたよ」
兵士がやれやれといった様子でため息をつく。
「それからはもう、大騒ぎだよ。いきなり全軍出撃の命令が出て、物資は後追いで届けるからって、今からムディアに向けて出発するところだったんだ。陛下もようやく、腹を括ったみたいだ」
「なるほどなぁ。でも、腹を括ったっていうか――」
「フォスター、その先は言うな」
それまで黙っていたヘイゼルが、後ろのサイドカーから声をかける。
彼は寡黙な性格のようで、道中はほとんど言葉を発しなかった。
余計なことを話しかけるフォスターを、今のように何度も「それは言うな」といった調子で止めてはいたのだが。
「あ、ああ。悪い」
「ところで、その乗り物は――」
「すまないが、話は後にしてくれないか。書状を届けさせてくれ」
昨夜もあったようなやり取りにアイザックは苦笑しながら、書状を持つ手を振るのだった。
その日の夜。
バルベール軍勢を追うアルカディア・クレイラッツ連合軍は、街道沿いの森の手前で野営を行っていた。
あれから、バルベールの斥候とは一度も遭遇していない。
カイレンの軍勢は斥候を放ってはいるのだが、そのすべてをオルマシオール率いるウリボウ軍団に仕留められているからだ。
一良たちは昨夜のように焚火を囲み、缶詰の食事をとっている。
今日のメインはランチョンミートで、薄切りにしたものをフライパンで焦げ目がつくまで焼いたものだ。
クレイラッツ軍の軍団長たちも一緒に食べており、初めて食べるランチョンミートの美味さに舌鼓を打っていた。
「ううむ、このような新鮮な肉を行軍中に食べられるとは……」
高齢のクレイラッツ軍軍団長が、ターキーのランチョンミートを食べながら神妙な顔で唸る。
「しかも、何年も腐らずに保存できるとは、缶詰というものはすさまじいですな……」
「まったくだ。こんなものを授けられているのなら、アルカディアはどんな飢饉に見舞われても、食料の心配は不要だな」
もう1人の中年の軍団長も、肉を頬張りながら唸る。
その様子に、ミクレムは得意満面といった顔になった。
「そうだろう、そうだろう。グレイシオール様が提供してくださった食べ物だ。どうだ、貴君らも、我らアルカディアの神々への信仰に改宗してみてはどうだ?」
「こら、ミクレム。そんな大切なことを簡単に言うんじゃない。失礼だろうが」
軽く言うミクレムをサッコルトが諫める。
そんな彼に、ミクレムは不満顔になった。
「そうは言うが、我らの神はこうして救いに現れてくださっているのだぞ。クレイラッツの神々は、いまだに現れていないではないか」
「そういう問題じゃない! 信仰とは見返りを求めてするものじゃないといっているんだ!」
「いや、それは違うだろう? 日頃から皆が神に祈っているのは救いを求めてのことであって、助けてくれた神を信じるのが普通だろうが」
「おまっ、口を慎めバカ者が! 他国の神の侮辱になるだろうが! だいたいお前は――」
「かーっ! これはマジで美味いな!」
そんな2人の傍らで、ルグロがランチョンミートを頬張って声を上げた。
程よく塩気の利いたランチョンミートは、外側はカリカリ、中はふわふわの完璧な焼き加減だ。
焚火の前では、マリーとエイラがせっせと肉を焼き続けている。
バレッタは、ティティスとフィレクシアに食事を届けに行っており、この場にはいない。
「前にグレゴルン領に向かった時に貰った肉より、断然美味いな! 脂っこくないし香りはいいし、最高だな!」
「確かに……」
一良もランチョンミートを食べながら、その味に唸る。
一良が持ってきたランチョンミートは複数種類あり、ビーフ、チキン、ポーク、ターキーの4種類で、複数メーカーのものを大量購入してきていた。
カズラとルグロが食べているものはその中でも最安値であり、1缶340グラム入りで税別198円だ。
低価格品とは思えないほどの上品な風味と味付けに、一良はとても驚いていた。
「この缶詰、前にルグロに渡したやつの3分の1くらいの値段なんだけどな」、と内心首を傾げる。
人それぞれ好みはあるだろうが、この値段でこの味は本当に驚きだ。
「ミッチーとサッチーは、どっちの肉が好みだ?」
やいのやいの言い争っているミクレムたちに、ルグロが話を振る。
「だから、実際に救ってくれた神を崇拝しないほうがどうかしてるだろうと――」
「おーい、ミッチー?」
「あ、はい。何か?」
「肉だよ、肉。4つ種類があるけど、どれが好みだ?」
「私はポークが口に合いますな。たっぷりと脂が乗っていて、じつに美味いです」
「マジか。それ、かなり脂っこいけどなぁ。サッチーはどうだ?」
「ビーフが美味いかと。これぞ肉という感じで、実に食べ応えがあります」
「まあ。お2人とも、お若いのですね。私は、その2つはちょっと脂こくって……」
ジルコニアがパスタの缶詰(イギリス産)を食べながら、ミクレムとサッコルトに言う。
「お母様……それ、本当に美味しいんですか?」
リーゼが「うげ」といった顔で、美味しそうにパスタを頬張るジルコニアを見る。
リーゼは一良たちと同じで、フォークでチキンランチョンミートを食べている。
「すごく美味しいわよ? 柔らかくって、甘くって、最高じゃない」
「柔らかいって、そこまで柔らかいと歯応えがほとんどないじゃないですか……味もちょっと、何か変というか」
「その柔らかさがいいんじゃない。味だって、ちょうどいいと思うけど?」
「う、うーん……」
「――ふむ、そうか。まあ、プロティア王家も焦っているのだろうよ」
皆が話している傍らで、ナルソンは無線機を手にアイザックと話していた。
プロティア軍と合流したアイザックは、王家の者たち総出で大歓迎を受けたとのことだった。
王城に招かれて大宴会を催され、使者としては異例の好待遇でもてなされていたらしい。
先ほどようやく宴が終わり、こうしてナルソンに連絡してきたのだった。
「連絡ご苦労。今夜はゆっくり休んで、明日の朝にエルタイルに向かってくれ。通信終わり」
ナルソンが無線機を切り、やれやれといった様子で腰に戻す。
「プロティアは同盟国側で参戦確定です。大急ぎでムディアに軍を進めているとのことで」
ナルソンが言うと、ポークとビーフのどちらが美味いかで言い争いを始めていたミクレムとサッコルトが呆れた顔になった。
先ほどの信仰うんぬんの話は、肉の好みの話に変わってしまったようだ。
クレイラッツ軍の軍団長たちはハナから気にしていないのか、美味い美味いと肉を食べ続けている。
「完全に形勢が傾いたと見ての参戦か。まったく、日和見ここに極まれりだな」
「まったくだ。バルベールを降伏させた後に、少しでも旨味を得ようという腹積もりだろう。エルタイルも、きっと同じことになるんじゃないか?」
戦争再開の初めから同盟国の責務を果たしていれば、アルカディアとクレイラッツはもっと被害を押さえることができたはずだ。
それを今さら焦って少しでもおこぼれに与ろうとして慌てて参戦してきたのだから、腹を立てるなというほうが無理な話である。
「まあ、いいんじゃないですか? 講和交渉が有利になりますし、クレイラッツもこれで隣国を警戒しなくて済みますし」
一良が2人をなだめる。
「プロティアとエルタイルには、あまりきつく当たらないで恩を売っておきましょう。仲良くしておいて損はないですって」
「うむ。いがみ合ってもいいことはありませんからな。過去のことは水に流して、穏便にやっていくべきかと」
同意するナルソンに、ルグロもうんうんと頷いている。
「カズラさん」
そうしていると、バレッタが小走りで戻ってきた。
「フィレクシアさんが熱を出してしまっていて……呼吸音が変ですし、薬をあげたほうがいいと思うんですけど」
「む、それは大変ですね。漢方薬を何か――」
「カズラ、それならリポDをあげてみたら?」
リーゼがフォークを置き、簡易テーブルに置いてあったリポDを手に取った。
「あの人、体が弱いみたいだし、何かあったら困るでしょ? せっかくだから、あっちに返す前に超健康になってもらって、神様の力を体感してもらったら?」
「ああ、そうだな。そうしようか」
一良が頷くと、リーゼはリポDを「はい」、とバレッタに差し出した。
バレッタはそれを受け取り、フィレクシアたちの馬車へと駆け戻って行く。
肉体の強化には継続して約2週間は日本の食料を摂取し続けないといけないので、やたらと体の調子が良くなったと体感するに留まるはずだ。
病気で寝込まれてカイレンの心証を悪くしてもいいことはないので、元気になってもらわなければならない。
「皆様、明日より進軍速度を速めます。バルベール軍の半包囲を完成させ、カイレン将軍に交渉の席に立たせなければなりません」
ナルソンが皆に語りかける。
「プロティアがムディアに到着すれば、万が一にもムディアが奪還されることはないでしょう。いよいよ、この戦争も大詰めです」
「一時はどうなることかと思いましたが、友を信じ、自由と権利のために剣を取れたことを誇りに思います」
「戦いが勝利に終われば、我が国とアルカディアは今まで以上の盟友となることでしょう。この友情は、両国が存続する限り語り継がれるはずです」
クレイラッツ軍の軍団長たちが、しみじみと言う。
「ようやく、か。長かったわね」
ジルコニアが穏やかな表情でつぶやく。
「こんな戦いは早く終わらせて、また穏やかな日々を取り戻しましょう。そのためにも、交渉は絶対に成功させないと」
「……ああ、そうだな。お前には苦労をかけた。本当に感謝しているよ」
改まって言うナルソンに、ジルコニアが微笑む。
「私こそ、感謝してるわ。今まで、本当にありがとう」
ジルコニアはそう言うと、さてと、と立ち上がった。
「先に休ませてもらうわね。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
去って行くジルコニアの背を見つめるナルソン。
そんな彼の姿に、一良は以前彼に言われた「ジルをよろしくお願いします」という言葉を思い返していた。