32話:神様か罪人か
「バレッタさん、一つ教えて欲しいのですが」
一良たちがグリセア村に向けて歩き始めてから、15分程経った頃。
何やら考え込んだ様子のまま先頭を歩いていたアイザックは、足を止めると振り返り、バレッタに声を掛けた。
「グリセア村の人たちは……この男がグレイシオール様だと思っているのですか?」
そう言いながら一良の顔を横目に見るアイザックの表情は、真剣そのものである。
この男、と言う時に、微かではあるが話し方に戸惑いが感じられたが、「神の世界から来た」という一良の言葉を僅かながらも気にしているのかもしれない。
「もちろんです。このお方は、グレイシオール様に違いありません」
「そう思う根拠は?」
「それは……」
アイザックの問いを受け、バレッタはちらりと一良の方を見た。
「(言ってもいいか……ってことか。この状況じゃ、ある程度正直に言うしかないよな……)」
一良はバレッタの視線の意味を読み取ると、小さく頷き返した。
バレッタは一良が頷いたのを確認すると、一呼吸置いてから再び口を開いた。
「村に伝わるグレイシオール様の言い伝えと、全く同じことが起こったからです。今から一ヶ月程前、食料不足で村が全滅しかかっていた時、このお方は沢山の食料を持って突如村の林の奥より現れ、みんなを救ってくださいました」
バレッタの台詞に、最後尾にいる二人の兵士が息を呑む雰囲気が伝わってきた。
そんな二人の兵士とは対照的に、アイザックは表情一つ変わらない。
「言い伝えと全く同じこと、と言うからには、服装や食べ物の効能なども言い伝えと同じだったというのですか?」
「……そうです。今まで見たことの無い生地で作られた衣服を纏い、食べ物も少し食べただけで力が沸いてくる不思議なものでした」
「その食べ物と衣服は、村のどこに置いてあるのですか?」
「それは……」
矢継ぎ早に質問するアイザックに、バレッタは何処まで話すべきかを考えながら言葉を発しているように見えた。
恐らく、数時間前に一良が日本から持ち帰った荷物の中身を予想しながら話しているのだろう。
屋敷に置いてあった大量の本は、簡単にとはいえ隠蔽工作はしてあるので露見しない可能性があるが、一良の部屋にはボストンバッグとキャリーケースが置きっぱなしである。
日本から戻ってきた後、バッグとキャリーケースは一度も開けていないので、バレッタは中身を知らないのだ。
……かくいう一良も、キャリーケースの中身をまだ一度も見てはいないため、何が入っているのかは知らないのだが。
「村長さんの屋敷の一室ですよ。そこに神の世界から持ってきた物が置いてあります」
「その部屋にあるものが、お前が持ってきた物の全てなのか?」
横から口を挟んだ一良に、アイザックは再度質問を投げかけた。
何が何処にあるのかを事前に知っておき、部下に回収を命じるつもりなのだろうか。
「……いえ、ほかの村の家々にも、私の持ってきた食べ物がいくらかあるはずです」
村で生活を始めてから、村人たちに食べ物を渡したことは数回あるが、それぞれの家にはまだ備蓄があるはずだ。
赤ん坊のいる家庭には粉ミルクも残っているだろうし、米や缶詰もそこそこ残っているはずである。
「……そうか」
アイザックはそう呟くと、一良の後ろに立っている兵士に目を向けた。
「この男の縄を解け」
「はっ!」
アイザックに命令された兵士は短く返事をすると、持っていた短槍を隣の兵士に預け、後ろ手に縛られている一良の縄を解き始めた。
アイザックはグレイシオールの言い伝えを知っている様子だったので、バレッタと一良から話を聞いた結果、このままの状態で村に戻るのはまずいと考えたのだろう。
「一旦縄は外しておくが、逃げようなどとは考えないでくれ。下手な真似をすると余計罪が重くなってしまうからな」
「罪……えっと、私は何の罪で捕らえられているんですか?」
「お前の罪状は……ルート」
罪という単語に一良が反応して問いかけると、アイザックは答えを述べようとした口を一旦閉じ、バレッタの後ろに立っている兵士に声を掛けた。
「はい」
「この男の罪状を言ってみろ」
そう命じられた、まだ歳若い兵士――ルートという名前らしい――は、アイザックの命令に姿勢を正しすと口を開いた。
「偽証罪と不法入国罪です。ただし……彼の名がイステリアにあるグリセア村の住民録に記載されていれば、後者は当てはまりません。また、彼がグリセア村以外の国内の村落出身だった場合は、特別な場合を除いて許可なき転居は認めてられていないため、違法転居による罰金刑もしくは強制労働刑が科されます」
すらすらと答えるルートの台詞を聞き、縄の解かれた腕を撫でながら、カズラは、ほぅ、と息を漏らした。
どうやらこの世界では、カズラが思っていた以上に法律がしっかりと整備されているようだ。
それを知る機会が、まさか自らの逮捕という形になるとは思ってもみなかったが。
アイザックはルートの説明を聞くと、うむ、と頷き、一良に向き直った。
「というわけだ。村の人たちがお前をグレイシオール様だと信じているということで一時的に縄は外したが、無罪放免になったわけではない。取調べが済むまではこちらの指示に従ってもらおう」
「それは、このお方をイステリアまで連行して尋問するということですか?」
不安そうな表情でそう言うバレッタに、アイザックは、そうですね、と頷いて見せた。
「今の状況では、そうせざるを得ませんね」
「ですが……」
「バレッタさん、大丈夫ですよ」
なおも食い下がろうとするバレッタを諌めるように、一良は声を掛けた。
ここまで、アイザックは一良たちに対して丁寧な対応を取ってはいるが、彼は貴族なのである。
彼の丁寧な対応を受け、忘れてしまいそうになるが、一介の農民が貴族に対して口答えをすることは、この世界ではあり得ないのではないだろうか。
今後のことも考え、一良はともかく、バレッタや村の住民は、アイザックたちに対して極力悪印象を与えないようにしていたほうがいいだろう。
「どうやらアイザックさんは、昔に私が会った領主とは違うようです。彼の言うとおり、イステリアとやらに行って話をしてみてもいいでしょう」
「でも……」
「アイザックさん、私が言い伝えどおりのグレイシオールだと証明できた場合、私は無罪ということでいいんですかね?」
「……そうだな」
物怖じせずに質問する一良に、アイザックは搾り出すようにそう答えた。
一良の質問は、神を罰することが出来るのか、という質問に等しいのだ。
神に対する信仰が盛んなこの国の人間なら、そう答えざるを得ないだろう。
「お前が本当にグレイシオール様だというのなら、罪など問えるはずもない。ただし、もしお前が嘘を吐いていたとしたら……」
「……吐いていたとしたら?」
もったいぶってそう言うアイザックに一良が問いかけると、アイザックはにやりとした表情で口を開いた。
「舌引き抜きの刑だろうな。嘘を吐いていたと判明した場合、裁判官はお前が神を名乗って民を扇動したと判断するだろう。極刑と同等の刑しかあり得ないさ」
「なるほど、嘘を吐く様な舌は引き抜くということですか。それは恐ろしいですねぇ」
「……」
ふむふむ、と興味深そうに聞いている一良に、アイザックは毒気を抜かれたような表情をしたが、一つ息を吐くと再び表情を引き締めた。
「……ともかく、村に戻って屋敷の部屋を確認してからだ。神の国から持ってきたという荷物を見れば、ある程度の判断はつくだろう」
アイザックはそう言うと、再び村に向けて歩き出した。
アイザックを先頭に村に向けて歩くこと約10分。
ようやく村の入り口にまで到着すると、入り口で見張りをしていたらしい2人の兵士の内、1人がアイザックの元へ駆け寄ってきた。
兵士は青銅で補強された厚手の皮鎧と兜を装備しており、背中には円盾、手には短槍が握られているという重装備である。
「首尾はどうなっている?」
駆け寄ってきた兵士にアイザックが声を掛けると、兵士は姿勢を正して報告を始めた。
「住民は全て各々の家の中に入らせました。村長の屋敷も制圧し、現在は副長が屋敷にて指揮を執っています」
「よし。怪我人は出ていないか?」
「はい、部隊の兵士、村人共に怪我人は誰一人出ておりません。副長が手荒な真似は絶対にするなと厳命しておりましたので」
その報告を受け、アイザックは満足そうに頷いた。
どうやら、一良たちが村を留守にしている間に、アイザックの部隊によって村は制圧されていたようである。
一良としても、今のこの状態を村人達に見られた時のことを心配していたので、村人達が家の中に押し込まれているのは好都合だ。
村人達が個々に分散して家に押し込められているのであれば、一良を救うために集団で蜂起する、といった可能性も低くなるだろう。
後々のために、村人達を集めて一良の口から説明をするなどといったフォローは必要かもしれないが。
「そうか、ご苦労だった。見張りに戻れ」
「はっ!」
アイザックは兵士を見張りに戻らせると、一良たちを振り返った。
「では、これから村長の屋敷に向かうが、くれぐれも騒がずに付いてきてくれ。村人達は全員家の中に入ってはいるが、耳をそばだてているかもしれないからな」
二人が頷くのを確認すると、アイザックは屋敷に向かって歩き出した。
「あ、隊長!」
「カズラさん! ご無事でしたか!」
屋敷に到着すると、入り口で何やら話し込んでいた副長と村長のバリンが声を上げた。
屋敷にいる兵士は副長だけではなく、屋敷の周りを数名の兵士が巡回している。
「……カズラ?」
バリンの台詞を聞いて振り向くアイザックに、一良は
「村での私の呼び名ですよ」
と説明する。
「村の人々には、私はカズラという名前の旅の商人であると言ってあります。……まぁ、皆さん私の正体にはとっくに気付いていたようですけどね」
「なっ……!」
予想だにしていなかった一良の言葉に、バリンは息を呑んだ。
今まで一良にはばれていないと思い込んでいた事が、実は一良はとっくに承知していたと言われたのだから無理もない。
そんな様子で顔面蒼白になっているバリンに、一良は、大丈夫ですよ、と微笑んだ。
「正体がばれたくらいで、私は村を見捨てたりはしません。安心してください」
「なんと……グレイシオール様……」
「……なんだって?」
一良とバリンの会話を聞きながら、全く状況が掴めていない副長は、バリンの漏らした言葉に怪訝な表情を浮かべた。
アイザックはそんな副長に説明をしようかと口を開きかけたが、周囲の様子を窺うと副長の傍に歩み寄った。
「隊長、一体どういう……」
「説明は後でする。とりあえず屋敷の中に入れ。……お前ら二人はここを見張れ。誰が来ても絶対に中には入れるな」
理由がわからない、といった様子でアイザックに説明を求めた副長だったが、アイザックにそう言われると、素直に応じて屋敷に入った。
見張りを命じられたルートともう一人の兵士は、アイザックの指示に従って屋敷の入り口の両脇で見張りに着く。
「どの部屋だ?」
「そちらの居間の奥にある部屋です」
アイザックは屋敷に入ると、一良の指し示した部屋に向かった。
部屋に向かって歩きながら、一良の隣ではバレッタが何やら思いつめたような表情をしているが、一良もかなり緊張している。
日本から持ってきた色々な道具を見せれば、アイザックも一良を『神の世界から来た者』……グレイシオールだと認めざるを得ないだろう。
だが、問題はその後なのだ。
一良がイステリアに連行されるのは、まず間違いないと言っていい。
一良のことをグレイシオールだとアイザックが認めたからといって、はいそうですかと一良の身が自由になることはありえない。
たとえアイザックは一良に手を出さなかったとしても、アイザックの報告を受けて一良の存在を知った者達が、何とか一良を利用できないかと、様々な手段を用いて取り入ろうとしてくるに違いないのだ。
隙を突いて日本に逃げ帰ってしまえば一良の身は自由になるが、それをしてしまうとグリセア村の人々が、後々どういった扱いを受けるのか分かったものではない。
何とか穏便に済ませることは出来ないものかと一良は必死に考えていたが、アイザックが部屋の戸に手を掛けると、一旦考えていたことを頭の奥に仕舞いこんだ。
まずは彼らに、一良がグレイシオールであるということを認めさせる。
何をするにしても、話はそれからなのだ。
「……これか」
部屋の戸を開けたアイザックは、部屋の真ん中に置かれているボストンバッグとキャリーケースに近寄るとしゃがみ込み、それらを撫でて小さく唸った。
アイザックの触れているキャリーケースは樹脂製の物であるのだが、もちろんそんなものに触れたことなど一度もない。
ボストンバッグもポリエステル製で、こちらも初めて見るものだ。
ちなみに、バッグとキャリーケースの脇に一良の着てきた衣服が畳んで置いてあるのだが、とりあえずそちらは後回しにするつもりらしい。
「これは、皮で出来ているのか?」
「いえ、石油から出来ていますね」
「セキユ? ……何だそれは?」
石油という単語を聞いたこともないといったアイザックの反応に、一良はバレッタに目を向けると、バレッタは小さく首を振った。
どうやら、この世界では石油と言う単語は通用しないらしい。
油という単語なら通用するかもと一良は考えたが、説明が面倒くさいことになりそうなので言うのは止めておくことにする。
「神の世界にある燃える水のことです。それを加工するとそれらが作れるんですよ」
かなり適当な説明だが、大筋で嘘は吐いていない。
アイザックは神妙な表情で
「これが水なのか」
と呟くと、何度かボストンバッグを撫でた後、一良に顔を向けた。
「この中身を確認したいのだが」
「……わかりました」
アイザックの言葉に、一良はボストンバッグに近寄って膝をつくと、ジッパーを開いた。
ボストンバッグの中には、アロマオイルやリポDなど、一良が日本で購入してきた品物が多数入っている。
一良はバッグに手を入れると、中からペンライトを取り出した。
「それは?」
一良の取り出したペンライトを興味深そうに見つめるアイザックに、一良は
「まぁ、見ていてください」
と言うと、ペンライトを壁に向け、側面に付いているスイッチを押し込んだ。
「なっ!?」
スイッチを入れると同時に強烈な光を放って壁を照らすペンライトに、アイザックは息を呑んだ。
一良の背後では、副官もアイザックと同様に驚愕の表情を浮かべている。
一良はアイザックたちの反応に手応えを感じると、
「これは、筒の中に光の精霊の力を込めた照明道具です。これの他にも……」
と、アイザックたちが驚いて言葉を発することが出来ないのをいいことに、適当な説明を付け加えながら、続けて何を見せてやろうかと、バッグの中に手を入れるのだった。