311話:ジルコニア「びっくりした」
その日の夜。
北の防壁上で、ナルソンと一良は2人並んで双眼鏡を覗いていた。
隣にはイクシオスが控えており、無線機を手にしている。
「……うむ、そうか。了解した。通信終わり」
イクシオスがナルソンに目を向ける。
「バルベール軍の後方が動き出したようです。二手に分かれているようで、進路は北と東です」
「そうか、それは好都合だな。北に向かった敵は蛮族に相手をしてもらうとしよう」
ナルソンが双眼鏡を覗いたまま答える。
すると、防壁の階段を1人の兵士が駆け上がって来た。
「ナルソン様。カイレン将軍からの使者が到着しました」
兵士が差し出した書状をナルソンが受け取り、開く。
内容は、「約束通り全軍を撤退させるから手出しはするな」、ということと、「くれぐれもティティスとフィレクシアは丁重に扱ってほしい」、というものだ。
ナルソンは兵士を下がらせ、一良に顔を向けた。
「すべて予定通りです。彼らが全員この場所を去った後、丸1日時間を置いてから彼らの後を追います」
「ムディアのクレイラッツ軍と挟み撃ちってことですね」
「正確には、我が軍はムディアの北側に向けて進軍を行う予定です。挟み撃ちというよりは、バルベール軍の北と東を押さえるかたちになります」
「敵の退路を断った後は? 一気に攻撃を仕掛けますか?」
「いいえ。敵は補給を絶たれておりますので、ギリギリまで干上がらせます。だらだらと交渉して可能な限り弱らせて、じわじわとなぶり殺しにするのがいいかと」
「なるほど。ティティスさんとフィレクシアさんは連れて行くんですか?」
「はい。彼女らがいれば、カイレンは攻撃を躊躇するでしょうから。2人いるというのも好都合ですな」
冷たい声色でナルソンが言う。
「……逆らえば、とりあえずどちらかを殺すぞ、と脅すんですか?」
「そうです。さて、カイレン将軍がどう動くか見ものですな」
「もしカイレン将軍が、交渉を拒否したり総攻撃をかけようとしてきたら、本当に彼女たちを殺すんですか?」
「殺しますが、まず先にフィレクシアを殺そうかと。カイレン将軍はティティス秘書官に執着しているそうなので、フィレクシアを殺して見せれば動揺すると思いますので」
生々しいことを言うナルソンに、一良が唸る。
そんな一良を、ナルソンは横目で見た。
「賛成できませんか?」
「……ええ。甘い考えなのは分かってはいるんですけど、殺す前に……痛めつける様子を見せつけるとか、それくらいで何とかできませんか?」
「それは、彼女らが可哀相だから、という理由でしょうか?」
「それもありますが、この先のことを考えると悪手に思えてしまって」
「というと?」
「例えば、フィレクシアさんを殺した後に、万が一カイレン将軍が首都に逃げ延びた場合です。アルカディア憎しでカイレン将軍が蛮族に対して何らかの条件付きで降伏、もしくは講和するかもしれません。そうなると、こちらは2つの巨大な勢力を相手に戦い続けないといけなくなるかもしれないです」
一良はジルコニアから、フィレクシアがカイレンとかなり親密そうだという話を聞いていた。
自らカイレンのためにと独断で砦にやって来たティティスにくっ付いて来たことからも、それは確実だろう。
カイレンの動きを抑制するために見せしめとしてフィレクシアを殺害した場合、その場ではカイレンはこちらの指示に従うかもしれないが、おそらく自分たちに対してすさまじい憎悪を持つことになる。
蛮族の動きと戦力が未知数である以上、国の最高司令官であるカイレンに必要以上の憎悪を持たせるのは危険なのではと考えていた。
次の戦いで彼らを完全に撃滅して、カイレンの殺害も達成できれば問題はないのだが。
もちろん、言葉を交わした彼女たちが無惨に殺される姿を見たくないという、個人的な感情もあった。
「ふむ。その可能性もありますな」
ナルソンが少し感心した様子で頷く。
「大幅な領土の割譲と食料提供を条件に講和を申し出れば、蛮族としても旨味しかありませんからな。その可能性は大いにありそうです」
「でしょう? 元老院はズタボロなはずですし、カイレン将軍の市民からの人気もあって、今は彼の独裁状態だと思うんです。彼女たちの扱いは、慎重にしたほうがいいかなって」
「上手く使えば、今カズラ殿が仰った状況と逆の状況を、我々が手に入れる可能性もあるわけですね」
「はい……すみません。素人のくせに分かったような口を利いて」
「いやいや、大変参考になりました。彼女たちをどのように扱うか、慎重に検討してみましょう」
一良とナルソンが話していると、バレッタが駆け上がって来た。
「ナルソン様」
「バレッタか。どうした?」
「蛮族からグレゴルン領に、新たな書状が届きました。これが全文です」
バレッタがメモ紙をナルソンに手渡し、ナルソンが目を通す。
一良も横から覗き込んだ。
「まだ1日も経ってないのに、また書状ですか。何て書いてあるんです?」
「少々お待ちを……ほう」
ナルソンが感心した様子で、一良とイクシオスを見る。
「港湾都市ドロマをバルベール海軍が襲撃しているとのことです。戦闘結果は不明です」
「グレゴルン領の海域から姿を消した海軍によるものですな。今書状が届いたということは、数日のズレはあるでしょう」
イクシオスがナルソンからメモ紙を受け取り、目を落とす。
「この情報は信頼できると思います。敵の艦隊はしばらく戻ってこないでしょうし、こちらからも最寄りの港湾都市を襲撃してみては?」
「ああ。陸と海から総攻撃をかけさせよう」
「それがよろしいかと。不穏な動きが見られたら、即時撤退するよう厳命すべきですが」
「そうだな」
ナルソンが無線機を手に取り、宿舎の屋上にいる連絡係と話し始める。
「それじゃあ、俺はそろそろ戻りますね。バレッタさん、行きましょうか」
「はい」
そうして、一良はバレッタとともに階段へと向かうのだった。
「バルベール軍はどうにかなりそうですね」
コツコツと石造りの階段を下りながら、一良がバレッタに笑顔を向ける。
「ムディアに向かうバルベール軍は袋のネズミになりますし、海軍は蛮族が相手をしてくれる。順調にいけば、遠からず戦争が終わるかも」
「それはまだちょっと気が早いですよ。北西の部族が敗れてドロマが再占領されたら、彼らの動きは鈍ってしまうでしょうし」
「それはそうですけど、アイザックさんが今プロティアとエルタイルに向かってるじゃないですか。2カ国がこっち側に付けば、大勢は決まりかなって」
「うーん……部族の人たちが手のひらを反すこともありえますし、楽観するのは危険ですよ。カイレン将軍と部族が手を組む可能性だってあるんですから」
バレッタはそう言うと、一良の表情を窺うように目を向けた。
「カズラさん、まだ先の話になりますけど……戦争が終わった後に、ナルソン様やルグロ殿下に、街に残るようにとか、王都で暮らすようにってお願いされたらどうしますか?」
「うーん……それはバレッタさん次第ですかね」
「え?」
きょとんとした顔をするバレッタに、一良が苦笑を向ける。
「バレッタさんが王都とかイステリアで暮らしたいって言うなら、俺もそうしますよ。村に帰るなら、一緒に帰りますから」
「カズラさん……」
「そういえば、ルグロに講師をしてくれって頼まれた件、断ったんですか?」
「あっ……まだ断ってなかったです」
「そっか。いっそのこと引き受けちゃって、王都で出世街道に乗るってのもありなんじゃ? グリセア村から王家付き講師の爆誕――」
「い、いえ! 絶対に断りますから! 出世なんて、これっぽっちも興味ないですよ!」
「あはは、冗談ですって。でも、一度王都には遊びに行きたいですね。ルグロに美味しいフルーツタルトのお店を紹介してもらうって約束がありますし」
そう言って階段を下りきった時、階段の陰からぴょん、とリーゼが飛び出した。
「そうだね! 戦争が終わったら、フライシアだけじゃなくて王都にも旅行に行こっか!」
「「わあっ!?」」
驚いて仰け反る2人に、リーゼが「にしし」といたずらっぽい笑みを向ける。
「驚いた?」
「お、驚くに決まってるだろ!」
「び、びっくりしました……」
「あはは、ごめんごめん。で……さ」
リーゼが一良とバレッタに、少し寂しそうな目を向ける。
「戦争が終わったらさ。2人とも、どうするの?」
「「……」」
リーゼの縋るような問いかけに、一良とバレッタが口ごもる。
「……私は、カズラとバレッタと、これからもずっと一緒にいたいな」
そして、リーゼは表情を変えてにこっと微笑んだ。
「カズラがこっちでずっと暮らせるように、お米とか野菜を育てる農場をどうにかして作ってさ。グリセア村までの道もきちんと舗装して、いつでも簡単に行き来できるようにするの。それなら、カズラも少しは安心できるでしょ?」
「それはまあ……そうだけど」
「でしょ? カズラが安心して暮らせるように、私、頑張るからさ。日本に帰っちゃうなんて、言わないでね?」
「……それなんだけど、俺はグリセア村で暮らすつもりなんだ。イステリアに、ずっといるつもりはない」
言い切る一良を、バレッタが驚いた顔で見る。
リーゼは表情を変えず、うん、と頷いた。
「それでもいい。カズラがこっちの世界にいてくれるなら」
リーゼはそう言うと、一良の手を握った。
「宿舎に戻ろ? もう夕食ができたみたいだよ」
そう言って、一良の手を引き歩き出す。
一良とバレッタは顔を見合わせ、リーゼに連れられて宿舎へと向かったのだった。
翌日の昼。
昼食を終えた一良は、北の防壁でオルマシオールとバルベール軍を眺めていた。
バルベール軍は続々と移動しているようで、大量の荷馬車が東に向かって行く様子が遠目に見える。
一良はオルマシオールの顎の下を、もふもふと撫でている。
『すべて順調か』
ぞろぞろと移動する軍勢を眺めながら、オルマシオールが言う。
『伝令はすべて仕留めているが、もうしばらくすれば連中も異変に気付くのではないか?』
「ですね。もしかしたら、伝令の数を増やして首都に送り出すかもしれません。それも仕留められますか?」
『数による。だが、我らが姿を見せればラタは怯えて使い物にならなくなる。徒歩にさせてしまえば、伝令としてはほぼ無力化したと考えてもよかろう?』
「あ、なるほど。バルベール軍が壊滅するまで時間を稼げればそれでいいんですし、問題ないですね」
『大軍で来られると、さすがに足止めは厳しいがな。おい、もっと強く撫でてくれ。それだとくすぐったいだけだ』
オルマシオールが顎を少し前に伸ばしながら、横目で一良を見る。
「ええと、これくらいですか?」
『いや、もう少し強くだ。爪を立てるくらいのつもりで……ああ、いい。実にいい。そのまま、そのまま』
「は、はあ」
「カズラ様!」
気持ちよさそうに目を細めるオルマシオールを一良が撫で続けていると、防壁の下からエイラが声をかけてきた。
「エイラさん、どうかしました?」
「ティタニア様から無線連絡がありました。カズラ様とお話がしたいとのことです。今、ジルコニア様がお話しています」
「分かりました。すぐ行きますね」
『連れて行ってやる。乗れ。私の毛をしっかりと掴んでいろ』
「あ、はい」
伏せの体勢になったオルマシオールの背に一良が跨ると、オルマシオールはぴょんと跳ねてエイラの前に着地した。
再び伏せの体勢になり、エイラを見る。
「ひゃあ!?」
『お前もカズラの後ろに乗れ』
「えっ」
「エイラさん、乗ってください」
「は、はい。ええと……」
侍女服姿で跨るとスカートが捲れて大変なことになってしまうので、エイラはイスに腰掛けるようなかたちで一良の後ろに乗った。
『しっかりカズラに抱き着いていろ』
言うが早いか、オルマシオールは風のような速さで宿舎へと向けて走り出した。
エイラが慌てて、一良の胸に両手を回してしがみつく。
「ひゃあああ!?」
「うわあ!? オルマシオールさん、速いですって! もっとゆっくり!」
『しっかり掴まっていれば問題ない』
悲鳴を上げる一良とエイラを背に乗せて、オルマシオールが砦内を駆け抜ける。
オルマシオールの背で大騒ぎしている2人の姿を、すれ違う人々は「楽しそうだなぁ」と微笑ましく見送っている。
あっという間に宿舎の前にたどり着き、オルマシオールは、にやりとした顔で一良たちを振り返った。
『3つ数えたら屋根まで跳ぶぞ。振り落とされるなよ?』
「は? ちょ、ちょっと待――」
「無理無理無理です! 落ちちゃいますよ!」
『なら、もっとしっかりカズラにしがみ付け。いち、にの、さん!』
「「わひゃあああ!?」」
一良とエイラの絶叫とともに、オルマシオールは宿舎前の2階建ての建物の屋根へと大きくジャンプした。
だんっ、と大きな音を響かせて屋根に着地し、すぐさま宿舎の屋上へ向けて再び跳ぶ。
絶叫を聞いて何事かと屋上から顔を覗かせたジルコニアの目の前に、突如としてオルマシオールの巨大な顔が現れた。
「はひゃあああ!?」
『うおお!?』
びくん、と身を硬直させて悲鳴を上げるジルコニア。
オルマシオールも突如として目の前に彼女の顔が現れたものだから、びっくりして目をひん剥いた。
彼女を飛び越えながらぶつからないようにととっさに足を折りたたんだ結果、『へぶっ!?』と間抜けな声を漏らして顔から屋上に着地してしまった。
「ひいぃ……何なのよ、もう……」
へたり込んだジルコニアが、半泣きで背後を振り返る。
ぴくぴくと痙攣するオルマシオールの背中では、ガクガクと震える一良に腰を抜かしたエイラが涎をたらしながらしがみついていた。