304話:おまけ付き
その頃、砦の北門では、一良、バレッタ、リーゼ、ジルコニア、エイラ、そしてターナとミュラがロズルーたちを待っていた。
他の皆は明日に備えて、それぞれ自室で休んでいる。
丘を駆けあがって来るロズルーと弟子の姿に、一良がほっと息をついた。
そわそわとロズルーの帰還を待っていたターナとミュラが、わっと駆け出して行く。
「ああ、よかった。他の皆も、元気そうですね」
一良が言うと、バレッタもほっとした様子で微笑んだ。
ロズルーたちの後ろから、彼の他の弟子たちも続々と戻って来る姿が見える。
皆がギリースーツ姿なので、モサモサした草のお化けが走っているような光景だ。
「毎日無線機で連絡を取り合っていても、顔が見れないとすごく心配になっちゃいますよね」
「ですね……前にバレッタさんにジルコニアさんの救出作戦に加わってもらった時も、正直生きた心地がしなかったですよ」
「えっ。そ、そうですか……えへへ」
そんなやり取りをする2人に、リーゼが口を尖らせる。
「むー。そんなに心配してもらえるなら、私も何か危険な任務に出ればよかったなぁ。次の偵察任務、私も志願しようかな?」
「こ、こら、物騒なこと言うな。俺を心労で殺す気か」
「おっ、心配してくれるの? バレッタの時みたいに?」
流し目を送るリーゼに、一良がため息をつく。
「当たり前だろ。勘弁してくれ」
「へえ……よっし! 次の偵察任務、私も志願しよ!」
したり顔で言うリーゼの両肩を、一良ががしっと掴む。
「冗談でも、そういうこと言うのはやめてくれ。頼むから」
「う、うん。ごめん」
真顔で言う一良に、リーゼがこくこくと頷く。
「わわっ!? 下ろして! 下ろして!」
すると、突然ミュラの叫び声が響いた。
何事かと、一良がそちらに目を向ける。
ロズルーに抱っこされたミュラが、彼の顔を両手で押しのけながらじたばたと暴れていた。
その傍では、ターナが「うっ」と呻きながら口元に手を当てて後ずさりしている。
「いててっ!? こ、こら! 何するんだ!?」
「お父さん臭い! 早く下ろしてってば!」
「は、鼻が曲がりそう……先にお風呂に入ってきて。けほっ、けほっ」
下ろされるやいなや、全力ダッシュで一良たちの下へと駆け戻って来るミュラ。
体当たりするような勢いで一良の足に抱き着き、ズボンに顔を擦り付けながら荒い息を吐いている。
ターナも悪臭にむせ返りながら、歩いてこちらに戻って来る。
ロズルーと弟子は、2人して泣きそうな顔になっていた。
「おっとと! ミュラちゃん、大丈夫?」
足に抱き着かれた一良はよろめきながらも、ミュラの頭を撫でた。
「うう、鼻に臭いがこびりついてる……カズラ様、抱っこしてください……」
「う、うん」
一良が抱き上げると、ミュラは彼の胸に顔を擦り付けて深呼吸した。
一良が首から下げているアロマペンダントの香りがお目当てのようだ。
「っ……はぁぁぁ。やっぱり、カズラ様はいい匂いです」
ミュラがほっとした顔で、一良に微笑む。
そんな彼女に、一良は苦笑を向けた。
「はは……お父さん、すぐにお風呂に入ってもらおうね。綺麗になったら、ぎゅってしてあげてね」
「はい。でも、あの臭い、お風呂に入っただけで落ちるんですか?」
ミュラが眉間に皺を寄せて、とぼとぼと丘を上がって来るロズルーを見る。
「いや、さすがに落ちると思うよ?」
「カズラ様、あれはかなりしっかり洗わないと、落ちないと思います……うぇ」
戻って来たターナが、今にも吐きそうといった顔で言う。
「すみません、私にもそれを嗅がせてください……」
「あ、はい。今外しますね」
「いえ、少し嗅げば大丈夫ですから」
ターナが一良の首元に顔を寄せ、深呼吸をする。
彼女の髪からふわりと漂ってきたいい香りに、一良はどぎまぎしてしまう。
「そ、そんなに臭いんですか?」
「いくらなんでも、大袈裟すぎるんじゃ……」
一良の首元でスーハースーハーしているミュラとターナを、リーゼとバレッタがいぶかしげに見る。
ミュラとターナが、2人をちらりと見た。
「「大袈裟じゃないです」」
「そ、そうですか」
「あっ、ロズルーさ……うっ!?」
丘を上がってきたロズルーたちにバレッタは駆け寄り、引き攣った表情で立ち止まった。
リーゼも彼らに歩み寄り、同じように「うっ!?」と声を漏らして固まる。
「お、お風呂の準備ができてますから! エイラさん、カズラさんの部屋から、詰め替え用のボディーソープを2袋持ってきてください!」
「か、かしこまりました!」
エイラが慌てて宿舎へと駆けて行く。
「おふたりとも、今日は最低10回は体を洗ってください。あと、ギリースーツの中に着ている服は焼却処分しますね」
「ねえ、カズラ。あのギリースーツ、もうダメだと思うよ。新しいの用意できない?」
一良の下に駆け戻ったリーゼが、彼の服の裾を引っ張る。
ターナとミュラはそそくさと、砦の中に戻って行ってしまった。
「予備が何着かあるけど……そんなに臭いのか?」
「控えめに言って、地獄みたいな臭いがする」
「どんな臭いだよ……」
「……ロズルーさん、俺もう泣いていいですか?」
「いいぞ。俺はもう泣いてるから」
ロズルーたちと弟子はしおしおと涙を流しながら、バレッタに先導されて砦の中へと入って行く。
彼らが傍を通った時に一良もその臭いを嗅いだのだが、思わず顔を引き攣らせて「おお……」と声を漏らしてしまった。
リーゼの表現は、間違っていない。
「あらあら……カズラさんまでそんな顔をしたら、彼らがかわいそうですよ? 皆、お疲れ様。お風呂の用意がしてあるから、入ってね」
傍にいたジルコニアが、後から戻って来たギリースーツ姿の若者たちを労う。
全員、風呂場に直行だ。
「す、すみません。ジルコニアさんは平気なんですか?」
「まあ、確かに臭かったですけど、前にカズラさんたちから流木虫の燻製を送り付けられた時に比べれば全然平気です。私、倉庫の中であの臭いにまみれて生活していましたからね。あの時は鼻がもげるかと思いました」
「ああ、そんなこともありましたね……あの時はすみませんでした。あれしか方法が思いつかなくて」
謝る一良に、ジルコニアが笑う。
「いえいえ、いいんですよ。今でも時々流木虫の燻製に圧し潰される夢を見ますけど、ちーっとも気にしていませんから」
「え? いや、あの……」
「でもまさか、私が一番嫌いな芋虫を送り付けてくるとは思わなかったです。あの作戦を考えたのって、カズラさんでしたよね?」
にこりと可愛らしく微笑むジルコニア。
これは冗談ついでに、何か「おねだり」をしているな、と一良は察した。
「……いやぁ、あの時は仕方がなかったとはいえ悪いことしました。今さらですけど、今度お詫びに本物の生チョコを買ってきてあげますから」
「やった! もっとたくさん生チョ……ん? それって、『生チョコ仕立て』とは違うんですか?」
ぱっと表情を輝かせたジルコニアだったが、「本物の」という語句に気付いて小首を傾げる。
「ちょっと違いますね。この間渡したやつは、名前のとおり『生チョコっぽく仕立てた』チョコレートなんです。本物の生チョコは、もっとまろやかで、とろけるような甘さで、もうたまりませんよ」
「あれより、もっと……」
一良の説明に味を想像してしまったのか、ジルコニアが口の端によだれを光らせる。
これは完全にチョコレート中毒だな、と一良が思っていると、傍で苦笑していたリーゼが何かに気付いて丘の先を見た。
「カズラ、オルマシオール様が帰って来たよ」
「おっ、戻ってき――」
「カズラさん、カズラさん! いつ? いつ食べさせてくれるんです? いつです?」
駆け戻って来るオルマシオールに目を向ける一良に、ジルコニアがしがみ付いて急かす。
「あ、後で持ってきてあげますから」
「後でっていつです!? ねえねえ!?」
「お、お母様! 落ち着いてください!」
一良にしがみつくジルコニアをリーゼが引き剥がそうとしていると、オルマシオールが戻って来た。
「オルマシオールさん、お疲れ様でした」
『うむ。何を揉め……ここも臭いな』
「え? あ、さっきまでロズルーさんたちがいましたからね」
オルマシオールと一良が話し始めるが、興奮状態にあるジルコニアは眠気を感じていないようだ。
リーゼは少しふらつきながらも、ジルコニアを羽交い絞めにして一良から引き剥がす。
「生チョコ、生チョコが食べたいの……」
「お母様、きっとそのうちカズラが持ってきてくれますから……ん?」
リーゼが半ば呆れながらそう言った時、丘の先から、激しい蹄の音が響いてきた。
「あれ? 今って、斥候って出てたっけ?」
リーゼが怪訝な顔で一良に聞く。
ジルコニアも正気に戻り、音の方へと目を向ける。
「いや、ロズルーさんたちも帰って来たし、夜間の偵察はウリボウたちに任せてあるはずなんだけど……」
『……ほう。まさか、送り出してくるとはな』
闇に目を凝らす一良の隣で、オルマシオールが意外そうに言う。
「え? オルマシオールさん、見えるんですか?」
『ティティスといったか。そいつが来るぞ』
「「えっ!?」」
一良とリーゼの声が重なる。
そしてすぐ、闇の中からラタに跨った軍服姿のティティスが現れた。
その後ろに、フィレクシアというおまけを乗せて。