302話:以心伝心
数分後。
宿舎の会議室には、急遽集められた首脳陣が勢ぞろいしていた。
クレイラッツ軍の2人の指揮官もおり、ルグロも寝間着姿のまま席に着いている。
テーブルにはノートパソコンとプロジェクタが置かれており、スキャナで取り込んだ書簡が巻き上げ式スクリーンに投影されていた。
そのすぐ脇では、オルマシオールがしゅんとした様子で「伏せ」をしている。
カイレンの伝令をウリボウが殺害してしまったことを気にしているようだ。
「ふうむ。『元老院による毒の兵器の使用を阻止するため、貴軍に協力してもらいたい』か。はてさて、何を企んでいるやら」
ナルソンがスクリーンを見つめ、顎を撫でる。
クレイラッツ軍の2人の指揮官は、初めて見るパソコンやプロジェクタに完全に思考停止している様子だ。
「カイレンさんは、本当に毒ガスの使用を阻止したいんじゃないですか?」
「私もそう思います。そうでなければ、わざわざこんな書簡を送って来た意味がありません」
一良とバレッタが意見を言うと、イクシオスが「ふむ」と腕組みした。
「カイレン将軍とは、前回の毒ガス不使用の協議の件もありますからな……しかし、罠という可能性も捨てきれません。奴らが毒ガスを使った後、こちらが反撃で使用するのを躊躇させようと書簡を寄こしたのかもしれませんぞ」
「うーん……そんな回りくどいことしますかね?」
イクシオスの意見に、一良が首を傾げる。
そういえば前回毒ガス兵器についてあれこれ会議した時も、イクシオスが中心だったなと頭の隅で考えた。
「そういった可能性もある、ということです。何も言わずにいきなり使うよりは、少しでも相手を混乱させてやれという腹積もりかもしれません」
「私もイクシオス将軍の意見に同意です。休戦協定を破って攻め込んでくるような連中ですから、どんな卑怯な手でも使ってくるかと」
「ああ。奴らの話を鵜呑みにするのは危険だ。毒ガスを使われたら、こちらも問答無用で使い返してやればいいのでは?」
ミクレムとサッコルトが、イクシオスに続く。
彼らは毒ガス弾を使用した戦闘の様子を動画で見ており、兵器の説明も受けているので威力は把握している。
だが、こちらにはバレッタが大量生産したために備蓄がかなりあり、乱打戦になったとしても打ち負かせるだろうと2人は考えていた。
「いや、それだとこっちの兵士にも被害が出るじゃないですか。カイレン将軍の案に乗って相手の使用を止められるなら、それに越したことはないと思うんです」
「あ、いや、カズラ様のご意見を否定しているわけでは!」
「あくまでも仮定の話ですので!」
ミクレムとサッコルトが慌てた顔になる。
相変わらず、一良の機嫌を損ねることを極端に恐れている様子だ。
「えっ? あ、あの、別に怒ってるわけじゃないですから! 意見はどんどん出してもらっていいので、私のことはただの文官と考えてください!」
「ははっ!」
「承知いたしました!」
ペコペコと頭を下げるミクレムとサッコルト。
そんな彼らを、リーゼは「なんだかなぁ」といった顔で見ている。
「……要は、カイレン将軍が嘘をついてないかが分かればいいってことか」
ルグロがイクシオスに目を向ける。
「はい。もし虚言でないのならば、元老院議員を一挙に殺害する好機だと思います。ぜひとも真偽を知りたいところです」
「元老院議員を殺害? どういうことだ?」
きょとんとした顔をするルグロ。
ミクレムや他の軍団長たちも、怪訝な顔をしている。
「……もしかして、少し前にカイレン将軍が送って来た『11年前の村落襲撃事件に関わった者』が書かれていた書状のことを言ってるのですか?」
リーゼが、はっとした様子で言う。
前回行われた砦を巡る攻防戦の数日前、毒ガス兵器の不使用協定を結ぶにあたり、ジルコニアが出した「事件の首謀者を教えろ」という要求にカイレンが応えた時のものだ。
その書状にはなぜか、この戦場にいる元老院議員の人数と居場所が記されていた。
それを見たイクシオスは「まるでこいつらを殺してくれと言っているようだ」と話していた。
「はい。あの時の書状には、こちらが要求したわけでもないのに、元老院議員の人数と軍団の場所、それに軍団旗の模様までが記されていました。どう考えても不自然です」
「……カイレン将軍は、元老院議員を排除したいと考えているんでしょうね」
ジルコニアがぽつりと言う。
「マルケスを私に殺させたのも、政敵の排除に都合がよかったからじゃない? そうでなければ、わざわざ自軍の戦力を削るような真似はしないはずよ」
「うむ。どうやらバルベール軍は一枚岩ではないようだ。ひょっとすると、休戦協定破りの理由の『国境付近の村が襲われた』という話も、カイレンの自作自演かもしれんぞ」
「ええと……カイレン将軍が自分の政治的理由で、わざと休戦協定破りをしたってことですか? バルベール国内での元老院の立場を悪くするために?」
「かもしれませんな。そう考えれば、休戦協定を破って砦を攻撃してきた際の敵軍が、カイレン将軍の第10軍団だけだったということも納得できます」
ナルソンが当時のことを思い出しながら言う。
砦を奇襲してきた敵軍はカイレンの軍団だけであり、その後の砦奪還作戦の街道での会戦ではマルケスの軍団だけが出てきた。
どう考えても不自然であり、何らかの不和が生じて連携が取れていなかったと見るのが正しいだろう。
「……だとしたら、とんだゲス野郎ね。攻め入る口実を作るために、自国民を手にかけたってことなんだから」
ジルコニアが表情を歪める。
「実際に自国の村を襲ったのかは分からんがな。元々あった村を移転させて、無人になったそこを破壊して襲撃があったように見せかけたとか、適当に嘘を吐いているだけといった可能性もある」
「まあ、こっちが実際に現場を見たわけではないですし、判断のしようがないですね」
一良の言葉に、他の皆も「それもそうだ」と頷いた。
事件の発生場所が敵国領土ということもあり、現地を見ているわけではないので真相は分からない。
こちらはただ、カイレンが何度も苦情を言ってきたことに応対していただけだ。
「どちらにしろ、カイレン将軍と会ってみるしかないんじゃないですか? 詳しく話を聞いて、真偽を判断するしかないかと」
「もっと手っ取り早い方法があるわ」
皆の視線がジルコニアに集まる。
「信用してほしかったら、秘書官を人質に寄こせと伝えましょう。もし素直に従えば、彼の言っていることは真実ってことになりますから」
「秘書官? 『ティティス』って名前の女性でしたっけ?」
以前、砦の北で目にした姿を一良は思い起こす。
ティティスは理知的な顔立ちと金髪三つ編みが印象的な女性だった。
「はい。どうやら、カイレン将軍にとって彼女はかけがえのない存在のようなので。私が捕虜になった時も、似たようなことをしましたから」
砦がバルベール軍に攻め落とされた際、「生き残っている市民と兵士をイステリアに無事に送り返す」、という条件の下で、ジルコニアは彼らの捕虜になった。
その折、彼らが約束を守る保証として、ティティスが自らジルコニアの人質になると申し出たのだ。
見た限りそれはティティスの独断のようであり、その時のカイレンは酷く取り乱していた。
それが演技であるようには、ジルコニアにはとても見えなかった。
「う、うーん……でも、そんなに大切な人を、カイレン将軍は人質に差し出しますかね? 一度差し出したら、返してもらえないと考えるのが普通だと思うんですが」
「それも含めて、いい判断材料になるかと。もし人質としてティティスを差し出してくれば、カイレン将軍の言うことは完全に信用して大丈夫でしょう。嘘をついたら、彼女が殺されることになるんですから」
「……ティティスさんが殺される覚悟で、俺たちをハメようとしてくるってこともあるんじゃないですか?」
「ラース将軍が傍にいる状況で、それができると思います?」
「た、確かに」
ラースはかなり直情的な性格のように見えたし、アーシャの仇を討とうとジルコニアに決闘を申し込んでくるような人物だ。
そんな彼がいる状況で、ティティスを生贄にしてこちらをハメようとするとは考えにくい。
ラースの性格なら、そんなことをしたカイレンを許しはしないだろう。
カイレンがラースをも手にかけるというのなら話は別だが、そんなことをすれば、一緒にいたラッカ将軍をも敵に回すことになる。
ラッカはラースを「兄上」と言っていたので、カイレンがラッカを丸め込んでどうこう、というのは難しいように思えた。
「納得しました。カイレン将軍に、ティティスさんを人質に差し出すように要求してみましょうか」
「ええ。断られる可能性も十分にあるけれど、その時はその時です。どのみち、彼らは退路を断たれているわけだし、いずれ干上がりますからね」
「ですね。でも、もしカイレン将軍が元老院議員を抹殺したいと言ってきたら、何とか協力してあげたいですね」
一良がスクリーンに映る書簡に目を向ける。
「政治の中枢を担う連中が一挙に死ねば、指揮系統に混乱が生じて確実に敵は弱ります。カイレン将軍の思惑が政治の実権を握ることだったとしても、私たちには得しかありません」
「そのとおりです。そのうえ、砦の前にいる補給切れで弱った軍団に打撃を与えられれば……」
「畳みかけるチャンスですね。蛮族で手一杯になっているところを、これでもかっていうくらいボコボコにしてやればいい」
一良が言うと、ジルコニアがくすっと笑った。
「ん? どうしました?」
「いえ、こういう話で、初めてカズラさんと意見が合ったと思って」
「はは、そういえばそうかもしれないですね」
「はい。またカズラさんと喧嘩することにならなくてよかったです。この前みたいに怒鳴られちゃったら、私もう立ち直れないですよ」
「あ、いや、あの時はついカッとなっちゃって――」
ジルコニアと笑顔で話す一良を、ミクレムやイクシオスたちが少し驚いた顔で見つめる。
慈悲と豊穣の神である一良が、そこまで過激な発言をするとは思っていなかったのだ。
バレッタは心配そうな表情で、リーゼは頼もしさを感じている表情で彼を見ていた。
ルグロは険しい表情で、腕組みして考え込んでいる。
「……よし。今の話をまとめて、カイレン将軍に手紙を送ろう。リーゼ、紙を取って来てくれるか?」
「はい!」
リーゼが席を立ち、扉へと向かう。
すると、それまで伏せていたオルマシオールが身を起こし、トコトコと彼女へ歩み寄った。
リーゼがそれに気付き、小首を傾げる。
「どうなさいましたか?」
オルマシオールは少し考え、前足でスクリーンをちょいちょいと指した。
その後、自分の顔に向けて、ちょいちょいと前足を振る。
一良たちは皆、何をやっているのだろう、と首を傾げた。
「……もしかして、手紙をカイレン将軍に届けてくださるのですか?」
リーゼが言うと、オルマシオールはこくりと頷いた。
「おま……ど、どうして今ので分かるんだよ?」
唖然とした顔で言う一良に、リーゼが微笑む。
「ん? だって、目と雰囲気がそう言ってたもん。それじゃ、ちょっと待っててくださいね」
リーゼはオルマシオールの頭をよしよしと撫で、部屋を出て行った。