297話:修羅場と生チョコ仕立て
空がわずかに白み始めた頃。
クレイラッツとの国境を守るバルベール軍第4軍団の軍団要塞は、いつものようにのんびりとした朝を迎えようとしていた。
警備兵以外のすべての兵士は未だ就寝中で、櫓で見張りをしている兵士と軍団要塞内を巡回している兵士以外はまだ深い眠りについている。
あと半刻もすれば使用人たちが起き出し、朝食の準備を始めるだろう。
軍団要塞はぐるりと二重の堀で囲まれており、2つの跳ね橋が設置されていた。
夜間偵察に出た斥候を迎え入れるため、今はそれらの橋は下ろされている状態だ。
「斥候の奴ら、今日はずいぶんと遅いな。そろそろ夜が明けちまうぞ」
跳ね橋の上に立つ見張りの兵士が闇夜を見つめながら言う。
そろそろ斥候に出た者たちが帰ってきてもいい頃合いなのだが、一向に戻って来る様子がない。
「あー、眠くてたまんね……ふああ」
それを聞いているんだかいないんだか、櫓の上で気だるそうにしている兵士が大あくびをしながらぼやいた。
跳ね橋の兵士が呆れた顔を櫓に向ける。
「お前、さっきからどんだけあくびすれば気が済むんだよ。軍団長に見られたらぶん殴られるぞ」
「眠いもんは眠いんだよ。昨日は昼間の間、ずっとサイコロやってたからな」
「おま……寝ないで博打なんてやってたのか」
呆れ顔で言う兵士に、櫓の上の兵士が「にしし」と笑ってみせる。
「おう。それがさ、最初は負け続きだったんだけど、後半は運が向いてきて連戦連勝でさ。他の連中は取り返そうって熱くなって、もう一回、もう一回って言ってるうちに1カ月分の給金を稼がせてもらったよ。いやぁ、こんなにツイてることもあるんだな」
「そりゃようござんしたね……だけど、間違っても指揮官連中に見つかるなよ。大目玉じゃ済まないぞ」
バルベール軍ではトラブル防止を理由に賭け事は禁止されている。
もし違反した場合は最低でも重営倉送り、悪ければ不名誉除隊という重罪だ。
とはいえ、禁止されているからといって彼らが素直に聞き入れるはずもなく、隠れてこっそりサイコロに興じるというのが当たり前となっていた。
彼らが主に行っているギャンブルは、サイコロを2つ使った「出目予想」というゲームだ。
サイコロを2つ振り、出目の合計が6以下、7以上、ゾロ目、のどれかに賭けるというものである。
親を持ち回りにして複数人で遊ぶのが常で、6以下もしくは7以上の予想を当てれば2倍のバック、ゾロ目では6倍バックというシンプルなものだ。
サイコロはコップに入れた状態で振って伏せ、すべての参加者が予想を言うまで開けない。
いざ出目を確認する時に緊張と期待が交差するシンプルにしてスリリングなゲームで、バルベールでは人気がある賭け事だ。
「分かってるって。でも、こうも毎日暇じゃなぁ。砦に向かった連中みたいにおこぼれにも与れないし、つまんねえな」
「そう言うなって。戦わないで済むなら、そのほうがいいじゃねえか。俺は戦闘なんてまっぴらごめんだよ」
「勝ち戦なら話は別だろ。制圧してゴタゴタしてる時なら、少しくらい金目の物をちょろまかしても……」
「ん? どうした?」
跳ね橋の上にいる兵士が、怪訝な顔で櫓を見上げる。
「て、敵襲! クレイラッツ軍だ!」
櫓の兵士が叫び、天井に備え付けられている鐘を金槌でガンガンと叩いた。
跳ね橋の兵士がぎょっとして、前方を見る。
それと同時に、薄暗がりの中、かなりの数の人々が屈んでいた身を起こし、こちらへと一斉に駆け出す姿が見えた。
その後方から駆けて来る騎兵の集団も現れ、一目散にこちらへと突っ込んでくる。
「なっ!? そんな通達なかったぞ!? 本当にクレイラッツ軍なのか!?」
「知るか! 跳ね橋を上げろ! 突っ込んでくるぞ!」
櫓の兵士が必死に鐘を叩きながら叫ぶ。
「どうしてこんなに接近されるまで気付かなかったんだよ! 斥候は何をしてやがったんだ!?」
跳ね橋の兵士が慌てて1つ目の跳ね橋へ走り、ロープを引っ張って橋を上げる。
そこに、猛烈な勢いで突っ込んできた騎兵の集団が槍を投げつけた。
そのうちの1つが上がりかかっていた橋を飛び越えて、彼の顔に直撃した。
上がりかけていた橋が、バタンと下りる。
「ああくそっ! 誰か門を閉めろ! 跳ね橋を上げてくれ!」
数十の騎兵がそのまま軍団要塞内へと侵入し、ラタから飛び降りて剣を抜いた。
慌てて集まってきたバルベール軍兵士と壮絶な斬り合いが始まる。
駆け付けた兵士たちは門を閉じようと突破を試みるが、決死の覚悟のクレイラッツ軍兵士たちは斬り殺されながらも一歩も退かない。
そうこうしているうちに駆け寄って来たクレイラッツ軍の軽歩兵たちが入口へと殺到し、無数の石弾と矢が軍団要塞内へと降り注ぎ始めた。
「ふざけんな! こんなところで死んでたまるか!」
櫓の兵士が弓を手に取り、入口に殺到するクレイラッツ軍兵士に頭上から矢を放つ。
死に物狂いの両軍の兵士たちの、壮絶な殺し合いが始まった。
その頃、アルカディアの砦では、宿舎の屋上に首脳陣、それに加えてルグロ一家が集まっていた。
皆が私服姿で、ココアやコーヒーの入った水筒を手に、雑談しながらちびちびと飲んでいる。
無線番としてニィナたち村娘も一緒で、朝食代わりにお菓子をつまみながら雑談に興じていた。
あれから、砦の前に展開しているバルベール軍は一度も攻撃を仕掛けて来ていない。
その代わり、新たにいくつもの遠投投石機を建造して、まるで見せつけるかのように彼らの防御陣地の前に並べていた。
「そろそろ始まる頃かしら」
石造りの柵に頬杖を付いていたジルコニアが、クレイラッツの方向に目をやりながらぽつりと言う。
「お母様は、クレイラッツ軍はムディアを陥落させることができると思いますか?」
リーゼがコーヒーを飲みながら、ジルコニアに問いかける。
「どうかしらね。完全に奇襲が成功すれば、もしかしたら勝てるかもね」
「もし勘付かれたら、難しいでしょうか?」
「軍団要塞に籠られちゃったら、まず勝てないでしょうね。たとえ包囲しても、攻めあぐねているうちに準備を整えられて、一点突破でこられたら防ぎようがないわ」
バルベール軍の兵士たちの練度はかなり高く、個々の戦闘能力には目を見張るものがある。
市民兵で構成されているクレイラッツ軍では、長期戦となった場合はかなり分が悪いだろう。
「まあ、もしムディアの攻略が失敗しちゃっても、私たちがやることは変わらないわ」
「そうなったらひたすらに力攻め、ですね」
「ええ。こっちで敵の主力を引き付けておけば、蛮族が勝手に暴れてくれるでしょうし。じわじわと出血させて、頃合いを見て総攻撃ね」
ジルコニアの言葉に、傍でコーヒーを啜っていたサッコルトが深く頷く。
「北から奇襲を受けている今ならば、勝機は我らにある。必ずやバルベールを撃ち滅ぼしてやろうではないか」
「サッコルトさん、やる気満々ですね」
一良が言うと、サッコルトは当然と胸を張った。
「征服戦争を仕掛けてくるような連中は、打倒するしか手はありませんので。それに、グレイシオール様を始めとする神々をお守りするという意味でも、絶対に彼らを滅ぼさねば」
「うむ。我らを想い、神々までもが現世に現れてご助力くださっているのだ。天に仇なすバルベールの野蛮人どもは、この世界から駆逐してやらねばならん」
ミクレムも同意して話に加わる。
バルベールに敗北するということは王家が潰えるということであり、王族の彼らにとっては死活問題だ。
他の貴族たちは上手く取り入れば助かるかもしれないが、王族に限っては皆殺しの憂き目に遭うだろう。
生き残るためには、バルベールを完膚なきまで叩きのめすしかないと考えていた。
近くで子供たちとココアを飲んでいたルグロが、顔をしかめる。
「まーたお前らは極端なことを……もっと先のことを考えろって。蛮族の背後には、とんでもなくやばい連中がいるかもしれないんだぞ?」
「そうかもしれませんが、まずは面前の脅威を排除することが先決なのです」
「ミクレムの言うとおりです。遠くを見すぎると足元が見えなくなってしまいます。推測の話を気にしすぎて現状をおろそかにすると、取り返しのつかない痛手を被ることになりますぞ」
「いや、お前らの言うことも分かるんだけどさ」
2人の意見に、ルグロが困り顔になる。
そんな彼に、ジルコニアが冷めた目を向けた。
「殿下、甘い考えはお捨てください。今は全力でバルベールを打ち倒す。それでいいではないですか」
「打ち倒すのはいいんだけど、その後のことが心配でさ……」
「確証のある話なら考えるべきですが、現時点ではただの推測です。今考えるべきことではないのでは?」
「いや、でもさ……」
なおも渋るルグロに、ジルコニアの表情に苛立ちが浮かぶ。
――カズラ、これまずいよ! 話を逸らして!
――わ、分かった!
瞬時に気付いたリーゼと一良がアイコンタクトで言葉を交わす。
「と、ところで、ミクレムさんもサッコルトさんも、最近体の調子はどうですか?」
「あっ、そうでした! それについて、カズラ様に伺おうと思っていたところでして」
「このところ、以前よりもだいぶ体が軽くなった気がするのですが、やはりこれはカズラ様が?」
ミクレムに続いて言うサッコルトに、一良はすぐに頷いた。
「ええ。お二人ともすごく頑張ってくれているので、ちょちょいと祝福をかけておきました。最近、すごく体調がいいでしょう?」
「おお、やはりそうでしたか! ありがとうございます!」
「悩みの種だった腰痛が急に消えて驚いていたのですが、まさか祝福をかけてくださっていたとは……!」
ミクレムとサッコルトが感激した様子で一良に頭を下げる。
2人の食事には一良が持ってきた食べ物を何品か加えており、身体能力の強化も完了した頃合いだ。
一良に忠実なうえに要職を務めている彼らにもしものことがあっては大変なので、そうすることにしたのだ。
食べ物の効能についても話そうか考えたのだが、あえて言う必要もないので黙っていることになっていた。
「お二人には今後とも頑張ってもらわないといけませんからね。頼りにしていますから、これからもよろしくお願いします」
「ははっ! このミクレム、生涯をかけてカズラ様にお仕えいたします!」
「私もです! どうぞ我らを手足と思って、使い倒してください!」
「あはは、よろしくお願いします。あ、これ食べます? チョコレートっていうんですけど、コーヒーとよく合いますよ」
一良がポケットからチョコレートの箱を取り出し、開封して2人に差し出す。
綺麗な金色の個包装を見て、2人が「おお」と声を上げた。
「包みの中にお菓子が入ってるんで、破いて取り出してくださいね」
「これはこれは、では1つ頂戴して……」
「むっ、美味い! 何とも上品な、とろけるような甘さですな!」
チョコを口に入れた2人が驚きに目を剥く。
「でしょう? 栄養満点なんで、疲れた時にはもってこいですよ。他のお菓子と一緒に、後で何箱か渡しますね」
「いやぁ、かたじけない! カズラ様がお持ちの食べ物は、どれも最高に美味いので楽しみです!」
「お気遣い痛み入ります! お伝えくださる技術もさることながら、食べ物もまた素晴らしいものばかりで感服しきりです!」
「はは、これくらいで喜んでもらえるなら、いくらでも」
「何と慈悲深い! カズラ様のような神様に直接施しをしていただけるとは、私は本当に幸せ者です!」
「いやはや、アルカディアに生まれた幸運を天に感謝せねばなりませんなぁ!」
ひたすらにヨイショする2人に、一良もそうかそうかと笑顔で頷く。
「あっ、そのチョコ、私まだ食べたことないやつだ! 1つ頂戴!」
リーゼが明るい声で一良に駆け寄る。
「ああ、いいぞ。ルグロとジルコニアさんもどうぞ」
「ん、チョコか。子供らの分もあるかな?」
「12粒入りだから、1人1粒は食べられるよ。2箱持ってきてあるから」
「そっか! おーい、ルティ!」
「ほら、ジルコニアさんも。そんな難しい顔してないで」
「……いただきます」
ジルコニアが仏頂面のまま、チョコに手を伸ばす。
袋を開けてぱくっと口に放り込むと、その瞳が輝いた。
「これ、すごく美味しいですね! いつものチョコと違いますよ!?」
「『生チョコ仕立て』っていう種類のものですよ。渡したお菓子のなかに入ってませんでしたっけ?」
「貰ってないです! こんなに美味しいチョコがあっただなんて……! 取り置きはありますか!?」
「種類ごとに箱買いしてきてあるんで、あと20箱くらいはあるはずですけど」
「全部ください!」
「強欲すぎません!? あ、ナルソンさんもチョコどうぞ!」
「は、はあ」
ピリピリした雰囲気から一転して、わいわいと騒ぐ一良たち。
そんな彼らを、ニィナは少し離れたところからバレッタと眺めていた。
「王家の軍団長さんたち、カズラ様の前だとほんと調子いいよね」
「あはは……まあ、仕方ないよ。神様の前だもん」
「ねえねえ、神様と言えばさ。カズラ様と何か進展はあった?」
傍にいたマヤがバレッタに声をかける。
他の村娘たちも、興味津々と言った様子で顔を向けた。
「え?」
「『え?』じゃないでしょ。いい加減はっきりさせなよ。カズラ様、いつまで私たちの傍にいてくれるか分からないんだし」
「そうだよ。神様の国に帰っちゃったらもう会えないんだよ?」
マヤに続き、別の村娘もバレッタに言う。
「え、ええと……それは大丈夫だから。戦争が終わった後は、村でずっと暮らすって言ってたし」
「えっ、そうなの?」
「うん。村でのんびり生活したいって言ってくれたよ」
「そうなんだ……」
それを聞いていたニィナが口元に手を当て、「むむ」と考える。
「……よし! じゃあ、戦争が終わったらすぐに告白しなさい! それで、村で結婚式挙げるの! 決まりね!」
「え、ええっ!?」
「もう、バレッタのこと羽交い絞めにしてでも告白させるからね! 今から覚悟決めておいて!」
「それいいね!」
「バレッタ、頑張らなきゃダメだよ!」
「う、うう……」
はやし立てるニィナたちに、バレッタが顔を赤くしてうつむく。
『ティタニアです。カズラ様とお話がしたいのですが。どうぞ』
そんな話をしていると、ニィナの無線機からティタニアの声が響いた。
アイザックやグレゴルン領との連絡が混線しないよう、無線機のチャンネルはそれぞれ分けられている。
「ニィナです。今、カズラ様と代わりますので……カズラ様、ティタニア様から無線連絡です!」
ニィナが一良に手を振って呼び寄せる。
『アイザックです。ナルソン様はおられますでしょうか? どうぞ』
それとほぼ同時に、今度はマヤの無線機にアイザックの声が響いた。
「マヤです。少々お待ちを! ナルソン様ー!」
一良とナルソンがやって来て、それぞれ無線機を受け取った。
ミクレムやジルコニアたちも集まってきて、緊張した表情で口を閉ざす。
『彼らの要塞から出てきた伝令は全員仕留めましたよ。ついでに、ムディアの街と要塞を行き来していた兵士も――』
『クレイラッツ軍の奇襲は成功です。2つの軍団要塞内に突入して乱戦になっている模様で――』
アイザックとティタニアの報告が無線機から響いた。




