3話:村にて その2
「お父さん、これを飲めば治るのよ。頑張って飲んで」
バレッタは苦しそうに唸る父親をそっと起こし、一良から貰った薬(胃薬と鎮痛解熱剤の錠剤)を、水と一緒に父親の口に入れる。
父親はむせ返りながらも、何とか薬を飲み込んだ。
「あとこれ、エイヨウドリンクって言うんだって。これも飲んで」
父親にリポDを飲ませるバレッタを見ながら、一良は頭を抱えていた。
たったあれだけの薬で、死相の塊みたいになっている人間が助かるはずはない。
気休めでリポDも飲ませてはいるが、ファイト一発どころか、明日にも永眠するような気がする。
「カズラさん、父はあとどれくらいで元気になるのでしょうか?」
父親に薬とリポDを飲ませ、再び寝かせたバレッタは一良に尋ねた。
「あー、そうですね、遅くとも明日か明後日には全ての苦しみから解き放たれるかと思います」
若干投げやりに答える一良に、バレッタはホッとしたように微笑んだ。
「よかった……。あの、カズラさんは今夜お泊りになる所は決まっているのでしょうか? もしまだ決まっていないのなら、薬のお礼といっては何ですが、家に泊まっていってください」
心底信頼した表情を見せるバレッタに、罪悪感で一杯だった一良は腹を決めた。
もし彼女の父親がこのまま死んだら、土下座でもした後に、彼女に自分の財力を使って精一杯償おうと。
「汚いところで申し訳ないのですが、いかがでしょうか」
尚勧めるバレッタに、一良は蚊の鳴くような声で
「……おねがいします」
と呟くのだった。
「……えらいことになった」
一良は通された8畳ほどの広さの板張り部屋の隅で、もう二時間近く一人頭を抱えていた。
先ほど見た村長の様子からするに、恐らく今晩か明日にはご臨終なされる気がする。
はたしてその時、バレッタは自分のことを許してくれるのだろうか。
「治ります!」などと断言しておきながら、その後ポックリ逝ってしまったのでは、最悪刺されても文句は言えない気がする。
「カズラさん!」
その後、一良が頭を抱えながら床を20分程転げまわっていると、急にバレッタが部屋に飛び込んできた。
一良は反射的に跳ね起きると、勢いよく床に頭を擦り付ける。
「お父さんが治りました! 本当に凄いお薬です、ありがとうございます!」
「申し訳ございま……え?」
予想外の知らせに、一良が顔を上げると、土下座している一良を不思議そうな顔で見ているバレッタと目が合った。
「あの、治ったって、お父さんが元気になったってことですか?」
「ええ、もう起き上がって夕食の支度をしています。あんなに苦しそうだったのに、こんなに早く元気になるなんて、本当に凄いお薬ですね!」
バレッタの返答に、一良は目が点になった。
一良が村長に飲ませたのは、ただの解熱鎮痛剤と胃薬、それにリポDである。
僅か数時間で元気になるはずがない。
「んなバカな……」
「え?」
「あ、いえ、なんでもないです」
きょとんとした表情のバレッタに、一良は漏らした言葉を慌てて訂正し、唸った。
村長が元気になった理由がさっぱりわからない、というか信じられない。
「あの、念のためにお父さんの様子を見せてもらってもいいですかね?」
「はい、父も夕食のときにお礼を言いたいと言っていたので、丁度いいですね。もう出来るころですから、居間に行きましょう」
嬉しそうにニコニコと微笑むバレッタの後を、一良は首を傾げながらついていくのだった。
「おお、貴方がカズラさんですか。貴重なお薬を分けていただき、ありがとうございます。ささ、どうぞ座ってください」
「あ、どうも……」
一良とバレッタが居間に着くと、先程まで息も絶え絶えだった村長が、部屋の中央にある囲炉裏で鍋に何やら汁物を作っているところだった。
村長の身体は痩せ細って棒のようだが、顔色は良く元気そうに見える。
「先程はまともに挨拶もできず、申し訳ありませんでした。この村の村長のバリンと申します。ささ、丁度夕食が出来たところです。召し上がってください」
「ありがとうございます。あの、調子はいかがですか?」
汁物が入れられた木の器と木のスプーンを受け取りながら、一良が村長に尋ねると、村長はニッコリと微笑んだ。
「カズラさんの薬を飲んでから、あっという間にこの通りです。薬というものを飲むのはこれが初めてですが、まさかこれほど凄いものだとは……。何とお礼を申したらいいか」
「私もびっくりしました。薬は、短くても数日間は飲まないと効かないって聞いたことがあったので、こんなに凄いものだとは思ってもみませんでした」
びっくりしたのは一良の方である。
たかが合計数百円の薬と栄養ドリンクで、棺桶に片足を突っ込んでいたような人間が数時間で元気になっているのだ。
しかし、何はともあれ村長の病気は治ったようであり、一良に対する心証もすこぶる良くなったのは事実である。
「それはよかった」
などと言いながら、熱々の汁物を啜る一良だが、頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされている。
混乱しながら汁物を啜っていると、何やら妙な舌触りを感じて、器から口を外した。
具材は何だろうとチラ見してみると、何かの葉っぱと芋虫のようなものが入っているように見える。
「(芋虫じゃない芋虫じゃない芋虫じゃない、きっと何かの木の実だ。もしくは限りなく木の実に近い芋虫だ)」
「あ、それは私が父のために捕ってきた、アルカディアン虫です。クロコ虫じゃないですよ」
「……」
一良がスプーンで具材を突いていると、バレッタから絶望的な情報がもたらされた。
見た感じ芋虫のようなアルカディアン虫が触れないくらい嫌いというわけではないが、口に入れるとなると話は別である。
クロコ虫じゃないとか、そういう問題ではない。
「最近はあまり採れなくなってしまって、今日は10匹程しか取れませんでしたけど……。町では高級食材として使われているみたいですし、本当美味しいですよね……って、カズラさんなら食べたことありますよね」
ニッコリと微笑むバレッタの横では、村長が「うむ、いつ食べてもこいつは美味い」などと言いながら、芋虫をモリモリ食べている。
「食ったことねぇし食えるわけねェーだろォーー!?」
と叫びながら、器を村長の顔面に投げつけてやりたい衝動に駆られたが、さすがにそんな度胸はない一良は、目に涙を浮かべながら
「そうですね! 美味しいですよね!」
と大声で自分をごまかしながら、何故か自分の器には沢山入っていたアルカディアン虫を、涙目で口にかき込み咀嚼した。
初めて食べるアルカディアン虫は、薄いコーンスープのような味がした。
「頑張れ俺の胃袋。正露丸と共闘して、アルカディアン虫を撃退するのだ」
食後、一良が正露丸を飲んで部屋で倒れこんでいると、バレッタが布団を持ってやってきた。
「カズラさん、お布団持ってきました。そろそろお休みになりますよね?」
バレッタの言葉に、一良は自分の腕時計を見た。
元の世界と時差があるのかは分からないが、外にいたときの明るさからして、大して時間は変わらないだろう。
「え? まだ6時……じゃない、まだ明るいですけど?」
「ええ、でも、もうすぐ日が暮れますから」
そう言って柵状の窓から空を見るバレッタ。
一良もつられて窓に目をやると、空はオレンジ色に染まっており、もうすぐ日が落ちそうだ。
「(そうか、ロウソクとか行灯みたいな照明装置なんて、この家にあるわけないもんな)」
恐らくこの村では、日の出と共に起きて、日の入りと共に寝るということが日常なのだろう。
元いた世界でも、大昔はロウソクなどの照明道具は高価な品物だったはずであり、この世界でも同じなのかもしれない。
照明道具が発明されていればの話だが。
「ああ、そうですね。ありがたく使わせてもらいます」
礼を述べ、所々ほつれた煎餅布団を受け取る。
元々風呂なんてものがあるとは思っていなかったのだが、布団は存在するようなので助かった。
「あっ、そうだ。これを渡し忘れてた」
布団を受け取った一良は、村に譲ると言っていた塩をまだ渡していなかったことに気づき、ボストンバッグからビニールに包まれた食塩を取り出した。
表面には大きな文字で「食塩1kg」と記載されている。
スーパーで税込み105円だった。
「お譲りすると約束していた塩です」
「えっ、これが塩!? こんなに真っ白な塩なんて、見たことないです!」
一良から塩を受け取り、バレッタは目を丸くして驚いている。
つまり、この世界の一般的な塩には不純物が入ってしまっていて、着色が見られるのだろう。
「それに、この袋みたいな、透明なものは一体何でしょうか?」
「ん? それはビニール……あー、しまった……」
バレッタが不思議そうに見ている、塩の入った透明ビニールを見て、パチンと額に手を当てた。
ビニールなどと言っても見たこともないだろうし、説明しても理解できないだろう。
一良は「そういうもの」で通すことにした。
「私の国で最近発明されたもので、軽いしそれなりに丈夫なんですよ。水に漬けても平気です」
「そうなんですか……、あの、これは何て書いてあるんですか? 初めて見る文字ですけど」
「私の国の文字で、塩と書いてあります。あの、本当にこんな風な文字は見たことがないんですか?」
どうやら、日本語は通じるが、漢字や平仮名は通じないらしい。
少なくともこの村では。
「ええ、父から教わって一応文字の読み書きはできますけど、こんな文字は見たことがないです」
どうやら、言葉は通じるが文字は通じないという、何ともご都合主義というか、奇妙な世界のようだ。
「あの、カズラさん」
言葉が通じるのはありがたいが、文字が読めないのはこの先困るかな、と一良が考えていると、バレッタが遠慮がちに一良に話しかけた。
「父に飲ませていただいたお薬のことなんですけど……やはり、とても高価なものなのでしょうか?」
「ああ……、そうですね、それなりに高価です」
一良は少し考えて答えた。
実際は全部で数百円程度のものだが、もし本当に村長に発揮したような効能がこの世界の人間全てに発揮できるのであれば、使い方次第で絶大な力となるだろう。
ホイホイと安売りするべきではないかもしれない。
「そう……ですよね」
一良の答えに、バレッタは俯く。
「あの、お願いです!」
そして、意を決したように顔を上げると、一良の手を取り懇願した。
「お金はいつか必ず払いますから、あのお薬を村のみんなにもわけてあげてください! 必要なら私を奴隷商に売ってもらっても構いません。村を、私たちの村を助けてください!」
「ちょ、奴隷商って、奴隷制があるのかよ……じゃなくて、わかったから顔を上げてください!」
お願いします、お願いしますと涙を浮かべながら繰り返し、縋り付いてくるバレッタを、一良は慌ててなだめる。
「他にも病人がいるんですか?」
「はい……父と同じような病気になっている人が、あと50人はいます。熱が下がらないまま死んでしまった人も、もう7人もいるんです。赤ちゃんがいる人も母乳が殆ど出なくなって、アルカディアン虫をすりつぶしたものを飲ませたりしているのですが、やっぱり身体に合わないみたいで……。まだ死んでしまった赤ちゃんはいませんけど、可哀想なくらい痩せ細ってしまって、いつまでもつか……」
「この村の村人は、全員で何人いるんです?」
「えっと、110人くらいだったと思います」
「ほぼ半分がダウンしてるのかよ……」
どうやら、この村はかなり深刻な飢餓状態のようだ。
このままいったら村が崩壊するんじゃないだろうか。
「お願いします、私一人が身売りした程度では、あの薬1つ分のお金にも満たないということは百も承知です。でも、せめて赤ちゃんだけでも助けてあげてください……」
そう言うと、バレッタは再び俯いた。
ここで手を差し伸べなければ男が廃るというもの。
たかだか数万円の出費で村を救うことが出来る上に、まず確実にこの世界での活動拠点を得ることができるのである。
あわよくば、村娘バレッタのフラグ回収というおまけ付きだ。
「わかりました。フラグかいしゅ……じゃなかった、村を救うためならば、喜んでお薬を差し上げましょう。あと、お金はいりません。その代わりに、この村に私を住まわせて欲しいのです」
「えっ!?」
一良の申し出に、バレッタは驚愕した。
バレッタの知る限り、薬というものはそれこそ目玉が飛び出るような金額で取引されているものである。
村に住まわせて欲しいという依頼があったとはいえ、無料で薬を提供するなどあり得ない話である。
「で、でも、たったそれだけのことでお金はいらないなんて、自分でお願いしておいて何ですけど、カズラさんは大丈夫なんですか?」
「ええ、お金よりも命のほうが大切ですから」
どう考えても綺麗事以外の何物でもない台詞を吐く一良を、バレッタは呆然とした表情で見つめる。
そんなバレッタの様子に、「いかん、幾らなんでも今の台詞は胡散臭すぎたか?」と一良は冷や汗をかいた。
「本当に……信じて、いいんですか?」
「も、もちろんです。任せてください」
震えた声で問うバレッタに一良が答えると、再びバレッタの目にじわじわと涙が浮かぶ。
そして、涙が一筋頬を流れると同時に、大声を上げながら子供のようにわんわんと泣き出すのであった。