280話:母の願い
太陽が少し傾き始めた頃、一良たちはグリセア村の守備隊野営地に到着した。
一良のサイドカーにはミュラが乗り、バレッタのものにはロズルー、リーゼのものにはターナが乗っていた。
村の前にはたくさんの荷馬車が並んでおり、ラタを世話している使用人たちの姿が見える。
昨夜のうちに、砦への物資輸送用としてナルソンの指示で急遽送り届けられたものだ。
輸送隊の護衛の重装歩兵たちも数百人いるようで、かなりの数の天幕が張られていた。
もしゃもしゃと飼い葉を食べていたラタたちが、2頭のウリボウの姿に気付いてビクッと身を硬直させている。
ウリボウたちは少し離れた場所で止まり、その場に2頭並んでちょこんと腰を下ろした。
「皆様、ようこそおいでくださいました」
村の守備隊の兵士たちが一良たちを出迎える。
イステリアから来てそのまま守備隊長を続けている壮年の兵士が、一良とジルコニアに深々と頭を下げた。
「お疲れ様。あれから、何か問題は?」
ジルコニアが守備隊長に話しかける。
「はい、特に何も。平穏そのものです」
「そう。村の人たちは元気そう?」
「はい。反乱軍に村が襲われずに済んで、皆ほっとしていました……ええと」
守備隊長が2頭のウリボウに目を向ける。
2頭とも、兵士たちを怯えさせないようにと気遣ってか、少し離れたところに並んでちょこんと座っていた。
「ああ、あれはオルマシオール様よ。これからは私たちと一緒にいてくれることになって」
「おお、やはりそうでしたか。村人から連絡は受けておりましたが、本当にお目にかかれるとは」
守備隊長をはじめ、兵士たちがウリボウたちを見やる。
事前に村人に無線で連絡はしてあったので、オルマシオールが来るということは彼らも承知済みだ。
「オルマシオール様は我々の言葉は分かるのですか?」
「分かるみたい。でも、オルマシオール様からあなたたちに話すのは無理なんですって。小さな子供たちは話せるみたいなんだけど。ね、ミュラちゃん?」
ジルコニアがミュラを見やる。
「はい。お話できました」
「ふむ。大人は無理、ということですか」
ウリボウたちが、その場でこくこくと頷く。
だいぶ離れているのだが、聞き取れている様子だ。
「う、頷いてらっしゃる……あの2頭のどちらがオルマシオール様で?」
「どっちもそうよ。しばらく村に滞在するから、失礼のないようにね」
「かしこまりました……ううむ、オルマシオール様が加勢してくれているという噂は本当だったのですね。オルマシオール様が2人いたとは、意外でした」
「そういうことだから、少しラタたちを離れさせてもらえる? すごく怯えちゃってて、見てて可哀そうだわ。それに、オルマシオール様たちも村に入ってもらいたいから」
「む、確かに縮み上がってますな。承知しました」
守備隊長が使用人たちに指示を出し、ラタを離れさせる。
すると、ウリボウたちは立ち上がり、トコトコと小走りで一良たちの下へとやって来た。
見ていた兵士たちから、「おお」と声が上がる。
「それじゃ、村に入りますかね」
一良の言葉に皆が頷き、バイクを走らせて村へと入る。
その音を聞きつけて、畑や家の中にいた村人たちが一良たちの下へと次々に集まってきた。
皆、嬉しそうだ。
「カズラ様、おかえりなさい!」
「あっ、リーゼ様だ!」
「リーゼ様、遊んでー!」
「ミュラお姉ちゃんもいる!」
子供たちはリーゼとミュラの姿を見つけると、嬉しそうに騒ぎながらわっと彼女らの下へと駆け寄った。
「ふふ。皆、ひさしぶりだね!」
「リーゼ様、また一緒にアルカディアン虫を取りに行こうよ!」
「わっ、ウリボウだ!」
「おっきいね! オルマシオール様、こんにちは!」
子供たちはウリボウを怖がる様子もなく、近寄ってもふもふと毛を触っている。
巨躯のウリボウは憮然とした様子で触られるがままにしているが、黒いウリボウは愛想よく子供たちに頭を擦り付けたり顔を舐めたりしていた。
「えへへ。オルマシオール様、もふもふしてる。あったかい」
「お口あーんってして! ねえねえ!」
「うん、怖くないよ! カズラ様のお友達なんでしょ?」
「あ、女の人なんだ。なんで口が動いてないのにしゃべれるの?」
「リーゼ様、オルマシオール様も一緒に森に行けるかな?」
リーゼとウリボウたちを囲んでわいわいとはしゃぐ子供たちに一良は頬を緩める。
ミュラをサイドカーから下ろしてあげ、「遊んでおいで」とリーゼたちの下へと送り出した。
「皆さん、おひさしぶりです」
「カズラ様、おかえりなさい!」
「お疲れでしょう? 風呂の用意をしておきましたので、入られては?」
村人たちが一良に明るい笑顔を向ける。
皆、元気そうだ。
「あ、俺はこれから神の世界に戻って物資を運んでこなきゃいけないんです」
「えっ、今すぐにですか?」
「ええ。早いとこ、砦に物資を送らないといけないんで。夜には帰ってきますから」
一良がバレッタに目を向ける。
「バレッタさん、後のことはお願いします。とりあえずお風呂に入って、少し休んでから作業でどうですか?」
「カズラさんも休んだほうがいいですよ。疲れた顔してますし」
「そうですよ。ずっとバイクに乗って、これからまた自動車を運転するんでしょう? 疲れて運転は危ないですよ」
バレッタとジルコニアが一良に言う。
一良は「いやいや」と2人に笑った。
「これくらい大丈夫ですって。それに、早く物資の調達をして砦に送らないと」
「でも、疲れたまま運転して、もし事故とか起こしちゃったら……」
「カズラさん、無理はいけません。カズラさんは私たちとは違うんですから」
「そうだよ。カズラも休みなって。お風呂で背中流してあげるからさ」
口々に言うバレッタ、ジルコニア、リーゼ。
村人たちも、そうだそうだと彼女らに同調する。
「うーん……でもなぁ」
「なら、先に電話でお店に連絡しておいたらどうですか? お屋敷に運んでもらうように頼むとか」
バレッタの提案に、一良は少し考えてから頷いた。
ジルコニアとラースの決闘は9日後だ。
今はもうすぐ夕暮れに差し掛かる時刻なので、今から日本に戻ってあちこち回るとしてもあまり作業は進まないだろう。
彼女たちの言うとおり、今日はしっかり休んで明日から活動しても問題ないはずだ。
「分かりました。それじゃあ、そうしますか」
一良が言うと、バレッタはほっとした顔になった。
「よかった……電話だけなら、すぐに戻ってこられますか?」
「ええ。ぱぱっと電話して戻ってきますよ。かかっても30分くらいですかね」
「なら、戻ってきたらすぐにお風呂に入れるようにしておきますね。お夕飯も作り始めないと」
「アイザック、ハベル、お風呂の前に一汗掻きましょ。木剣を用意なさい」
「「ええ……」」
そうして、一良はいったん日本の屋敷へと向かうことにしたのだった。
数分後。
一良はいつものように雑木林を抜け、石畳の通路へとやって来た。
「はあ、久しぶりだなぁ……しかし、この通路って誰が作ったんだろ?」
ひんやりとした石造りの通路を歩きながら、壁を見やる。
明らかに人の手で造られたようなものなのだが、イステリアで見られる石造りの建物よりもかなりしっかりした造りに見えた。
「うーん。ご先祖様が作ったとしても、わざわざこんな手間のかかる通路を作るかなぁ? 1人で作るんじゃ時間がかかるだろうし」
もしこの通路を一良の先祖が作ったのだとしたら、相当な日数がかかったはずだ。
石材を運搬するのにもかなりの手間がかかるだろうし、はたしてそこまでの労力を割いてまでこの長い通路を作るだろうか。
「もしかして、それよりさらに昔に別の人が作ったとかだろうか……うーん、謎だ」
ぶつぶつと独り言を言いながら、通路を抜けて日本へと繋がる扉をくぐる。
景色が見慣れた日本の屋敷に一瞬で切り替わったところで、一良は背後を振り返った。
相変わらず、扉の向こうは畳張りの6畳間だ。
「あの部屋、どうやったら入れるんだろ?」
思えば、扉の向こう側の部屋は侵入できない謎空間だ。
見たところ畳も朽ちていないし、埃が溜まっている様子もない。
ためしに片手を扉の向こうに差し出してみると、手だけが扉を境にして消失した状態になっていた。
「これ、向こうから見たら腕の断面が見えてたりするのだろうか」
一良はそんなことを言いながら手を引っ込め、扉の脇の壁を手で摩ってみた。
ごく普通の木の壁だ。
壁をぶちぬいたら部屋に入ることができるかも、とふと考えたが、そんなことをして万が一あちらの世界に戻れなくなっては大変だ。
余計なことはしないほうがいいと頷き、一良は屋敷の外に出た。
スマホの電源を入れ、電話帳を開いた。
いつも通っているホームセンターの番号を見つけ、電話をかける。
「あ、もしもし。志野と申しますが、お聞きしたいことがあって。フロアマネージャーさんに代わってもらいたいのですが」
『あっ、はい! いつもありがとうございます! 少々お待ちください!』
電話口から元気な声が響く。
すでに一良の名前は周知されているようだ。
『お電話代わりました。志野様、今日はどのようなご用件で?』
「お忙しいところすみません。またまとめ買いしたいものがあって」
少しの間を置いて、すぐにフロアマネージャーが電話に出た。
彼はいつも良くしてくれるので、少しでも出世の助けになればと思っての指名だ。
「そろそろ寒くなって来たので、灯油を買い溜めしようと思いまして。灯油缶と灯油を届けてもらいたいんですけど、できますかね?」
『承知いたしました。灯油タンクは何リットルのものをご用意すればよろしいでしょうか?』
「一番大型のやつをお願いします。こっちは冬になるとけっこう雪が積もるので」
『すぐにご用意できるものでは、500リットルのものがございますが』
「それでお願いします。あと、また注文するのも面倒なんで、できる限り多めに備蓄しておきたいんです。どれくらいまでなら、個人でも保管できるんですかね?」
『消防法では1000リットルまでですね。タンクと併せて灯油も配達できますが、いかがいたしますか?』
「なら、その灯油タンク2つと併せて灯油も1000リットルお願いします。それと、獣対策で有刺鉄線が大量に欲しくて――」
あれこれと注文を済ませ、電話を切る。
他の店にも車で直接足を運べば、ガソリンも灯油もかなりの量を仕入れることができるだろう。
ガソリンを使った火炎弾よりも威力は劣るだろうが、相当な破壊力を見込めるはずだ。
「……さて、たまには実家にも連絡しないとな」
あちこちの店に商品の配達やら取り置きやらの連絡をした後、一良は電話帳で父親の番号を表示した。
通話ボタンを押そうとして、ふと指を止める。
いつも父親ばかりに電話しているが、たまには母親にも連絡したほうがいいかと考え直した。
もとより、父親には何を聞いても答えてくれなさそうなので、あれこれ聞いても無駄だろう。
「母さんと話すの、久しぶりだな」
電話をかけると、数コールで母親の睦が出た。
「あ、母さん? ひさしぶ――」
『一良! ああ、よかった! あんた、大丈夫なの!?』
スマホから響いた母の大声に、一良が思わず「うわ」とスマホを耳から離す。
ポチ、とスピーカー設定に切り替えた。
「うん、連絡しなくてごめん。特に何事もなく暮らしてるよ」
『そ、そう……よかった』
はあ、と母のため息がスマホから響く。
心底心配していた、というような声色だ。
『あのね、一良。あんまり連絡できないのは分かってるけど、くれぐれも危ないことはしちゃダメよ?』
「え? う、うん。分かってる。大丈夫だから」
おや? と一良は内心思いながら答える。
母親も異世界への扉について何か知っているのではと思い、聞いてみることにした。
「あのさ、母さん。聞きたいことがあるんだけど」
『うん、なあに?』
「今、群馬の山奥の屋敷からかけてるんだけどさ。母さんはこの屋敷のことについて、何か知ってる?」
『えっ? べべべ、別に何も知らないけどっ?』
明らかに動揺した口ぶりの母。
こりゃ知ってるな、と一良は苦笑してしまう。
「あのね、母さん。父さんにも聞いたんだけど、『お前のためにならない』って言って何も教えてくれないんだよ。どうして、父さんは俺をこの屋敷に住むように勧めたのか知らない?」
『う、うーん……』
母がうんうんと唸る声がスマホから響く。
かなり悩んでいる様子だ。
『うう、どうしよ……あうう……』
「あ、あのさ。どうしても言えないなら、せめて何で言えないのか教えてくれない? 母さん、あっちの世界に行ける部屋のこと知ってるんだよね?」
『う……し、知ってる……うう、言っちゃった……』
あっさりと白状する母。
数秒の沈黙が流れ、はあ、と彼女のため息が漏れた。
『あのね、一良。お父さんには言っちゃダメだからね?』
「う、うん」
『一良はね、絶対に向こうの世界に行かないといけないってわけじゃないの』
「え? どういうこと?」
『え、えっとね……』
母が言葉に詰まる。
かなり悩んでいるのか、長い沈黙が流れた。
『お母さんね、一良のこと大好きよ。ずっとあなたのことを守ってあげたいと思ってるし、それもできるの。あなたがよぼよぼのおじいちゃんになってからも、それは同じなの』
「……は?」
いったい何を言っているのかと、一良は困惑した。
息子である自分のことを大切に想ってくれているというのは分かるのだが、後半の言葉の意味が分からない。
『でもね、一良が向こうの世界で、もしも酷い目に遭ったらってすごく不安だけど、やっぱり一良にも……あうう、これ、言っちゃダメなんだよぉ……』
あああ、と母の悶える声が響く。
「え、どういうこと? 酷い目って何?」
『うう、ごべんねぇ……ダメダメなお母さんを許してね……』
「だから、ちゃんと説明してよ。俺、何が何だかさっぱり分からないんだから」
えぐえぐと泣きべそをかく母に、一良が再度問いかける。
「その『言っちゃいけないこと』を俺に言うと、俺が酷い目に遭うの?」
『そうじゃないけど……一良、絶対困るもん。聞かなきゃよかったってなるよ……』
「ええ……」
ますます聞きたくなるが、そうまで言われてしまうと聞くに聞けない。
「じゃあさ、もし俺があっちの世界にもう行かないって言ったら、母さんはどう思う?」
『……一良は、それでいいの?』
「いや、ダメだけどさ。俺を頼ってくれてる人が大勢いるし」
『えっ、そうなの? あっちで何をやってるの?』
「えっと……」
戦争に関わって手助けをしている、と言うと心配させてしまうよな、と一良は考え、そういった部分は省くことにした。
「ほら、あっちって飢饉とかよく起こるみたいじゃん? それを何とかしようとして、肥料を持って行ったり農業手法を教えたりしててさ。復興のお手伝いみたいなことをしてるんだよ」
『そう……危ない目には遭ってないんだよね?』
「うん。平和そのものだよ。心配ないって」
『そっか……なら、そのままお手伝いを続けるのがいいよ。その人たちの力になってあげなよ』
母のほっとした声が響く。
案じているのは、一良の身の安全についてだけのようだ。
『その人たちって、皆いい人なの?』
「うん。いい人ばっかりだよ。良くしてもらいすぎて、逆に俺が感謝してるくらい」
『ふーん……あっ、誰か可愛い子とかいた? もしかして、彼女できてたりする?』
途端に明るい声になった母に、一良は少し笑ってしまう。
「いや、彼女はできてないかな」
『もう、そんなんじゃダメだよ! いい子がいたら、ばしっと捕まえておかなきゃ! それで、結婚することになったらちゃんと紹介してよね? お赤飯炊いてあげるから!』
「はいはい。そのうちね」
『ねえ、あっちで一良がやってること、もっと教えてよ』
「ん、いいよ。あっちの世界に行った初日の話から聞く?」
『聞きたい、聞きたい! 教えて!』
「ええと、父さんに群馬の屋敷に行けって言われて、あの扉を見つけてさ――」
そうしてしばらくの間、一良は母とあれこれ話したのだった。