276話:嘘だけど嘘じゃなかった
宿舎の一良の部屋に移動した一行は、コルツから今までのいきさつを聞いていた。
コルツはすでに泣き止んでおり、ユマの膝の上に座って一良たちに話をしている。
コルツには一良が日本で仕入れてきた鎮痛剤を飲ませているのだが、額には汗が浮かんでいる。
やはり、術後の痛みはあるようだ。
「そっか、ウッドベルさんが火薬を……」
一良が険しい表情で唸る。
現場にはジルコニアが確認に行ったので、後ほど詳しく話を聞く必要がありそうだ。
シルベストリアや大勢の兵士たちととても親しくしていたというウッドベルが、まさか間者だったとは。
「うん……たぶん、お姉ちゃんが……オルマシオール様が俺に剣術を教えてくれたのは、この時のためだったんだ」
「コルツ君、ウッドベルさんはバルベールの間者だって言ってたけど、どうしてそう思ったの?」
一良の隣で話を聞いていたバレッタが、コルツに問いかける。
「ウッドさん、この丘のことを『骸の丘』って言ってたんだ。そんな呼びかた、この国の人だったら絶対にしないから、そうなんじゃないかって」
「そう……ウッドベルさん本人の口からは、バルベールの人間だって話は聞いてないのね?」
「そうだけど……」
コルツは信用されていないと感じたのか、少し不満そうな顔になる。
バレッタとしては、ウッドベルがアルカディア国内の手の者か、バルベールの手の者なのか確証が持てていなかった。
「あっ。でも、ナルソン様は警備が厳重で近寄れないとか、火薬を盗むのは副任務とか言ってた」
「……それなら、バルベールの間者って線が濃厚だね」
バレッタが納得した様子で頷く。
ナルソンに近寄ろうとしたのは、おそらく暗殺が目的だろう。
となると、この決戦の最中に全軍の指揮を執っているナルソンを暗殺しようなどと、アルカディア王家や他領の者は考えないはずだ。
それに、国内の主だった者たちは「地獄の動画」を観ている。
地獄行き確定となってまで、そのようなことはしないだろう。
「あの、コルツ君。腕のことは、本当に――」
「腕なんて、どうでもいいよ」
おずおずと言う一良に、コルツがうつむいて言う。
「そ、そんな。どうでもいいなんて……」
「俺が、カズラ様のことをアイザックさんにばらしちゃったんだ。カズラ様、ごめんなさい……」
「コルツ君……そこまで悩んで……」
片腕を無くしたことを「どうでもいい」など言うとは、と皆が沈痛な顔になる。
それほどまでに、コルツは一良のことをアイザックに話した件を思い悩んでいたのだろう。
「コルツ君、そのことはいいんだよ。コルツ君が悪いわけじゃない。アイザックさんも自分の職務を全うしただけなんだ。恨まないでやってくれないかな」
「でも、アイザックさん、俺に嘘をついたんだ」
コルツが一良を少し見上げる。
「俺、カズラ様に本当のことを言わなきゃいけなかったのに……怖くて、ずっと本当のこと、言えなかった……」
一良はそれを聞いて、以前、村でアイザックたちに連れられてイステリアへ行くことになった時のことを思い出した。
あの時、コルツが何か言おうとしたのを、アイザックが不自然に遮った。
きっと、アイザックはコルツがあの場で自らの行いを話すことで、他の村人たちから責められることを防いだのだろう。
アイザックがどうやってコルツから聞き出したのかは分らないが、それを今コルツに聞くのもはばかられた。
「……どうして、大人は嘘をつくの?」
コルツが一良を涙目で見つめて言う。
「アイザックさんも、ウッドさんも、メル姉ちゃんだって……それに……」
コルツがそこまで言い、口をつぐむ。
「メル姉ちゃん?」
「カズラ様、メルフィさんっていう、ウッドさんの彼女さんです」
ニィナが横から一良に補足する。
「彼女ですか……それは、今頃大変な――」
「カズラ様、メル姉ちゃんに酷いことしないって、約束してくれる?」
唸る一良を、コルツが真っ直ぐ見つめて言う。
「えっ? 酷いことって?」
「……約束してよ。俺、もう誰にも嘘はつかないし、騙したりもしない。だから、お願いだよ」
一良が困惑した顔になる。
コルツがそこまで言うということは、何か重大な事柄かもしれない。
この場で頷くことは簡単だが、コルツの願いを聞き入れられるかは分からない。
「……コルツ君。悪いことをしたら、それ相応の罰が下ることもあるんだ」
一良が言うと、コルツの体がびくっと震えた。
明らかに、動揺している様子だ。
「分かってほしい。もし、メルフィさんが何か悪いことをしたんだったら、俺はそれをナルソンさんに報告しなきゃいけない。内容によっては法の裁きを受けることになるかもしれないし、コルツ君の希望どおりになるかは分からない」
でも、と一良が続ける。
「何か知っていることがあるなら、俺に話してくれないか。それは、放っておいていいことじゃないんだろ?」
「……うん。ダメだと、思う」
「コルツ君は、メルフィさんのこと、好きかい?」
一良が諭すような口調で、コルツに語りかける。
コルツはこくりと頷いた。
「好きな人だったら、どんなに悪いことをしたとしても、コルツ君は庇うのかい? それが、正しいことだと思う?」
「……」
コルツがうつむく。
とても卑怯な言いかたをしているということは、一良とて理解している。
だけども、コルツに嘘をついてメルフィの行いを話させるような真似だけは、絶対にしてはいけないと考えていた。
もしそんなことをすれば、コルツは今後、大人の言うことを一切信じないようになってしまうだろう。
それに、この場でコルツが言いかけてしまっている時点で、彼に納得させたうえで話させるしかないのだ。
もしコルツがいろいろな経験をして一人前の大人になっていたならば、好きな人を守るために別の行動が取れただろうな、と頭の片隅で考える。
少なくとも、自分はそうするだろう。
「……悪いことだと思う」
長い沈黙の後、コルツがぽつりとつぶやいた。
顔を上げ、一良を見る。
先ほどまでの怯えた顔ではなく、覚悟を決めた表情だ。
「……メル姉ちゃん、ウッドさんに言われて、ニィナ姉ちゃんの無線機を盗んだんだ」
「えっ!?」
皆がぎょっとした顔になり、ニィナが驚いた声を上げた。
「え、ええっ!? 私の無線機、今もここにあるよ!? 盗まれてなんてないよ!?」
ニィナが腰に付けていた無線機を手に持ち、ほら、と皆に見せる。
コルツはニィナに目を向けた。
「メル姉ちゃん、ニィナ姉ちゃんの部屋の鍵を盗んで、無線機を盗んだんだよ」
「鍵? ……あっ!」
数日前に廊下でメルフィとぶつかった出来事を思い出し、ニィナがはっとした顔になる。
他の娘たちも、まさか、という顔つきになっていた。
「コルツ君、それは絶対にメルフィさんが盗んだって確信はあるのかい?」
一良の問いかけに、コルツはすぐに頷いた。
「うん。俺、メル姉ちゃんがニィナ姉ちゃんの部屋に入って行くのを見たんだ」
「それで、無線機を持ち出したのを見たの?」
「違うよ。ウッドさんとメル姉ちゃんが兵舎の食事棟にいて、メル姉ちゃんが無線機を持ってきて……」
「コルツ君。ゆっくりでいいから、順番に話してくれる? コルツ君がメルフィさんと会った日の初めから、順番に」
バレッタが優しい声で、コルツに言う。
コルツは頷くと、ぽつぽつとその日の出来事を話し出した。
隠れていた納骨堂を出て、水を飲みに食事棟へ入ったこと。
外を歩く一良たちに気付いて息をひそめていたら、ウッドベルに見つかったこと。
メルフィが持ってきた無線機を手にしたウッドベルが、コルツに使いかたを聞いてきたこと。
その後、メルフィの後をつけて、ニィナの部屋に入って行ったのを見たこと。
話が終わると、室内に沈黙が流れた。
青い顔で震えているニィナの肩を、マヤが抱いている。
「それに、納骨堂でウッドさんが言ってたんだ。メル姉ちゃんのこと、『彼氏に頼まれたからって簡単に盗みを働くようなポンコツ』って」
「……そっか」
一良が険しい表情でつぶやく。
メルフィのことは、このまま放置するわけにはいかない。
ナルソンに報告しなければならないし、彼女は捕縛されることになるだろう。
「ありがとう。よく話してくれたね」
一良が微笑み、コルツの頭を撫でる。
コルツは不安そうな顔で一良を見上げた。
「……カズラ様。俺、聞きたいことがあるんだ」
「うん、いいよ。何でも聞いて」
コルツが口を開きかけ、ニィナやバレッタを見る。
「……カズラ様、バレッタ姉ちゃんも一緒に、3人だけで話してもいい?」
「うん、分かった。皆さん、少しの間、部屋の外に出ていてもらえますか?」
「はい。ニィナ、大丈夫?」
マヤが心配そうにニィナの顔を見る。
「……」
「私たちがついてるから。大丈夫だからね」
マヤたちに支えられるようにして、ニィナが部屋を出て行く。
コルツの両親も一緒に部屋を出て行き、室内には一良、バレッタ、コルツの3人だけになった。
「聞きたいことって?」
ちょこんと椅子に座っているコルツに、一良が聞く。
「……カズラ様は神様じゃないって、本当なの?」
「……えっ」
固まる一良に、コルツが涙目を向ける。
「俺、カズラ様がリーゼ様とバレッタ姉ちゃんと歩きながら話してるの、食事棟の中から聞いてたんだ。『俺、ただの人間だぞ』って言ってたよね?」
「……」
「コルツ君、神様って、どんな存在だと思う?」
答えられずにいる一良に代わり、バレッタがコルツに話しかける。
「え?」
「グレイシオール様の言い伝え、コルツ君も知ってるよね?」
「う、うん」
「どんなお話だった?」
「えっと……食べ物がなくて困ってた村の人たちに、たくさん食べ物を持ってきてくれて――」
コルツがグレイシオール伝説のあらましをかいつまんで話す。
バレッタはそれを黙って聞くと、コルツの前にしゃがみ込んで目線を合わせた。
「そうだね。それ、カズラさんのしてくれたことと、何か違いはあるかな?」
「お、同じだけど……でも、カズラ様、自分のことを人間だって言ったよ?」
「うん。でも、カズラさんのしてくれたことって、昔にグレイシオール様がしてくれたことと同じだよね。私たちにとって、カズラさんは神様と同じだと思うの」
「……」
考え込んでいるコルツ。
そういう話ではない、ということはバレッタも分かっている。
「確かに、カズラさんは自分のことを神様じゃないって言ってる。でも、私たちにとっては、グレイシオール様そのものだよね?」
「うん」
コルツが頷く。
実際に一良が村を救ってくれたことは確かだし、貰った食べ物のおかげでこうして剛力を得ていることも言い伝えと同じだ。
「カズラさんはね、私たちのために、ずっと尽くしてきてくれた。私たちを守るために、ずっとグレイシオール様として振る舞ってくれているの」
「……俺たちのために、カズラ様は嘘をついてるの?」
「うん。もし本当のことがバレたら、皆に恨まれるかもしれない。それが分かってても、私たちのためにグレイシオール様になりきっててくれてるの」
「……」
コルツが口を閉ざす。
真剣な表情で、必死に考えている様子だ。
バレッタはちらりと一良を見た。
「……コルツ君、バレッタさんの言うとおりなんだ」
一良が絞り出すような声でコルツに言う。
「皆を騙してることは、本当にすまないと思ってる。すごく卑怯な言い方になっちゃうけど、こうするしかなかったんだ」
「コルツ君。カズラさんにグレイシオール様だって嘘をつくように言ったのは私なの。あの時は、そうするしかなかったから」
「……うん」
コルツが頷き、一良を見る。
「じゃあ、カズラ様はどこの誰なの?」
「グリセア村の雑木林の先にある、別の世界に繋がってる扉から来たんだ。日本っていうところなんだけど」
一良が答えると、コルツは困惑した顔になった。
「日本っていう世界から、食べ物とか持ってきて俺たちを助けてくれたの?」
「うん。そうだよ」
「病気だった人がすぐに元気になったのも、俺たちが力持ちになったのも、カズラ様が持ってきた食べ物を食べたからだよね?」
「そうだね」
「なら、カズラ様、グレイシオール様じゃん。嘘ついてないじゃん」
「「え」」
一良とバレッタが驚いた顔になる。
「だって、言い伝えのままだもん。カズラ様、グレイシオール様じゃん」
「い、いや、俺は普通の人間だよ。別の世界から来たってだけで」
「別の世界から来て皆を助けてくれる人が、グレイシオール様なんでしょ? カズラ様、神様じゃん」
ぽかんとした表情になる一良。
バレッタはコルツの指摘に、「確かに」と思わず内心頷いてしまった。
考えかた一つで神様の定義はこうも簡単に変わるのかと、感心してしまう。
「こういう存在」、と言い伝えと合わさって明確に定義されているのは、こちらの世界ではグレイシオールくらいだろう。
コルツの言い分に、何一つ間違いはない。
「よかった……カズラ様、嘘つきじゃなかったんだ」
「う、うーん……んん?」
ほっとしているコルツと、唸る一良。
バレッタも予想外の展開ながら、2人の間にしこりができずにほっとした顔をしている。
「う……バレッタ姉ちゃん、腕が痛い。ズキズキする」
コルツが顔をしかめ、無くなった左腕を見た。
「あ、ちょっと待ってね。今、お薬をあげるから」
バレッタがポケットからカモミールの精油瓶を取り出し、ハンカチに数滴垂らす。
コルツにそれを数秒嗅がせると痛みが治まったようで、穏やかな顔になった。
ラベンダーの精油とは違い、こちらは意識が朦朧とはしない様子だ。
「今日はもう休んだほうがいいよ。ここの客室が使えるから」
「うん」
こうして話は終わり、一良とバレッタはコルツを両親と一緒に客室へと送ったのだった。