271話:戦場医療
『酷い怪我をしてて、意識もなくてっ! 早く来てくださいっ! どうぞ!』
ニィナの狼狽した声に、一良が慌てて送信ボタンを押す。
「カズラです! どこに行けばいいんですか!? それに怪我って!? どうぞ!」
『治療院です! 腕が変な色でぱんぱんに腫れあがっちゃってて、短剣が突き刺さって……あっ、お医者様! こっちを先に――』
「私、薬と道具を取りに行ってきます!」
それを聞くやいなや、バレッタは階段を駆け下りて行った。
一良も続いて階段を駆け下り、防御塔の外へと出る。
「あら? カズラさん」
治療院へと向かって走っていると、北門へと向かうジルコニアと偶然遭遇した。
「どうしたんです? そんなに慌てて」
「コルツ君が見つかったんです! 酷い怪我をしているみたいで、今治療院にいるらしくて!」
走りながら一良が言うと、ジルコニアも表情を変えて走り出した。
息を切らせて走る一良と並走し、彼に顔を向ける。
「怪我って、何か事故ですか?」
「はあ、はあ、わ、分かりません! 腕が変な色に腫れあがって、短剣が突き刺さっているとかで」
「変な色、ですか……急ぎましょう。カズラさん、手を」
ジルコニアが一良の腕を掴み、走る。
一良は半ば引きずられるようにして走り、砦の北部にある治療院が見えてきた。
出入口には大勢の兵士や使用人たちが出入りしており、中からはうめき声や悲鳴がいくつも響いてくる。
建屋の中に入りきらなかったのか、体に矢が刺さっている者や頭から血を流している者など、100や200では利かないほどの負傷兵が地べたに座り込んでいた。
――こ、こんなに怪我人がいるのか。
すさまじい数の負傷者に、一良は今さらながらに戦慄した。
怪我人の治療は各領地軍(クレイラッツ軍含む)が連れてきた町医者に任せているのだが、その数はすべて合わせても100人程度だ。
彼らの助手や看護人を合わせても、合計で400人少々である。
本来ならば戦地にはこの半分もいればいいほうとのことだったのだが、一良とバレッタの進言で街の治療院から引き抜いて軍に同伴させた。
しかし、これほどまでに大量の怪我人が出るとあっては、とても足りるようには一良には思えなかった。
前回の砦攻めの時よりも、状況はかなり深刻なようだ。
「はあ、はあ……も、もう大丈夫です。放してください」
「はい。カズラさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。俺もジルコニアさんたちみたいになれればいいのに……ぜえ、ぜえ」
ジルコニアに手を放させて、息を切らせながら治療院へと駆け込む。
木造の広々とした平屋建てのその中には大量のベッドが並んでいて、そのすべてに負傷者が横たわっていた。
そこかしこで医者による治療が行われていて、うめき声や治療の激痛に叫び声を上げるものだらけだ。
「こら、暴れるな! お前ら、もっとしっかり押さえんか!」
入口のすぐ傍のベッドでは、今まさに肩に矢が突き刺さっている兵士が矢を引き抜かれている最中だった。
口に板切れを噛まされて痛みに暴れる彼を、数人の兵士がベッドに無理矢理押さえつけている。
医者は額に汗を浮かべながら、矢が刺さっている傷口に薄く平べったいノミのような鉄の板が付いている道具を差し込んで傷口を広げ、力任せに矢を引き抜いた。
ブシュッ、と音を立てて傷口から血が噴き出す。
医者の助手とみられる女性が無表情で傷口に布を押し当てて血を拭った。
「むぐううう!? ぺっ! ちくしょう! てめえ、覚えてろよ!」
矢を引き抜かれた兵士が噛まされていた棒切れを吐き捨て、涙を流しながら医者を睨みつける。
「まだ板を咥えておかんかバカ者が! 本番はこれからだぞ!」
医者が床に置いてあった焼けた炭入りの金属の器から、先が真っ赤に焼けた鉄棒を手に取る。
手伝いをしていた兵士が床に吐き捨てられた板を拾い上げ、その負傷兵の口元に運ぶ。
「ほら、ちゃんと咥えろって!」
「げっ!? バ、バカ言うな! まさかその棒を――」
「やらなきゃ病気になって死んじまうんだよ! 我慢しろ!」
無理矢理口にねじ込むようにして、兵士が負傷兵に板を咥えさせる。
他の兵士たちが全体重をかけて負傷兵を押さえつけると、顔面蒼白になって呻き声を上げる彼の傷口に医者が焼けた鉄棒を近づけた。
「あっ、カズラ様! それにジルコニア様も! こっちです!」
ジュウ、という肉の焼ける音と負傷兵の悲痛な呻き声に被せるようにして、奥の方から声が響いた。
思わずその光景に見入ってしまっていた一良ははっとして、声の方に目を向ける。
部屋の奥で、ニィナがぴょんぴょんと跳ねて手を振っていた。
一良とジルコニアが、ベッドの間を縫ってニィナの下へと走る。
簡易式のベッドに、青白い顔のコルツが横たわっていた。
「コルツ君! カズラ様が来てくれたよ! もう大丈夫だよ!」
「コルツ君、聞こえてる!? しっかりして!」
ベッドの傍にいた村娘たちが、コルツに話しかける。
コルツは薄っすらと目を開けており、朦朧としている様子ながらも意識はあるようだ。
「よかった、意識が……っ!」
一良はそう言いかけて、コルツの腕を見て目を見開いた。
コルツの二の腕は付け根が紐できつく縛られていて、無線で聞いたような短剣が突き刺さっている状態ではなかった。
しかし、その腕の色が尋常ではない。
紫色に腫れあがって普段の2倍以上になっており、怪我による変色は傷を中心として肘や肩の傍にまで達していた。
ぶるぶると体が小刻みに震えており、かなり具合が悪そうだ。
「……これは、切らなきゃダメね」
傷を一目見たジルコニアが、顔をしかめて言う。
似たような症状の負傷兵を、今まで何度も見たことがあるのだ。
「このままだと、2日と持たない。そうでしょ?」
ジルコニアがベッドの傍にいる老年の男に目を向ける。
白いローブを着た彼は、どうやら医者のようだ。
「はい。切り落とせば、半々で助かるかと。よろしいですね?」
「えっ!? そ、そんな! 他に手はないんですか!?」
狼狽して言う一良に、医者は首を振った。
「ありませんな。このまま放置すると、全身が紫色になって死に至ります。しかし、腕を切り落とすと血が大量に出てしまうので……それに、切断する際の痛みに耐えられるかどうか」
「死ぬかもしれないってことですか!?」
一良の問いに、医者が頷く。
「はい。どちらにせよ、このままだと死にますな」
「私がやります!」
その声に一良たちが振り向くと、道具箱を手にしたバレッタが息を切らせていた。
「お医者様。私が手術をしますから、手伝いをお願いします」
バレッタが言うと、医者は困り顔になった。
「心配なのは分かるが、お前さんにできることはないよ。私に任せておきなさい」
「いいえ、私がやります。これは、腕を肩の下から切断しないと助かりません。そうですよね?」
「おそらくな。放っておくと、体中に傷口と同じ色が広がっていって死んでしまうのだ」
「これはガス壊疽という症状と酷似しています。処置の仕方は分かっていますから、私に任せてください」
ガス壊疽とは、傷口から侵入した細菌が筋肉や軟部組織に広がって、有毒なガスを発生させて全身に広がる感染症である。
この世界において一良が持ってきた医学書に書いてあった内容がすべて通用するかは分からないが、それと似たような状態にあるというのがバレッタの見立てだった。
「ガス壊疽? 何だそれは?」
「感染症……病気の一種です。腕の切断と縫合は私がやりますから、手伝っていただけないでしょうか」
バレッタが言うと、医者はいぶかしんだ顔を彼女に向けた。
「何を言ってるんだ。お前みたいな小娘なんぞに、任せられるわけがないだろう」
「ミャギやカフクなどの動物相手にですが、何度も練習して経験はあります。無理やり矢を突き刺してから引き抜いた状態の、ささくれ立った患部の処置も何度も練習しました」
バレッタが医者を真っ直ぐに見る。
「人の上腕には太い動脈という血管が1本と、3本の神経があります。これらを上手く処置しないと、この手術は上手くいきません。私には、それができます。筋肉の縫い合わせと皮膚の縫合もしっかりできる自信があります。私にやらせてください」
「な……」
医者が驚いた顔になり、ジルコニアへと目を向けた。
「この娘がそう言うのなら、大丈夫でしょう。手伝ってあげて」
「……本当に、よろしいのですね?」
「ええ」
ジルコニアにそう言われてしまっては抗えるはずもなく、医者は不服そうながらも一歩下がった。
「ニィナ、そこの棚を持ってきて」
「う、うん」
バレッタに言われ、ニィナが壁際にあった棚を運んでくる。
バレッタはそこに道具箱を置き、開いた。
中には鉗子、ピンセット、メス、針、糸といったものから、細かい歯の付いた手鋸、ヤスリといった道具が大量に入っていた。
それらの他にも、消毒用エタノールや精製水などの瓶が複数入っている。
バレッタの要望で以前、一良が日本で手に入れてきたものだ。
イステリアの医者たちも自前の道具を持っており、それらはバレッタが持っているものと似通った形状の物ばかりだ。
地球においていても、古代ローマ時代から現代に至るまでほとんど形状が変わらずに使われてきた医療道具が数多くある。
「コルツ君、バレッタだよ。分かる?」
「う……バレッタ、姉ちゃん……?」
「コルツ君、大丈夫だからね。気をしっかり持ってね」
バレッタが微笑み、コルツの頭を優しく撫でる。
道具箱の中から銀のトレーを取り出して、棚に置く。
小さな小瓶を取り出し、フタを開けて茶色い粒を1つ出した。
メスでそれを半分に割り、コルツの口に入れる。
「マヤ、お水ある?」
「あるよ! はい!」
マヤが革の革袋をバレッタに差し出す。
「コルツ君、お薬だよ。飲んで」
半分にした粒を指でコルツの口の奥に押し込み、革袋を口に当ててそっと水を流し込んだ。
コルツはこくんと喉を鳴らして、薬を飲み込む。
「バレッタ、それ何?」
周りで見守っていた娘の1人が、バレッタに聞く。
「抗生剤っていうお薬。金魚用のだけど」
「抗生剤? 金魚?」
「うん。本当は魚に使うお薬なの。でも、傷に泥を塗り込んで患部を爛れさせたミャギで試したら効いたから、人にも効くはずだよ」
「そ、そうなんだ」
バレッタは道具箱からラベンダーの精油を取り出し、ハンカチに数滴染み込ませた。
それを、そっとコルツの口に当てる。
しばらくそうしていると、コルツの目がとろんとしてきた。
バレッタはハンカチを離し、道具箱からマスクを取り出して口に着ける。
「ジルコニア様、1つお願いがあるのですが」
「何かしら?」
「元気なラタを10頭ほど用意していただけますか?」
ジルコニアが小首を傾げる。
「いいけど、何に使うの?」
「この病気の薬を作ろうと思いまして。それに必要なんです」
「この病気が治せるようになるってこと?」
「上手くいけば、そうなるかもしれません。コルツ君みたいになってしまう人が出ても、助けられるようにしたくて」
「分かったわ。任せておいて」
ぽんぽんとやり取りをする2人に、医者と傍にいた助手が目を丸くする。
いったい何者なのだろうか、と思っているような表情だ。
バレッタはそれに構わず、消毒用エタノールのフタを開けると自分の手にバシャバシャとかけた。
「では、始めます。カズラさん、お医者様と助手さんにもマスクを」
「は、はい!」
バレッタに言われ、一良は慌てて道具箱からマスクを取り出した。