269話:もう少しだけ
その頃、北の防御陣地では、ナルソンがラタに跨り、地獄絵図と化した前線を見つめていた。
陣地を出て前進している味方の重装歩兵部隊が、長槍を手に敵前衛と白兵戦に突入している。
あちこちでオレンジ色の火の手が上がっており、もうもうたる黒煙が辺りに充満していた。
折しも風向きは追い風であり、後方から来る敵兵は煙に巻かれている様子だ。
味方歩兵の頭上を飛び越えて、無数の火矢が雨あられと敵兵へと襲い掛かっている。
さらには味方陣地に設置された無数のスコーピオンが、敵部隊の中心を狙って滅茶苦茶に撃ちまくっていた。
「こちらナルソン。カタパルト部隊へ通達。火炎弾をできるだけ遠くに、均等な間隔で一斉射撃しろ。敵の中央と前線を遮断する。残弾はいくつだ? どうぞ」
ナルソンが無線機の送信ボタンを押し、冷静な声で語りかける。
『カタパルト部隊了解。各班の残弾、6発です。どうぞ』
「あと3発撃て。その後は石弾に切り替えて、敵前線部隊の後部を狙え。どうぞ」
『了解しました』
「カノン砲部隊、敵のバリスタがまだ多数残っているぞ。破壊は難しいか? どうぞ」
『こちらカノン砲部隊。敵の移動防壁が邪魔で、有効弾を与えるのは難しいです。どうぞ』
バルベール軍のバリスタは後方から援護射撃を行っており、こちらの前線部隊に少なくない被害を与えている。
しかし再装填に時間がかかるようで、数分ごとの射撃を行っていた。
何とか破壊しようとカノン砲で砲撃を加えているのだが、バリスタは移動防壁の隙間から射撃しているため、思うように破壊できずにいた。
「了解した。一旦射撃を中止しろ。カタパルト部隊の攻撃を待って、炎上していない部分から前線に向かってくる敵部隊が現れたら狙い撃て。斉射ではなく、各隊の任意射撃で構わん。どうぞ』
『了解。個別に射撃を行います』
『こちら王都第2軍団サッコルト。中央の敵軍が崩れ始めたぞ。突撃による追撃許可を乞う。どうぞ』
サッコルトからの無線に、ナルソンが彼の軍団のいる中央最前線に目を向ける。
敵は徐々に後退を始めていて、明らかにこちらが押していた。
サッコルトの部隊の長槍兵が一糸乱れぬ動きで敵を突き崩しているのだが、長槍兵が戦っているにもかかわらず、どういうわけかそのすぐ後方にいるクロスボウ兵が敵の最前列の兵士に矢を撃ちまくっていた。
敵前衛は長槍と至近距離からの矢を受けて対処しきれず、すさまじい勢いで死傷者を出している様子だ。
何だあれは、とナルソンが暗視スコープを向ける。
長槍兵の後ろにいるクロスボウ兵たちは、仲間の膝の上に乗って高所から射撃を行っているようだった。
膝に乗っている者の両膝を下の者が両手で支えて固定する、日本の運動会などで見られる「サボテン」のかたちだ。
膝に乗っている者を正面から1人が支えて補助し、1人が装填してもう1人が射撃している兵士に装填済みのクロスボウを渡している。
疲れたら配置を交代し、効率的な射撃を行っているようだ。
「ふむ。あんな戦法もあるのか。サッチー殿、なかなかやるではないか」
ナルソンが感心してつぶやき、無線機の送信ボタンを押す。
「こちらナルソン。3発目の火炎弾が着弾してから総攻撃をかけるゆえ、現状を維持せよ。突撃指示はこちらから出す。どうぞ」
『了解した。11年前の雪辱を果たすのだ!皆殺しにしてくれようぞ!』
『こちらクレイラッツ第一軍団です。カーネリアン様から、軽歩兵による側面攻撃のご提案が出ております。どうぞ』
「こちらナルソン。今は現状維持を……いや、そちらの右側に敵騎兵の大部隊が接近中だ。それに備えるように伝えろ。どうぞ」
『了解です!』
ナルソンが次々にあちこちの部隊に指示を出す。
丘の陣地にいるナルソンからは戦場全域が丸見えであるうえに、無線機のおかげでタイムラグなしで的確な指示が出せている。
バルベール軍からしてみれば、どう攻撃を仕掛けてもアルカディア軍は即座に反応してまったく隙を見せないので、意味が分からないはずだ。
「ナルソン様! ジルコニア様が砦に戻られました!」
指揮を執るナルソンに、ラタに跨った伝令が駆け寄る。
ナルソンは先ほど一良から無線で連絡を受けていたため、ジルコニアの無事は承知済みだ。
「うむ。ジルたちは首を持ち帰ったか?」
すでに知っている情報を、ナルソンがあえて尋ねる。
「はい。1人が持っておりました」
「そうか。計画通り、軍団要塞に残っていた敵将を打ち取ったようだな」
ナルソンが言うと、伝令と周囲にいる兵士たちが「おお」と驚きと喜びの混じった声を漏らした。
実際は、軍団要塞への奇襲はジルコニアによる独断専行だ。
しかし、ナルソンはそれをジルコニア率いる精鋭部隊による極秘の奇襲作戦として、味方に通達することにしていた。
バルベールとの決戦の最中に、ジルコニアが私怨で独断専行を行ったという話が広まるのは非常にまずいからだ。
「ジルは自分の軍団に戻ったのか?」
「それが、かなりお疲れとのことで。宿舎に戻って休まれるようです」
「……そうか。ジルの軍に、今私が言ったことを伝えて回ってこい。いつの間にか司令官が影武者になっていて、兵たちは困惑しているだろう。指揮は引き続き、マクレガーに執らせる」
「了解しましたっ!」
伝令が元気に返事をし、ラタの腹を蹴り駆け出して行く。
その時、味方の陣地から一斉に放たれた火炎弾が夜空にオレンジ色の弧を描き、敵前衛部隊の後方に次々に着弾した。
ボンッ、と音を立てて大きな火の手が上がり、炎に巻かれた敵兵が悲鳴を上げて地面を転げ回る。
一拍置いて、敵陣から甲高い鏑矢の音が3回、立て続けに響いた。
「む、さすがに退くか」
敵の前線部隊が、こちらに背を向けて大慌てで逃げて行く。
このままでは逃げ場を失うと敵司令部は判断して、撤退命令を出したのだろう。
ナルソンがほっと息をつき、無線機の送信ボタンを押した。
「前線部隊へ通達。敵軍は撤退を始めたようだ。炎上している位置まで、敵を追撃して殺せるだけ殺せ。くれぐれも、深追いはするな。どうぞ」
ナルソンが送信ボタンから手を離すと、すぐに了解の返事がいくつも入った。
友軍の前線部隊が一斉に雄叫びを上げ、逃げる敵軍へと突撃を開始する。
陣地にいる味方から、大きな歓声が戦場に響き渡った。
壁の燭台の蝋燭がほのかに照らす薄暗い部屋のなか、リーゼはジルコニアと並んでソファーに腰かけていた。
ジルコニアは先ほどからずっと震えながらすすり泣いており、リーゼは彼女の手を握ってぴったりと寄り添っている。
外からは断続的にカノン砲の砲撃音が響いており、いまだに戦闘は継続しているようだ。
――お母様がこんなに憔悴するなんて……。
今までに一度も見たことのない母の弱々しい姿に、リーゼが心配げな目を向ける。
先日砦の会議室で泣き出したジルコニアを宥めたことはあったが、あの時よりもずっと彼女は弱々しく儚げに見えた。
いったい何があったのかと聞きたい気持ちを押さえ、リーゼはただ黙って母に寄り添う。
しばらくして、ジルコニアが泣くのを止め、ふう、と息をついた。
「……ごめんね。情けない姿を見せて。もう大丈夫よ」
ジルコニアが顔を上げ、リーゼに薄い笑みを向ける。
「ナルソンが待ってるわ。私たちも戻らないと」
「いいえ、大丈夫です。お父様には私から無線で連絡を入れておきましたから」
リーゼが優しく微笑む。
「私がずっと傍にいます。今日は、ゆっくり体を休めてください」
「……ありがとう。あなたは本当に優しい子ね」
ジルコニアがリーゼの頭を撫でる。
「マルケスのところでね、奴の孫娘に会ったの」
「孫娘……ですか?」
「うん」
おずおずと聞き返すリーゼに、ジルコニアが頷く。
「奴に言われたわ。『たった1人の孫なんだ。殺さないでくれ』って」
「……」
「私の家族を殺した奴らは、そいつの家族も友人も全員見つけ出して皆殺しにするつもりだった。絶対に私と同じ目に遭わせてやろうって。そうじゃなきゃ、不公平だって」
ジルコニアが、自身の手を握っているリーゼの手に目を落とす。
「でもね、その娘、私に殺されかけてるマルケスを助けようとして、私に剣を向けてきたの。その姿が昔の自分に見えちゃって、どうしても殺す気になれなくて。その時は見逃そうと思ったの。でも……」
ジルコニアが言葉を詰まらせ、ぐっと奥歯を噛み締める。
数秒置き、再び口を開いた。
「あの娘ね……アーシャっていったかしら。マルケスを殺して去ろうとする私に、『いつか必ず殺してやる』って叫んできたの。それで、『ああ、そっか。この娘も私みたいになるんだな。見逃したりしたら、きっと酷いことになるな』って。だから……」
「お母様……」
リーゼが悲しげな目で、ジルコニアの手を強く握る。
ジルコニアは、その手を柔らかく握り返した。
「もう二度と、誰にも、私の家族に手を出させたりしない。私の判断は、間違いじゃなかったはずよ」
ジルコニアがリーゼを見る。
「私はもう大丈夫。リーゼは、先にナルソンのところに戻ってて。私も少し休んだら、すぐに行くから」
「で、ですが……」
心配するリーゼの頭を、ジルコニアがそっと撫でる。
「私は大丈夫。心配いらないわ」
「……はい」
リーゼが頷き、立ち上がる。
数歩歩き、ジルコニアに振り返った。
「あの……」
「なあに?」
少し迷いの見える表情をしているリーゼに、ジルコニアが微笑み小首を傾げる。
「カズラを……呼んできましょうか? ドアの外で……待っていると、思うので……」
最後のほうは消え入りそうな声で言うリーゼに、ジルコニアがきょとんとした顔になる。
そしてすぐ、苦笑した。
「ううん、大丈夫よ。一人で平気だから」
「は、はい」
リーゼは頷き、静かに部屋を出て行った。
「……はあ」
ジルコニアはソファーに背を預け、目を閉じる。
まさか、リーゼにあんなことを言われるとは思わなかった。
それほどまでに、リーゼには自分が一良を信頼しているように見えていたのだろうか。
――カズラさん、本当は怒ってたのかな。
ぼんやりと、そんなことを考えてしまう。
ハベルは一良が激怒していると言っていたのだから、きっとそうなのだろう。
――でも、嬉しかったな。
一良が言ってくれた言葉の一つ一つを思い出す。
「ずっと、つらかったですね」という言葉をかけてくれた時のことを思い起こすと、少し涙が出た。
「……もう少しだけ頑張って、終わりにしていいよね」
自分に言い聞かせるように言い、涙を拭う。
時折響いていたカノン砲の砲撃音はいつの間にか止んでおり、どうやら戦闘はひと段落ついたようだ。
ジルコニアは立ち上がると、しっかりとした足取りで扉へと向かった。