265話:この日のために
数時間後。
両軍ともに部隊の配備は進み、時刻は夜になっていた。
バルベール軍はかなりの大軍であり、各軍団が配置に就くだけでも長い時間を要するようだ。
敵陣のあちこちに、先ほどまではなかった新たな移動防壁や、新型とみられる車輪付きの大型投石機が姿を現している。
「な、何て数だよ……あいつら、いったい何万人いるんだ?」
暗がりの中にひしめく兵士たちを見て、一良がうめく。
敵陣には大量の篝火が灯っており、大勢の兵士たちが蠢いていた。
かなりの大軍勢で、10個軍団を軽く超えている様相だ。
実際には合計14個もの軍団が集結しているのだが、その正確な数までは一良たちは把握していない。
単純計算で、7万人を超える大軍勢だ。
彼らは砦の北東に狙いを定めるようにして斜めに布陣しているのだが、北門正面となる左翼は比較的薄く、中央と右翼に厚めに軍団が配置されている。
「こっちの倍はいそうだね……こんなに集めるなんて……」
リーゼが険しい顔で言う。
こちらにはカノン砲やスコーピオン、そして数千ものクロスボウがあるが、はたしてそれだけで敵を防ぐことができるのかと不安になってしまう。
それほどに、目の前に広がるバルベール軍の威圧感はすさまじかった。
今回の戦闘では、イステール領第1軍団、第2軍団の副官にはイクシオスとマクレガーが付いている。
リーゼは一良、バレッタと一緒に防壁上にいるようにと、ナルソンから言われていた。
ルグロはナルソンと一緒であり、ルティーナたちは宿舎で待機中である。
「そのうえ夜戦か……このまま戦いが始まったら皆、寝ずに戦うことになるけど大丈夫かな」
「一応、その場で休んでおくようにって指示は出てるよ。ほとんどの人は眠れてないみたいだけど」
リーゼの言葉に、一良とバレッタが防壁の外に敷かれた自軍陣地に目を向ける。
兵士たちは皆が持ち場で座り込んだり寝転んだりしていた。
ほとんどの者は緊張して眠れない様子で、強張った顔で敵陣を眺めている。
すやすやと爆睡している者もいくらかいるが、そのほとんどは古参兵だ。
「皆さん、緊張してるみたいですね……大丈夫でしょうか」
バレッタが心配そうに兵士たちを見つめる。
食事はここ数日、一良が持ってきた米を粥に混ぜて食べさせているので、体力的には問題ないだろう。
心配なのは寝不足による集中力の低下くらいだ。
「寝不足は心配ですよね……バレッタさんは、眠気は大丈夫ですか?」
「はい。緊張しちゃって、完全に目が冴えちゃってます。カズラさんは?」
「俺も同じです。そわそわしちゃって……いつもながら、リーゼは堂々としてるよな。眠くないのか?」
「ちょっとだけ眠いかな。でも、大丈夫だよ」
一良たちがそんな話をしていると、敵陣から1騎の騎兵がこちらに駆けてくるのが見えた。
そのまま陣地のすぐ手前にまで到達し、こちらからも何人か駆け寄って行く。
兜に羽が付いていることから、その中の1人は軍団長の誰かのようだ。
彼らは少しの間何やら話した後別れ、敵の騎兵は敵陣へと駆け戻って行った。
『こちらサッコルト。敵軍からの降伏勧告だ。まあ、形式的なものだな』
しばらくして、一良たちの耳に無線通信の声が響いた。
一良たちは耳にイヤホンを付けており、アルカディア軍の軍団長たちにも無線機の説明をして同様のものを装備させている。
『間もなく戦いが始まるぞ。各々方、祖国の未来のために奮励せよ!』
力強いサッコルトの呼びかけに、3人の表情に緊張が走る。
すぐさま、陣地中央後方のナルソンがいる辺りから、太鼓の大きな音が響き渡った。
寝転んでいた兵士たちは体を起こし、盾を手元に手繰り寄せている。
兵士たちは皆座り込んだままで、立ち上がるのはまだのようだ。
『こちらナルソン。各軍団は準戦闘態勢のまま、こちらから指示するまでその場で待機せよ』
ナルソンの声が一良たちの耳に響く。
ほどなくして、敵陣の方向から甲高いラッパの音が響き渡った。
座り込んでいたバルベールの兵士たちが立ち上がり、陣地を出てゆっくりと前進を開始する。
中隊ごとに分かれた歩兵たちの間からは、いくつもの移動防壁が進んで来ていた。
ほのかな月明かりが照らす薄暗い草原を、銀色の鎧を身に纏った兵士たちがじわじわと接近してくる。
「移動防壁でバリスタを隠してるな……」
一良が双眼鏡を目に当て、倍率を上げる。
中央を進んでくる移動防壁の背後は見えないが、両翼を進む移動防壁の背後にちらりとバリスタが見て取れた。
敵陣の距離がかなり離れていたため、接近するまでにはだいぶ時間がかかりそうだ。
その後ろから進んでくる移動式の投石機には防壁が付いていない。
――ジルコニアさん、大丈夫かな?
ふと、一良はジルコニアがいるはずの自軍の左翼に双眼鏡を向けた。
夕方に自室で見た重厚な兜を被ったジルコニアが、軍団中央後方でラタに跨り、敵陣を見据えているのが見て取れる。
あの場所にいるのなら、敵兵と斬り合うつもりはなさそうだ。
「こちらバレッタ。ナルソン様。敵の移動防壁が邪魔で、今のところカノン砲で敵のバリスタを砲撃できません」
一良がジルコニアの姿に目を向けていると、バレッタが無線でナルソンに話しかけた。
「射撃を行うために防壁から顔を覗かせたら、各個に砲撃を加えます。よろしいでしょうか。どうぞ」
『うむ、そうしてくれ。それと、目標と砲撃のタイミングはお前に任せる。できるだけ引き付けて、ここだと思う時に撃ち込んでやれ。どうぞ』
「か、かしこまりました」
ナルソンの指示に、バレッタが緊張した声で返事をする。
好きな時に撃てということは、戦闘の口火を切ることを任されたのと同じだ。
強張った顔になるバレッタの手を、一良がぎゅっと握った。
「バレッタさん。撃ち込む時は、一緒に指示を出しましょう」
「っ、はい!」
バレッタがほっとした顔で頷く。
2人が握る手に、リーゼが手を重ねた。
「私もやるよ。バレッタ、頑張ろうね!」
「はい!」
そうこうしている間にもバルベール軍は前進を続け、アルカディア軍の最前列から約800メートルほどの位置にまで接近した。
バレッタが無線機の送信ボタンを押す。
「こちらバレッタ。砲撃部隊へ通達。接近中の敵投石機に番号を割り振ります」
防壁上のあちこちに配備されたカノン砲部隊には、無線機を装備したニィナたち村娘が1人ずつ配置されている。
カノン砲は全部で6門であり、すべて防壁上に設置されている。
スコーピオンも百基ほどが防壁に配備されているが、防壁外の陣地にも同程度の数が置かれていた。
「接近中の敵投石機に番号を割り振ります。一番左を1番として、右にいくにつれて2番、3番としていきます」
バレッタが無線に静かに語り掛ける。
6基あるカノン砲にもそれぞれ名前が割り振られており、A砲台、B砲台と左から順番に名前が付けられていた。
「射撃目標指示を出します。A、B砲台は敵1番投石機、C、D砲台は敵2番投石機、E、F砲台は敵3番投石機です。装填開始」
バレッタが指示を出すと、少ししてから「装填完了」を知らせる松明の明かりが防壁上のあちこちで振られた。
「バレッタさん、投石機が止まりましたよ」
こちらの前衛部隊から約500メートルほどの位置にまで接近した投石機が動きを止めたのを見て、一良が言う。
投石機は砦攻めに使われたものに巨大な木製の車輪を付けたものだ。
その数、約10基ほどである。
砦の防壁ではなく、陣地に詰める兵士たちを狙うつもりらしい。
敵の軍勢と移動防壁は、いまだにこちらに接近中だ。
「……いきましょう」
バレッタが腰に付けていた無線機を外して口元に寄せ、イヤホンマイクを抜く。
3人は目を見合わせて頷き、皆でバレッタの持つ無線機を握る。
「「「撃ち方始め!」」」
3人が言った数秒後、防壁上の6カ所から、ほぼ同時にどかんという爆音が響いた。
一拍置いて、標的にされていた3基の投石機に砲弾が直撃した。
「やった! 命中したよ!」
リーゼが明るい声を上げる。
機体下部に直撃弾を食らって即座に倒壊するもの、錘を入れる箱に砲弾が命中して射撃不能になるもの、石弾の装填準備にかかっていた兵士が上半身をちぎり飛ばされてしまうものなど、3つの投石機すべてに何らかの有効弾が確認された。
アルカディア軍の陣地全体から、大きな歓声が湧き起こる。
バレッタは額に脂汗を浮かべながら、再び無線機の送信ボタンを押し込んだ。
「カズラ、双眼鏡貸して!」
「ああ、ほら」
リーゼが双眼鏡を目に当てて投石機を見る。
砲弾の直撃で支柱が真っ二つに折れているそれを見て、「よし!」と拳を握り締めた。
「やった、あれならもう撃てないよ! バレッタ、他の投石機にもどんどん撃たないと!」
「はい。射撃目標変更。A、B砲台は敵4番投石機、C、D砲台は敵5番投石機、E、F砲台はそのまま敵3番投石機を再度攻撃してください。装填完了次第、各個射撃してください」
バレッタが無線機に向かって、静かな口調で指示を出す。
一良も、これならいけそうだとほっと胸を撫で下ろした。
「これなら、なんとかなりそうだな。このままバリスタが接近するまでに、投石機を全部破壊できれば――」
「あれ?」
一良が言いかけた時、双眼鏡で戦場を見渡していたリーゼが声を上げた。
「なんか、すごく遠くに何かが走ってるんだけど」
「ん? 何かって?」
一良がリーゼに尋ねる。
「分かんないけど……すごい速さだよ。あっちは敵の軍団要塞がある方だね」
リーゼの指差す先に、一良が目を凝らす。
闇の中、かなり遠方に蠢く集団がかすかに見て取れた。
かなり離れているうえに夜ということもあって、何なのか判別がつかない。
「もしかして、オルマシオール様かも! カズラ、暗視スコープ貸して!」
「マジか。こんな時まで手を貸してくれるなんて……ほら」
「ありがと!」
リーゼが暗視スコープを受け取り、目に当てる。
ズームボタンを押し、少しずつその集団の姿が鮮明になってきた。
「今なら軍団要塞はがら空きだもんね……あれ?」
リーゼが怪訝そうな声を上げる。
「どうした?」
「オルマシオール様たちじゃなくて、騎兵隊みたい」
「騎兵隊? 敵の騎兵隊じゃないのか?」
「んー、どうだろ。なんか、あの騎兵たち、ものすごく速……えっ!?」
一良が無線機を使おうとしていると、リーゼが驚いた声を上げた。
「どうした?」
「お、お母様……! 騎兵隊の先頭に、お母様がいる!」
「……は? んなわけないだろ。ジルコニアさんなら、ずっとあそこにいるぞ」
一良がきょとんとした顔で、第2軍団がいる陣地に目を向ける。
少し前に確認した時と同様に、彼女はラタに跨って前方に目を向けていた。
「だ、だって、本当にあれはお母様だよ! カズラも見てよ!」
リーゼに暗視スコープを押し付けられ、一良が目に当てる。
ラタに跨り短槍を手にしたジルコニアが、数十の騎兵を引き連れて敵の軍団要塞へとんでもない速さで突き進んでいた。
「な……」
一良は一瞬言葉を失い、慌てて無線機を手に取った。
第2軍団の陣地にいる、ジルコニアがいるはずだった場所にいる騎兵に目を向ける。
「第2軍団のジルコニアさんのふりをしている奴!」
一良が無線機に怒鳴りつける。
その騎兵が、わずかに顔を動かした。
「お前は誰だ!? 兜を外せ!」
その騎兵が兜に手をかけ、ゆっくりとした動作で脱ぎ、こちらを振り向いた。
今まで一良たちがジルコニアだと思っていたのは、髪をジルコニアと同じ長さにまで切り揃えたセレットだった。
「セレットさん……どうして……」
この場にいるはずのないセレットの姿に、一良が愕然とした声を漏らす。
「カズラ、お母様が!」
そうしている間にも、ジルコニアたちは敵陣へと向かって行く。
一良の脳裏に、数日前に彼女に言われた「私に何かあったら――」という言葉が過る。
次の瞬間、一良は防壁の階段へと駆け出していた。