259話:どうするつもり?
砦に戻り、一良たちと別れたニィナたち村娘は、自身の寝泊まりする使用人棟へと皆で歩いていた。
「はー、汗でベトベトだよ。今日、すっごく蒸し暑いよね」
ニィナが服の胸元を摘んでぱたぱたする。
ここ最近、季節外れの雨が多く、気温の高さも相まって、かなり蒸し暑い。
「だよねー。早くお風呂に入ってさっぱりしたいよ」
「お風呂から出たら、皆で果物の缶食べない? 私、水瓶で冷やしておいたんだ」
「おっ、マヤ、気が利くじゃん!」
「ほんといい娘だよ、あんたは!」
皆がわっとマヤを褒め称えてこねくり回す。
「えへへ。出発前にカズラ様から、いろんな種類の果物の缶詰を貰ったの。皆で食べてって言ってくれて」
「そうなんだ。マヤ、最近カズラ様と仲いいよね」
「ねー。屋上でカズラ様に抱き着いてから、なんだか距離が詰まった感じがしてさ。よく話してるとこ見るし」
「でも、あんまり色目使うとバレッタに怒られるよ?」
「大丈夫だって。お妾さんにしてもらえたらなってくらいにしか、考えてないし」
「「「それを色目って言うんだよ!」」」
わいわいと雑談をしながら、使用人棟の玄関をくぐる。
「あーあ。私もオルマシオール様に会ってみたかったなぁ。いろんな神様と友達になれたら、なんだか楽しそう」
「オルマシオール様も、カズラ様みたいに優しい人なのかな?」
「人っていうか、見た目は獣だったじゃない。この前の会戦で見たでしょ?」
「異種族間の恋……うう、なんだか切ない感じがして燃え上がりそう」
部屋に向かって歩いていると、曲がり角の先からぱたぱたと誰かが走って来る音が響いた。
慌てた様子で姿を現したメルフィが、ニィナとぶつかりそうになる。
「わわっ!? あいたっ!?」
「わあっ!?」
メルフィが驚いてのけぞった拍子に、その場に尻もちをつく。
「ちょ、メルフィさん、大丈夫ですかっ!?」
「いたた……あ」
メルフィがニィナたちの姿を見て、表情を引きつらせる。
娘たちが慌てて、彼女に手を貸して立ち上がらせた。
「どうしたんです? そんなに慌てて」
「あ、えっと……」
「あれ? これ、ニィナの部屋の鍵じゃない?」
メルフィの足元に落ちていた鍵を、マヤが拾い上げる。
鍵にはニィナが手作りした、アルマル(真っ黒なウサギのような獣)の小さなバレッタのぬいぐるみが付いている。
「えっ? あれ、ほんとだ。ポケットに入れといたと思ったんだけど」
ニィナがポケットの裏地を引っ張り出して言う。
「う、うん! そこでたまたま拾って、届けなきゃって思って!」
「あちゃ、そうだったんですね。ありがとうございます」
「いえいえ! それじゃ!」
メルフィが慌てた様子で、ばたばたと走り去って行く。
「ちょっと、ニィナ、ダメじゃないの。部屋の鍵を落とすなんて危ないよ!」
「そうだよ。見られたらダメなものも置きっぱなしなんだから」
「ご、ごめん。おかしいな、いつ落としたんだろ?」
頭を傾げながら、皆で廊下を進む。
宿舎のお風呂に集合と決めて皆と別れ、ニィナは自分の部屋に入った。
3畳ほどのスペースの、板張りの小奇麗な部屋だ。
ベッド、引き出し付きの机、タンスがあるだけの簡素なものだが、大部屋ではないだけ他の使用人に比べればかなり恵まれている。
部屋の隅には、一良から貰った缶詰や米、乾燥野菜といった食べ物が入った木箱が置かれていた。
「はあ、やっちゃった……泥棒とか、入ってないよね?」
念のため、机の引き出しを開けて中を見る。
「ええと、ノート1冊、ボールペン2本、無線機、お財布。中身は……よし、大丈夫……ん?」
ニィナが首を傾げ、引き出しの中を見つめる。
無線機を取り出し、小首を傾げた。
確か、いつもは2段目の引き出しにしまっていたような気がするのだが。
しかし、なくなっているのならともかくとして、現物はここにあるのだ。
まあいいか、とニィナは無線機を2段目にしまい直し、風呂へ行く用意をするのだった。
翌日の午後。
砦の北の防御塔に、一良たち首脳陣は集まっていた。
視界の先には、バルベール軍によって築かれた防御陣地が広がっている。
今も、多数の兵士たちが荷車や天秤棒を使って泥を運び、陣地を作っている様子が見て取れた。
馬防柵や櫓、さらには防塁まで備えた、かなり大掛かりな陣地だ。
「この度は到着が遅くなり、申し訳ございません。編成に少々手間取りまして」
バルベール陣地を眺めながら、カーネリアンがナルソンに言う。
つい数時間前に、クレイラッツの軍勢が砦に来援したのだ。
軍司令官のカーネリアンをはじめとした数人の指揮官が、一緒に敵陣を眺めている。
「いやいや、来援いただき感謝いたします。バルベールはまだ集結しきれていないようですし、時間的余裕はまだ少しはありそうです」
「そのようですね。特に、東のプロティアやエルタイル方面からの軍勢が所々で妨害に遭って、行軍に支障が出ていると聞いています。まさかあんな遠方にまで手勢を出すとは、さすがですね」
「妨害……ですか?」
身に覚えのない情報に、ナルソンが怪訝な顔になる。
他の軍団長たちも、何のことだ、と互いに顔を見合わせていた。
「ええ。森の中の小道に大量の倒木があって除去に手間取ったり、落石が道を塞いでいて進軍に支障が出ているようです。貴国が行った妨害工作ではないのですか?」
「いや……さすがに我らも、そんな遠方にまで兵を出す余裕はありません。地理も把握できていませんし……プロティアかエルタイルが行ったことでは?」
「いいえ、それはないでしょう。彼らは日和見を決め込むようですので」
傍らにいた若い外交官からカーネリアンが書状を2枚受け取り、ナルソンに差し出す。
「……これは?」
「プロティア王国とエルタイル王国からの書状です。貴国へ送り届けるようにと、使者に頼まれました。自分たちで送る気すらないようでして」
ナルソンが書状を受け取る。
蝋で封がしてあり、蝋に押し付けられたマークはプロティア王家とエルタイル王家の家紋だ。
ナルソンはそれを開いて目を走らせ、顔をしかめた。
「『先の戦いの痛手から回復しきれておらず、軍勢や物資を送る余裕はない』、か。両方とも、一語一句変わらず同じ文面ですな」
「やはりそうですか。私たちの下へ送られてきた書状も、まるで書き写したかのように、まったく同じ内容でした」
「両国ともバルベール側に付いた、ということでしょうか?」
「いえ、先日イステリアに伺った時にも申しましたが、彼らは日和見を決めているのでしょう。書状の内容からみて、両国は口裏を合わせているのかと」
何年も前からプロティアとエルタイルにはバルベールから離反工作が行われていたことは確実で、両国とも当初は寝返るつもりだったと見て間違いないだろう。
だが、バルベールが休戦条約を一方的に破棄して砦に攻め入ったことで、『果たしてこのままバルベールに付いても大丈夫なのか?』という考えが生まれた、というのがカーネリアンの見解だ。
たとえ今同盟国を裏切って生き延びたとしても、後々約束を反故にされて攻め滅ぼされるのでは、と両国とも考えたのではないか。
しかし、バルベールは圧倒的な大国であり、離反の話を蹴るというのは、それはそれで取り返しのつかないことにもなりかねない。
だがそこに来て、アルカディアの砦奪還の一報である。
バルベールが全力を挙げ、アルカディア・クレイラッツ連合軍が守る砦を再奪還したならば、同盟国を裏切ってバルベール側に付く。
しかし、バルベールが砦を何年も攻めあぐねたり、はたまた敗北するようであれば、同盟は維持してバルベールに攻め入る。
それまでは、形だけは同盟に加わっているということにして、日和見を決め込もうというのだ。
これらの内容は、前回カーネリアンがイステリアに来た時に出た話だ。
「まあ、休戦前の戦いでは、プロティアもエルタイルも我らと同じ戦場には立ちませんでしたからな。いかんせん、距離が離れすぎている」
「ですね。私たちクレイラッツは、プロティアとは何度か一緒に戦いましたが、エルタイルからは海上輸送で物資のやり取りがあったくらいです」
「ふむ。ではこの書状は、『現時点で裏切っているわけではない』という言い訳のようなものですか」
「そんなところでしょうね。まったく、両国とも、ろくなものではありません」
カーネリアンが呆れたような口ぶりで言う。
自由のために死ぬ覚悟で戦うというクレイラッツの者たちからしてみれば、プロティアもエルタイルも命が惜しいだけの腰抜けに見えるのだ。
ナルソンとしては、自国が生き残る手段としてそういった選択をした両国の考えも理解できる。
どんな選択が正しいかなど、後世にならなければ分かるはずもない。
「敵の陣地構築の具合はどうでしょうか? 見たところ、かなり進んでいるようですが」
「ええ。奴らの兵は陣地構築にかなり慣れているようでして。この分だと、あと数日で完成といったところでしょうか」
バルベール軍は砦から2キロほど離れた場所で、すでに大掛かりな陣地構築を開始している。
森から切り出した木材でいたるところに馬防柵を設置し、土を盛って防塁を築き、いくつもの櫓を組み立てている様子だ。
こちらからの反撃を警戒してのものだろう。
前回に比べてかなり距離が離れているのは、カノン砲の砲撃を警戒しているとみて間違いない。
「だいぶ離れた場所に陣地を作ったようですが、まさかあそこまでカノン砲の弾が届くとは考えていないようです。戦いが始まれば、敵は目を剥くでしょうな」
「この場所から、あの陣地まで届くのですか?」
カーネリアンが信じられないといった顔で言う。
「届きますとも。バレッタ、そうだな?」
「はい。最大で、あの距離の3倍近くまでは届く計算です。威力と命中精度は、かなり落ちますが」
バレッタの台詞に、カーネリアンたちだけでなく、王都軍やフライス領軍の軍団長たちまでもが驚いてどよめいた。
バルベール軍が使ってきた遠投投石機ですら、400~500メートルといった射程だったのだ。
それを10倍以上も上回る射程があるなどと言われれば、驚いて当然である。
「ふむ……そのような兵器をいくつも有しているのなら、この戦いは利がありそうですね」
「ええ。近づかれなければ、どうということはありません。まあ、たとえ大軍で接近されたとしても――」
「ねえねえ、カズラ。ちょっとこっち来て」
一良がナルソンたちの話に耳を傾けていると、隣にいたリーゼが一良の袖を引っ張った。
こっそりと皆から離れ、防御塔の柵の傍に来る。
「どうした?」
「さっきカーネリアン様が言ってた妨害工作って、オルマシオール様がやってくれたのかな?」
「あー……それはあるかもな。『微力ながら、加勢はさせてもらう』って言ってたし」
「戦いの時にも、前みたいに一緒に戦ってくれないかな?」
「それはどうかなぁ。来てくれればありがたいけど、この前は何匹もウリボウが殺されちゃったし、黒い女の人も大怪我してたし。不死身ってわけでもないみたいだから、下手すれば戦いで死んじゃうかもしれないぞ」
「あ、そっか……さすがにそれはダメだよね。あとさ」
リーゼがちらりとジルコニアを見る。
ジルコニアは穏やかな表情で、ナルソンやカーネリアンと何やら話している様子だ。
「最近のお母様、なんか様子が変じゃない?」
「え、そうか? ここ何日かで落ち着いてきたみたいだし、別に変っていうふうには感じないけど」
カイレンとの交渉以来、ジルコニアは彼からの返事がこないもどかしさからか、常にピリピリとした雰囲気を纏っていた。
だが、近頃はそれも落ち着いた様子で、以前のように皆との雑談に加わるようにもなっている。
とはいえ、決戦の前ということもあり、連日兵士たちを集めては、猛烈な戦闘訓練に励むようになっていた。
付き合わされているのは、もっぱら彼女の子飼いの護衛兵や、古くから付き従っている第2軍団の古参兵たちだ。
また前線に飛び込むつもりなのではと心配したナルソンが声をかけたりもしたのだが、「そんなことしない」と言って笑ってあしらっていた。
「えっと、なんていうか言葉では表しづらいんだけど……妙に落ち着いてるっていうか、前よりも私に話しかけてくる頻度が増えたっていうか」
「そりゃあ、戦いの前だし、ジルコニアさんも不安なんじゃないか? リーゼと話してるのが一番落ち着くんだよ、きっと」
「そうなのかな……」
納得がいかないといった様子で、リーゼは不安そうにジルコニアを見つめる。
ジルコニアは敵陣を指差して、ナルソンたちに何やら話している様子だ。
一良がリーゼをうながし、彼らの下に戻る。
「敵の防御陣地だけど、砦から見て右側だけかなり広く作ってあるわ。あそこを起点にして、こちらの右翼を集中的に攻めてくるつもりでしょうね」
「うむ。真正面から攻めるよりも、防壁上からの攻撃を多少なりとも受けにくくなると考えているのだろうな」
「うん。ナルソンの第1軍団を右寄りに配置して、王都軍とフライス領軍で両脇を固めましょう。手薄な左翼は、私の第2軍団が受け持つわ」
「ふむ。まあ、それで問題はないと思うが、お前が部隊の配置に口を出すなんて珍しいな。それも、自分の軍団を真正面に置かないとは」
意外そうに言うナルソンに、ジルコニアがにこりと微笑む。
「私だって、ただ剣を振るってたわけじゃないもの。どうすればいいのかくらい、考えたりもするわ。正面はあなたが守ったほうがいいでしょう?」
「そうだな。だが、いつでも互いに連絡を取れる状態にあるのだから、本陣の配置はそこまで気にする必要もないがな」
ナルソンがカーネリアンたちに目を向ける。
「カーネリアン殿。此度の戦いは、私が全軍の総指揮を執らせていただきたい。連絡役として、我が軍から1名付けますので、当日の行動はその者の指示に従っていただければ」
ナルソンが言うと、カーネリアンはすぐに頷いた。
「ええ、もとよりそのつもりです。不慣れな地ゆえ、あなた方の指示に従いましょう。しかし、連絡役など置かなくとも、伝令を送ればよいのでは?」
「いえ、実は伝令よりも早く確実な連絡手段がありまして。詳細は言えないのですが、ご容赦ください」
「む。もしや、また新たな道具を作りだしたので?」
「ええ、まあ。詳しく説明できず申し訳ございません」
カーネリアンや他の指揮官たちが、怪訝な顔になる。
共に命をかけて戦うのだから、すべての情報を共有すべきと思うのは当然だろうな、と傍で聞きながら一良は思った。
「……承知しました。今さら文句を言うつもりはありませんが、我らは自国の民の命を貴君に預けるのです。勝利の暁には、それ相応の対価は頂きますよ」
「もちろんです。無理を言った手前、可能な限り戦費の補填はさせていただきます」
ナルソンがにこりとカーネリアンに微笑む。
王都軍やフライス領軍の軍司令官たちも、それについては特に文句はないようだ。
ちなみに、あれから一良は、地獄の動画を見た者たちに、「失敗を恐れて意見を出さないようなことは絶対にしないでくれ」と個別に話して聞かせていた。
たとえ出した意見が採用されて事態が悪い方向に転がったとしても、国のために努力したという事実は称賛されるべきものと伝えてある。
彼らがひたすらに気にしている「徳」の評価にも繋がると言ってあるので、イエスマン集団になるということは避けられるはずだ。
一良に対して絶対服従というスタンスには、全員変わりないようだが。
「バレッタさん、何をしてるんです?」
丘の先を小さく指差しながらもごもごと口を動かしているバレッタに一良が気づき、声をかける。
「あ、はい。火炎弾の投射位置を考えてて。敵が全面攻勢をかけてきたら、両翼を炎上させれば敵兵は中央からしか進めません。なので、中央にスコーピオンを多めに配備して、ぎりぎりまで引き付けてから集中砲火を浴びせるのがいいかなって」
「そ、そうですか。それは効果的ですね」
「ただ、戦場がかなり広いので、投射地点はよく考えないと。追い風があれば、ガソリンの黒煙で敵司令部の目もくらますことができそうなんですが」
「バレッタは、もう私の代わりに副軍団長あたりの役職に付いたほうがいいんじゃない? 私なんかより、よっぽど頭が回るしさ」
リーゼの提案に、バレッタが苦笑する。
「いえ、私はただの頭でっかちなんで、そんなのは無理ですよ。実戦になったら、きっと冷静な判断なんて下せないと思いますし」
「えー、そうかなぁ? バレッタって、いつでも冷静ですごく頼りになるよ? カズラのことになると、周りが見えなくなっちゃうけど」
「う……こ、後半部分は自覚してます……」
バレッタが一良をちらりと見る。
リーゼが一良の腕に抱き着き、その横腹を肘でつついた。
「まったく、こんな可愛い娘2人に愛されちゃってどうするつもり? この色男!」
「え? え、えっと……こ、光栄です」
面と向かってそんなことを言われ、一良がどもる。
そんな3人を、近くにいた軍団長の何人かが「グレイシオール様がいちゃついてらっしゃる……」と思いながらチラ見していた。