257話:友達だろ?
その日の夜。
しんと静まり返っている納骨堂内に、ギイ、という扉がきしむ音が響き渡った。
地下室へとつながる扉から顔を覗かせたコルツが、暗闇にそっと目を走らせる。
「……」
時刻は23時を回っており、冷たい石造りの納骨堂内には誰もいない。
そこかしこに背の高い棚が設置され、遺骨の入った大量の木箱が並んでいる。
コルツは人の気配がないことを確認してから室内に入り、扉をそっと閉めた。
広々とした真っ暗な室内を、慣れた様子で壁際へと歩く。
高さ5メートルほどの位置にある採光窓を見上げ、その真下にある棚をよじ登った。
棚の上で立ち上がり、採光窓を見上げる。
窓まで、あと3メートルほどの高さだ。
「よっ!」
コルツはぐっとかがむと、勢いよく垂直に跳んだ。
2メートル近くも跳躍し、窓のふちに両手をかける。
そのままぐっと窓枠に上がると、向かいの建物の屋根に飛び移った。
とん、と軽い音を立てて屋根に着地し、周囲を見渡す。
周囲に人がいないことを確認し、屋根の上を走って飛び移りながら、兵舎の建ち並ぶ区画までやって来た。
食事棟の上に来ると、屋根に手をかけ、煮炊きの排煙用の窓からするりと中へ入った。
軽やかに着地し、傍にあった水瓶に歩み寄る。
ここは、食事棟の調理場だ。
「ふう……干からびるところだった」
傍にあった柄杓で水を掬い、ごくごくと喉を鳴らして飲む。
コルツは砦に来てからというもの、時折こうして水を得るために食事棟へとやって来ていた。
隠れていた間の食べ物は、家から持ってきた糒だ。
1日で口にする分量はたった一口ほどだが、今のところ問題なく活動できている。
炊いた米を干したものが糒という保存食になることはコルツは知らなかったのだが、「干せば長持ちするんじゃないか」と考えて、食事のたびに出る白飯を少しずつ持ち出して干してみたら上手くいったのだ。
グレイシオールの言い伝えと今までの経験から、自分の体が一良が持ってきた食べ物を一口食べれば、丸一日程度なら十分活動できることは分かっていた。
「おっ、パンだ」
近くのテーブルにあったカゴに掛けられていた布をめくると、丸パンが入っていた。
おそらく、夕食の残り物だろう。
早速、1つ手に取って齧る。
――ミュラ、大丈夫かな。大人たちにバラしてないといいけど。
もぐもぐと口を動かしながら、イステリアにいる友人を思い浮かべる。
部隊の運ぶ飼い葉に紛れてこっそり砦にやってくる計画を、コルツはミュラに打ち明けていた。
当然ながら彼女には必死に止められたのだが、「どうしても」と説得してなんとか協力を取り付けた。
部隊がイステリアを発つ日の朝、コルツはミュラをこっそり家に呼び、両親の目を欺くために自分のベッドで毛布に包まわせて身代わりになってもらった。
ウッドベルがやってきて、返事を聞いたのはミュラの声だったのだ。
その間にコルツは部隊に忍び込み、荷馬車の飼い葉にもぐりこんで砦までやって来たのだった。
「……!」
コルツがパンを齧りながら革の水筒に水を入れていると、窓の外から誰かがしゃべりながら歩いてくる音が聞こえてきた。
とっさに物陰に隠れて、耳を澄ます。
「今さらだけどさ、こんな夜中にいきなり森に行って、ウリボウたちは出てきてくれるのかな?」
「事前に連絡を取れたりはしないの? 夢の中で伝えるとかさ」
「できるわけないだろ。俺、ただの人間だぞ」
「でも、カズラは野営地でご神託を受けられたんでしょ? 夢の中で呼びかけたら、その時みたいに話せるんじゃない?」
聞き覚えのある声と名前に、コルツは「えっ」と思わず声を漏らした。
足音と声は、壁を挟んだ向こうから聞こえてくるようだ。
「いや、いつも彼らから接触してくるから、こっちからっていうのは無理だよ。ていうか、あれは本当に夢じゃなかったんだって」
「えー? だって、あり得ないじゃん。見張りだらけの野営地にウリボウが入って来て、誰も気づかないなんてさ」
「だから、本当に……バレッタさん、何とか言ってやってくださいよ」
「うーん……私もそれについては、カズラさんの夢だと思ってて……」
「うわ、バレッタさんまで俺を否定するんですか。どんな時でも俺の味方というのは嘘だったのか……」
「えっ!? べ、別にカズラさんを否定してるわけじゃなくて!」
――今から森に? それに、ただの人間って……。
一良たちを追おうと、コルツが物陰から出て窓に目を向けた時。
ぽん、と誰かがコルツの頭に手を置いた。
「うむぐっ!?」
「騒ぐな。俺だ、ウッドだよ」
思わず叫び声を上げそうになった口を押さえつけられ、コルツが首を回して背後を見る。
いつの間に背後にやって来たのか、ウッドベルがコルツの口と頭を押さえつけていた。
「離すぞ。大声出さないでくれよ?」
ウッドベルに言われ、コルツがこくこくと頷く。
拘束を解かれ、コルツは背後を振り返った。
「ウッドさん……」
「ったく。お前、本当に砦に来てたのか」
やれやれといった顔で言うウッドベル。
「いったいどうやって付いてきたんだ? お前、俺が家に行った時はベッドで――」
「あっ、コルツ君!」
ウッドベルの背後から響いた声に、コルツが目を向ける。
ウッドベルの彼女のメルフィが、食堂の入口から驚いた顔でコルツを見ていた。
どういうわけか、服が少し乱れているように見える。
「メル姉ちゃんまで……なんでこんな時間に、ここにいるの?」
「え? え、えっと……お、大人の事情ってやつかな!」
えへへ、とメルフィが誤魔化し笑いをする。
「それより、コルツ君。皆、キミを探して大騒ぎしてたんだよ? 今までどこにいたの?」
「……」
コルツが口をつぐみ、うつむく。
「こら! 黙ってたら分からないでしょ! ちゃんと答えなさい! 私もウッドも、すっごく心配したんだからね!?」
「そうだぞ。お前、いったいどこに隠れてたんだ?」
メルフィに続き、ウッドベルも険しい表情でコルツに言う。
「砦でもイステリアでも、お前を探して大騒ぎだったんだぞ。ご両親だって、死ぬほど心配してるはずだ」
「そうだよ! お母さん毎日泣いてるって、ニィナちゃんが言ってたよ? コルツ君、どうして砦になんか来たの?」
「……そういえばお前、しばらく前に、カズラ様を守れるとかなんとかって言ってたよな?」
ウッドベルが言うと、コルツが少し顔を上げた。
「とりあえず、話を聞かせてみろよ。ここまでやるってことは、それ相応の理由があるんだろ?」
「……」
「誰かに言ったり、お前をカズラ様とかナルソン様に突き出したりなんてしないからさ。俺に話してみてくれないか?」
「えっ、ちょ、ちょっとウッド! そんな約束――」
「メルフィちゃん。友達がここまで悩んでたら、助けてやりたいって思うのが普通だと思うんだけど、どうかな?」
ウッドベルがメルフィに顔だけで少し振り返って、にかっと笑って言う。
「でも……あそこまで大騒ぎしてたのに、匿ったりしたら大変なことになるよ? ウッドの上官に報告したほうがいいよ」
戸惑った様子で言うメルフィに、ウッドベルが「いやいや」と首を振る。
「規則だ罰則だってのは、友情の前には何の効力もないもんさ。な、コルツ?」
ウッドベルがコルツに笑いかける。
コルツは険しい顔のまま、ウッドベルを見返す。
「そんな顔すんなって。協力してやろうって言ってるんだからさ。理由、話してみろよ?」
「……俺、オルマシオール様と約束したんだ。だから、カズラ様の傍にいないといけないんだ」
「オルマシオール様……戦いの神様だよな?」
「うん」
ウッドベルとメルフィが顔を見合わす。
「神様と約束って、何か誓いでも立てたってことか?」
「違うよ。オルマシオール様から、カズラ様の傍にいるようにって言われたんだ。それで、約束したんだよ」
「あのねぇ、コルツ君。ウッドは真面目に聞いてるんだよ? どうして、そんな嘘を言うの?」
「……はあ」
少し怒ったように言うメルフィに、コルツがため息をつく。
その様子に、メルフィはむっとした顔になった。
「ちょっと! なんでため息なんてつくかな!」
「嘘なんて言ってないのに、メル姉ちゃんが嘘だって決めつけるから」
「何言ってんの! 神様と会って話したなんて言われて、はいそうですかって信じるほうがどうかしてるでしょ!?」
「まあまあ、メルフィちゃん。そうカリカリすんなって。コルツにだって、言いにくい理由があるんだよ」
怒るメルフィを、ウッドベルが宥める。
「なっ!? ウッドまでそんなこと言う! あれだけたくさんの人に迷惑かけたんだよ? 悪いことしたらちゃんと反省させないと、ろくな大人にならないよ!?」
「いいから、ここは俺に任せろって。後でちゃんと、さっきの続きしてやるからさ」
「っ……もう!」
ぷい、とメルフィが顔を赤らめてそっぽを向く。
ウッドベルは苦笑すると、コルツに顔を向けた。
「まあ、お前はカズラ様の傍にいないといけないってのは分かったよ。この戦いが終わるまで、砦にいるつもりなんだな?」
「うん。だから、カズラ様たちには俺がいたってことは黙ってて。見つかったら、イステリアに送り返されちゃうから」
「ふむ。でも、お前の父ちゃんと母ちゃん、すっごく心配してると思うんだ。そこは何か考えて、無事を伝えるくらいはしないといけないんじゃないか?」
「それは……」
ウッドベルの指摘に、コルツが口ごもる。
両親が今もイステリアでコルツをあちこち探しまわっているのは知っていた。
ニィナたちがコルツを探しながら、そんな話をしているのを、隠れながら耳にしたからだ。
コルツは一日中納骨堂にいるわけではなく、夜のうちに移動して、民家の屋根裏や厩の梁の上に潜んでいた。
通りかかる人の話を聞いて、今砦がどんな状況にあるのかを知っておくためだ。
納骨堂に戻るのは、食事と睡眠を取る時だけである。
「メルフィ、あの黒いやつを持ってきてくれ」
「えっ? でも……」
「いいから、な?」
「う、うん」
メルフィが食堂に走り、黒い物体を持って戻ってきた。
無線機だ。
「コルツ、お前、これの使い方知ってるか?」
「えっ……ウッドさん、これどうしたの?」
コルツが驚いた顔で、ウッドベルを見上げる。
「メルフィも持たされてるんだよ。ニィナって娘たちと一緒に、カズラ様の手伝いでさ。な?」
ウッドベルがメルフィをちらりと見る。
メルフィはこくこくと頷いた。
「これを使えば、離れた相手とでも話ができるんだろ? コルツは使い方知ってるか?」
「……知らないよ。何か話してるのは見たことがあるけど、どうやったら使えるのかまでは見たことないし」
コルツはそう言って、ウッドベルを見上げる。
「メル姉ちゃんに聞けばいいじゃん。手伝いで持たされてるなら、使い方も分かるでしょ?」
「それがさ、機密情報だからって言って教えてくれないんだよ。どんなものなのか、俺も興味があるんだけどさ」
「……興味があっても、聞いちゃいけないこともあるんだよ。メル姉ちゃんだって困っちゃうよ」
コルツがメルフィを見上げる。
「そ、そうなのよ! ウッド、ダメなものはダメなんだから、諦めなよ!」
「なんだよ、ケチだなぁ。まあ、仕方がないか」
ウッドベルは軽く笑うと、よし、と言って立ち上がった。
「さて、コルツ。お前に協力するにあたって、1つ聞いておかないといけないことがあるんだけどさ」
「……なに?」
「お前、今までどこに隠れてたんだ?」
「納骨堂の地下の木箱の中だよ」
コルツが言うと、メルフィが驚愕した顔になった。
「えっ!? 納骨堂の地下って、あの骨だらけの場所に隠れてたの!?」
「うん。あそこなら、誰も来ないと思って」
砦に来る前、コルツはロズルーから、ジルコニアを救出した際の話を聞いていた。
そのなかで、納骨堂の地下の話も聞いており、隠れ場所にちょうどいいと目星をつけていたのだ。
根掘り葉掘り聞いてくるコルツに、ロズルーは「やっぱり男の子だな」と微笑ましく思いながらも、納骨堂の外観や砦内での位置などを詳しく教えたのだった。
「マジか。俺、あそこは一回探したんだけどな」
「ウッドさんが来たのは知ってるよ。俺が隠れてる木箱の隣の箱を開けたでしょ?」
「あー、あの木箱の隣だったか。何か音がしたから見に行ったんだけど、あれってネズミの音じゃなくて、コルツが動いた音だったんだな」
納得した様子で、ウッドベルが頷く。
「で、他にはどこに隠れてたんだ? ずっと納骨堂にいたわけじゃないんだろ?」
「ううん。ずっと納骨堂にいたよ。食べ物を取りに、夜中にここに来る以外は」
「いやいや、そんなことないだろ? カズラ様のいる宿舎に忍び込んだりしてたんじゃないか?」
「そんなの無理だよ。あっちこっちうろうろしてたら、すぐに見つかっちゃうもん。あそこ、見張りだらけだし」
「……ふーん。そっか。まあ、そうだよな」
納得したのか、ウッドベルが頷く。
「ウッドさん、今度は俺が聞いてもいい?」
「ん、何だ?」
「ウッドさんは、いつも夜中にここに来てるの?」
「んー、そうだな。たまにメルフィとおしゃべりしに来るよ」
「いつもメル姉ちゃんと一緒に来るの?」
「そりゃそうだろ。1人でこんなとこ来ても、何も面白くねえし。なんでそんなこと聞くんだ?」
「メル姉ちゃん以外の人とも来てるのかなって思って」
コルツが言うと、メルフィが真顔になった。
「ウッド、来てるの?」
「来ねえよ! コルツ、不穏なこと言うなって!」
「だって、ウッドさん、シア姉ちゃんに散々言い寄ってたじゃんか。メル姉ちゃん以外にも、彼女いるのかなって」
「あれは場を盛り上げるために言ってただけだよ! メルフィちゃん、ほんとだからね!?」
「どーだか」
あからさまに不機嫌な顔になるメルフィ。
いろいろと思い当たる節があるようだ。
ウッドベルはやれやれと頭をかくと、コルツを見た。
「ったく、お前、ろくな大人にならねえぞ」
「ウッドさんみたいにならないように、気を付けるよ」
「言っとけ。で、これからのことだけどさ」
ウッドベルがコルツの頭をわしわしと撫でる。
「毎日ここに水とか食べ物を取りに来るんじゃ大変だろ。これからは俺が毎晩、納骨堂に食事を届けてやるよ」
「えっ、ウッド、それはやめたほうがいいよ。やめなよ」
メルフィが不安そうな顔になる。
「そんなことして、バレたら大変なことになるよ? ウッドがコルツ君を砦に連れ込んだんじゃないかって、疑われちゃうよ。やっぱり、上官に報告したほうが……」
「あのなぁ……コルツを見つけたって報告するにしても、なんで夜中に調理場にいたんだって聞かれたら、なんて答えるんだよ。それに、見つけた場所を誤魔化すにしても、俺が報告する時点でどう考えてもろくなことにならないだろ」
「そ、それは……そうだけど……」
メルフィが口ごもる。
夜中に調理場に侵入して密会していました、と正直に言うわけにもいかない。
もしメルフィの父親にバレでもしたら、大目玉どころかウッドベルと強制的に別れさせられる可能性すらある。
「まあ、それが理由じゃないけどさ。コルツがこれだけ覚悟を決めてるんだから、手伝ってやろうよ」
「うう……分かった」
メルフィが渋々頷く。
ウッドベルがコルツに笑顔を向ける。
「よし、決まりだ。明日の夜、メルフィの手料理を持って行ってやるから、ちゃんと地下にいるんだぞ?」
「……うん」
頷くコルツの頭を、ウッドベルはがしがしと撫でるのだった。