26話:加護を得る者求める者
真面目な顔でおかしな質問をしてくるバレッタに、一良はポカンとした表情で
「……はい?」
と思わず聞き返した。
バレッタの質問の意味は解るが、その意図がさっぱりわからない。
人間かと問われれば答えは勿論イエスなのだが、その質問の仕方では、まるで今まで自分が人外の生き物だと思われていたかのようである。
質問の答えを返さない一良に、バレッタは極度の緊張からか声を震わせながら
「……に、人間では……ないのですか?」
と、再度一良に問い掛ける。
バレッタは今までおぼろげながら、『一良はグレイシオールなどではなく普通の人間なのではないか』と何度も感じることがあったのだが、今朝水車を拭いていた時に一良から『一良の両親が経営する会社』の話を聞いたことで、疑念が確信に変わったのだ。
そこで思い切って一良に質問してみたのだが、すぐに答えを返さない一良に、バレッタは自分がとんでもない質問をしてしまったのではないかと急に不安になってきた。
「人間ですよ! 人間以外の何者でもないです!」
同じ質問を二度投げかけられた一良は、バレッタの手が震え始めたのを発見し、慌ててバレッタの問いに答える。
「……本当ですか?」
「本当ですよ。というか、人間以外の何に見えるっていうんですか」
バレッタは一良の言葉を聞くと、心底ほっとしたといった風に大きくため息を吐き、
「……よ、よかったぁ」
と弱々しく安堵の言葉を吐き出した。
疑問が解決してほっとしているバレッタとは対照的に、一良は困惑した表情のままである。
「あの、一体どういう意味です? 私が人間ではないとでも思っていたんですか?」
一良がそう質問すると、バレッタは先ほどとは打って変わって申し訳なさそうな表情で、おずおずと話し始めた。
「はい……実は、カズラさんがこの村に来た時からずっと、カズラさんはグレイシオール様だと思っていました……村の皆も、カズラさんはグレイシオール様に違いないと今も信じているはずです」
「グレイシオール……ん? ちょっと待って、それってもしかして……」
グレイシオールという単語を聞き、一良は以前バレッタから聞いた別の似たような単語を思い出した。
思い出すと同時に、一気に顔から血の気が引き、全身からじわじわと冷や汗が吹き出てくる。
「ええと、以前村で雨乞いをした時に、バレッタさんから『スイプシオール様』っていう水の神様の話を聞いたことがありましたよね」
「ええ、ありましたね」
「……スイプシオール様の『シオール』って、どんな意味なんですかね?」
「司る神という意味です。スイプは生命の源という意味で、水という意味も併せ持っています」
「……なんてこった……」
一良はバレッタの言葉を聞き、両手で頭を抱えた。
前々からやたらと村人たちに敬われていると感じてはいたが、村に色々な物を持ってきていたことから、何処かの名士あたりに勘違いされているのだろうと頭の片隅で考えることはあった。
しかし、目の前にある問題を片付けることで毎日が精一杯で、村人にどう思われているかまで頭が回っていなかったのが本当のところである。
「……ちなみに、グレイってどういう意味なんですか?」
「慈悲と豊穣という意味です。正確にはグレシオスという……あの、大丈夫ですか?」
バレッタの説明を聞き、一良は頭を抱えたままうんうん唸り始めてしまった。
改めて考えてみれば、この村に対して自分の行ってきた所業は、それはもう凄まじいものであるということに今更ながらに気付く。
50人以上もの栄養失調患者を即座に全快させ、何処からともなく大量の食料や塩を運び込み、日照り続きだった村に偶然とはいえ雨まで降らせてしまったのだ。
この間、僅か3日である。
そのうえ、村人達にとっては見たことも無い機械や道具(水車や農具)を山のように持ち込み、挙句の果てには作物が巨大化したり、一良の持ち込んだ食べ物の効果で村人達が超人化し始めているのである。
もし一良自身が村人の立場にあったとしても、神様か救世主だと思ってしまうだろう。
一良は一度大きくため息を吐くと、気だるそうにゆっくりと顔を上げた。
「大丈夫です……慈悲と豊穣の神様ですか。これはまた凄いものに勘違いされたものですね……」
確かに自分の行ってきたことは神の御技に近いものがあるかもしれないが、このまま神様だと勘違いされたままでは後々不都合が生じる可能性が大きい。
これは早い内に村人達の誤解を解かねばと一良が考えていると、バレッタが再び申し訳なさそうに口を開いた。
「実は、村の皆にカズラさんがグレイシオール様だとふれ回ったのは私なんです……村に伝わるグレイシオール様の言い伝えに余りにも酷似していたので……ごめんなさい」
「……言い伝え?」
言い伝えという単語に反応した一良に、バレッタはその内容を説明すべく口を開いた。
「はい。もう何百年も前から言い伝えられている話です。昔、この地域一帯が日照りによる大飢饉に襲われた時、変わった格好をした一人の男がこの村に現れ、村に大量の食料を持ち込んで人々を救ったというお話です。しかも、その男の持ってきた食べ物を少量でも食べた人々は、僅かな時間で体力を持ち直して元気になったそうです。……あの、その男の人ってカズラさんのことじゃ」
「違います。そんなに長生きできないです」
もしかしてといった表情で聞いてくるバレッタの言葉を、一良は即座に否定した。
数百年前に現れたという男の取った行動は、今まで一良が取った行動に共通するところが多分にあるが、断じて同一人物などではない。
というか、そんな数百年前に現れた男と一良が同一人物だとしたら、最早一良は人間ではないのだが、バレッタにしてみれば『まさか』といったところがまだあるのかもしれない。
「そ、そうですよね、私ったら何言ってるんだろ……カズラさんは人間なんですよね」
自らの言葉を噛み締めるように言うバレッタを横目で見ながら、一良は今後のことについて考える。
まずは早急に村人達に『志野一良の人間宣言』を行い、一良がグレイシオールだという誤解を解かねばならない。
今まで一良が村に対して行った様々な援助からして、グレイシオールではないとわかったからといって排斥されるようなことはないだろうし、村長の娘であるバレッタがフォローに回ってくれるはずである。
村長であるバリンも、きちんと説明すれば一良の助けになってくれるだろう。
「ええ、私は人間です。これは早いところ村の皆の誤解を解かないと……明日の朝にでも、村の人たちに私がグレイシオールではなく人間であることをきちんと説明することとしましょう」
「あっ、それは待ってください!」
一良がそう言うと、バレッタは慌てた様子で声を上げた。
一刻も早く村人達の誤解を解きたい一良は、待てと言ったバレッタに小首を傾げる。
「実は先ほど話した言い伝えには続きがあって、村にやってきた男……グレイシオール様は、その噂を聞きつけてやってきた領主と兵隊たちによって捕らえられてしまったのです」
「捕らえられた? 別に悪いことしたわけでもないのに何でまた……それより、その言い伝えと私がグレイシオールではないことを説明することに何の関係があるんです?」
さっぱり解らないといった風に尋ねる一良に、バレッタは真剣な表情で一良に向き直る。
「数百年前にこの村に現れたグレイシオール様が領主に捕まってしまったそもそもの原因は、グレイシオール様の噂が方々に広がってしまったからなのです。噂を耳にするのがグレイシオール様の救いを求める人々だけならいいのですが、その恩恵を自分だけのものにしようとする者の耳にまで噂が届いてしまうと……」
「よからぬ事を考えた輩が、私目当てにこの村にやってくる、ということですか」
一良はバレッタの説明を聞き、ふむふむ、と頷いた。
つまり、バレッタを含めた村の人々は、言い伝えと同じ道を辿らぬように、一良が村に対して行った所業を一つたりとも外に漏らさないように緘口令を敷いているのだろう。
現領主であるナルソンが数百年前の領主と同じような行動を取るとは限らないが、美味しい話に誘われてやって来るのは領主だけではないはずだ。
「はい。ですから、カズラさんはこれからもグレイシオール様として振舞って頂きたいのです」
「……え?」
グレイシオールの噂話が広まらないようにしているといった内容に頷いていた一良は、バレッタからの予想外の言葉に耳を疑った。
既にバレッタは、一良がグレイシオールではないということを理解しているはずである。
それなのに、これからもグレイシオールとして振舞って欲しいなどと頼まれても、何のためなのかさっぱり解らない。
この娘は新興宗教でも立ち上げる気なのだろうか。
「いや、バレッタさん、私はグレイシオール様じゃないんですよ? それなのにグレイシオール様として振舞えと言われても……」
一良が困惑した様子でそう言うと、バレッタは慌てて顔の前で手を振って見せた。
「あ、ごめんなさい、私の言い方が悪かったです。カズラさんは、自分がグレイシオール様だと思われていることに気付いていない振りをして、村の人たちに今までどおり振舞って頂きたいんです」
「……何故?」
「村の人たちは、カズラさんがグレイシオール様だと信じているからこそ、絶対に村の外にカズラさんの施しの内容を漏らすまいとしています。それに、カズラさんが何処からやってきたのかといったことや、何故これほどの短期間に大量の食料や肥料、それに見たことも無い数々の道具を村に運びこめたのかといったことも、カズラさんがグレイシオール様であると村の皆が信じているので、言い伝えによるグレイシオール様への畏怖から、誰も探ろうとしないのです。もしカズラさんがグレイシオール様ではないということを村の人たちが知った場合、今までのこと全てについて説明を求められると思います。それに、万が一村の人たちの口が軽くなって噂が広がってしまい、ナルソン様や王家の耳に入るような事にでもなれば……」
「うん、物凄く面倒なことになるね。人間宣言は滅びの道だね」
一良はバレッタの丁寧な説明を聞き、即座に自分の立てていた行動計画を撤回した。
村人達に神様だと勘違いされ続けるというのは、これから先のことを考えると色々と問題が発生しそうだが、バレッタの言うような大事になるよりは遥かにマシである。
元々この異世界で何か大きな事をしてやろうと考えていたわけでもないので、時々イステリア辺りを観光しながら目立たずにのんびりと村で過ごせるのなら、一良としてはその方がいいのだ。
村の農業も頗る順調だし、村人達と共に作った手作り水車のおかげで、水の心配も水車の存在が露呈した場合の心配もなくなった。
これからはこの村に対する派手な支援は極力控え、バレッタとハーブ栽培でも行っていこうと一良は考えるのだった。
「……わかりました。心苦しい所はありますが、これからも『神様だと思われていることに気付いていない神様』という体で村の人たちには接していきます。すいませんが、ボロが出そうになった時はフォローをお願いしますね」
一良がバレッタに溜め息交じりにそう言うと、バレッタは嬉しそうに大きく頷く。
「はい! 『ふぉろー』も『さぽーと』も私に任せてください!」
何故かやたらと嬉しそうな様子のバレッタに、一良は
「(あー、いつの間にか横文字もしっかり習得してるなぁ)」
と疲れた脳みそでボンヤリ考えつつ、明日からの神様ライフを思ってもう一度深く溜め息を吐くのだった。
一良がなんちゃって神様生活を送り続けることを決意している頃、イステリアに居を構えるナルソン邸の執務室では、ナルソンとジルコニアがバルベールとの国境付近に建設中である砦の視察を終えて戻ってきたアイザックから報告を受けていた。
何時ものように執務机に向かって椅子に腰を下ろしているナルソンは、工事の進捗具合が満足の行くものだったのか、時折頷きながら報告書を読み続けている。
そんなナルソンの傍らでは、ジルコニアが机に腰を持たれかからせた状態でアイザックに工事の細々とした部分について尋ねては、時折ナルソンの読んでいる報告書を覗き込んでいる。
「砦の建設はすこぶる順調です。このままの状態で作業が進めば、休戦条約切れの1年前には完成すると思われます」
アイザックの言うとおり、砦の建造はかなり順調に進んでいる。
国境沿いの砦の建造は、現在のイステリアにおける最優先政策であり、物資と人員を優先的に配置しているため、順調なのは当然といえば当然ではある。が、それにしても当初の予想を若干上回るハイペースで建造は進んでいた。
工事に当たっている全ての者が、4年前まで行われていたバルベールとの戦争から、いかにこの砦が今後重要な拠点になるのかを認識しているからなのだろう。
工事に奴隷を用いず、全てアルカディア王国民のみで作業を行っているという点も、工事の進捗具合が早い理由の一因と言える。
「砦内の食料生産量はどれくらいになりそう?」
特に気になっていた点についてジルコニアが尋ねると、アイザックは自分の記憶から即座に情報を引っ張り出し、問いに答える。
「あの土地にどれほどグレイシオール様のご加護があるのかはまだ解りませんが、50人から100人が1年間食べられるだけの食料は継続して生産できるかと思います」
「……多く見積もっても100人分、か。それでも無いよりはマシよね……」
ジルコニアはその報告を聞くと、小さく溜め息を吐いた。
ジルコニアは以前から砦の自給体制についてずっと頭を悩ませていたのだが、砦を大きくしても生産できる食料には限界がある。
水については井戸をいくつか掘ることで解決できるのだが、食料だけはどうにもならない。
実際、この砦を用いた長期戦になった場合は、砦への外部からの物資補給は必須なのだが、バルベールの大軍を相手取ってそれがどこまで可能なのだろうか。
一つの砦に対して長期で完全包囲を敷くといったことは、現実問題としてかなりの輸送力が必要になるはずだが、相手は国土を見ただけでもアルカディアとは比べ物にならないくらいの大国である。
砦に対して何ヶ月も完全包囲を敷き続けるといった芸当も、難なくこなしてしまうかもしれないのだ。
「どうにもならない事を深く考えても仕方あるまい。有事に備えてたっぷりと食料を備蓄するということで、今はよしとしようではないか」
暗い顔をしているジルコニアに、ナルソンは読んでいた報告書から顔を上げて声を掛ける。
執務机の正面では、まるで食料生産量が低いのは自分の責任なのかのようにしょぼくれた表情をしているアイザックに、ナルソンは苦笑した。
「アイザックもそんな顔をするな。砦内の食糧生産だけで全てを賄おうということ事態、土台無理な相談なんだ」
「はい……しかし、もっと上手い手段が他にあればと……」
尚もしょぼくれているアイザックの生真面目っぷりに、ナルソンはやれやれと溜め息を吐きながらも、次にアイザックに任せる仕事は何だったかと、机の上に散らばっている書類の中から一枚のメモ紙を引っ張り出した。
引っ張り出したメモ紙を流し読みすると、それをアイザックの方へと滑らせる。
「まぁ、その件については後は私がやるから気にするな。お前は次の職務をしっかりとこなして来い」
アイザックはメモ紙を手に取ると、内容を確認して一つ頷く。
「わかりました。それでは、今から内容の確認をしてまいります」
「おいおい、もう夜中だぞ。今日はもういいから休め、明日からにしろ」
夜中だというのにこのまま仕事に移ろうとするアイザックを、ナルソンは再び苦笑しながら諌める。
諌められたアイザックは、
「(ナルソン様は明け方まで働くおつもりなのでしょう?)」
という言葉を心の中だけで呟くと、小さく
「……承知しました」
と返事をし、一礼して部屋から出て行った。
「……ホントに真面目というか、職務に一生懸命な子ね。あんまり苛めちゃダメよ?」
「苛めてない」
アイザックの出て行ったドアを見ながらポツリと感想を漏らすジルコニアに、ナルソンはぶっきらぼうにそう答えると、散らばっている書類を整理し始めた。
そんなナルソンに今度はジルコニアが苦笑しながら書類整理を手伝い始めたのだが、ふと一つ気になることを思いついたので、ナルソンに聞いてみることにした。
「そういえば、アイザックには次はどんな指示を出したの?」
「今後7日は部隊の再編と訓練の現場指揮……まぁ、休憩みたいなものだな。それが終わり次第、グリセア村の視察だ」
グリセア村、という単語を聞き、ジルコニアは少し遠い目をしながら
「グリセア村、か。……本当に、グレイシオール様でも現れてくれればいいのに」
と呟くのだった。