253話:停止不能
「カズラ様、シルベストリアです。どうぞ」
『カズラです。どうなりました? どうぞ』
シルベストリアの声に応え、一良の声が無線機から響く。
「今、反乱軍の斥候が村の前に来ているのですが、どうにも説得は無理に思われます。予定通り、拡声器で説得を行います。どうぞ」
シルベストリアが送信ボタンから指を離す。
数秒置いて、無線機から一良の声が響いた。
『分かりました。何を言ってもらっても構いませんから、何とかして戦闘は回避するよう努力してください。どうぞ』
「ありがとうございます。殿下がグレゴリアの人たちを説得できているようでしたら、説得した軍人と一緒にこちらに向かうように伝えていただくことはできますか? 説得に応じた連中と殿下のお言葉があれば、上手くいくかと思うのですが。どうぞ」
『確かに、それなら何とかなるかもしれませんね。ルグロには、説得が済み次第そちらに向かうよう、連絡を入れておきます。どうぞ』
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。通信終わり」
『シルベストリアさん』
シルベストリアが無線機を腰に戻そうとすると、無線機から再び一良の声が響いた。
シルベストリアは慌てて、無線機を口元に戻す。
『嫌な役回りをさせてしまって、本当にすみません。万が一の時は辛いでしょうが、どうかよろしくお願いします。どうぞ』
絞り出すような一良の声に、シルベストリアがぐっと歯を噛み締める。
その目には、すさまじい怒りの色が浮かんでいた。
一良にあのような辛そうな声を出させた反乱軍に対し、煮えたぎるような怒りを覚えていた。
「カズラ様のためでしたら、嫌なことなど何もありません。反乱軍は必ず我々が止めてみせます。また後ほど、ご連絡致します。どうぞ」
『……ありがとうございます。よろしくお願いします。通信終わり』
シルベストリアが無線機を腰に戻し、傍らに置いてあるズダ袋を開く。
中から拡声器を取り出し、守備隊長に怒声を浴びせているモルスへと向けた。
大きく息を吸い込み、憤怒の形相で彼を睨む。
「よぉく聞け! 反乱軍の大馬鹿野郎ども!!」
突如響いた大音声に、モルスをはじめとした反乱軍兵士、守備隊長や兵士たちまでもが、ぎょっとした顔でシルベストリアに振り向く。
彼女の隣にいたセレットも、耳をつんざくようなすさまじい怒声に肩を跳ねさせた。
「貴様らのしでかしたことは、王家にも、フライス家にも、イステール家にも、そしてグレイシオール様にも、まるっとすべて筒抜けだ!」
仁王立ちしたシルベストリアが、彼らを指差す。
「な、何だあの大声は!? おい、いったい、あの女は何をしているんだ!?」
奇妙な物体を口元に当てて常識外れの大音声を発するシルベストリアに、モルスが怒りの形相から一転して狼狽した表情で守備隊長に言う。
守備隊長は、憐れみを含んだ目をモルスに向けた。
守備隊長も地獄の動画は見ており、罪を背負ったまま死ぬことの恐ろしさはしっかりと認識している。
「……悪いことは言わん。あの世で怪物に切り刻まれたくなければ、今すぐ投降しろ」
「な、何をわけの分からんことを――」
「ダイアス様にイステール家と共謀してバルベールに寝返ったなどという濡れ衣を着せ! 民の面前で重鎮ともども腸を引きずり出し! 立ち寄った村や街の住人を煽って無理やり反乱軍に組み込み! 挙句の果てには、彼らをイステール領の村や街を襲わせに向かわせただろう! だが、我らの領民はすべてイステリアに退避済みだ!」
モルスの表情が強張る。
モルスたちは領境を越えた後、イステール領の街の1つに立ち寄っていた。
だが、すでにそこは人っ子1人おらず、食料も丸ごとなくなっていて、完全にもぬけの殻だった。
反乱軍内に間者がいたとしても、あまりにも相手の対応が早すぎて、何かがおかしいと訝しんでいたのだ。
自分たちの行動が斥候に見られていたというのなら、彼女らがそれらを把握しているということは理解できる。
だが、すでにすべての領民をイステリアに避難させたというのはどういうことか。
あまりにも手際が良すぎるとモルスは考えていた。
「アルカディア王国に降臨なされたグレイシオール様の名のもとに、今から貴様らに神命を下す! 心して聞け!」
動揺するモルスに畳みかけるようにして、シルベストリアが言葉を放つ。
「今すぐ反乱軍全軍の武装を解除し、我々に投降しろ! 今投降すれば、寛大な処置を取り計らっていただけるよう、グレイシオール様に掛け合ってやる!」
シルベストリアが言葉を続ける。
「王家に反旗を翻し、神をも恐れぬ凶行をこのまま続けるというのなら、貴様らはこの地で屍を晒すことになるぞ! たとえ死んでも、貴様らに安寧など訪れない! 未来永劫、地獄で亡者に引き裂かれる運命が待っているからだ!」
「ちょっ、シルベストリア様! そんな話をしても、あの連中には伝わりませんよ!」
セレットが慌てた様子でシルベストリアに言う。
シルベストリアは拡声器のスイッチを切り、セレットを横目で見た。
「あの男がいる時点で、あそこにいる連中の説得なんてどのみち無理だよ。ひとまず、これで今は追い返すの。連中はもう前に進むことしかできないはずだから、他の兵士たちを引き連れてきた時に、もう一度この拡声器で説得してみる」
「……確かに、イステール領の謀反を口実にしている時点で、引き返すのは無理ですね。連れてきた市民も、あちこちに放っているんですし」
「うん。今は、あの男の後ろにいる騎兵たちを動揺させないと」
シルベストリアが再び拡声器のスイッチを入れる。
「さあ選べ! これが貴様らに示された最後の救いの道だ! 神をも恐れぬ不届き者には、想像を絶する永遠の苦痛が待っていると心得ろ!!」
「モルス様、あれはいったい!?」
「どうしてあんな大声が……グレイシオール様がイステール領に降臨したという噂は、本当だったのではないですか!?」
モルスの周囲に控える騎兵たちが、動揺した様子で彼に問いかける。
その様子に、モルスははっと我に返った。
「バカなことを言うな! あれは奴らの雑言だ! 正義は我らにあるのだぞ!!」
モルスが騎兵たちを怒鳴りつける。
「し、しかし、あれはどう見ても人のなせる技では――」
「黙れッ! あれは連中の使う邪悪な魔術か何かだ! いったん本隊に戻るぞ!」
モルスがラタの腹を蹴り、来た道を駆け戻って行く。
他の騎兵たちは酷く動揺した顔をしながらも、彼の後を追った。
「……帰っていきましたね」
去っていくモルスたちをセレットが眺めながら言う。
「まあ、そうするしかないよね。どうしてこんな大声が出せるかなんて、説明しようがないんだから」
「シルベストリア! 今のは、グレイシオール様に指示されたのか!?」
守備隊長が兵士たちとともに、2人の下へと駆け戻って来る。
「いえ、何を言ってもいいとグレイシオール様には申し付けられていたので、おらーって思うがままに言ってやりました」
「そ、そうか。まあ、なかなか迫力があって上手かったぞ」
「へへ、どうも」
守備隊長が振り返り、小さくなっていくモルスたちを見やる。
「だが、あの男の様子からするに、我らの説得に応じるとは思えん。邪悪な魔術がどうとか言っていたし、兵士たちを煽って無理やり攻めてくるかもしれんな」
「ですね。最悪の事態に備えて、全軍に戦闘準備をさせるべきかと思いますが」
「そうしたほうがよさそうだな」
守備隊長が頷き、集まっている兵士たちを見渡す。
「聞いてのとおりだ! 反乱軍の大部隊と戦闘になるかもしれん! 全軍、配置に付け!!」
兵士たちは一斉に了解の返事をし、それぞれの持ち場へと駆け出して行った。
「ニーベル様!」
グリセア村へと向かって行軍中の反乱軍本隊に帰り着いたモルスは、先頭を進んでいるニーベルの馬車へとラタを横付けした。
ニーベルが窓を開け、顔を覗かせる。
「おお。モルス、戻ったか」
ニーベルの隣には、金髪の少女が彼にぴったりと寄り添っていた。
彼女の服が乱れているのをモルスは見て取り、この大変な時に、と内心舌打ちする。
「どうだ、奴ら、驚いていただろう? フィオナを兵士たちに見せることはできたか?」
「いえ。早々に村の中に隠したようでして、こちらが問い詰めても知らぬ存ぜぬを押し通してきました」
「ふっ、そうかそうか」
ニーベルがにやりと笑う。
モルスと同行させた騎兵たちには、フィオナがグレゴリアから逃亡し、グリセア村に逃げ込んだと話して聞かせていた。
その場でフィオナの姿を見せることができれば、それでよし。
もし姿を隠されたとしても、村を制圧したのちに彼女を引きずり出せばいいとニーベルは考えていた。
要は、彼女を使って兵士と民衆の怒りを煽ることができれば、それでいいのだ。
「しかしあいつら、どうしてあの村に大軍を配備していたのだろうな。十分組み伏せられる数ではあるようだが、まるで我らの動きを予見していたかのような――」
「ニーベル様、そのことについてなのですが、予想外の出来事が起こりまして」
モルスが少女をちらりと見る。
「ん? 何だ、言ってみろ」
「いえ、できれば人払いをお願いしたいのですが……」
「構わん。話せ」
「いえ、そういうわけには」
ニーベルが舌打ちをし、少女に目を向ける。
少女は頷き、手早く衣服を整えると馬車を降りた。
モルスは彼女が離れたのを確認し、ニーベルに顔を向ける。
「どうした、何があった?」
「それが、敵兵の1人が突然、あり得ないほどの大声で我らに語り掛けてきまして」
「何だそれは。怒鳴りつけてきたということか?」
「違います。辺り一帯に響き渡るような、それこそ雷の轟音にも匹敵するような大声を突如として発したのです。あれは、人のなせる業ではありません」
ニーベルが怪訝な顔になる。
こいつは何を言っているのだ、といった様子がありありと見て取れた。
「さっぱり意味が分からんぞ。バカでかい声の持ち主が、大声で怒鳴り散らしてきたということか?」
「違います。あれは、人の出せる声量ではありません。しかも、連中はグレイシオール様の名を語り、我らに降伏を勧告してきました。何やら様子がおかしいですぞ」
「何をわけの分からんことを言っておるのだ、バカ者!! 貴様はたぶらかされているのだ!」
突然、ニーベルが額に青筋を立ててモルスを怒鳴りつけた。
遠巻きに見守っていた兵士たちは、何事かとぎょっとした顔を2人に向ける。
「そのようなふざけた話があってたまるか! 何かからくりがあるに決まっているだろう!」
「で、ですが、あれはどう考えても――」
「黙れ! この一刻を争うという時に、何を言っておる! 子供の使いを出した覚えはないのだぞ!」
ニーベルがモルスの言葉を遮り、再び怒鳴る。
「今すぐ村に進軍し、連中を駆逐してフィオナを引きずり出すのだ! 四の五の言っている場合ではない!」
「ニーベル様、兵が見ております」
モルスに指摘され、ニーベルが肩で息をしながら周囲を見る。
不安げな目を向けてくる兵士たちに、ニーベルが舌打ちをする。
「いいか、モルスよ。連中が何を考えていようと、村を制圧してフィオナを兵士たちに見せつければこっちのものだ。惜しむべくは時間なのだぞ」
「しかし、私が話した村の守備隊は、我らの動きをすべて把握しているようなことを言っていました。我らが立ち寄った村はもぬけの殻でしたし、このまま進むのは危険かと」
「よく考えろ。あの村には、祝福の力が強く備わった土が採れるという話があっただろう」
先ほどとは打って変わり、ニーベルが柔らかい口調でモルスに語り掛ける。
「イステール領が飢餓から脱したのは、本当にその土のおかげなのだろう。戦時でイステリアから軍が出払った隙に野盗に襲撃されないように、兵を置いているとは考えられんか?」
「だとしても、以前私が訪れた時は50名ほどしか兵はおりませんでした。今いるのは、それよりもはるかに多い軍勢です。いくらなんでも不自然でしょう」
「ならば、何だというのだ? 我らが軍勢をイステリアに向けるのを見越して、ここで迎え撃つために兵を集めたとでもいうのか?」
ニーベルが小馬鹿にしたような表情で言う。
「少しは考えろ。たとえ我らがダイアスを処刑した日に伝令がグレゴリアを発ったとして、砦にいるナルソンに伝わり、部隊を編成して村に送るというのがこの短期間でできると思うのか?」
「それは、そうですが……」
「だろう? 奴らが村にそれほどの部隊を置いている理由は正直分からんが、お前の言っているように、ナルソンたちが我らの動きをすべて把握しているなどということはあり得ないのだよ」
「……」
「おそらく、物資の集積拠点として使っているといったところだろう。フライス領からの輸送隊が、たまたま到着していたのではないか?」
「しかし、あの大声がどうにも――」
「ええい! 分らん奴だな!」
煮え切らないモルスに、ニーベルが痺れを切らして言葉を荒げる。
「部隊のいる理由など、どうでもいい! 我らはさっさと村を制圧し、フィオナを兵たちに見せつけ、そのままイステリアへ進軍するのだ! さっさと指揮を執れ!」
怒りに顔を歪めるニーベル。
モルスはぐっと奥歯を噛み締め、「かしこまりました」と答えた。