250話:信念
「ん? 何だあの音は?」
徐々に接近してくる聞いたことのない騒音に、歩哨が気付いた。
闇夜のなか、複数のまばゆい明かりが、かなりの速度で接近している。
彼と一緒に見張りに立っている兵士は、慌てて野営地に向けて松明を大きく振りかざした。
一拍置いて、敵襲を知らせる鐘の音が野営地全体に鳴り響く。
「敵襲だ! 戦闘態勢!」
「そ、そんなバカな!? まだ王家の直轄地だぞ!?」
歩哨たちが慌てふためいていると、あっという間に接近したバイクの集団が彼らのすぐ前にまでやって来た。
サイドカーに乗る近衛兵が掲げるアルカディア王家の旗が月明かりに照らされ、歩哨たちが目を丸くする。
「待て待て! 味方だって!」
ルグロがバイクに跨ったまま、歩哨たちに両手を大きく振る。
「ルグロ様!?」
「どうしてここに!? それに、その乗り物は!?」
ルグロの姿に、歩哨たちが驚く。
「ああ、これはバイクっていって……って、そんな話をしてる場合じゃねえんだ。俺らを軍団長のところに案内しろ」
「か、かしこまりましたっ!」
「よし。お前ら、このままバイクで行くぞ。ついて来い」
歩哨に先導され、ルグロたちのバイクがゆっくりと野営地へと進む。
野営地からは武器を手にした大勢の兵士たちが大慌てで駆け付けたが、歩哨たちがルグロが来たことを伝えて道を空けさせた。
今まで見た事のない奇怪な乗り物に、兵士たちは皆が驚愕の眼差しを向ける。
「いったい何事だ!? っ!? で、殿下!?」
兵士たちが空けた道の向こうから、王都軍の軍団長たちが走ってきた。
彼らも兵士たちと同様に、ルグロたちの姿を見て目を丸くする。
「おう、殿下だぞ。ちょいとばかし急ぎの用があって、丸一日これに乗って走って来たんだ」
ルグロがバイクのハンドルを叩く。
「あの……この乗り物はもしや?」
軍団長が、含んだ言いかたでルグロに問いかける。
彼と副官は地獄の動画を視聴済みで、一良のことも知っている。
「ああ。グレイシオール様から借りてきたものだ」
ルグロが言うと、周囲を囲んでいる兵士たちからどよめきが上がった。
口々に、「噂は本当だったのか!」とか「オルマシオール様が現れたっていう話も、やはり――」などと話している。
それはあっという間に、野営地中に広がって行った。
ルグロは彼らの様子を横目で見ながら、再び口を開いた。
「緊急ってことでな。グレイシオール様が俺らを助けてくれてるってことも、公にして構わないって言ってくれたんだよ」
「そ、そうでしたか……それで、その緊急の用件とは?」
「グレゴリアで反乱が起こったんだよ。そんで――」
「は、反乱!?」
「ダイアス様が謀反を起こしたのですか!?」
軍団長と副官が驚愕し、ルグロに詰め寄る。
兵士たちからも、再びどよめきが起こった。
広がる喧噪に、ルグロが顔を歪める。
「お前ら、うるせえぞ! 説明するから黙って聞けや!!」
ルグロの一喝で、軍団長以下の兵士たちが一斉に口をつぐむ。
ルグロはやれやれとため息をつくと、彼らにグレゴリアでの出来事を一部始終説明して聞かせるのだった。
「なんと……ダイアス様以下、重鎮は皆殺しですか……」
ルグロの説明を聞き、軍団長が沈痛な顔になる。
「ああ。つっても、グレゴルン領が丸ごとバルベールに寝返ったってわけじゃなさそうだ」
「承知しました。イステール領がバルベール軍と手を結んだと思い込んでいる民や兵士たちを我らで説得し、誤解を解くのですね?」
「そうだ。ナルソンさんの見立てだと、反乱軍の連中はイステリアを占領しようと進軍するだろうって話なんだよ。お前らまで反乱軍の連中に丸め込まれたら大変だからって、大急ぎで来たんだ」
「なるほど。では、急いでグレゴリアへ向かわなければ」
「だな。海岸線の砦に詰めてる軍勢と沖合に展開してる軍船団も、反乱軍に丸め込まれてるかもしれねえ。そっちの説得も必要だ」
「かしこまりました。もし反乱軍がイステリアへ向かっているのなら、イステール領の村や街が略奪に遭うと思われます。そちらの対応はどうなっていますか?」
「もう伝令が向かってるよ。大急ぎでイステリアに退避するように伝えることになってる」
ルグロはそう言うと、周囲の兵士たちに目を向けた。
野営地中の兵士たちが集まってきているようで、周囲は大混雑状態だ。
「ええと……こんなにいるんじゃ、よく聞こえねえか。おい、拡声器をくれ」
「はっ!」
近衛兵が荷物から拡声器を取り出し、ルグロに手渡す。
初めて見る形状の道具に、軍団長たちが「何だろう?」といった顔になった。
ルグロが拡声器の電源ボタンを押す。
「お前ら、聞け!」
拡声器で増幅されたルグロの声が、野営地中に響き渡る。
軍団長や兵士たちが、ぎょっとした顔になった。
「俺は今、グレイシオール様から借り受けた道具を使って、お前らに話しかけている! 今まではぐらかしてたけど、グレイシオール様は本当にアルカディアに降臨したんだ! 俺も、ここにいる軍団長も、実際に会ったことがある!」
兵士たちは突然の大音声にざわついたが、みるみるうちにその表情が歓喜に染まっていった。
今までひそかに広まっていた、「イステリアにグレイシオールが現れた」ということが真実だと分かり、神が味方についたと確信できたからだ。
「俺らの目的は反乱軍の討伐じゃなくて、ニーベルっていうアホに騙されてるグレゴルン領の連中を説得して正気に戻すことだ!」
ルグロがあらん限りの声を振り絞り、兵士たちに語りかける。
「俺が直接説得してみるが、もし上手くいかなかったら仲間同士で殺し合いになるかもしれねえ! そのことをしっかり心に留めておけ! 土壇場になって、うろたえるんじゃねえぞ!」
兵士たちが、一斉に「応!」と返事をする。
力強いルグロのいで立ちと声、そしてグレイシオールという神の助力があると知り、皆が発奮していた。
「明日、夜明けと同時に全速力でグレゴリアに向かうぞ! 重い荷物は全部荷馬車に載せて、騎兵のラタも荷物の運搬に回せ! 今のうちにしっかり休んでおけよ!」
ルグロの指示を受け、兵士たちは荷物を纏めに駆け出して行った。
その頃、国境沿いの砦では、ウッドベルと1人の兵士がコルツの捜索に当たっていた。
2人の他にも、コルツの名を呼びながら砦内を練り歩く者、子供が隠れられそうな場所をしらみつぶしに探す者が、そこかしこに見られる。
だが、丸2日捜索しているにもかかわらず、一向にコルツを発見できずにいた。
「いないなぁ。コルツ、本当に砦にいるのか?」
以前ジルコニアが捕らえられていた倉庫の扉を開いた兵士が、隣に立つウッドベルに話しかける。
2人は、この倉庫と納骨堂を調べるように上官から言いつけられていた。
「それも定かじゃないんだってさ。イステリアでも、皆で探し回ってるって話だ」
ウッドベルが兵士と一緒に中に入りながら、困ったように言う。
「ていうか、俺、イステリアを出てくる時に、コルツが家にいるのを確認してきてるしさ。砦なんかに、いるわけがないと思うんだよ」
「ああ、そんなことも言ってたな。それ、上には報告してあるのか?」
「もちろん。ちゃんと、あのクソ教官に言ってあるよ。シルベストリア様にも話したし」
ウッドベルがその時のことを思い出し、ため息をつく。
「あの野郎、俺に『お前がしっかり見ておかないからだ!』って言って、頭を思い切りどついてきたんだぞ。何で俺が怒られなきゃならねえんだよ」
「はは。お前、教官に目を付けられてるからなぁ」
兵士は少し笑い、すぐに心配そうな顔つきに戻った。
「でもさ。そうなると、コルツはイステリアの外に遊びに行って、どこかで迷子になったとか、森で獣に食われちまったって可能性のほうが高いんじゃないか? もしくは、川に落ちて溺れたとか」
「かもしれねえなぁ」
「かもしれねえって……お前、何をイラついてるんだ? もう少し心配そうにしてもいいんじゃないか? あんなに仲良く、毎日遊んでたってのに」
ウッドベルの言葉尻に少しトゲを感じ、兵士が顔をしかめる。
「え? あ、いやいや! 心配はしてるよ!」
ウッドベルが慌てて兵士に弁解する。
「たださ、こんだけ皆に迷惑かけて、あいつ、何考えてんだって思ってさ。ご両親、きっと死ぬほど心配してるよ」
「そりゃそうだけど、イラつくのは違うだろ。お前、コルツが砦に付いて行きたいって言ってきた時、邪険にあしらったんじゃないだろうな?」
「んなことしねえって。シルベストリア様と一緒に、飯食いながら話して聞かせたし。本人も『分かった』って納得してたよ」
そんな話をしながら、2人は置かれている木箱を開けたり、物陰や天井の梁を覗き込んでコルツを探して回る。
そうしてしばらく探していると、ウッドベルは床板に染み付いているいる血痕に気が付いた。
「ん? 何だこれ。血の跡か?」
ウッドベルがしゃがみ込み、赤黒い染みの付いた床板を撫でる。
以前、ロズルーが警備兵を刺殺したナイフから零れたものだ。
「ああ。ジルコニア様がここに捕らえられてたらしいからな。救出された時に、ひと騒動あったんだろ」
「ふーん……この床下、空間があるな。どこに繋がってるんだ?」
「納骨堂に繋がってるんだよ。っていうか、よく見ただけで分かったな」
兵士がウッドベルに歩み寄る。
「隙間から少し風が流れ出てたからさ。で、何でここが納骨堂に繋がってるんだ?」
「工事の手違いで、納骨堂からここの下まで掘り抜いちまったらしいぞ。で、幽霊騒ぎが起きて、気味が悪いからって封鎖されたんだ」
「幽霊? そんなもん、いるわけないだろうに」
ウッドベルが小馬鹿にしたように言う。
「いや、いるぞ。俺、実際に見たんだ」
兵士が真面目な顔で言う。
「ええ……見たって、幽霊をか?」
「いいや、人魂だよ。青白い人魂が、墓場の上をいくつも漂ってたんだ」
「はあ? どうせ見間違いだろ」
「本当だって! 俺と一緒にここの警備をしてた奴も一緒に見たから、間違いない!」
兵士はそう言うと、当時のことを思い出してぶるっと身を震わせた。
「地下から気味の悪い呻き声を聞いたっていう奴も何人もいるらしくてさ……てなわけで、ウッド。この下はお前に任せた。俺、絶対に行きたくない」
「大の大人が何を言ってんだよ……」
ウッドベルが呆れ顔で言い、床板に目を向ける。
「ここ、開いてるよな? 釘が外された跡があるぞ」
「だな。ジルコニア様、ここから脱出したらしいから、その時に外したんだろうな」
「ふーん」
ウッドベルが床板に手をかけ、持ち上げる。
地下へと繋がる、真っ暗な石の階段が姿を現した。
深淵へと続いているような真の闇に、兵士が怖気づいた顔になる。
「うえ、気味悪ぃ……ウッド、しっかり頼んだぞ」
「この臆病者め」
ウッドベルはぶつくさ言いながらも、階段を下りていく。
「あっ、おい! 松明取ってこいって! 中は真っ暗だぞ!」
「ああ、平気平気。俺、夜目が利くからさ」
軽い足取りで闇の中に消えていくウッドベル。
兵士は心配そうにしばらく覗き込んでいたが、ふわっと漂ってきたカビ臭い空気を顔に受けると、そそくさと倉庫内の木箱調査に戻って行った。
「うっわ、カビ臭! けほっ、けほっ」
ウッドベルは闇のなかをコツコツと歩きながら、立ち込めるカビの臭いと漂う埃に咳込んだ。
一切の光が入り込まない闇のなかでも、彼にはうっすらと通路の全容が見えていた。
「なるほど。こりゃあ、すごい数だねぇ」
通路の壁に掘られた窪みに並ぶ頭蓋骨を見やりながら、ウッドベルは歩いて行く。
通路を抜け、納骨堂の地下部分の広々とした空間に到達した。
遺骨箱がそこかしこに並んでおり、そのどれもが『身元不明者』と殴り書きされている。
「まったく、ご苦労なこった。骸の丘とはよく言ったもん――」
その時、カタン、という微かな音がウッドベルの耳に届いた。
ウッドベルが無言でそちらに顔を向ける。
いくつもの大きな木箱が、壁をくり抜いて作られた棚に陳列されていた。
スタスタと木箱の1つに歩み寄り、フタを空ける。
「うげ」
中にぎっしりと詰められた頭蓋骨に、ウッドベルが顔をしかめてフタを閉める。
すると、木箱の陰に、何匹ものネズミが這いまわっているのが見て取れた。
よく見てみると、あちこちにネズミの糞が散らばっている。
「何か臭えと思ったら、お前らの臭いかよ。ったく」
ウッドベルはうんざりした顔で吐き捨てると、他の木箱は無視して足早に階段を上って行った。
上階への扉が開閉する音が、真っ暗な地下室に響き渡る。
数秒おいて、今しがたウッドベルが開いた木箱の隣の木箱のフタが、静かに開いた。
「……ウッドさん」
息をひそめて隠れていたコルツが顔を覗かせ、ぽつりとつぶやいた。