244話:彼らの知らないアドバンテージ
その頃、カイレンたちとの会談を終えた一良たちは、砦の会議室に集まっていた。
ルグロも同席しており、腕組みして黙ってジルコニアに目を向けている。
「ナルソン、相手の使者が来るまでは、こちらからは手出し無用よ」
険しい顔つきのジルコニアが、ナルソンに言う。
「この時のために、私はあなたに協力した。この時のために、今まで生きてきたのよ」
「ジル、すまないが、約束はできない。我々はこの国のすべての民の未来を背負っているのだ」
ナルソンが苦しい顔つきで、ジルコニアに語りかける。
「敵方の人数は、下手をすればこちらの2倍以上だ。砦の間近に陣地を作らせるわけにはいかないし、前回奇襲を受けた時のように投石機を作ろうとしてくれば、なんとしても防がねばならん。砦の側面を囲もうとしてくる敵軍にも――」
「そんなことは分かってる!!」
ジルコニアがナルソンを怒鳴りつける。
「それでも! この機会を逃したら、もう奴らを見つけることはできないかもしれないのよ!」
「ジル、冷静に考えろ。この決戦に勝利し、彼らと講和した後でも、事件の黒幕を見つけ出す機会はある。焦る必要はないではないか」
「そんなの、確証なんてないじゃない! もしこの戦いで、カイレンが戦死してしまったらどうするの!? 戦いのどさくさで、事件を知る人間が全員死んでしまったら!? 生き残った元老院の連中を尋問したって、知らぬ存ぜぬを押し通されたら終わりじゃない!」
「ジルコニアさん、落ち着いてください」
明らかに頭に血が上ってしまっているジルコニアを、一良が諫める。
「ナルソンさんの言うとおり、こちらからは絶対に手出ししないというのは無茶ですよ。相手が何をしてくるか分からないんですから」
「カズラさん、あなたまで……!」
ジルコニアに怒りのこもった視線を向けられ、一良がぐっと息を飲む。
今まで一度たりとも、彼女からそんな目を向けられたことはなかった。
「……ジルコニアさん、この戦いは、絶対に負けが許されないんです。お願いですから、今は辛抱してください」
「ふざけないで!!」
バン! とジルコニアが机を両手で叩く。
「辛抱なら、もう十分にしてきたわ! 前回の戦争で奴らと戦っていた時も! 5年前に奴らと休戦協定を結んだ時も! ずっとずっと、私は我慢してきた! 家族の仇が、ようやく見つけられそうなのよ!? どうしてこれ以上耐えなければいけないの!?」
「ジルコニアさん1人だけが耐えてきたわけじゃないでしょうが!」
一良に怒鳴りつけられ、ジルコニアがびくっと肩をすくめた。
それまで静かにやり取りを見ていたバレッタとリーゼも、その剣幕に肩を跳ね上げさせる。
「バルベールとの戦いで家族を失った、すべての人々が耐えてきたんだ! 砦が奇襲された時、市民たちが命令に背いてまで敵に向かって行ったのを見てただろ!?」
一良が怒りに顔を歪ませて言葉を吐き出す。
「皆、この国のために死んでいった人たちや、今を生きている仲間たちのため、この国を守るために死んでいったんだ! それを無視してまで、自分の気持ちだけを優先しようっていうのかよ!?」
「……」
ジルコニアが口をつぐみ、視線を机に落とす。
「……分かってるわ。それくらい、分かってる」
ジルコニアが声を震わせる。
「今まで、どれだけ仲間を失ってきたか。前日に一緒に食事をした仲間たちが、次の日にはいなくなってるなんてことは当たり前だった。皆、自分の恨みのためだけじゃない。私や仲間たちのために、戦って死んでいったわ」
「なら――」
「でも、これが最後のチャンスかもしれないんです」
ジルコニアが顔を上げ、一良の言葉を遮る。
その瞳からは、涙がこぼれていた。
「両親と妹をなぶり殺した奴らを、その首謀者を、今度こそ見つけることができるかもしれない。私を代わる代わる犯した連中の喉笛を、この手で切り裂いてやることができるかもしれないんです」
彼女の言葉に、一良が開きかけていた口を閉じる。
熱くなっていた頭が、冷や水を浴びせかけられたかのように冷めていく感覚に襲われた。
「私っ……どうすればいいんですか? 私にすべてを託していった仲間たちの想いも、家族の無念も全部諦めてっ……私に、何が残るというんですかっ」
「お母様……」
しゃくりあげて泣き出してしまったジルコニアに、リーゼが席を立って歩み寄る。
リーゼがジルコニアの背に手を添えた時、会議室の扉が、ばん、と開いた。
「カズラ様! 大変で……」
飛び込んできたニィナが、泣きじゃくっているジルコニアを見てぎょっとして言葉を止めた。
「何だ。急ぎの報告か?」
ナルソンがニィナに声をかける。
「は、はい! グレゴリアで、ダイアス様が処刑されたと無線連絡が!」
彼女の言葉に、全員の表情が驚愕に染まった。
「それ、本当にダイアス様なの!?」
「街ごと全部が裏切ってるってわけ!?」
大急ぎで一良たちが宿舎の屋上へと駆け上がると、村娘たちが慌てた様子で無線機に向かってわめいていた。
「あっ、カズラ様!」
村娘たちが一良に気付き、一斉に駆け寄る。
屋上に上がってきたのは一良、ナルソン、バレッタ、ルグロだ。
リーゼは泣いているジルコニアに付き添って、まだ会議室にいる。
「ダイアス様が処刑されたって連絡が来たんです!」
「お腹の中を全部出されちゃったって!」
「今も、たくさんの人が殺され続けてるみたいなんです!」
「お、落ち着いて!」
わーわーと一斉に騒ぎ立てる娘たちを、一良が宥める。
「その無線は、グレゴルン領とつながっているんですね?」
「はい! 宿屋の屋上から、広場の様子を見てるみたいなんです! ねえ、カズラ様に代わるからね!」
娘の1人が無線機に言い、一良に無線機を手渡す。
「カズラです。いったい何があったんですか? どうぞ」
一良が無線機の受信ボタンを押す。
『カズラ様! こっちは大変なことになっていて、ニーベルという男が市民や兵士たちを扇動して……う、うわっ!?』
大勢が騒ぐ喧騒とともに、若い男の焦った声が響く。
それと同時に、ガシャガシャと鎧の擦れる音が聞こえてきた。
『貴様ら、何をしている!』
『なんだその妙なものは? こっちに寄こせ!』
野太い男たちの声と、争うような騒音が無線機から響く。
『なにすんだよ! 関係ないだろ!』
『触るんじゃねえ! 放しやがれ!』
ドン、と何かを蹴飛ばしたような音の直後に、ガシャン、と地面を転がる鎧の音が響く。
『なっ!? 貴様らっ!』
『逃げろ! 飛び降りるんだ!』
『ここ4階建てだぞ!?』
『向かいの建物のベランダに飛び移るんだよ! 早く!』
『ああもう!』
『お、おい! 待て!』
ばたばたとした騒音の後、プツッと無線の音声が途切れた。
一良が無線機を手にしたまま、村娘たちに目を向ける。
「……皆さん、彼らから聞いたことを、1つずつ話してください」
不安げな顔をしている村娘たちに、一良が言う。
彼女たちは頷くと、無線でのやりとりを一良に話して聞かせるのだった。
「ここにきて、まさかグレゴルン領で反乱とは……」
ニィナたちからひととおりの話を聞き、ナルソンが険しい顔で額を押さえる。
ニィナたちの話で、イステール領がバルベールと手を組んでアルカディアを裏切ったとニーベルが市民に演説し、ダイアスをはじめとした重鎮たちを片っ端から処刑しているという状況を知ったところだ。
「ニーベルか……ただの一商人だと思っていたが、まさかこんなことをしでかすとはな」
「ナルソンさん、グレゴルン領の軍勢って、今は海岸線にある砦に詰めているんですよね?」
一良の問いかけに、ナルソンが頷く。
「そのはずです。砦の守備と、海岸線を防衛するために海軍が展開しているかと。グレゴリアには少数の守備隊が残っているのみでしょう」
「それらの軍勢が、グレゴリアの奪還に向かう可能性は?」
「分かりません。反乱を起こしたということは、それらの軍も懐柔されている恐れがあります」
「……となると、彼らがこっちに攻めてくる可能性があるってことですか」
ニーベルがすべての軍を懐柔していた場合、バルベールと手を組んだイステール領軍を撃破し、王都軍とフライス領軍を救援するという大義名分のもと、軍勢の何割かを砦に差し向けてくる可能性がある。
バルベール軍と敵対状態というのは継続しているはずなので、海岸線の砦を空にするということはないだろう。
「はい。ただ、ニィナたちの話を聞く限り、アルカディアを裏切ってバルベールに寝返ったわけではないようです」
「むう……グレゴルン領の首脳陣を皆殺しにして、イステール領が裏切ったと市民を煽っても、俺たちが王家と一緒に市民や一般兵たちを説得すれば無意味ですもんね」
「はい。我が領が裏切ったと騒ぎ立てて、王都軍やフライス領軍と仲違いさせようとする、ということは考えられます。しかし、それはあまり現実的ではありません」
「ですよね。となると、彼らの狙いは――」
「がら空きのイステリア、でしょうな」
ナルソンの返答に、一良が顔をしかめる。
「イステリアを占領して、補給路を断たれた砦が陥落するのを待つ算段ってことですかね?」
「その可能性が高いでしょう。その後、街に迫ったバルベール軍を前にして市民を再び煽り、彼らに降伏させる考えなのでは」
「むう。それって、かなり強引ですよね。市民も一般兵も納得しないでしょうし」
「そうですな。しかし、逆らえば街を枕に皆殺しになると言われれば、民意は降伏に傾くでしょう。ニーベルがバルベールとつながっていれば、さらに降伏へ民意を傾けるための折衝案も用意してあるはずです」
「なるほど……とりあえず、イステリアにはいくらか軍を差し戻す必要がありますね。街を守らないと」
「はい。我が領の第2軍団をイステリアに送り返して――」
「ナルソンさん、その『無線機』ってやつで、王都の軍勢に連絡を取ることはできねえのか?」
それまで黙っていたルグロが、ナルソンに話しかける。
「このままグレゴリアに王都の軍勢を向かわせると、下手するとニーベルってやつの口車に乗せられて、一緒になってイステリアに攻めてくるかもしれないぞ」
「いえ、それは大丈夫です。グレゴリアに向かっている王都軍の軍団長は、地獄の動画を見ておりますので」
「ああ、そういえばそうか……でも、それだとグレゴルン領軍と戦闘になるかもしれないぞ。連絡はしねえと、まずいことになる」
「それはそうなのですが、無線連絡は相手にも無線機がないとできないのです。先ほど無線で話した者たちと連絡を取って王都軍に伝えさせるか、こちらから伝令を出すしか手段はありません」
「そうか……カズラ」
ルグロが一良に目を向ける。
一良はその意味を察し、すぐに頷いた。
「うん。バイクを使おう。バレッタさん、アイザックさんとハベルさんに、至急バイクで王都軍を探して、状況を説明するよう伝えてください。無線機も忘れないように」
「はい!」
「あっ、待ってくれ!」
階下へと向かおうとするバレッタを、ルグロが呼び止める。
「ナルソンさん、俺も一緒に行かせてくれ。俺が王都の軍団に合流したうえで、グレゴルン領の連中を説得してみる」
とんでもないことを言い出すルグロに、皆が驚いた顔を向ける。
「殿下、それはいけません。万が一、殿下の身に何かあっては、取り返しがつきません」
「いや、このままグレゴルン領の軍勢と俺らで殺し合うほうが問題だろ」
ルグロが険しい顔をナルソンに向ける。
「俺が直接話して聞かせれば、イステール領が裏切ったっていう疑いは晴らせるはずだ。すぐに動かないと、手遅れになるぞ」
「しかし……」
ナルソンが苦悶の表情で唸る。
ルグロはアルカディア軍の総司令官であり、彼が殺されでもすれば全軍の士気に与える影響は甚大だ。
決戦を前に砦を離れさせるのも問題だし、王家の存続という意味でも危険である。
「大丈夫だって。あれだけ速い乗り物を使わせてもらえるなら、グレゴルン領の軍勢に見つからないように、南に大きく迂回して行っても時間的に大差ないだろ。危ないことなんて、何もないって」
「……分かりました。カズラ殿、砦にあるバイクをすべて使って、殿下の護衛に同行させてもよろしいでしょうか?」
ナルソンの提案に、一良がすぐに頷く。
「もちろんです。イステリアにあるバイクも出して、途中で合流させましょう。グリセア村にも連絡して、イステリアにバイクを――」
一良はそこまで言って、はっと気が付いた。
バレッタも同時に気づいた様子で、一良と顔を見合わせる。
「……グリセア村は、グレゴリアとイステリアの進路上にあります。村の人たちを、急いで逃がさないと」
「む、確かにそうですな……無線で連絡をして、村を放棄して守備隊とともにイステリアへ退避させましょう」
ナルソンの言葉に一良は頷き、バレッタに目を向けた。
「バレッタさん、バイクの準備をお願いします。アイザックさんとハベルさん、あと村の人で運転の上手な人と、サイドカーには近衛兵に乗ってもらって、すぐにイステリアに向かうように指示してください」
「イステリアで、残りのバイクも拾って行くんですよね?」
「そうです。イステリアにはロズルーさんたちが残っているはずですから、協力するように俺から彼らに伝えておきます」
「分かりました! ルグロ様、行きましょう!」
「おう!」
バレッタがルグロとともに、階下へと駆け出して行った。