232話:通りすがりのミャギです
翌日の昼過ぎ。
イステリアの訓練場に、クレイラッツの軍司令官であるカーネリアンの姿があった。
彼の同伴として、若い男の秘書官も一緒だ。
エルミア、ルグロ、ナルソン、ジルコニアも一緒に、カーネリアンたちと並んでベンチに座っている。
訓練場では数十人の兵士たちが整列し、射撃指揮官から訓示を受けていた。
「国王陛下、先立っては、国境砦の奪還おめでとうございます」
カーネリアンがエルミアに会釈をする。
いつもならば会議室に通されるのだが、今日は「見せたいものがある」とエルミアに言われて訓練場に連れて来られていた。
同伴している秘書官は、少々困惑顔だ。
「伝え聞いた時は自分の耳を疑いましたが……僅か1日で、バルベール軍2個軍団が籠る砦を攻め落としたとか。いったい、どんな手を使ったのですか?」
「正攻法だよ。正面から、正々堂々と打ち負かしてやったのだ。なあ、ナルソン」
エルミアが兵士たちに目を向けたまま、大仰に言う。
兵士たちの前には、1門のカノン砲が用意されていた。
「はい。我が領地の軍勢のみを用い、真正面からの攻城戦で敵を粉砕しました」
「真正面から、それもイステール領軍のみで、ですか。そんなにバルベール軍は脆弱だったのですか?」
「いいえ、すさまじい練度と戦意を兼ね備えた強兵でしたぞ。しかし、我が領は新兵器を開発しまして、それで敵を圧倒したのです」
自信たっぷりといった様子で言うナルソン。
「ふむ。以前より、イステール領では次々に新しい道具が発明されていると聞き及んでいますが……あれがそうでしょうか?」
カーネリアンがカノン砲に目を向ける。
「そのとおりです。今からお見せするので、少々お待ちいただければと」
「それは楽しみです。さて、準備の間に、本題のほうを先に片づけてしまいましょうか」
カーネリアンが兵士たちに視線を戻す。
「陛下。すでにご存じかとは思いますが、我が国にはバルベールから降伏するよう勧告がされておりました」
「うむ。プロティア王国とエルタイル王国も同様のようだな」
エルミアの言葉に、カーネリアンは深刻な表情で頷いた。
「はい、そのとおりです。4国同盟を破棄し、バルベールに屈して傘下に加われとのことでした。この話が来たのは、一年半程前になります」
「だが、貴君の国はそれを突っぱねた……というより、国民に信を問うて、同盟の維持に決まったわけか」
「ええ。もとより、我が国の国民は何よりも自由を尊重しています。それを放棄して服従の道を選ぶなど、あり得ない話です」
「それを聞いて安心した。だが、プロティアとエルタイルは怪しい動きがあるように見えるが」
エルミアの言葉に、カーネリアンが頷く。
「はい。彼らはまだ身の振り方を決めかねているようです。おそらく、しばらくの間は日和見を決め込むつもりなのかと思います」
「ほう。どうしてそう思うのだ?」
「貴国の砦の一件です。バルベールは一方的に休戦協定を反故にし、砦を奇襲して占領しました。隙があれば国同士の約束すら守らずに攻撃を仕掛けてくる相手ということが証明されましたから、とても信用することなどできません」
「そうだな。あの野蛮人どもは、協定破りなどなんとも思っていないようだ。そんな国と手を組んでも、いずれは軍事力にものを言わせて攻め込んでくるに決まっているぞ」
「はい。しかし、バルベールはとてつもない大国です。プロティアもエルタイルも、前回の戦いでは辛うじて侵攻を防ぎ切りましたが、当時の痛手からまだ立ち直っておりません。今、下手に歯向かって完全に蹂躙されるより、王家や貴族の権利の維持を条件に降伏したほうがいいという考えもあるのでしょう」
「勝てない側には付くつもりはない、ということだな」
「そう考えているとみて間違いないかと」
カーネリアンがナルソンをちらりと見る。
「バルベール軍は貴国を打ち倒すことに、強く執着しているようです。我がクレイラッツにも軍勢は向かってきていますが、直接国内に攻め込むほどの規模ではありません。軍団の動きから察するに、決戦の地は貴国とバルベールの国境と見て間違いないかと」
「うむ。我が国アルカディアとバルベールの間には、取り除きようのない怨恨がある。敵とて、それは同じだ。散々、彼らの村落を焼き討ちして回ったのだからな」
11年前の戦いでは、アルカディア軍はバルベールを緒戦で打ち破った後、国境近くの補給地を破壊する目的で、かなりの数の村落の焼き討ちを行った。
そのため、バルベール国民のアルカディアに対する憎悪はかなり強い。
ただし、アルカディア側の彼らに対する憎悪はそれ以上だ。
戦争が始まる前、バルベールはアルカディア側から手を出させる目的で、野盗に扮した軍人が国境付近の村落に対して幾度となく虐殺を繰り返した。
アルカディア人、特にイステール領民は、バルベールに対してすさまじいほどの不信感と憎悪を持っている。
アルカディアに対して同盟からの離反工作がなかったのは、これが理由だ。
「大変失礼な質問になりますが、貴国にはバルベールから離反の話は来ていなかったのでしょうか?」
「ああ、そのような話はまったくない」
つい先日のダイアスの一件はおくびにも出さずに、エルミアが即答する。
「そうでしたか。我が国は、もしやアルカディアも他国と同様に離反工作の手が及んでいるかと思い、疑心暗鬼になっておりました。先立っては、ジルコニア様には大変無礼な真似をしてしまい、申し訳ございませんでした」
カーネリアンに言われ、ジルコニアが「ああ」と頷く。
一年も前の話になるが、カーネリアンと会談をした際に探りを入れるような態度を取られたことがあった。
いったい何を疑っているのかと不審に思っていたのだが、ようやくその疑問が解消した。
「そういうことだったんですね。安心してください、私たちがバルベールと手を組むことなど、万に一つもあり得ませんから」
苦笑して言うジルコニアに、カーネリアンがほっとした様子で微笑む。
「それを聞いて安心しました。まずはプロティアとエルタイルを同盟に引き戻すために、次の戦いでバルベールを打ち負かすか、長期にわたって攻めあぐねさせる必要があります」
「うむ。安心してくれ。次の戦いでは、奴らを完全に打ち負かしてやるつもりだ」
エルミアが自信たっぷりの表情で言う。
「お、始まるぞ。腰を抜かさないように、心してくれ」
カノン砲の準備が整い、射撃指揮官がこちらを向いて手を挙げた。
エルミアが手を挙げて返す。
射撃指揮官が号令をかけると、火の点いた棒を持った兵士がカノン砲の尾部の穴に、それを突っ込んだ。
次の瞬間、どかん、という爆発音とともに砲弾が射出され、100メートルほど先に積み上げられていたレンガの山を粉砕した。
カーネリアンと秘書官が、唖然とした顔でばらばらになったレンガの山を見つめる。
「ま、こういうことだ。これはカノン砲といってな。これさえあれば、どんな城砦に籠っていようが簡単に粉砕してやれるというわけだ」
余裕しゃくしゃくといった様子で言うエルミアに、カーネリアンがゆっくりと頷く。
「……なるほど。これはすさまじいですね」
「カノン砲は攻城兵器だが、対人用の別の兵器もあってな。まあ、ゆっくり見ていってくれ」
「ありがとうございます。これは、いい土産話になりそうです」
食い入るようにカノン砲を見つめるカーネリアンに、エルミアは満足そうに頷くのだった。
その頃、一良はバレッタと2人で、クロスボウを製造している集合工房に立ち寄っていた。
クロスボウの生産が完全に軌道に乗ったので見に来てほしいと、バレッタが一良を誘ったのだ。
ちなみに、リーゼは屋敷で講義中だ。
ずっと留守にしていて溜まりまくっていた講義を、半泣きになりながら必死で消化中である。
「……バレッタさん、よくこんなものを考えましたね」
数十人の職人たちが一列に並び、鉄製のノミと金槌で木材を削っている。
作っているのは、クロスボウの銃床部分だ。
職人たちは部品が仕上がると、背後にあるベルトコンベアーにそれを置いていく。
水車を動力とした布張りのベルトコンベアーに載って、仕上がったクロスボウの部品が次々に運ばれて行く。
「とにかく時間が惜しかったので、少しでも効率よく生産できる方法を考えたら、これが一番かなって。本に載っていたものを真似ただけですけどね」
コンベアーに運ばれていく部品は、終点に置かれている木箱にぽろぽろと落下していくのだが、木箱が置かれている場所は緩やかな傾斜になっていた。
木箱には車輪が付いていて、一定の重さになると車止めを車輪が乗り越えて、その先にいる職人の下へと自動的に転がっていく仕組みだ。
一定の重さで木箱が車止めを乗り越えるため、わざわざ数えなくても1箱ごとの内容量はほぼ一定である。
木箱には大きく番号が記されており、遠くからでも現在何箱目なのかがすぐに分かる。
今どれだけ作ってあるのかが一目で把握できるので、職人たちも自分の作業ペースを把握しやすい仕様となっていた。
ちなみに、コンベアーの終点に置かれている木箱の後ろには空箱がいくつも連なって置かれていて、満杯の箱と自動的に入れ替わるようになっている。
「いやいや、仕組みは知ってても、ここまでのものを作るっていうのはかなり大変だったんじゃないですか?」
「そうですね。工房内のレイアウトを全面見直ししたので……。でも、水車は回転速度にムラがあったりして不良品扱いになっていたものを流用したので、在庫処理もできて倉庫がすっきりしました」
「おお、不良在庫まで処理できたんですか。まさか、この世界で大量生産ラインを見ることになるとは思わなかったなぁ」
職人たちは、皆があれこれと雑談しながら和やかに作業を進めている。
基本的に、私語やトイレ休憩は自由な様子だ。
それにもかかわらず、コンベアーには次々に加工し終わった部品が載せられていく。
「なんか、すごい勢いで部品が出来上がってますけど、精度とかは大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。作った部品には製造者ごとに色分けした印を付けることになっているので、検査で不良品が見つかった場合はその人に注意が行くようになってますから。あそこが検査部ですね」
バレッタが指さす先では、数人の女性たちが定規や型枠を手に部品の寸法をチェックしていた。
不良品は、そこではじかれる仕組みだ。
「なるほど。途中で不良を見つければ、後に響かないですもんね」
「はい。あと、彼女たちのお給金は生産量に応じて上乗せするようにしてあるので、職人さんたちがサボらないように見張ってくれてもいます」
「徹底してますね……でも、それだと彼女たちと職人さんたちの仲が悪くなっちゃいません?」
「それは大丈夫です。彼女たちは全員、職人さんの奥さんかお母さんなので」
「そ、それはサボれないですね……配置する人の割り当てまで考えてあるとは」
クロスボウの生産は工房内ですべて完結する仕組みになっているようで、端の方では数人の兵士が完成品のクロスボウの試射を行っていた。
全行程で200人近い人数が同じ場所で作業しており、一日あたりの生産量はすさまじいことになっていそうだ。
職人をただ集めて個々に作業をさせていた時とは、効率が雲泥の差である。
「さすがバレッタさんですね! まさか、ここまでやってくれるとは思わなかったですよ。ほんと、頼りになりますね!」
「えへへ、ありがとうございます。将来的にはこの仕組みは日用品とか食料品にも流用できると思うので、今からノウハウを積み上げていかないと!」
一良に褒められ、バレッタが嬉しそうに微笑む。
その一言で、今までの苦労がすべて報われた気持ちだった。
「でも、一番頑張ったのは職人さんたちですよ。私たちが留守にしている間に、きちんと指示したとおりにすべて作ってくれたんですから」
「うん。それは評価しないとですよね。ご褒美に今度宴会でも……いや、金一封のほうが喜ばれるのかな」
「そうですね。やっぱりお金が一番喜んでもらえると思います」
「ですよね。あと、バレッタさんにも何かご褒美をあげないとだ」
「えっ!? わ、私は別にいいですよ!」
「いやいや、そういうわけにも。いつも人一倍頑張ってるんですし、何かありませんか? 何でもいいですよ!」
「え、えっと……何でもって……ううう」
真っ先に「丸一日二人っきりでいさせてほしい」というお願いが頭に浮かんだが、クラリセージのハーブをがっつりキメでもしなければ、とてもではないが口にできそうもない。
このあたり、ニィナたちにヘタレ呼ばわりされる所以である。
ちなみに、ニィナたちは護衛として付いてきてはいるのだが、2人に気を使ってか「工房の外で待っている」といってこの場にはいない。
頭を抱えて唸り始めたバレッタに、一良は「いったい何を考えてるんだろうか」、と内心ドキドキしてしまう。
「ま、まあ、また後で言ってくれてもいいですよ。何か思いついたら、教えてください」
「は、はい。うぅ……」
「それはそうと、バレッタさんに話しておきたいことがあって。リーゼについてなんですが……あの、大丈夫ですか?」
「うう、どうしよう……あ、はい! 大丈夫です!」
「え、えっとですね、ちょっと話が複雑で……あっちで話しましょうか」
工房の隅へと2人で移動し、傍にあったベンチに並んで腰掛ける。
一良がニーベルのセクハラの件と、昨日ジルコニアとした話をかいつまんで話す。
「そんなことが……リーゼ様、ずっと我慢していたんですね」
険しい表情でバレッタが言う。
バレッタは今まで、リーゼからそういった話は一度も聞いたことがなかった。
もとより、自分がイステリアに来る前の話なので、知らなくて当然ではあるのだが。
バレッタも以前、アロンドに付きまとわれた経験があったので、彼女のつらさはなんとなく理解できた。
「ええ。今後何があるか分かりませんし、彼のことは排除してしまおうっていうのがジルコニアさんの考えみたいで」
「排除……ニーベルさんを暗殺する、ってことですか?」
バレッタが怪訝そうな顔を一良に向ける。
「ええ。今の地位から引きずり下ろしたら、やるつもりみたいです」
「カズラさんは、それに賛成したんですか?」
「賛成……そう、ですね。リスクを残しておく危険は冒せないので。今後、なにがあるか分かりませんし」
「そう……ですか」
「え、あの、俺、間違ってますかね?」
悲しそうにうつむいてしまったバレッタに、一良が慌てた顔になる。
「いえ……ただ、カズラさんらしくないなと思って……」
「俺らしくない、ですか」
「はい」
バレッタが心配そうに一良を見る。
「あまりにも極端すぎるような気がして……彼を引きずり下ろすにしても、何か不正を暴いたうえで逮捕して裁判にかけるとか、もっと順序立ててというか……正当なやり方のほうがいいと思うんです」
リーゼはエルミアのことを「回り道が面倒だから手っ取り早い方法を選んだだけだ」と断罪していた。
もし、ジルコニアと一良がニーベルを暗殺したとして、それを彼女が知ったらどう思うだろうか。
きっと、酷くショックを受けるのでは、とバレッタは気がかりだった。
それに、一良がそんな過激な方法に賛同したということが、なによりもバレッタには驚きだった。
「それはそうなんですが……グレゴルン領側の領分に手を出して、となると、現在の体制を完全に改めさせてからになりますし。かなりの既得権益を持っている彼が素直にお縄につくかどうか……周囲を巻き込んで、かなりの騒動になるんじゃないかと」
「それは分かりますけど、やっぱり、私は賛成できないです」
バレッタが自分の膝に目を落とす。
「頭では理解したつもりでいても、それをしてしまったら、たぶんそのことは一生心の傷になって残ります。やらなきゃいけないからとか、どうしても仕方なくとか、そういう理屈ではないんじゃないでしょうか」
「理屈じゃない、ですか」
「はい。この前みたいな戦場での殺し合いとは、全然違うと思います。ジルコニア様がやろうとしているのは、個人を狙った暗殺ですから」
「……俺、間違ってますかね?」
「それを決めることができるのは、自分だけだと思います」
バレッタが即答する。
「ただ、カズラさんは本当に納得できているのかなって思って……」
バレッタが不安げな目を一良に向ける。
「偉そうなことを言ってごめんなさい。でも、私、カズラさんが心配で……」
「そんな、偉そうだなんて……納得できているか、か」
本当は自分はどうしたいのだろうか、と一良は考える。
可能であれば、もちろん誰も殺したくなどはない。
だが、昨日ジルコニアに言われたとおり、リスクを放置して「もし」何かが起こってしまったら、それこそ後悔では済まないだろう。
「私、カズラさんにその件には関わってほしくないです。ジルコニア様に任せておくべきだと思います」
一良がしばらく考え込んでいると、バレッタがぽつりと言った。
「でも、もしカズラさんも一緒にやるというのなら、その時は私も一緒にやります」
バレッタが一良を見上げる。
「ずっと、なにがあっても、私はカズラさんの傍にいま……す……」
バレッタが、一良を見上げた格好で固まる。
彼の頭上にある格子窓から、ニィナたち5人の村娘が格子に張り付くようにして、必死の形相でなにやら口パクをしていたからだ。
「!?!?!?」
「……バレッタさん?」
一良がバレッタの視線を追って、背後を振り返る。
その瞬間、ニィナたちが、サッと身を隠した。
一良が首を傾げ、バレッタに顔を戻す。
「窓に何かあるんですか?」
「い、いえ、その……!」
バレッタがちらりと格子窓を見る。
ニィナたちが再び顔を覗かせ、全員そろって口パクをしていた。
『コンヤ イッショニ ネサセテ クダサイ ト イエ!』
「こ、今夜、あの……」
「あ、はい。何ですか?」
「え、えっと……え、映画でも一緒に観ませんか!?」
「「「「「アホかあああ!?」」」」」
「うわっ!?」
突然響いた大声に、一良だけでなく工房にいるすべての職人たちまでもが、ぎょっとして格子窓に振り返る。
それと同時に、どたどたと複数人が転ぶような音と、か細い悲鳴が窓の向こうから響いた。
一良が立ち上がり、窓を覗き込む。
ニィナたちが、仰向けで折り重なって倒れていた。
ニィナと一良の目が合う。
「……メ、メェェェ」
「なんだミャギか……って、そんなわけあるかあああ!!」
「「「「「ご、ごめんなさいー!!」」」」」
大慌てで走り去っていくニィナたちを、一良が呆れ顔で見送る。
「盗み聞きしてたのか。暗殺のこと、口止めしないと……さすがに言いふらさないとは思うけど」
ぼやく一良の後ろで、バレッタは頭を抱えていた。