221話:押しかけ王子
地獄動画の上映会を終え、一良たちは一良の部屋へと戻ってきた。
バタンと扉を閉めた途端、一良はそれまで引き締めていた表情を崩して大きく息を吐いた。
「はあ、緊張した……今までの人生で、間違いなく一番緊張した……」
ぼすん、と自室のソファーに腰掛け、一良が疲れ切った声を漏らす。
リーゼはその隣に座り、よしよし、と彼の頭を撫でた。
「上手く出来てたじゃん。威厳たっぷりだったよ。お疲れ様」
「俺の声、震えてなかったかな? 内心、冷や汗ダラダラだったんだけど」
「うん、全然そんなことなかったよ。だよね、バレッタ?」
「はい。すごく堂々としてました。完璧でしたよ」
バレッタが冷蔵庫から麦茶のピッチャーを取り出し、ガラスのコップに注いでおぼんで運んできた。
コップは、以前一良が皆にプレゼントした、江戸切子のタンブラーだ。
皆、ガラスのコップはこの部屋か隣の作業部屋でしか使うことがないので、すべて一良の部屋に置きっぱなしになっている。
ナルソンだけは例外で、執務室で一人で酒を飲む時に使っているとのことだ。
一良の手にしているコップは、バレッタのペアグラスの1つを借りて使っているものだ。
「皆さん、信じてくれたでしょうか? ものすごく驚いてはいたみたいですけど」
少し心配そうに言うバレッタ。
リーゼが、「平気、平気」と笑う。
「あんなもの見せられたら、信じるしかないでしょ。何も知らない人たちからすれば、目の前に地獄と天国を覗ける窓がいきなり現れたみたいなものなんだしさ。陛下たち、驚きすぎて目が点になってたじゃない」
「な、なるほど。確かにそうかもしれないですね」
「あ、そういえば、今日の夕飯、カズラは皆と一緒に食べるの?」
リーゼが、麦茶を飲んでいる一良に顔を向ける。
「皆って、国王陛下とか他の領主さんたちとってことか?」
「うん」
「いや、やめておくよ。俺がいたら、皆、食事どころじゃなくなっちゃいそうだし」
「そっか。じゃあ、今夜は私とは別々だね」
「リーゼは顔を出さないわけにはいかないもんな。まあ、大変だと思うけど頑張ってくれ」
「さっきの動画の話で長引きそうだし、あんまり気乗りしないんだよね……はあ、面倒くさいなぁ」
そんな話をしていると、コンコン、と扉がノックされた。
一良が返事をすると、失礼します、とマリーが入ってきた。
「カズラ様、ルグロ殿下が、カズラ様とバレッタ様と夕食をご一緒したいとおっしゃっているのですが……」
「えっ、ルグロさんがですか?」
「はい。街に食べに行きたいとおっしゃっていて。カズラ様の部屋まで自分で出向くと言って出て行こうとなされたので、私が確認してくると――」
『殿下! お待ちください! この先はお通しすることはできません!』
言いかけたマリーの言葉を遮るように、少し遠くから警備兵の声が響いた。
ばたばたと、慌てているような足音が近づいてくる。
『あ? なんでだよ。カズラの部屋って、そこなんだろ? 今、侍女が入って行っただろ』
『申し訳ございません。関係者以外は誰も通すなという指示が、ナルソン様から出ていますので』
『関係者? ……ああ、あれのことか! それなら大丈夫だ。俺も、もう関係者になってるからよ。ちゃんと全部話してもらってるから、心配すんな』
『そう申されましても、あらかじめ許可の下りている者しか通してはいけない決まりになっているのです。殿下のことは、まだ私は伝え聞いておりませんので』
『なら、俺から後でナルソンさんに伝えておいてやるよ。おーい、カズラ! ルグロだ!』
徐々に話し声が部屋に近づき、扉を叩く音とともにルグロの声が響いた。
どうやら、警備兵の制止を聞かずに、部屋の前まで来てしまっているようだ。
『殿下! いけません! おやめください!』
警備兵の声に交じって、軽い足音が部屋に近づいてくる。
『とうさま! 精霊様の道具を忘れていますよ!』
『うわっ!? ロン、それは持ってきちゃダメだって! しまえしまえ!』
『ロン、待ちなさい! ルグロ、あなたも何やってるのよ!』
『ルティ? いや、俺はただ――』
聞こえてくる騒ぎ声に、一良とバレッタが唖然とした顔になる。
「と、とりあえず部屋に入れたほうがよさそうだな」
「あわわ……サイリウムを持ち出しちゃってるみたいですね」
バレッタが扉へと駆け寄り、一良がソファーから立ち上がる。
リーゼは顔をしかめ、不快そうに眉根を寄せた。
「あの人は……はあ、どうしてあんなのが次期国王なんだろ」
「こらこら、そんなことを言うもんじゃないぞ。あの人ほど、損得勘定抜きで国と国民のことを考えてる人はいないんだからな」
「ええ……あの人が? 嘘でしょ?」
「嘘じゃないって。だから、あんまりルグロさんのことを目の敵にするのはやめとけ。な?」
「カズラがそう言うなら……」
あまり納得していない表情ながらも、リーゼが頷く。
そう言っている間に、バレッタが扉を開けた。
扉を叩こうと拳を振り上げていたルグロと目が合う。
「おっ、嬢ちゃん! 悪い、部屋に入れてもらってもいいか?」
少しバツの悪そうな顔で、ルグロが頭をかく。
彼の足元には、サイリウムを手にしたロンがいた。
「は、はい。どうぞ」
「おし、皆、部屋に入れ。ほら、ルティ」
「ああもう……バレッタさん、ごめんなさいね」
「い、いえ」
バレッタがルグロたちを招き入れる。
家族全員来てしまっていたようで、ルティーナと4人の子供たちも部屋に入ってきた。
マリーは退出するタイミングを逃してしまい、緊張した様子で扉の前に立っている。
リーゼはソファーから立ち上がり、深々と腰を折った。
「カズラ! すまん、こんな騒ぎにするつもりはなかったんだよ。あの警備兵が頭が硬くってさ……うわ、なんだこりゃ!?」
部屋に置かれている冷蔵庫や電子レンジ、そして天井で輝いているLEDライトに、ルグロが目を丸くする。
ルティーナと子供たちも、部屋のあちこちに置かれている物珍しい品々に、きょろきょろと視線を動かしていた。
「カズラ、天井のあれも光の精霊の道具なのか?」
「ええ、そんなところです。まあ、座ってください。マリーさん、ルグロさんたちに麦茶を氷入りで。お子さんにはカルピスで」
「は、はいっ!」
マリーが冷蔵庫に向かう。
ルグロとルティーナが下の子のロンとリーネをそれぞれ膝に乗せて座り、その両脇に双子の姉妹のルルーナとロローナがちょこんと座った。
「す、すげえな。こんな道具……って、なんだこれ!? 色付き黒曜石のコップか!?」
テーブルに置いてあるガラスコップを見て、再びルグロがぎょっとする。
「ええ、そうです。普段使いにしているやつでして」
「普段使いってお前……いや、カズラの持ち物なら、別におかしくはないか。触ってもいいか?」
「どうぞ」
ルグロがコップを手に取り、しげしげと眺める。
子供たちも、「おー」とキラキラした目でコップを見つめている。
「宝石でできたコップがあるなんてな……この中に入ってるの、氷だよな? 夏なのに氷があるのか?」
「はい、そこの冷蔵庫っていう道具で作った氷です」
一良が、ルグロの背後に目を向ける。
ちょうど、マリーがカルピスの原液のボトルを中に戻しているところだった。
「とうさま、箱の中が光っています!」
「わあ……すごく綺麗ですよ! かあさまも見てください!」
「ロン、お行儀が悪いですよ」
「リーネ、人様の前で騒いではいけません」
ルルーナとロローナが、両親の膝の上で立ち上がろうとしているロンとリーネを窘める。
ロンとリーネは、しまった、といった顔になると、すぐに両親の膝の上に座り直した。
「あの箱で氷を作るのか?」
ルグロが背後の冷蔵庫に目を向ける。
「はい。箱の中は真冬みたいな寒さになっていて、食べ物を保存しておけるようになっているんです。凍らせることもできますよ」
「へえ、氷が作れる道具か! 王都の連中が見たら……っと、そんな話をしに来たんじゃないんだった」
とん、とルグロがコップをテーブルに置く。
「外に飯を食いに行こうって誘いにきたんだが……騒ぎにしちまって悪かったな。警備兵があんなに騒ぐなんて思ってなくてさ」
「ルグロさん、警備兵さんも勤めを果たしているだけなんですから、言うことは聞かないとダメですよ。何かあったら、彼が責任を取らされることになるんですから」
「う……す、すまん。でもさ、ちょっと飯食いに行こうって誘いに来ただけなんだぜ?」
「でも、じゃありません。ダメなものはダメです。自分の立場を考えて行動してください」
一良がぴしゃりと言うと、ルグロは一瞬きょとんとした顔になった。
そしてすぐ、にっと嬉しそうな笑顔になった。
「……そうだな! 俺が悪かった。うん、カズラの言うとおりだな!」
それを見て、ルティーナがため息をついた。
「謝るなら謝るで、少しは申し訳なさそうにしなよ。なんで笑顔になってるのよ」
「はは、そうだな! いや、本当に悪かった!」
がははと、とても嬉しそうに笑うルグロ。
マリーがそっと、横から麦茶とカルピスの入った銀のコップをルグロたちの前に置く。
「どうぞ、飲んでください。冷たくて美味しいですよ」
「お、ありがとな。ほら、いただこうぜ」
子供たちが「いただきます」とコップを手にし、口に運ぶ。
その途端、驚きに目を見開いた。
「とうさま、これすごく美味しいですよ!」
「甘くて冷たくて……こんな美味しいもの、初めて飲みます……」
ロンとリーネが、はしゃいだ声を上げる。
ルルーナとロローナも、それぞれカルピスを一口飲んで目をぱちくりさせていた。
「お、そうか。よかったな! ほら、ルティ、俺たちもいただこうぜ」
「う、うん」
ルグロたちも氷入りの冷たい麦茶を口にし、「おお」と感心した顔になっている。
一良は隣で微笑んでいるリーゼから伝わってくる憤怒の空気に、内心ガクブルである。
それを察しているのは、この部屋の中では一良とバレッタだけだ。
「えっと、カズラさ……グレイシオール様。ご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ございません。ルグロったら、いつもこんな調子で」
ルティーナがコップを置き、一良に申し訳なさそうな顔を向ける。
「いえ、分かってもらえればいいんですよ。それと、俺のことは前みたいにカズラって呼んでください。様付けもしなくていいですから」
「えっ。で、でも」
「そのほうが俺も気が楽なんで。お願いします」
「は、はい」
戸惑いながらも、ルティーナが頷く。
「カズラ。あの警備兵が叱られないように、カズラから口添えしておいてもらえるか? 俺も後で、ナルソンさんに言っておくからさ」
「はい、大丈夫ですよ。ちゃんと言っておきます」
「ありがとう、恩に着るよ。えっと、夕食の話だけどさ――」
「ダメに決まってるでしょ。今、カズラさんに叱られたばかりじゃないの」
ルティーナが呆れ顔で言う。
年越しの宴の時は勝手に外出していたようだが、あれはよかったのだろうかと一良は内心首を傾げる。
「分かってるって。そんなこと言うわけないだろ」
「……さっきは、私がいくら言っても聞かなかったのに」
ぷうっと頬を膨らませるルティーナ。
途端に、ルグロは慌て顔になった。
「え、ええ? なんで怒るんだよ?」
「知らない」
「いや、俺は別に――」
「ま、まあまあ。ルティーナさん、それくらいにしておいてあげてください。ルグロさんも反省しているみたいですし」
痴話喧嘩を始めてしまったルグロたちを見かねて、一良が口を挟む。
ルティーナは、はっとした様子で「すみません」と言うと恥ずかしそうに口をつぐんだ。
「す、すまん。ええとだな……どこかその辺の部屋で、父上たちとは別に飯を食わないか?」
「別に、ですか? ルグロさんは陛下たちと一緒に食べないとダメなんじゃないですか? ナルソンさんたちも、そのつもりでいると思いますけど」
「いや、それはそうなんだけどさ……なんだか、ものすごく辛気臭い食卓になりそうなんだよ」
「どうしてです?」
「ほら、さっき地獄と天国を見せてもらっただろ。部屋に戻ってから、父上はずっと泥みたいな顔色になっててさ。一言も口をきかねえんだよ」
「ああ……」
ルグロの話に、一良が何とも言えないといったように苦笑する。
一国の主ともなれば、後ろ暗いことの1つや2つはあるのだろう。
自分はもはや地獄行きだと、思い詰めてしまっているのかもしれない。
「何を言っても黙って頭を抱えてるだけだし、もうしばらくは放っておくしかないと思ってさ。飯食う時だって、きっとあんな感じだぞ。こっちが息が詰まっちまうよ」
「う、うーん。そんなにいろいろやらかしちゃってるんですかね……ルグロさんは、慰めてあげたりはしないんですか?」
「慰めるっていったって、何も話さないんじゃ慰めようがないだろ。ダイアスさんもゲロ吐きそうな顔になってたし、皆ろくなもんじゃねえな。嬉しそうにしてたのは、ヘイシェルさんだけだぞ」
けっ。と、ルグロが面白くなさそうに吐き捨てる。
その様子からして、ルグロもルティーナも、地獄行きになるようなことはしていないようだ。
「それにさ、たぶん食事の席にはカズラがいないほうが、父上たちもあれこれナルソンさんに聞きやすいと思うしさ。俺なんていてもいなくても同じだし。な? いいだろ?」
「う、うーん……」
一良がリーゼを見る。
――どうしよう?
――どうしようも何も、仕方がないじゃない。付き合ってあげなよ。
――そうしたほうがよさそうだよな……。
視線でそんなやり取りをし、リーゼがルグロに目を向ける。
表情は笑顔のままだ。
「では、お父様には私から伝えておきますね。皆様の夕食は、別室に用意させますので」
「おっ、さすがリーゼ殿! 噂どおり、見た目も性格もいい女だな! ありがとな!」
「い、いえ」
リーゼが頬を引き攣らせながらも微笑む。
ルグロの隣では、ルティーナが疲れたようにため息をついていた。
「せっかくだし、リーゼ殿も一緒に食べないか? あっちで食べるのは、きっとかなりしんどいぞ」
「いえ、私はそういうわけには」
「大丈夫だって。それに、リーゼ殿がいると、皆いろいろと話しにくいこともあるだろうしさ」
話しているルグロの目を、リーゼはじっと見つめる。
これはどうやら本心で話しているようだ、と判断し、頷いた。
「……では、私もご一緒させていただきます。お気遣いいただき、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるリーゼに、ルグロがにっと微笑む。
「いいんだって。よし、お礼がてら、夕食は俺とルティで作るか!」
「「「え!?」」」
一良たちとルティーナが、驚いた声を上げる。
「美味いもん食わしてやるから、期待しててくれ。ルティはパンをお願いな!」
「う、うん……って、本気でやるつもりなの?」
「調理場を借りるくらいは別にいいだろ? 久しぶりにやろうぜ」
「あの、殿下と妃殿下にそんなことをしていただくわけには。料理人に作らせますので」
リーゼが失礼にならないように、控えめに窘める。
「いいって、いいって。それに俺、王都の下町の食堂で下働きしてたから、料理はそこそこできるんだ」
「し、下働き……ですか?」
「おう。大衆食堂とパン屋で、小遣い稼ぎでちょこちょこやってたんだ。そんなわけだから、心配しないでくれ」
「は、はい」
「えっと、そこの侍女さん。名前聞いてなかったな」
ルグロに顔を向けられ、マリーがびくっと肩を跳ね上げる。
「マリーと申します!」
「マリー、調理場を使わせてもらいたいんだ。案内と手伝いを頼む」
「かしこまりました!」
勝手に話をまとめ、ソファーから立ち上がるルグロ。
――ど、どうすんのこれ?
――付いて行かないわけにいかないでしょ……。
――一緒に行った方がよさそうですね……。
一良たち3人は視線で会話をすると、仕方がない、といったふうに一緒に席を立つのだった。