215話:月が綺麗ですね
ゴゴゴ、という地鳴りのような音とともに、真っ暗な背景にこちらの世界の文字で『地獄』と表示される。
じわりと背景に滲むようにその文字が消え、今度は別の文字が表示される。
それを、一良が低い声で読み上げ始めた。
『死とは、すべての始まりにすぎない』
『正しく生きた者には、死の先の喜びを』
『悪事に手を染め続けた者には、死の先の絶望を』
『死の先にある世界の一片を、ここに記す』
「な、なんか、書いてある内容のせいなのかもしれないけど、ただ文字だけが浮かびあがるのってすごく不気味に見えるね……」
リーゼがぬいぐるみを抱きしめながら、少し怯えた様子で言う。
あれこれ皆で話し合った末、動画では字幕のみを流すことにし、声は入れないことになっている。
「うん。いろいろと相談したんだけど、冒頭はこれが一番いいんじゃないかってなってさ」
暴風が吹き荒れる廃墟と化した街並みが、スクリーンに映し出された。
空の色は赤黒く、焼け焦げた建物の残骸がそこかしこに積み上げられている。
その中から、全身が灰色で頭が半分欠けた人間のような生き物がざわざわと這い出してきた。
ギィギィと不快な声をあげながら、地べたや残骸の上を這いまわる。
「こ、これは、カズラ様の世界にいる生き物ですか?」
エイラが額に汗を浮かべながら、気味悪そうに画面に映るそれらを見ながら一良に聞く。
その隣では、早くもマリーがカタカタと震えていた。
「いえ、全部作り物です。ホラー映画のワンシーンですね」
「そうなのですか……とても作り物に見えないです」
「そうですね。最近の映画はものすごくリアルですから」
うごめく怪物たちの映像とともに、字幕が現れる。
『絶望と苦痛が支配する地獄において、一切の救いは存在しない』
『その者たちはそれぞれの犯した罪に応じ、ありとあらゆる責め苦を受けることになる』
画面が切り替わり、大量の怪物に襲われている人間たちが映し出された。
人々は苦悶の表情で悲鳴をあげながら逃げまどい、怪物たちはそんな彼らを捕まえては引きちぎり、切り刻んでいる。
再び画面が切り替わり、薄暗い場所で男が生きたままゾンビに食われているシーンになった。
『地獄においての苦痛は、絶え間がない』
『その身体が食い荒らされ、ただの肉塊に成り果てようとも、再び身体は再生して苦痛が繰り返される』
画面が暗転し、こちらの世界に似通ったのどかな村の風景が映し出される。
何人かの人々が、畑仕事をしながら楽しそうに雑談をしているシーンだ。
そこに、馬に乗った野盗風の男たちが剣を振りかざしながら駆け込んできた。
男を殺し、女たちを攫う凄惨なシーンが流れる。
「あっ! こ、この馬に乗っている男の人、さっき食べられてた人じゃない!?」
リーゼが驚いた声を上げる。
「そうそう。同じ俳優さんが出てる映画を一生懸命探したんだよ。無実な人を襲ってるシーンと食われてるシーンを両方こなしてる人を探さなくちゃいけなかったから、本当に大変だったんだぞ」
画面が半分に分割され、左側に愉悦の表情で人々を殺しまわる男の映像が。
右側には、先ほどの生きたまま内臓を食べられている男の映像が映し出された。
両方とも、映っているのは同じ俳優だ。
好都合なことに髪型まで一緒であり、一目で同一人物と分かるとても親切な作りとなっている。
『罪を犯せば、死後に必ず報いが訪れる』
『そうとも知らずに罪を犯し続ける人間の、なんと哀れなことか』
『救いを得るには、犯した罪に倍する善行を積まねばならないというのに』
「……なるほど。罪を犯していても、良い行いをすれば罰が軽減されるということですね」
感心した様子でバレッタが頷く。
「ええ、そうです。これを見せた人がもし悪いことしまくってたら、もうどうしようもないって開き直られる可能性がありますからね」
「そうですね、開き直れたら酷いことになりそうです……えっと、天国の映像は作ってあるんですか?」
「もちろんありますよ。ちゃんと皆のリクエストには応えた作品になってます」
どんな動画にしようかと皆で話し合っていた際、バレッタもリーゼも、「天国の映像もあったほうがいい」と意見を出していた。
良い行いをし続ければこんな素晴らしい世界に行くことができる、といった作りにしたほうが、恐怖のみを与えるよりも効果的だと考えたからだ。
「でも、グロいのとか怖い映画はいくらでも見つかったんですけど、天国みたいな映像が出てくる映画って本当に少なくて……どうしようって宮崎さんと頭を抱えちゃいましたよ」
「そうなんですか……需要がないんですかね?」
「かもしれないですね。なので、海外旅行のプロモーション動画から切り貼りしました。まあ、見てみてください」
それから数分間グロい映像が続き、画面が暗転して、美しい海の映像に切り替わった。
『死後の幸福』という文字が、キラキラしたエフェクトとともに画面に浮き上がる。
カメラがゆっくりと引いていき、美しく透き通ったエメラルドグリーンの海と、いくつも並ぶ水上コテージが映し出された。
日よけ用の大きな傘の下にはゆったりとしたビーチチェアが置かれ、脇のテーブルには鮮やかな果物が添えられたトロピカルドリンクが置かれている。
軽やかな音楽とともに、海辺で寛ぐカップルや、全身アロマオイルマッサージを楽しむ女性の姿などが次々に流れ出した。
一良以外の面々が、唖然としてその映像を見つめる。
「あ、あの、カズラさん」
「はい……」
「これ、確かに綺麗なところですし、いいなぁって思うんですが……」
「うん、言わんとしていることは分かります……」
この動画を作るにあたり、一番困ったのは『天国とはどういうところか』というイメージが、あまりにも漠然としすぎていて掴めないことだった。
インターネットであれこれ調べたところ各宗派によって違いはあるものの、多くに共通しているのが『ずっと幸福でいられる』ということだった。
こちらの世界における天国の定義は曖昧で、『幸せなところ』『何の苦労も苦しみもないところ』といった漠然としたものだ。
地獄というものに対するイメージも、『とんでもなく苦しい目に遭うところ』といった漠然としたイメージしか存在していない。
苦しい目、というのは誰でも痛かったり怖かったりといったことを想像するはずなので、先ほどの動画のように表現がしやすい。
だが、幸せなところとなると、個々人によってとらえ方が異なるため、表現が難しいという結論に達したのだ。
「いろいろと考えてはみたんですが、幸せな場所って人によって違ってくるって結論になっちゃって……こう、大体の人が『いいなぁ、行ってみたいな』ってなる場所を使おうってことになりました」
「そ、そうですか……なるほど、別に空の上じゃなきゃいけないって決まりはないですもんね」
「す、すごくいいじゃないですかこれ! 私、死んだ後にこんな場所でずっと暮らせるなら、善行を積むことに生涯を捧げますよ!?」
エイラが瞳を輝かせて、その海辺で寛ぐカップルの映像を眺める。
どうやら、この場所はエイラにとってはまさに『天国』だったようだ。
ちなみに、使われている映像はモルディブ観光のプロモーション動画である。
「おお、ほんとですか!? 天国っぽく見えます!?」
「天国っぽいかどうかは分かりませんが、すごく魅力的な場所だと思います! こんなところで毎日泳いだり、美味しいもの食べたり、マッサージしてもらえるなんて最高ですよ!」
勢い込んで言うエイラに同意するように、リーゼが頷く。
「うん、私もそう思う。天国って空の上とか、雲の上にあるものかなって考えたこともあったけど、雲の上で生活するより、こっちのほうが絶対に幸せだと思うわ」
こくこく、とマリーも頷く。
「これなら、天国と言われても納得できると思います! こんな綺麗な場所があるなんて……!」
「よかった……じゃあ、王家や他領の領主たちに見せる動画はこれでよしということで。バイクの搬入が済み次第、イステリアに戻ろう」
「あ、思わず見入っちゃって、ケーキ食べ忘れてた。いただきまーす」
リーゼがフォークを手に取り、ケーキを頬張った。
美味しい、とても幸せそうに顔を綻ばせている。
彼女が食べているものは、ウサギをかたどったシューケーキだ。
一良は昼間にあったことを意識してしまい、彼女を目で追ってしまう。
「ん、どうしたの? このケーキ食べたい?」
「あ、いや……美味そうに食べるなって思ってさ」
「うん! すっごく美味しいよ! いつもありがとう!」
にこっと可愛らしく微笑むリーゼ。
他の皆も、美味しい美味しいと頬を緩ませてケーキにパクついている。
普段と変わらないその様子に、一良も気を取り直してフォークを手に取るのだった。
数時間後。
風呂から出た一良は、屋敷の外で1人で夜風に当たって涼んでいた。
十数メートル離れたところには風呂小屋があり、今はリーゼが入浴中だ。
外で薪をくべているバレッタと、何やら楽し気に話している声が微かに聞こえてくる。
「カズラ様」
月明りに照らされた村の景色を眺めていると、背後から声をかけられた。
振り返ると、エイラが立っていた。
「エイラさん。夜風に当たりに来たんですか?」
「いえ、カズラ様とお茶ができたらなと思いまして」
そう言って、手に提げていた布袋を揺らして見せる。
「おっ、いいですね。じゃあ、中に戻りましょうかね」
「あ、いえ、その……月が綺麗ですし、お外でしませんか? 水筒に淹れてきましたので」
「おお、それもおつですね。じゃあ、マリーさんも――」
「マリーちゃん、今日は何だか疲れちゃったみたいで、さっきうたた寝をしちゃってました。そっとしておいてあげたほうがいいかと」
一良の台詞を食い気味に、エイラが答える。
「ありゃ、そうなんですか……村に来てから、炊事洗濯は全部2人に任せっきりですもんね。すみません、苦労かけちゃって」
「いえ、苦労だなんて。そんなふうに感じたことなんて、一度もありません」
「そう言ってもらえると助かります。さて、どこか座る場所は……」
「あちらの、小屋の傍なんてどうでしょうか」
エイラが、少し離れた場所にある物置小屋を指さす。
中に藁が保管されている小屋で、以前倒壊した小屋を新しく作り直したものだ。
「いいですね。行きましょうか」
「はい」
エイラと並んで、バリン邸を離れて小屋へと向かう。
「そういえば、2人でお茶なんてかなり久しぶりですね。最後にやったのは1カ月以上前か」
「そうですね……なんだか久しぶりすぎて、少しドキドキしちゃいます」
くすっとエイラが小さく笑う。
「はは、エイラさんみたいなかわいい人とお茶ができて、俺なんて毎回ドキドキしっぱなしですよ」
「なっ……か、からかわないでくださいっ」
「いやいや、本当のことですし」
「……うう、絶対からかってます」
エイラが恥ずかしそうにうつむく。
暗いせいで一良からは分からないが、その顔は赤みを帯びていた。
「からかってなんていませんって」
「絶対にからかってるもん……」
そんなふうにしてエイラをいじりながら、小屋の前に到着した。
傍にあった作業台に、2人して並んで腰かける。
「はい、カズラ様」
エイラが水筒から木のコップにお茶を入れ、一良に手渡す。
「ありがとうございます」
一良がさっそく一口飲み、んー、と唸る。
「レモングラス、ローズヒップ、レモンピールですかね? レモングラスが少し多めかな」
「正解です! よく分かりましたね!」
「あんまりたくさん混ざると難しいですけど、これくらいなら分かります」
「すごいですね。私なんて、まだまだです」
「毎日こうやって当てっこしてれば分かるようになりますよ。のんびりいきましょう」
「はい」
エイラがとても嬉しそうに微笑む。
エイラも自分のコップにハーブティーを注ぎ、口をつけた。
ふう、と息をつき、さらさらと水音のする水路に目を向ける。
「こんなに毎日のんびり過ごせるなんて……ついこの間まで戦場にいたことが、嘘みたいです」
「そうですね。ずっとこのまま、ここで暮らしていたくなっちゃいますよ」
「……カズラ様は、戦争もイステール領の復興もすべて終わったら、どうされるおつもりなんですか?」
「んー……そうですね。この村に戻ってきて、毎日のんびり暮らせたらなって思ってはいるんですけど。村の人たちとも、帰ってくるって約束してますし」
「……カズラ様がいなくなられたら、リーゼ様が寂しがります」
一良が言葉に詰まる。
リーゼに並々ならぬ好意を持たれていることは、一良とて理解している。
前に藁小屋が崩れて一良が怪我をした時から、それはずっと分かっていた。
「それに、約束破りになっちゃいますよ? 毎晩、お茶会に来てくれるって言ったじゃないですか」
一良が答えに窮していると、エイラが冗談めかしてそんなことを言った。
「ああ……そうですね、約束しましたね」
「はい。約束は、守らないとダメです」
「え、ええと、それだと俺はずっとナルソンさんのところにお世話にならないといけなくなるんですけど」
「もしくは、個人的に私のことを侍女として雇うという手もありますよ? それなら、約束も守れますし、どこへでも行けます」
「ああ、その手があったか! 侍女付きで村でのんびり生活か……ううむ、たいそうな身分だな」
「気乗りしませんか?」
「気乗りというか、分不相応な気がして。もともと、ただの一般人ですし。普通に生活できれば、それが一番落ち着くかなって」
「普通の生活、ですか……」
「ええ、ジルコニアさんも言ってましたけど、いわゆる貴族みたいな生活は性に合わない気がして」
「……」
「エイラさん?」
黙ってしまったエイラに、一良が顔を向ける。
「……私は、今の生活が大好きです。カズラ様がいて、リーゼ様がいて……こんな日々を、ずっと過ごしていけたらなって。何一つ、欠けて欲しくないです」
エイラが顔を上げ、夜空に目を向ける。
少しだけ欠けた月が、明るく輝いていた。
「……月が綺麗ですね」
「……はい」
それから、2人は何気ない雑談を交わしながら、月を眺めてお茶を続けた。
2人がいないことに気づいたリーゼとバレッタが2人を探しに来るまで、それは続いたのだった。