207話:食いしん坊
「えっ!? そ、それは本当ですか!?」
驚いたバレッタが、リーゼの両腕を掴む。
「う、うん。去年の秋の終わり頃だったと思うけど、急に鉱石の産出が増えた月があったの。それで、何でだろうって思ってお父様に聞いたのよ」
リーゼは一良にパソコンを習ってから、各担当官から上がってくる収支報告や資材備蓄量の変動報告を表計算ソフトにまとめていた。
一良、ナルソン、ジルコニアはそのデータを使い、毎月行われている収支報告会議を行っているのだ。
月ごとの収支は対比がしやすいようにと、棒グラフにして見やすくまとめていた。
そうして資料を作っていた時に、銅、鉛、錫、銀といった鉱石の産出がその月から急激に増えていることに気が付いたのだ。
「そしたら、『手押しポンプを使って水を一カ所に貯めて、廃鉱を崩落させて再採掘しているんだ』って言ってたの。だから、間違いないと思う」
「そ、そんな……あ、私もそういえば……!」
リーゼの話を聞き、バレッタも以前、大工職人たちからそのような話を聞いたことを思い出した。
あれは確か、職人たちに無理やり飲みに連れていかれそうになり、アロンドに助けられた日の話だ。
飲みの話が出る前にしていた雑談で、大工職人たちは『大量の銅と鉛の鉱石が街に届くという噂を聞いた』と言っていた。
当時は鉄鉱石の採掘が始まった直後であり、バレッタは職人たちの聞いた噂が銅や鉛を鉄と取り違えているのだろうと考えてしまったのだ。
まさか廃鉱を崩落させているなどとは、夢にも思っていなかった。
「あ、でも、カズラなら――」
「私、イステリアに行ってきます!!」
「えっ!? ちょ、ちょっと!!」
リーゼが何か言いかけているにも構わずに、バレッタはすごい勢いで走り去ってしまった。
リーゼは彼女の腕を掴みそこなった手を下ろし、やれやれとため息をつく。
あの勢いでは、今から追っても追いつけそうにない。
「何でわざわざイステリアに行くのよ……無線機を使えばいいじゃない」
廃鉱のことは気がかりだが、リーゼはそこまで深刻に考えてはいなかった。
イステール領の廃鉱がすべて潰されてしまったとしても、他領や王都にも廃鉱はたくさんあるからだ。
もちろん採掘の際は情報管理に注意しなくてはならないが、『地獄の動画』を王族や領主たちには見せる予定があるので、採掘を始めても変な横槍は入るはずもない。
「ていうか、カズラならそのことは知ってると思うんだけどな……帰ってくるまで待ってもよかったと思うけど」
さてどうしよう、と小屋の中を見渡す。
バレッタからはまだ何も説明されていないため、どうすることもできない。
かといって、今戻れば子供たちに確実に掴まって追いかけっこをする羽目になるだろう。
エイラたちには悪いが、それは勘弁願いたい。
「むう、どうしよ……あ、そうだ」
ふとあることを思いつき、リーゼは小屋を出た。
「もしかしたら、今度は通れるかもしれないもんね。試してみよ」
雑木林の入り口に立ち、よし、と気合を入れる。
すると木々の間から、予想外の人物が姿を現した。
「えっ、カズラ?」
「あれ、リーゼじゃないか。どうしたんだ、こんなところで」
シャベルと段ボール箱を抱えた一良が、きょとんとした顔でリーゼを見る。
どうしたんだとは言うが、それはリーゼの台詞だ。
「もしかしたら通れるかもって思って、また挑戦しに来たのよ」
「挑戦って……バレッタさんはどうしたんだ? 一緒に爆弾を作る予定だったんだろ?」
「えっとね――」
先ほどの顛末をリーゼが説明する。
一良は、ああ、と納得した顔になった。
「それは大丈夫だよ。バレッタさんに採掘場所を聞いてから、すぐナルソンさんに廃鉱を潰すのは中止してくれって言っておいたんだ。いくつかは潰した後だったけど、まだけっこう残ってるはずだ」
「やっぱり、カズラは知ってたんだね。で、バレッタには話してなかったんだ?」
「うん。再採掘の件にバレッタさんは関わってなかったから、別に言う必要もないかなと思って言ってなかったんだ。廃鉱自体、まだいくつも余ってたし」
「そっか。バレッタが関わってるのって、鉄鉱石採掘だけだもんね……ああ、余計なこと言っちゃったなぁ」
「だな。バレッタさんには悪いことしちゃったな……」
はあ、と2人でため息をつく。
バレッタは血相を変えてナルソンに詰め寄るに違いない。
察しのいい彼なら、それで火薬の材料が廃鉱にあることに気づくはずだ。
それで彼がどうこうするとは思えないのだが、何となく気まずいことになりそうだ。
「この際、もうナルソンさんにはバレてもいい気もするけど、一応止めておくか。無線でイステリアに連絡しよう。誰かにバレッタさんを止めてもらわないと」
「うん。無線機取ってくるね」
「おう、頼む」
一良が抱えている段ボール箱を地面に降ろす。
「そういえば、それなに?」
「たぶん、俺のご先祖様」
「えっ!?」
「まあ、後で話すよ。とりあえず無線機を持ってきてくれないか?」
「う、うん」
一良をその場に残し、リーゼはバリン邸へと向かった。
リーゼが無線機と携帯用アンテナを手に戻ってくると、一良はシャベルで地面を掘っていた。
「ただいま」
「おかえり。よし、先にそっちをやっちゃうか」
「……ねえ、もしかしてその箱の中身って、人骨?」
一良にアンテナと無線機を手渡しながら、リーゼが聞く。
「うん。雑木林の中にお墓を作って埋めておいたんだけど、そこじゃダメだって言われちゃってさ」
「言われちゃったって、誰に?」
「この前俺たちを助けてくれたウリボウのお姉さん。砦を出る前の日の夜に、また兵士たちの魂を送り出しに来てくれてさ。その時に教えてもらったんだ」
「お姉さん? オルマシオール様のこと?」
「いや、それが、オルマシオールじゃないって言ってたんだよ」
「えっ、どういうこと?」
「俺もよく分かんないんだ。ただ、『今後はそう呼ばれるようになるかも』って言ってたな」
一良がシャベルを足元の地面に突き立て、袖で汗を拭う。
リーゼはよく意味が分からず、困惑顔だ。
「で、そのお姉さんが言ってたんだよ。俺と同じ匂いの魂が、かれこれ300年近く森の中で彷徨ってるって」
「300年って……もしかして、言い伝えに出てくるグレイシオール様が、カズラのご先祖様なの?」
「かもしれないな」
2人で段ボール箱に目を落とす。
半開きになったフタの隙間から、白い頭蓋骨が覗いていた。
「この雑木林の先に、日本に通じてる石造りの通路があるんだけどさ。通路の途中に、肩口が切り裂かれた服を着た白骨死体があったんだ。言い伝えだと領主の剣をかわして逃げたってことになってるけど、本当は避けきれなかったんだろうな」
「……」
リーゼは言葉を詰まらせた。
もし一良の推測が正しいのなら、一良の先祖を殺したのは自分と同じ立場の人間なのだ。
当時の領主とイステール家とに血縁があるのかは分からないが、この遺骨の人物に恨まれる立場ではあるように思えた。
「それで、雑木林の奥にいるせいで、お姉さんも手が出せなかったんだってさ。やっぱり、あそこを通れるのは……リーゼ?」
暗い顔をしているリーゼに気づき、一良が手を止める。
「……ううん、何でもない。埋葬は私がやっておくから、カズラは日本に行っていいよ。早く行かないと、帰ってくるのが遅くなっちゃうんでしょ?」
「それはそうだけど……いいのか? けっこう大変だと思うぞ?」
「うん、でも大丈夫。しっかりやっておくから」
「じゃあ、お願いしようかな」
「うん。何か注意しなきゃいけないことはある? 普通に埋めておけばいいのかな?」
「動物に掘り起こされたら困るから、少し深めに掘って埋めてくれ。墓標は後で作ろう」
「うん」
一良がアンテナを無線機に接続し、イステリアの方角へと向けた。
電源を入れ、送信ボタンを押す。
「こちらグリセア村。イステリア聞こえますか。どうぞ」
十数秒待つが応答がなく、沈黙が流れる。
ナルソン邸の屋上では、グリセア村の村人が無線機の番をしているはずなのだが。
一良がもう一度送信ボタンを押そうとした時、無線機から聞きなれた声が響いた。
『こちらイステリア! よく聞こえます。どうぞ!』
「……ジルコニアさんだよな?」
「う、うん」
なぜか響いたジルコニアの声に、2人が顔を見合わせる。
いったい屋上で何をしているのだろうか。
「ジルコニアさん、何で無線番なんてしてるんですか? どうぞ」
『えっと……会議続きで疲れちゃって。屋上に逃げてきてたんです。暇だから無線機をいじってたらいきなり声がして、びっくりして落っことしちゃいました。どうぞ』
「ええ……何やってるんですか。抜け出ちゃったらまずいでしょう。どうぞ」
『いえ、私が出ないといけないものはひととおり終わったので、大丈夫なんです。でも、他の会議もかたちだけでも出ろとナルソンに言われてるんですけど、そういう会議って死ぬほど苦痛じゃないですか』
最近一良はよく思うのだが、以前に比べてジルコニアは子供っぽくなったというか、茶目っ気が出た気がする。
自分と2人きりの時限定にも思えるのだが、この場にリーゼがいると知ったら慌てるだろうか。
何となく可哀そうなので、黙っておくことにした。
『あと、カズラさんがいないと退屈で仕方がないんです。早くこっちに帰ってきてください。どうぞ』
「いや、そうは言ってもですね……っと、それはいいとして、1つお願いしたいことがあるんです。今、そっちにバレッタさんが走って向かってるんですけど、ナルソンさんのところに駆け込む前に止めてもらえませんか? どうぞ」
『え? 走ってですか? どうしてです? どうぞ』
「えーと……すみません、理由は聞かないでもらえると。とにかく、捕まえてこっちに送り返してください。どうぞ」
『分かりました。お礼は、何か美味しいお土産でいいですよ。どうぞ』
「……お母様って、本当に食いしん坊だよね」
ジルコニアの言いように、リーゼが苦笑する。
「まあ、食べることってストレス発散になるし、仕方ないんじゃないか? ジルコニアさんの立場って、ストレスすごそうだしさ」
『カズラさん? どうしました? どうぞ』
「あ、すみません。じゃあ、今度村に来た時に、日本のお店で買ってきた料理をごちそうしますね。どうぞ」
『はい! じゃあそれで……って、もしかして、今夜のそっちの夕食って、日本で買ってきたものだったりするんですか? どうぞ』
「え? はい、そうですけど。どうぞ」
『私も今からそっちに行きます。バレッタは途中で拾っていきますね。通信終わり』
「えっ!? ジルコニアさん、イステリアを離れちゃまずいんじゃないですか? どうぞ」
ジルコニアからの返答を待つが、うんともすんとも言わない。
どうやら、すでにこちらに向かっているようだ。
やれやれと無線機の電源を切り、リーゼに手渡す。
「まあいいか。それじゃあ、俺は買い出しに行ってくる。お墓、お願いな」
「うん、分かった。気を付けてね。いってらっしゃい」
「おう、ありがとう。行ってきます」
手を振って去っていく一良を見送り、リーゼは遺骨に目を落とした。




