204話:大切な秘密
数日後の昼。
一良は護衛の兵士たちとともに、馬車でグリセア村へと向かっていた。
バレッタ、リーゼ、エイラ、マリーも一緒の馬車に乗っている。
複数人乗れる、個室タイプの豪華な馬車だ。
「村が見えてきましたね……カズラさんは、村に着いたらすぐに日本……あちらに戻るんですか?」
窓から身を乗り出して外を覗いていたバレッタが、一良に聞く。
うっかりエイラとマリーがいることを失念して『日本』と言ってしまい、バツの悪そうな顔になっていた。
しかしながら、彼女たちにはすでに日本から持ってきた品物やら本やらを散々見せているうえに、エイラに至っては料理やお茶の本まで読んでいるのだ。
今更隠しても仕方がないことなので、説明したほうがお互いやりやすいだろう。
「ええ、そのつもりです。あと、神の国って言い続けるのもあれなんで、日本について2人にも説明しておきましょう」
「『群馬県』とか『草津温泉』といった場所がある国ですよね?」
微笑みながら言うエイラ。
えっ、とバレッタとリーゼが驚いた顔を向けた。
エイラとは毎晩行われていたお茶会で、互いの知る食べ物や風習など、いろいろな話題を出して会話を楽しんでいた。
料理本に関しては10冊近く貸し出しており、その中には料理の発祥地や、ちょっとしたエピソードが添えられているものがいくつもある。
当然ながら国名もいくつも出てきており、一良が住んでいる場所についても聞かれたことがあったので、『日本っていう場所です』と答えていた。
なので、エイラにとっては今更な説明なのだ。
「エイラ、一良から教えてもらってたの?」
「いや、教えたというか、いつも――」
「いえ、神の国での普段の生活について、いろいろとお話ししていただいたことがあったので」
一良の台詞を食い気味に、エイラが答える。
「読ませていただいた本にも、お店についてや地名がたくさん載っていて。それで、いろいろと聞かせていただいたことがあって」
「……前にも聞いたけどさ、いつ本を読んだり、カズラと話したりしてたの?」
じっと、リーゼがエイラの目を見て問いかける。
うっ、とエイラは表情を強張らせた。
「い、いえ……たまに、マリーちゃんの代わりにカズラ様を朝起こしに行った時に、その、少しずつ……あ、あと、私のお休みの日とかに、少しお部屋にお邪魔させていただいて……」
「……へえ、そうなんだ」
ちらりと、リーゼが一良を見る。
「お、おう。だいたいそんな感じだ。本も何冊か貸してるよ」
一良としては、エイラが嘘をついているのはもちろん分かる。
分かるのだが、嘘をついている理由が分からない。
夜のお茶会は別に隠すようなことではないように思えるのだが、今言うとろくなことにならなそうなので黙っていることにした。
そういえば、普段バレッタやリーゼと話していても、夜のお茶会について話したことはなかったな、と今更ながらに思い至る。
「え、ええと、マリーさんは全部初耳ですよね」
「はい! 初耳です! 何一つ知りませんでした!」
びく、とマリーが背筋を伸ばして答える。
実は、マリーは以前、一度だけエイラと一良の夜のお茶会に同席したことがある。
『匂いクラゲ』という媚薬の効能を持った鉱石絡みで一騒動起こったことがあるのだが、その時に話の流れで一良に誘われてお茶会に参加したのだ。
その際、毎晩お茶会はやっている、という話も聞かされていた。
そのため、エイラがリーゼに嘘をついているということもすぐに分かった。
もちろん、面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらごめんなので、たとえ口が裂けてもそのことを言うつもりはない。
「俺は、日本という――」
日本という場所から来て、あれこれと持ってきている物はそこで手に入れた、ということを簡単に説明する。
神の国が『日本』に置き換わっただけなので、内容的には今まで2人が知っていたことと相違はない。
それでも、マリーは終始、あかべこのようにこくこくと頷いていた。
「――とまあ、そんな感じです。こっちとはちょっと勝手は違いますが、お店もあれば地域もいろいろとあるところでして」
「分かりました! ご説明いただき、ありがとうございます!」
特に何を質問するでもなく、びしっと背筋を伸ばして頭を下げるマリー。
その時、タイミングよく馬車が停車した。
外からは、ざわざわと人の話し声が聞こえてくる。
どうやら、村の入り口に到着したようだ。
「カズラ様、リーゼ様、お待ちしておりました」
出迎えた鎧姿のシルベストリアが、馬車を降りた一良に頭を下げる。
村人たちも集まっており、いつものように総出で出迎えてくれたようだ。
「シルベストリアさん、お久しぶりです。村に変わりはありませんか?」
「はい、何の問題も起こっておりません。耐火レンガと鉄の輸送も、順調に行っています」
村にある小型木炭高炉とレンガ窯でも生産は休みなく行っており、ある程度たまるとイステリアへ輸送していた。
村には年寄りと子供ばかりだが、皆で協力して毎日精一杯作業に取り組んでいる。
「事故とか、怪我人は出てませんかね?」
「はい。今のところは何も。こちらから特に指示を出す必要もない状態になっていますので、私の後任にもすぐに引き継げると思います」
暗に「早く自分を軍に戻せ」と言ってくるシルベストリア。
目が、これでもかというくらいに真剣だ。
一良としてはこのまま彼女に任せたいのだが、約束した手前、そろそろ交代させてあげないとまずい。
「分かりました。1、2カ月以内には必ず交代の人員を寄こしますから、もう少し待っていてくださいね」
「はっ!」
シルベストリアの声色が、少し嬉しそうなものに変わった。
おぼろげながらも期限が分かり、ほっとしたのだろう。
本当はもっと早く手をまわしてあげたいところだが、今は砦を制圧したばかりなうえに、クレイラッツとの国境に守備隊を送らなければならない状況だ。
村を任せられる人員は限られており、誰にでも任せられるわけではない。
人選をどうするか、頭の痛いところだ。
「さて、俺はまたしばらく神の国に戻らなければなりません。その間、連れてきた兵士たちを任せてもいいですか?」
「かしこまりました。何日間のご滞在になりますか?」
「それが、どれくらいになるのかはっきりとは分からなくて。半月とかかかるかもしれないです」
「では、その間兵士たちは農作業に従事させますね。もちろん、訓練も並行して行わせますので」
「お願いします。まあ、あまり無理はさせない程度でお願いします。3日に1日くらいは、休みを入れる感じで」
「はっ! あ、カズラ様、後でバレッタを少しお借りしてもいいですか?」
一良のすぐ後ろに控えるバレッタに、シルベストリアが目を向ける。
一良たちの到着を知らせる伝令から砦での戦いの顛末は聞いているのだが、詳しい話をバレッタから聞くつもりなのだ。
「あ、はい。バレッタさん、いいですかね?」
「はい、大丈夫です。お昼ご飯を済ませたら、すぐに伺いますね」
その返事に、シルベストリアはにっこりと微笑んだ。
「ありがとう。待ってるね」
「それじゃ、荷物を運び入れちゃいましょうか」
「カズラ様、それは私たちがやりますので!」
荷馬車に向かおうとする一良に、エイラが慌てて申し出る。
マリーはすでに荷馬車に走って向かっている。
「すみません。じゃあ、バリンさんの家に運んでください。リーゼ、バレッタさん、先に行ってましょう」
「うん」
「あ、私、食材だけ取ってきます」
昼食の材料をいくつか手にし、一良たちは村へと入って行った。
「おお、根切り鳥たちも元気そうだな……ていうか、ずいぶん増えたなぁ」
出迎えてくれた村人たちとともに、一良たちは根切り鳥の飼育小屋へとやって来ていた。
昼食に使う卵を、いくつか採りに来たのだ。
2メートルほどの高さの柵に囲まれた飼育小屋内には、30羽ほどの根切り鳥がいた。
雛も10羽近くおり、かなりの過密状態だ。
「これでも、毎月20羽くらい絞めてるんですよ。小屋ももう2つ増やしましたし、今は100羽以上いますね」
一良の隣に立つ女性が、ニコニコ顔で言う。
背筋はぴんと伸びており、肌も綺麗でハリがある。
彼女は60歳近いはずなのだが、明らかに10歳くらい若返っているように見えた。
「次から次に雛が生まれて、全部が元気に育つので、本当にありがたい限りです」
「へえ、全部が育つんですか。すごい勢いで増えてそうですね」
「カズラさん、お肉食べます? 1羽絞めましょうか?」
卵をいくつか拾いながら、バレッタが一良を見る。
「えっ、バレッタさんが絞めるんですか?」
「はい。ただ、絞めるのは初めてなので、誰かに教えてもらいながらやらないとですけど」
バレッタは村にいた時に何度か野鳥を解体したことがあるので、捌き方は分かっている。
絞めるのは未経験だが、覚えるにはちょうどいい機会だ。
「う、うーん……ちょっと時間かかりそうですし、今日はやめておきます。また帰って来た時にお願いできればと」
「それもそうですね。じゃあ、今日は卵だけで」
「バレッタ、絞める時は私にも教えて。あと、捌き方も覚えたい」
バレッタに倣って卵を拾いながら、リーゼが申し出る。
「はい。そしたら、一緒にやりましょうね」
そうして卵をいくつか手に入れ、バリン邸へと向かった。
引き戸を開け、屋敷に入る。
バリンは国境沿いの砦にいるため、屋敷は無人だ。
誰かが掃除しておいてくれたのか、埃も積もっておらず綺麗なものだった。
「それじゃ、ごはん作っちゃいますね。リーゼ様、一緒にやりませんか?」
「うん、やるやる」
バレッタとリーゼが土間の台所へと向かう。
一良も手伝おうかと思ったが、バリン邸の台所は3人では狭すぎるし、かえって邪魔になりそうだ。
大人しく、囲炉裏に火を焚いて待っていることにした。
囲炉裏の灰の中には薪が入っているが、火をつけるのには火口と消し炭が欲しいところだ。
「リーゼ、足元にある炭壺取ってくれるか? あと、そっちの隅にある枝束からいくらか持ってきてくれ」
「あ、うん。ちょっと待って」
ライターを取り出し、リーゼが持ってきてくれた枝に火をつけて囲炉裏にくべる。
その上に、炭壺から取り出した消し炭を置いた。
ぽいぽいと小枝を投げ入れながら、炭に火がつくをの待つ。
小枝から上がるオレンジ色の炎が、室内をほのかに照らした。
「ほんと、ライターって便利だよね。日本の道具って、どれもすごいよね」
「そうだな。火をつけるのだって、ライターがなかったら一苦労だもんな」
「だよね……あ、そういえばさ」
リーゼがふと思い付いたように、一良を見る。
「自動車とかバイクって、どれくらい持ってくるの?」
「んー、どっちにするかはまだ決めてないけど、故障した時のことも考えて、20台くらいあれば十分かなって思ってるよ。伝令とかに使うだけだし」
台所で卵をかき混ぜていたバレッタが、一良に振り返る。
「20台ですか。全部イステリアに置くんですか?」
「いえ、何台かはグリセア村に置いておきます。村は物資集積所みたいになってるんで、たぶん置いておいたほうがいいかなと。物資の運搬にも使えますから」
「なるほど。確かに、そのほうがいいですね」
「20台かぁ。農業用運搬車みたいなのが20台って、すごい光景に……あ」
ふむふむ頷いていたリーゼが、何か気づいたように一良に顔を向ける。
「カズラって、今までいろんな物を持ってきてくれたり、工事計画書とか作ってきてくれたりしたじゃない? あれって、日本で買ってきてくれた物なんだよね?」
「ああ、そうだよ」
「今まですごくたくさん持ってきてくれたけど、お金は大丈夫なの? お店で買ったって言ってたし、すごい金額になってるんじゃない?」
リーゼの言葉に、バレッタがはっとした顔になった。
一良がいろいろと持ってくることに慣れすぎてしまっていて、そこまで考えたことがなかったのだ。
「全然大丈夫だぞ。俺、これでもけっこうお金持ちなんだ」
「お金持ちって……食べ物とか機械とか、すごい量持ってきてるよね? 私たちのために、実は無理してたりしない? 本当に大丈夫?」
心配そうな顔で、リーゼが一良を見る。
バレッタも今まで一良が買ってきた品物の数々を思い浮かべ、若干青ざめている。
大量の書籍を読んで日本についての知識がそれなりにあるので、とてつもない金額がかかっていることがおぼろげながら分かったからだ。
以前貰った『人気の出るカフェのはじめ方』の本には、工事費用やらの諸経費や収支計画の概算も記載されていたので、日本のお金の価値も何となくイメージがつく。
「無理なんてしてないって。大丈夫だよ」
「で、でも、カズラさん。今まで買ってきてもらった物を考えると……」
「いやいや! 本当に大丈夫なんですって! ちょっと待っててください。証拠を見せますから」
一良はそう言うと、バッグから青色の薄い本を取り出した。
「カズラ、それなに?」
「預金通帳っていって、俺の貯金がいくらあるか書かれてる本だよ」
「「えっ!?」」
リーゼとバレッタが、同時にぎょっとした声を上げた。