201話:アルカディアの急所
「……バルベールに徹底抗戦するか、もしくは属国になるかを投票で決めるというのか」
予想外の報告に、ナルソンは心底驚いていた。
バルベールがクレイラッツに接触していることは予想していたが、こんな事態になるとは考えたことすらなかった。
まさか、国の運命を軍部や議会ではなく、民の1人1人に委ねるとは。
「結果がどうなりそうかは分かるか? どうぞ」
『まったく分かりません。現在は投票の前段階でして、全国民へ現状の説明が行われています。投票開始は3日後です。各都市にある「権利の広場」という場所で、壺の中に白色か黒色の石を入れて投票するようです。全5都市にて同じことが同時に行われます。どうぞ』
「3日後か。この砦での戦いの結果を伝えるのは間に合わんな」
ナルソンが悔しそうにつぶやく。
アルカディアがバルベールから砦を奪い返したという結果を伝えることができれば、民意は同盟維持に大きく傾くかもしれない。
だが、3日後に投票が始まってしまうのでは、どんなに急いでも投票開始には間に合わない。
アルカディアが砦を奪われて窮地に立っているという話は、投票前の説明でクレイラッツ国民にも伝えられているはずだ。
それを知ったうえで、彼らが同盟維持に票を入れるだろうか。
「……最寄りのリオンには投票終了のギリギリ前に間に合うかもしれん。早馬で使者を出しておいてくれ。どうぞ」
「かしこまりました。他の4都市には間に合いませんが、よろしいですか? どうぞ」
「うむ。それは仕方あるまい。リオンにだけ、使者を送ってくれ。どうぞ」
ナルソンたちのやり取りに、一良が僅かに顔をしかめた。
隣にいたバレッタが雰囲気でそれに気づき、一良を見上げる。
「カズラさん、どうしました?」
「いえ……バイクか自動車でもあれば、間に合ったのになと思って」
「バイクか自動車……ラタよりも速く走れる乗り物ですよね?」
「ええ。一人乗りの小型自動車なら、幅的にあの通路も通れると思うんで。バイクなら確実に通れますから、こんなことなら持ってきておけばよかったです」
日本と繋がる石畳の通路は、途中で曲がり角があるうえに出入口の幅が扉2つ分程度しかない。
だが、普通のサイズの自動車は通れないが、コンビニの配達で使われているような小型の自動車程度なら十分通ることができる。
今手元にあれば、夜通し走ってクレイラッツの全都市に砦奪還の報を伝えることができたかもしれない。
もちろんその場合、移動に使った乗り物が誰かに見られてしまう可能性はかなり高いだろうが。
「そうですね……あの、もしかして、今度日本に戻ったら持ってくるんですか?」
「ええ、持ってきておこうと思います。今後は王都とか各領地への連絡にも急を要することになるかもしれないですし」
「カズラ、それって、グリセア村に置いてある農業用運搬車のようなやつ?」
傍らにいたリーゼが、話に加わってきた。
ジルコニアも興味深そうに、一良を見ている。
「ああ、そうだよ。あれよりも、かなり速く走れる乗り物だ」
「かなり速くって、どれくらい速いの?」
「グリセア村からイステリアまで、半刻(約1時間)かからないくらいで移動できるくらいの速さかな」
「「えっ!?」」
リーゼとジルコニアから驚きの声が上がる。
イクシオスと話していたナルソンも話を止め、ぎょっとした顔で一良を見ていた。
「だから、今この場にあれば、クレイラッツへの連絡も間に合ったのになって。複数台あれば、全都市に連絡できたかもしれないし」
「た、確かにそうだね。そんな乗り物があるのなら、間に合ったかも――」
「でも、それなら無線機を各地に配置したほうがいいと思います。村の人たちにも協力してもらえるんですし、これからは各地に無線基地を作ったらどうでしょうか」
リーゼの言葉を遮り、バレッタが提案する。
彼女としては、できる限り一良の身に危険が及ぶようなことは避けたいのだ。
一良としてもそれは分かるのだが、綱渡りな現状ではそうも言っていられない。
火薬兵器やクロスボウの導入で十分どうにかなると考えていたのだが、どうもそうはいかないようだ。
クレイラッツが裏切るかもしれないとあっては、軍を率いてバルベール国内に攻め入ることもおぼつかない。
「無線基地はいい考えですね。近いうちに、それもやることにしましょう」
「はい……あ、あの、自動車とかバイクは……」
「それも持ってきておきます。各地域に連絡するにしたって、その情報を信じてもらうためにナルソンさんの署名入りの書簡が必要だったりするはずです。無線通信じゃ、物の移動はできませんからね」
「……分かりました」
きっぱりと言い切る一良に、バレッタが少し暗い顔で頷く。
一良はナルソンに顔を向けた。
「ナルソンさん、自動車などの目立つ道具を使う都合上、主だった武官や文官にグレイシオールがイステール家に力を貸しているという話をしておくべきです。実際に使う時に混乱を招いては元も子もありませんから」
「……いえ、それは今しばらく待ったほうがいいと思います」
「えっ?」
予想外のナルソンの返答に、一良が驚いた声を上げる。
他の面々も、一様に驚いた顔でナルソンを見た。
「知らせるのでしたら、各領地の領主、そして王家といった上層部のみにするべきです」
「えっと……それはどうしてですか?」
「戦局があまりにも微妙な時期だからです。それに、カズラ殿がグレイシオール様なのではという噂が、すでに騎兵隊を中心に広まりすぎています。今、武官や文官たちだけとはいえ、公にするのは危険です」
「グレイシオールの協力があると説明すれば、やはりあいつがそうだったのかってなるってことですかね?」
「はい。そうした場合、カズラ殿を殺害するか拉致するかして手土産にし、バルベールに逃げようと考える者が出るやもしれません」
「……クレイラッツの投票結果が、バルベールに屈することになった場合はなおさら、ですか」
「そのとおりです。皆、5年前までの戦いで、バルベールとの戦争の厳しさは骨身に染みています。バルベールとクレイラッツを相手にして勝てるとは、まず考えません。カズラ殿に出張ってもらって、グレイシオール様として大々的に宣伝すれば、確かに士気も上がり、団結もより強固になるとは思うのですが……」
「その後で俺に何かあったら、それが一気に瓦解するってことですか」
「はい」
一良がグレイシオールだという話が広まり、公然の秘密、もしくは一良の存在を公にした場合。
当然だが急所を晒すも同然であり、それは一良の身の危険に直結する。
その結果、一良が拉致されたり殺されでもしたら、ある者は絶望し、またある者はイステール家によるプロパガンダだったのかと勘繰るだろう。
神という存在が、そんな簡単に拉致や殺害されたりするはずがないと考えるだろうからだ。
皆がそう考えて、神を殺せるはずがないと考えてくれればいい。
だが、ナルソン邸で普通の人間と同じように過ごしている一良を見ている者のなかには、普通の人間と大差ないと考える者がいてもおかしくない。
以前、グリセア村で頭を怪我して包帯を巻いた姿を見たことのある者であれば、なおのことそう考えるだろう。
「実際に自分の目で此度の戦いを目にしていれば、我が国の勝利に確信を持てるかもしれません。しかし、イステリアに残してきた者たちはそうもいきませんからな」
「ふむ……録画した映像を見せればそれは解決しますけど、それだと俺の存在を公にするのと同じってことになりますもんね」
「そういうことです。残念ながら、時機を逸しております。砦を奪われる前に大々的に宣伝し、それらの乗り物や大量生産した火薬兵器を他国も巻き込んで披露していれば、砦への奇襲自体が起こらなかったやも――」
「お父様!」
リーゼの咎めるような声に、ナルソンが口を閉ざす。
たらればの話をすればきりがないが、ナルソンの言っていることはもっともだ。
砦を奇襲されるということ自体、誰も想定していなかったことなので、仕方がない話ではあるのだが。
要は、状況不利とみて裏切る輩が出るかもしれないというのが問題なわけだ。
ならば、絶対に裏切らない、裏切ることができないという状況を作ればいいわけだが、それにはどうすればいいのか。
「カズラさん、とりあえずは、各領主と王家に説明をするだけにしておいてはいかがですか?」
一良が考えていると、それまで黙っていたジルコニアが口を開いた。
「カズラさんのことは伏せるか代役を立てるかして、今回録画した戦闘の映像を彼らに見せるのがいいと思います。戦闘が圧倒的だったということも伝えられますし、映像を記録する道具を見せられれば、神が味方に付いていると皆が信じるはずです」
「代役は私がやります。私がグレイシオール様のつなぎ役ということにすれば、出身地も相まって不自然さもありません」
率先して身代わりになろうとするバレッタに、一良は苦笑しながらその肩に手を置いた。
「バレッタさん、そういうのは無しだって言ったじゃないですか。俺がお偉いさんがたに説明しますって」
「で、でも……」
バレッタは言い縋りかけ、言葉を止めた。
そして、真剣な顔で一良を見た。
「……なら、これからは私が四六時中、カズラさんの護衛として傍にいます。部屋も、カズラさんの部屋に引っ越しますから」
「えっ? いや、さすがにそこまでしなくても」
「しないとダメです。カズラさんの身は私が守ります」
「それなら、私もこれからはカズラの部屋に住もうかな。今なら、近衛兵にだって剣でも素手でも負けない自信あるし。私が守ってあげるよ」
バレッタに続き、リーゼまでそんなことを言い始めた。
二人とも、目が本気である。
「だから、2人ともそんなことしなくてもいいですって。今までどおり、警備にはグリセア村の人に立ってもらえば十分ですよ」
「でも、カズラさん――」
「それに、ちょっといいことを考え付きました。たぶん、これをやっておけば大丈夫です」
言いかけたバレッタに被せるようにして、一良がそんなことを言う。
妙に自信ありげだ。
「え、いいこと、ですか?」
「何それ? 誰も裏切らせないような方法でもあるってわけ?」
怪訝そうなバレッタとリーゼに、一良が頷く。
「うん。要は、『裏切ったら確実に酷い目に遭う』って分かってれば、誰も裏切らないと思うんだ」
「酷い目って、裏切ろうとして捕まったら財産没収のうえで一族郎党死罪なんだから、それより酷い目なんてないでしょ」
「そうですよ。裏切るような人たちは、そのリスクを承知で裏切るんですから。分からせるも何もないですよ」
異を唱えるリーゼとバレッタ。
一良は「そうだな」と頷いた。
「普通に考えれば、それ以上酷い目なんて存在しないよな。でも、死んだ後に地獄行きが決定するって分かったら、どう考えるかな?」
「……地獄行き?」
「どういうことですか?」
意味が分からない、といった表情の2人。
ジルコニアとナルソンも怪訝な顔をしている。
「ナルソンさん、この国の人たちって、グレイシオールやオルマシオールのことは当たり前のように信じてるんですよね?」
「え、ええ。全員が絶対にとは言えませんが、この国に生きる者であれば大多数が信じていると思います」
「ナルソンさんも信じてますか?」
「信じるも何も、カズラ殿という本物のグレイシオール様と日頃から接しているではないですか」
当然のように答えるナルソン。
バレッタ、リーゼ、ジルコニアの3人は、互いに顔を見合わせている。
この場にいる5人のなかでは、ナルソンだけが一良が本物のグレイシオールだと信じているのだ。
「そ、そうですね。では、皆それなりに信心深いってことでいいんですね?」
「はい。大なり小なり、皆信じているかと」
「それはよかった。裏切り防止のために、それを利用しようと思うんです」
「あの、カズラさん。話が全然見えないです。分かりやすく説明してくれませんか?」
珍しく、バレッタが一良を急かす。
一良のこととなると、どうしても冷静ではいられないのだ。
「えっとですね、皆に、実際の地獄の映像を見てもらおうと思うんです」
その場にいる全員が、ぎょっとした顔を一良に向けた。