200話:歴史の分岐点
「おい! ティティス秘書官、これはいったい何の真似だ!?」
担架に乗せられて運ばれてくる第6軍団の負傷者たちの姿に、マルケスが怒声を発する。
前線の方からも、続々と負傷者が仲間に肩を貸されて逃げてくる。
ティティスは額に汗を浮かべて、周囲の兵士に矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。
内容はすべて、守備部隊の後退と怪我人の輸送準備に関するものだ。
「敵を足止めしながら撤退します。おそらく、この砦はあと1日も持ちません」
「なっ!? ふざけたことを抜かすな! こちらにはまだ、十分な兵力が残されているではないか!」
マルケスの言うとおり、第6軍団の生き残りも合わせれば、戦闘可能な兵力はかなり残されていた。
防壁上と城門付近に割り当てられた兵士たちは、今も必死に敵の侵攻を食い止めようと戦っている。
「そうですね。今はまだ、たくさん残っています」
「ならば、徹底抗戦するべきだろう!? この砦を喪失するということが、どういうことを意味するのか分かっているのか!?」
「分かっています。ですが、異常な事態の連続で、兵士たちは怯えきっています。これ以上は戦えません。煙による負傷者も多すぎます」
唸りを上げて、はるか遠方から飛来する鉄の弾。
着弾と同時にすさまじい火災を引き起こす火炎壺。
騎兵をラタごと穴だらけにするハンドキャノン。
そして、煙を吸い込んだだけで身動きが取れなくなる毒ガス弾。
これらを短時間の間にまとめて浴びせられ、バルベール兵の士気はガタガタになっていた。
蛮族との戦いを何年も生き抜いてきた兵士たちが、未知の恐怖にさらされて怯え切っているのだ。
それに対して、敵兵の士気の高さはすさまじいものだ。
皆が憎悪と怒りに瞳を燃やし、恨みを晴らさんと死をもいとわず突っ込んでくる。
このまま戦ったとしても、よくて相打ち、下手すれば砦を枕に皆殺しの憂き目に遭う可能性すらある。
「私には、兵士たちに『ここで死ね』などと言うことはできません。そこまでする必要性があるとも、私には思えません」
「馬鹿者! 路地を封鎖し、中央の邸宅を中心に防衛線を引けば、友軍の到着までは――」
「マルケスさん。死んじゃったら、もう何もできないのですよ」
マルケスの背後から、フィレクシアがとてとてと駆けてきた。
手には、丸められた皮紙が握られている。
木炭を使って何かを描いていたのか、手のひらが真っ黒になっていた。
「危ないなと思ったら、さっさと逃げるに限ります。また準備を整えて、今度こそ勝てるように戦えばいいじゃないですか」
「我らは軍人だぞ! そんな腑抜けたことを言っていられるか!」
「うー、感情論について話しているのではないのですよ。どっちが理にかなっているかの話なのです」
フィレクシアが困ったように、口端を曲げる。
「重要なのは結果なのです。何をやっても、最終的に勝てばそれでいいのですよ。一時の激情に駆られて下手を打つと、どんどん深みにはまって立ち上がれなくなります」
「む……」
何をやっても、最終的に勝てばいい。
その台詞に、マルケスは言葉を詰まらせた。
この11年間、彼自身が自らに言い聞かせていた言葉だからだ。
「なので、今は逃げちゃいましょう。今逃げれば、きっと大勢助かります。立て直しも容易なのですよ」
「……」
マルケスが苦渋の表情で押し黙る。
フィレクシアはティティスに顔を向けた。
「ティティスさん、作っておいた罠を使う時が来ました。逃げながら、あれをとにかくばら撒くのです。砦の出口には、これでもかっていうくらい埋めて砂をかけておきましょう。敵の足を鈍らせる程度には、役に立つのですよ」
「分かりました。フィレクシアさんは、そこの馬車に乗って先に逃げてください。護衛も付けますから」
「了解であります! ではまた!」
フィレクシアは笑顔で頷くと、さっそうと荷馬車に乗り込んでいった。
護衛の騎兵をいくらか従え、北門へ向けて走り出す。
「マルケス様、全軍に撤退命令を出します」
「……あい分かった。建物すべてに火を放て。敵に物資を残してはならんぞ」
「かしこまりました。マルケス様は、先にお逃げください」
「ティティス秘書官、撤退戦の経験はあるのか?」
「カイレン様とともに、蛮族相手にしょっちゅう逃げ回っていましたので。セイデン副長もいますから、大丈夫です。負傷者たちをよろしくお願いいたします」
「……うむ」
マルケスが頷き、背を向けて去っていく。
ティティスは息をつくと、南門の方へと目を向けた。
たくさんの人々の叫び声や、金属同士がぶつかり合う音が聞こえてくる。
「カイレン様……」
ここにはいない、敬愛する者の名をつぶやく。
彼がもしここにいたら、この状況を打破することができるのだろうか。
自らを奮い立たせるように、ティティスは拳を握りしめた。
砦に兵士たちが突入を開始してから数時間が経過し、太陽は頭上高く昇って昼間になっていた。
砦の外で待機している兵士たちは、皆がその場に座り込んで、砦から立ち上る黒煙を眺めている。
敵は建物に火を放ったようで、戦いが終盤に差し掛かっているのが見て取れた。
現在、砦の中にはマクレガーが入っており、兵士たちを取りまとめて敵兵を北部へと追い詰めているとのことだ。
荷車を引いた使用人たちが兵士たちの間を行き交い、昼食のパン(保存が利くがものすごく硬いやつ)を配っている。
一良やナルソンたちは、一良が持ってきたエネルギーバーをラタに乗ったまま齧っていた。
ハベルはハンディカムを片手に、エネルギーバーを齧りながら皆の様子を撮影している。
完全にカメラマン状態だ。
別にこんなシーンは撮らなくてもいい気がするのだが、撮影している本人が楽し気なので放っておいた。
マリーの姿を映している時間が妙に長く感じるのだが、気のせいだろうか。
ちなみに、バッテリーは2個目に交換済みである。
「ふむ、これはなかなか美味いですな……」
ストロベリー味のエネルギーバーを咀嚼しながら、ナルソンがその味に唸る。
しっとりとした食感とほのかな甘みで、実に美味い。
携行食糧にも関わらず、カチカチに乾燥していないことにもかなり驚いていた。
「本当、すごく美味しいわね。あら、ナルソンのそれ、ストロベリー味なのね」
ナルソンの手にしている包装を、ジルコニアが隣から覗き込む。
ジルコニアは、チョコレート味のものを食べていた。
「ん? そうなのか?」
「ええ、袋に書いてあるわよ」
「ふむ。確かに、前に食べたチョコレートと似た風味が……ジル、お前、この文字が読めるのか?」
ジルコニアは、ふふん、と得意げだ。
「時々、カズラさんの本を読んで勉強してたの。パソコンを使う時に、覚えてると便利だと思って頑張ったんだから」
「いつの間に……そういえば、エイラも時々本を読んでいたな。まさか、お前も読めるのか?」
ナルソンが背後を振り返り、控えているエイラに目を向ける。
エイラも、ブルーベリー味のエネルギーバーを手にもぐもぐしていた。
その隣では、マリーがバナナ味のエネルギーバーを齧っている。
「は、はい! ひらがなとカタカナと、漢字も少しなら何とか」
「えっ! エイラすごいじゃん! 私だって、まだカタカナしか覚えてないのにさ」
リーゼが驚いた顔をエイラに向ける。
そんな彼女に、エイラはにっこりと微笑んだ。
「はい。毎日、かなり頑張ったので」
「毎日? よくそんな時間あったね」
「え、えっと……そ、それより、バレッタ様のほうが全然すごいですよ! 漢字は全部読めますし、英語だって読めるんですから! ね、バレッタ様?」
「は、はい。一応、辞書に載っていた単語はひととおり読めます」
リーゼとナルソンが、怖い物でも見るような目でバレッタを見る。
「……バレッタの頭ってどうなってるんだろ。一度、中身を覗いてみたいわ」
「ううむ、私も勉強せねば置いてけぼりにされてしまうな……」
皆でそんな話をしていると、砦の防壁に軍団旗が掲げられるのが見えた。
わっと、座り込んでいた兵士たちが歓声を上げる。
どうやら、砦の制圧が完了したようだ。
敵が砦から脱出を開始しているという報告は、2時間ほど前に受けていた。
どれくらい時間がかかるかは未知数だったが、予想外に早く済んだようだ。
「よし、どうやら終わったようだな。我々も砦に向かうとしよう」
「ナルソンさん、砦に付いたら、すぐにイステリアに無線で連絡しましょう。きっと、イクシオスさんたち気が気じゃないですよ」
「はい。そのつもりです。バレッタ、用意を頼む」
「携帯用アンテナを使えばここからでも連絡できますけど、どうしますか?」
「いや、砦に着いてからでいいだろう。中の様子を見てからにしたいからな」
「分かりました。アンテナを取ってきますね」
バレッタはエネルギーバーを口に放り込み、ラタを降りて荷馬車へと駆けて行った。
「お母様の食べてるやつ、美味しいですか?」
「ええ、美味しいわよ。あなたのそれ、緑色だけど、何味なの?」
「抹茶味です。ほろ苦くて、すごく美味しいですよ」
「そうなの。エイラ、私にも同じやつを1つちょうだい。あと、チョコレート味もリーゼに1つあげて」
「かしこまりました」
風に翻る軍団旗を眺めつつ、少しの間、のんびりとした昼食を続けた。
ジルコニアを先頭に、護衛兵を従えて皆で砦の城門を潜る。
あちこちに死体が横たわっており、城門付近は血みどろだった。
味方の兵士たちが、ジルコニアの姿を見て歓声を上げている。
「すごいな、死体だらけだ……」
すさまじい数の死体を目にし、一良がうめくようにつぶやく。
先日の戦いで嫌というほど目にしていたせいか、吐き気も嫌悪感も湧かなかった。
どうやら、慣れてしまったらしい。
兵士たちは皆の進行の邪魔にならないようにと、せっせと死体を道の脇に寄せている。
仲間の死体はすでに別のところに運ばれているようで、横たわっているのは敵兵の死体ばかりだ。
砦の中央へと向かってしばらく進むと、マクレガーがラタに乗って駆けてきた。
「首尾はどうなっている?」
「敵は全員、北門から逃げて行きました。砦内には、もう残っておりません」
「うむ。追撃戦はどうなった?」
「それが、敵は逃げる際に地面に大量の罠を仕掛けていったようで、負傷者が続出したために歩兵での追撃は中止いたしました」
そう言って、マクレガーが手に持っていた小さな板切れをナルソンに手渡す。
細い釘が幾本も打ち付けられたそれを受け取り、ナルソンが感心した表情になった。
「釘罠か。これはたまらんな」
「はい。北部を中心に、おそらく1000では利かないほどにばら撒かれております。丁寧に砂までかけて隠してある始末で、足裏を貫かれた者が大勢います」
兵士たちは基本的に革製のブーツやサンダルを装備しているため、釘を踏みつけると当然のように貫通して足裏に突き刺さる。
非常に地味な罠だが、安価で製造も容易、そのうえ殺傷力もあるうえに感染症の心配まであるという非常に厄介な代物だ。
「騎兵には追わせているのか?」
「はい。東門から出撃した騎兵が敵を追っております。近接戦闘はするなと命じてあります。投げ槍を使い果たしたら、戻ってくるかと」
「うむ、それでいい。砦内の兵士たちは、死体の無いところに集めて食事をとらせてやってくれ。そのまま、夕方まで休憩させてやれ」
そう言って、ナルソンがマクレガーに布包みを差し出す。
アップル、ピーナッツ、ミックスベリー、プレーンのエネルギーバーが計4本。
それとリポDだ。
「カズラ殿からだ。すまんが、これを食べて夜まで頑張ってくれ」
「お任せください。これさえあれば、朝までだろうが目一杯頑張れます」
マクレガーが一良に顔を向け、礼を述べて頭を下げた。
どういたしまして、と一良も片手を上げて返事をする。
「ナルソン様、その辺の建物の屋上から、イステリアに通信してもよろしいでしょうか?」
バレッタが近場の建物を見上げる。
すでに敵兵がいないことを確認した目印に、窓辺に白い布が垂れ下がっている。
この辺りの建物は、すべて確認済みのようだ。
「いや、中央の館に行くとしよう。今後の指示も、すべてそこから出さねばならんからな」
「お父様、早く行きましょう。早く連絡してあげないと」
急かすリーゼに、ナルソンが苦笑する。
「分かった分かった。そんなに急かすな」
「民を早く安心させてあげたいんです。きっと皆、心配しているはずです」
「連絡はするが、民に伝えるのは3日後だぞ。彼らは無線機のことを知らないんだからな」
「それでも、早く伝えてあげたいんです。今連絡すれば、3日後の昼には伝えることができるのでしょう?」
「まあ、そうだが……ようし。では、館まで走るか。競走するとしよう」
ナルソンがラタの腹を蹴り、駆け出して行く。
「えっ!? ま、待ってください! そんないきなり!」
「日頃の訓練の成果を見せてみろ! 私にも追いつけないようでは、程度が知れているぞ!」
「こ、このっ! 絶対に抜かしてやるんだから!!」
走り去っていく2人を、ジルコニアが「あらあら」と笑って見送る。
「あの2人、仲良くなったわねぇ」
「えっ? 仲良くって、前から仲良しじゃないですか?」
一良が小首を傾げる。
「ああやってはしゃぐようになったのは、カズラさんが来てからですよ。リーゼはどこか遠慮がちでしたし、ナルソンも常に気が張りっぱなしで、遊ぶ暇なんてありませんでしたから」
「そうなんですか……」
「さあ、私たちも行きましょうか。あんまり遅れると、文句を言われちゃいます」
ジルコニアが、2人を追って駆けだして行く。
「ちょ、速く走るのは苦手なんだけどな……」
「カズラさん、私が手綱を持ちますよ。走らせるのだけ、やってください」
「すみません、お願いします」
バレッタに手綱を預け、一良も彼らの後を追うのだった。
館に到着した一良たちは、皆で屋上に上がって砦内を見渡した。
死体を片付けている者や、負傷者の傷の手当をしている者たちがそこかしこに見られる。
いまだに炎上している建物も複数あるようで、あちこちから黒煙が立ち上っていた。
館は石造りなために放火されておらず、特に破壊の跡も見られず綺麗なものだった。
バレッタがナルソンの無線機に携帯用アンテナを取り付け、イステリアの方角へ向ける。
「どうぞ」
「うむ」
ナルソンが無線機を受け取り、送信スイッチを押す。
「こちらナルソン、イステリア応答せよ。どうぞ」
ナルソンが言葉を発してすぐ、皆の耳にノイズ音が走った。
あちらには据え置き式の高感度八木アンテナが置かれているため、皆に通信が届く。
『こちらイステリア。イクシオスです。どうぞ』
「砦は制圧した。被害も多少は出たが、2個軍団ともほぼ健在だ。そちらは変わりないか? どうぞ」
『おめでとうございます。こちらは2つ、報告がございます』
無感動なイクシオスの言葉に、皆が苦笑する。
もう少し、喜んでくれてもいいとは思うのだが。
『1つ目です。昨晩、グレゴルン領より騎兵と軽装歩兵の一団が来援いたしました。どうぞ』
「何? ダイアス殿まで、こんなに早く援軍を寄越したのか? 数は? どうぞ」
ナルソンが驚いた声を上げる。
グレゴルン領はバルベールと国境を接しているため、あまり多くこちらに援軍を出す余裕はないはずだ。
元々騎兵を送ってくるとは言っていたのだが、軽装歩兵まで送ってくるとは予想外だった。
『騎兵が200、軽装歩兵が600ほどです。すぐにそちらへ向かうと言い出したので、今行っても間に合わないからここにいろと言って、街に滞在させています。どうぞ』
「ふむ、何とも中途半端な……いや、訓練期間を考えればそんなものか。3日後、砦制圧の報を伝えてから帰ってもらえ。あっちにも兵力が必要だ。どうぞ」
『かしこまりました。フライス領から来ている援軍はいかがいたしますか? どうぞ』
「そっちは大急ぎで送り返せ。使える船はすべて使って構わん。今クレイラッツに攻められたら、フライス領はえらいことになるぞ。どうぞ」
フライス領から来援した重装歩兵3個中隊と騎兵400は、砦攻略軍が万が一敗北した時のことを考えてイステリアに滞在させていた。
だが、砦での戦いに完勝した今となっては、今度はクレイラッツとの国境の守備が一番の懸念材料だ。
1日でも早く彼らに兵力を返し、守備に当ててもらわなければならない。
『それについてなのですが、かなり気がかりな報告が今朝入りました。どうぞ』
「それ? クレイラッツのことか? どうぞ」
『はい』
ついにクレイラッツが動き出したかと、皆に緊張が走る。
『7日ほど前から、クレイラッツの全都市で、参政権を持つ全市民による投票が行われているとのことです。どうぞ』
「投票……? いったい、何の投票だ? どうぞ」
予想外の内容に、皆の顔に困惑の色が浮かぶ。
だが、その後発せられたイクシオスの言葉に、その場にいる全員が息をのんだ。
『自由を賭けてアルカディアとともに戦うか、生き延びるためにバルベールに屈するかを決める投票です』
活動報告にて、文庫9巻についての情報を記載しています。