199話:慈悲なき戦場
黒煙が立ち上る砦に目を向けながら、一良は脂汗を流して歯を食いしばっていた。
砦の中からは、大勢の人々の怒声が響いてくる。
どうやら、毒ガス攻撃は期待通りの効果を発揮しているようだ。
「カズラさん、ガス弾を撃ち尽くしたみたいです」
バレッタが冷静な声で、カタパルトの傍にいる射撃指揮官からの合図を伝える。
ガス弾の後は、今度は火炎壺を防御塔に向けて投射する手はずになっている。
「……中は、きっと地獄でしょうね」
そのつぶやきに、バレッタが心配そうに一良を見上げる。
一良はバレッタの手を握りしめたまま、もう片方の手で無線機を取った。
「……毒ガス攻撃は完了。突入は、あの黒煙が治まってからにしてくれ。どうぞ」
『うん、分かった。城門、なかなか破れないね。どうぞ』
リーゼの声に、2人が城門へと目を向ける。
カノン砲の砲撃によってボロボロになってはいるのだが、未だに崩れ落ちていない。
門は所々に穴が空き、いつ破れてもおかしくはないように見えるのだが。
正直、一番最初に破壊できると考えていたので、かなり意外だ。
「内側から何かで押さえつけてるのかもしれないな。それとも、弾が小さすぎたか……どっちにしろ、すぐに破れるさ。どうぞ」
『そうだね。煙が治まったら、一斉攻撃を仕掛けるわ。それまでに、防御塔は潰しておいて。どうぞ』
「ああ。すぐに終わるよ」
そう言っている間に、カタパルトが火炎壺を防御塔に向けて投射した。
複数の防御塔が、その中腹や兵士たちが詰めている開口部に直撃弾を喰らい、オレンジ色の炎に包まれる。
味方から盛大な歓声が沸き起こり、早くも勝利を確信した兵士たちが手にした武器を頭上に掲げていた。
「カズラさん、左から敵の騎兵隊が!」
燃え盛る防御塔を黙って見つめていると、バレッタが一良の腕を引いた。
防壁のすぐ外側を、敵の騎兵が突っ走ってくる。
こちらのクロスボウ攻撃を警戒しているのか、5列縦隊の縦長の隊形を組んでいた。
目標は、どうやらカタパルトのようだ。
『第2騎兵隊は待機。迎撃はハンドキャノン部隊に任せて。カノン砲も砲撃中止。音を立てないようにして』
無線機からの声に、一良たちがアイザックのいる左翼に目を向ける。
第2騎兵隊長のアイザックが、困惑した顔でナルソンのいる方を見ていた。
「ハンドキャノンの威力を試すつもりか」
「そうみたいですね……今しか使うチャンスはないでしょうし、どれくらい効果があるのか見たいんだと思います」
ハンドキャノン部隊と軽装歩兵が、素早く横列を組んで敵騎兵を迎え撃つ態勢になった。
自軍の圧倒的な戦果を目にしているせいか、砲撃手の正規兵とグリセア村の村人たちだけでなく、護衛に付いている市民兵の軽装歩兵までが実に冷静だ。
新兵器の性能に、全幅の信頼を寄せているのである。
短槍を手にした敵騎兵たちが、鬨の声を上げてハンドキャノン部隊に迫る。
先頭の騎兵が、あと30メートルと迫った。
その瞬間、数十挺のハンドキャノンが一斉に火を噴いた。
先頭付近にいた騎兵たちがラタごとハチの巣になって即死し、転倒する。
後から続く騎兵たちも、ラタが火薬の炸裂音に驚いて急に足を止めたため、大半が転倒したりラタから地面に放り出された。
後尾の騎兵たちも倒れ伏した味方に衝突し、次々に転倒していく。
ここぞとばかりに、軽装歩兵たちが歓声を上げて襲い掛かった。
『やった! 上手くいったね! ……あっ、第2騎兵隊も突撃せよ! カノン砲も砲撃を再開して!』
リーゼの弾んだ声が、一良とバレッタの耳に響く。
自陣からは、再び大歓声が沸き起こった。
「ざまあみろ!」や「やっちまえ!」といった声も多数聞こえてくる。
その熱に浮かれていないのは、一良とバレッタ、そして2人を守る村娘たちだけだ。
あまりにも悲惨な光景に心が折れたのか、すすり泣いている村娘も何人かいる。
「カズラさん、もう少しです。もう少しだけ、頑張りましょう」
バレッタが一良の腕を抱き、目に涙を浮かべて訴える。
「分かってます。大丈夫です」
一良は目の前で起こる殺戮の光景から目をそらさず、しっかりと頷いた。
傍にいるカノン砲の射撃手に、砲撃開始の指示を出す。
他の者たちと同じように拳を上げて歓喜していた彼らは、元気に返事をすると射撃準備に取り掛かった。
敵の騎兵隊が壊滅していく様子を、ジルコニアはラタ上からじっと見つめていた。
勤めて冷静であろうと心では思っているのだが、身体が歓喜に打ち震えているのが分かる。
消えかけていた復讐の炎が、ふつふつと燃え上がっていくのを感じる。
この光景を、自分は望んでいたのだ。
この殺戮を、自分は求めていたのだ。
自分からすべてを奪い去った奴らに、ついに鉄槌を下すことができる。
一方的に蹂躙される恐怖を、今度は奴らが体験する番だ。
「ジル、突入準備だ。重装歩兵のところへ行け」
隣から、ナルソンが静かに声をかける。
「予備隊が最前列だ。援護にクロスボウ兵を付けろ。何が何でも、城門を突破するんだ。長槍兵は隊列を組んだまま、路地を制圧して回れ」
「分かった。防壁の弓兵はお願いね」
「任せておけ。防壁にも同時に攻撃を仕掛ける」
「よろしくね。じゃあ、行ってくるわ」
駆け出して行こうとするジルコニアの腕を、ナルソンが掴んだ。
「いいか、早まって突っ込むような真似は絶対にするな。お前に死なれては困るんだからな」
「分かってるって。本当に心配性ね」
苦笑するジルコニアに、ナルソンは真剣な眼差しを向ける。
「リーゼに、2度も母親を失わせたくはないんだ。お前はもう、仮初の存在じゃない」
「……うん、分かった。大丈夫」
「よし、行ってこい」
ナルソンが手を放し、ジルコニアの背を叩く。
無線機に向かって元気に話しかけるリーゼを横目に、ジルコニアは歩兵隊の下へと駆け出した。
兵士たちが並ぶ列を走り抜け、軍団の正面へと向かう。
彼女が前を通ると兵士たちは叫ぶのを止め、口を閉ざしてその姿を追った。
ジルコニアは整列する兵士たちを前に立ち止まり、彼らの顔を見渡す。
皆、表情は明るく、自信に満ち溢れていた。
早く攻撃させてくれと、その目が訴えている。
はやる気持ちを抑え、ジルコニアは大きく息を吸い込んだ。
「兵士たちよ、ついにこの時がやってきたぞ!」
万感の思いを込めて、ジルコニアが叫ぶ。
「友を、家族を死に追いやったバルベールの野蛮人どもに、罪を償わせる時がやってきた!」
兵士たちから、大気を震わせるような鬨の声が響き渡る。
つい1カ月前に砦で苦渋を舐めさせられた者たちが、ここには多数混ざっている。
5年前までの戦いで、家族や友人を亡くした者たちも大勢いるのだ。
皆が、怒りと復讐の念に燃えていた。
怯えている者など、ただの一人もこの場にはいない。
「この戦いに慈悲などいらない! 奴らの罪は、奴らの血をもって償わせるのだ! 予備隊、前へ!!」
ジルコニアの指示で、予備隊が一斉に重装歩兵隊の前に駆けだして横陣を組む。
鉄の長剣を装備し、統一された鉄の防具に身を包んだ最精鋭の正規兵たちだ。
多数の貴族兵も混じっており、全員が日々血反吐を吐くような訓練に身を投じてきた。
バルベール重装歩兵が相手でも、けっして引けを取るような者たちではない。
「クロスボウ兵、予備隊の後に続け! 重装歩兵は彼らの後ろだ! 突入後も隊列を崩さず、各中隊長の指示に従え!」
ジルコニアが剣を抜き、その剣先で砦を指す。
「前進せよ!!」
数千に及ぶ歩兵たちが、足並みをそろえて砦へと向かって歩き出す。
その間にも、カタパルトからは火炎壺が防壁と防御塔に向かって投射され、爆発音があちこちから響いてくる。
他の戦列からは、防壁に向かって梯子を装備した部隊が進みだした。
『カズラ、スコーピオン部隊に防壁にいる敵兵を攻撃させて。どうぞ』
『了解。カタパルトは今ので全弾撃ち尽くしたから、もう下げるぞ。どうぞ』
『うん。カズラたちも、こっちに戻ってきて。どうぞ』
『いや、カノン砲がまだ撃ち続けてるから、それが終わるまではここいるよ。くそ、弾はあるんだけど、火薬がもうほとんどないな……』
リーゼと一良のやり取りが、無線を通じて耳に入ってくる。
そのおかげで、頭が少し冷めた。
『こちらバレッタ。城門の上に弓兵がいます。ジルコニア様、注意してください』
『こちらナルソン。ルート、第1騎兵隊を予備隊の右手に回せ。敵騎兵の襲撃に警戒しろ。どうぞ』
『わ、分かりましたっ!』
『カズラ、もう毒の煙は収まってるよね? どうぞ』
『ああ、もう大丈夫だろ。思ったより、ずいぶん早く燃え尽きたな。どうぞ』
『そうだね。少し風も吹いてきたし、タイミングが悪かったら上手くいってなかったかも。ていうか、まだ城門を破れないの? どうぞ』
『ちょっと待ってろ、今から2発同時に打ち込んでみるから』
次々に入る無線通信に、ジルコニアの頬が緩む。
まるで、皆で隣り合って戦っているような錯覚を覚えた。
戦いのさなかに近しい者の声が聞こえることが、これほどまでに心を落ち着かせるものだとは知らなかった。
後方から轟音が響き、城門の下部に砲弾が直撃した。
片側の扉が、メキメキと音を立てて崩れ落ちる。
「門が壊れたぞ! 進めッ!!」
予備隊指揮官の叫びで、予備隊が盾を掲げながら一斉に城門へと走り出す。
防壁側でも、兵士たちが歓声を上げながら突撃を開始した。
防壁上や城門の上にいる弓兵たちが、次々に射撃や投石を開始する。
「おっと!」
ひゅん、と風を切って飛来した1本の矢を、ジルコニアは剣の刃で受け止めた。
キン、と鋭い音とともに火花が散り、矢が弾き飛ばされる。
背後にいた重装歩兵たちが、「うわ!」と声を上げた。
城門の上にいた弓兵の一人が狙ってきたようだ。
距離にして、約150メートルはあるだろうか。
かなりの腕の持ち主だ。
ジルコニアが剣で防いだのを見て、ぎょっとしているのが遠目にも見て取れた。
「ジルコニア様、お下がりください!」
「そうするわ。皆、後はよろしくね」
ジルコニアが戦列を離れ、後方に退避する。
「……あの人、すげえな。斜め上から飛んでくる矢を剣で受けるって、どういう反射神経してるんだ?」
ジルコニアに声をかけた兵士が、去っていく彼女を見送りながら隣の兵士に話しかける。
「神の祝福だよ。ジルコニア様は、グレイシオール様の加護を得てるんだ。グレイシオール様と特別仲良しだって噂だからな」
「仲良しってなんだよ……それに、グレイシオール様の加護っていったって、さっきあの人、『慈悲などいらない』とか言ってたぞ」
「何言ってんだ。現にこうして、俺たちは復讐の機会を与えられてるじゃないか。これ以上、慈悲深い話があるもんか」
「なるほど、確かにそのとおりだ」
2人の話に、他の兵士たちが笑い声を上げる。
前方では、予備隊の兵士たちが砦内に突入を開始したようだ。
クロスボウ兵が援護射撃を開始し、敵の弓兵がばたばたと倒れていくのが見て取れる。
開戦からわずか数時間で、砦を巡る攻防戦は早くも最終局面を迎えようとしていた。