20話:本音と建前
歩くたびにコツコツと革靴の音が響く石の床に目を落としながら、アイザックはナルソン邸の廊下を歩いていた。
いつもと同じ皮の軽鎧を身に纏っているアイザックの両手には、普段持っている剣の代わりに、色鮮やかな黄色い花束が大事そうに抱えられている。
暫く廊下を歩いてようやく目的地へと続く扉の前に辿り着くと、アイザックは緊張した様子で深呼吸をした。
開け放たれている窓から入り込んでくる日差しは暖かく、時折頬を撫でる微風が心地良い。
柔らかく頬に当たる微風を受けながら、アイザックは花束を抱えたまま目を閉じると、
「オルマシオール様、どうか私に勇気をお与えください……」
と、小さな声で自らの信仰する戦いの神に祈りを捧げ、閉じていた目を開いた。
「うう、何でこんなに緊張するんだよ。もう初めてお会いしてから4年も経ってるってのに……」
アイザックは自らの意思に反してバクバクと早鐘を打つ胸に手を当て、もう一度深呼吸をした。
そうして手櫛で自らの短く切り揃えられた金色の髪を整え、10秒程その場で息を整えると、小さく「よしっ!」と気合を入れ、ゆっくりと目の前の扉を開いた。
「ああもう、ほんっとにあのクズったらしつこいんだから! 贈り物を渡したらさっさと帰ればいいのに、何であいつの自慢話なんて聞かないといけないのよ! たかが商人風情と結婚する気なんて欠片もないってのがわかんないのかなぁ!」
綺麗に手入れされた草花の咲き誇るナルソン邸の中庭の隅の木陰で、年の頃は15歳程に見える一人の少女が木のテーブルに正面を向いて突っ伏していた。
少女は隣に控えている顔に少々そばかすの痕が目立つ若い侍女に、苛立たしげな表情でぶつぶつと愚痴をこぼしている。
少女が今いる位置は、少女が椅子に腰掛けると頭だけ周囲から見える程度の背の高さの植木に囲まれており、突っ伏している状態では周囲から見られる事はない。
少女は白を基調としたフリルつきの上質なドレスを身に纏っており、背中の中程まで伸ばした流れるようなダークブラウンの髪は艶やかで美しい。
整った顔立ちに切れ長の瞳が印象的で、今後成長したら誰もが羨むような美人なること間違いなしの美少女である。
しかし、今はその美しい顔を苛立ちに歪め、これまた上質な革の靴を履いている足でテーブルの支柱を突っ伏した状態のままガンガンと蹴飛ばしている。
リーゼがテーブルを蹴るのに合わせ、テーブルの端に置かれた取っ手付きの銅のコップがカタカタと揺れた。
「でもリーゼ様、そんなに嫌なら贈り物をお断りして、結婚する気はないとはっきり申し上げれば……」
机を蹴飛ばし続けている少女――リーゼ――に、侍女が若干疲れたような表情でそう話し掛けると、リーゼはその顔を女性のほうにくるりと向けてキッと睨み付けた。
「あのねエイラ、そんなことしたらもう贈り物が貰えなくなるかもしれないじゃない。あのバカ商人とか他の男が持ってきた贈り物を大げさに喜んでみせて、結婚の話は適当に受け流して自慢話にニコニコしながらちょっと持ち上げてやれば、あいつらはこれからもせっせと贈り物を持ってくるでしょ。それに結婚の話をはっきり断ったりしたら、私がアイザックに気があるって噂を立てられかねないわ。ただでさえお父様はアイザックと私が結婚する事を望んでいるみたいだし、隙を見せたら本当に結婚させられかねないのよ」
エイラと呼ばれた侍女は内心溜め息をつきながらも、申し訳ありません、と小さく頭を下げた。
リーゼとエイラのこんなやり取りはいつものことで、エイラとしては本当は何も言わずに只のオブジェクトと化してしまいたいたかった。
だが、何も言わなければ言わないでリーゼに怒られたりへそを曲げられたりするので、仕方なく話に付き合っているのだ。
リーゼはその後もぶつくさと文句を言っていたが、遠くから聞こえてきた中庭の扉が開く音に敏感に反応すると、突っ伏していた身体を瞬時に起こして服装の乱れをぱぱっと直し、テーブルに置いてあったコップを手に取って優雅に飲み始めた。
「こんにちは、リーゼ様。おや、お茶をしていらしたのですか?」
先程までの苛立ちに歪んだ表情を完全に消して、アイザックがやってくるであろう位置に対して斜め45度の角度をとり万全の態勢でスタンバッていたリーゼは、持っていたコップをテーブルに置くと、植木の向こうから歩いてきたアイザックに、こんにちは、と柔らかく微笑んだ。
「はい。木々の緑が美しくて、眺めながらお茶をしたくなってしまってエイラにお願いして用意してもらったんです。アイザック様もご一緒にいかがですか?」
リーゼがそう誘うと、アイザックは心底残念そうな表情をした。
「お誘いいただけて光栄です。しかし、これからバルベールとの国境沿いの新たに建築中の砦を視察しに行かねばならないのです。折角のお誘い、非常に嬉しいのですが……」
アイザックが本日砦の視察に行くという事は予めナルソンから聞いていたので、リーゼは心の中で
「うん、知ってる」
と呟くと、口元に手を当て驚いたような表情でアイザックを見つめた。
「まあ、そんな遠くまで……この間も遠くの村の視察に行かれたばかりなのに、今度は砦の視察なんて、お父様も人使いが荒いんだから……」
「ふふっ、そうですね。でも、私のような若輩者に砦の視察などという重要な仕事を任せていただけて、本当に嬉しいんです。大変な仕事でも、ナルソン様の力になれていると思えば苦にはなりませんよ」
そう言って本当に嬉しそうな笑顔を見せるアイザックに、リーゼは一瞬きょとんとした表情をすると、
「ありがとう」
と言って花の咲くような笑顔をアイザックに向けた。
それまで緊張を押さえ込んで何とか普通に会話が出来ていたアイザックだったが、その笑顔を向けられた途端に顔を真っ赤にして落ち着きなく周囲に目を泳がせると、
「い、いえっ! あのっ、これ気に入って頂ければと思って持ってきたのですがっ!」
と言って、持っていた黄色い花束をリーゼに差し出した。
「まあ、綺麗な花束! ありがとうございます、アイザック様」
リーゼは花束を受け取って大事そうに胸に抱くと、これまた嬉しそうな笑顔をアイザックに向ける。
アイザックは再度向けられたリーゼの笑顔に更に赤くなると、
「いえ、喜んでもらえて光栄です! それでは、これにて失礼致します!」
と、深く一礼して早足で中庭を出て行くのだった。
歩き去っていくアイザックの背中を見送ったリーゼは、アイザックが見えなくなると貰った花束をエイラに差し出した。
「エイラ、これを半分私の部屋に飾っておいて。もう半分はあなたにあげるわ……ちょっと、何可哀想な物を見るような目をしてるのよ」
アイザックが去っていった中庭の出入り口に哀れみを込めた視線を送っているエイラに、リーゼは花束を押し付けると、椅子から立ち上がって背伸びをした。
「あー、疲れた。これでもう今日は誰かに会う予定はないわね」
リーゼは、やれやれといった風に溜め息を吐くと、懐から革紐に結ばれた全く同じ形の青色の宝石を3つ取り出した。
「さてと、街でこの内の2つを売って、そのお金でぱーっと買い物でもしましょ。エイラも何か欲しいものがあったら言いなさい、買ってあげるわ」
「リーゼ様、アイザック様は本当に素敵な男性だと思いますが、結婚のお相手としては不足なのですか?」
渡された花束とリーゼを交互に見比べながら問いかけるエイラに、リーゼは少し唸った後、アイザックの出て行った中庭の出入り口に視線を送って口を開いた。
「あー、そうね、いい人だと思うわ。顔もいいし、優しいし、仕事もできるし、結婚したらきっと大切にしてくれると思うわ。私はする気にはなれないけど」
「何故ですか?」
「お父様と思考が一緒だからよ。私と結婚してイステール家を継いだとしても、贅沢をすることなんてまずないでしょうね。湯水の如くお金を使いたいとまでは言わないけど、お父様とお母様みたいに一生節制生活をするなんて私はごめんだわ」
「……」
一方その頃、街の外側寄りの商業区画を出発した一良たちは、アルカディアン虫をもっと高値で売るべく、街の中心付近にある高級商業区画へとやってきていた。
街の中心に近づくにつれて周囲の建物は立派になってゆき、3階建ての立派な建物も数多く見られ、聖堂のような大きな建物も見られた。
道を行き交う人々の身なりも建物同様立派になってゆき、所々に警備兵の姿も見られる。
一良たちは周囲をキョロキョロと見渡して食料品店を見つけると、店の中に入っていった。
店の中には、先程までいた商業区画の食料品店では目にしなかった食べ物もいくつか陳列されており、食料の高騰も相まって値段も相当なものである。
「いらっしゃいませ、何をお探しでしょう?」
店に入ると、すぐに奥から店主の中年男が現れた。
着ている服は見るからに素材がよさそうで、なかなかに裕福そうだ。
「いえ、アルカディアン虫を売りたくてやってきたのですが、買い取っていただけませんか?」
「おっ、アルカディアン虫ですか。最近はあんまり入ってこなくてねぇ」
店主はそう言うと、バレッタから小袋に入ったアルカディアン虫を受け取って中身を確認した。
店主は中身を確認すると、袋の底を持ってアルカディアン虫をコロコロと転がし、大きさや色艶を確認しているようだ。
「ふむ、これなら8匹で15アルってところですが、いかがでしょう」
さすが高級食材を取り扱っている店。
先程までいた商業区画の店での買い取り価格は12アルだったのに比べ、3アルも高い15アルで買い取るという。
「うーん、15アルですか……もう少し高く買い取ってはいただけないでしょうか?」
「ううむ……申し訳ありませんが、うちでは15アルが限界ですね」
バレッタは折角高級商業区画にまで来たのに最初の店の価格で売ってしまうのはもったいないと思い、ダメもとでお願いしてみたのだが、この店では15アル以上は出してはくれないようだ。
バレッタは店主に他の店も回ってみる事を伝えると、アルカディアン虫を仕舞って店を出るのだった。
「では、次の店に行きましょうか」
「あの、提案なんですが、バレッタさんがアルカディアン虫を売っている間に、私が釘を買っておくっていうのはどうでしょう? 時間の短縮になると思うんですけど」
「えっ……一良さんが一人でですか?」
先程より高値でアルカディアン虫が売れるという事がわかり、意気揚々と別の店へ向かおうとしているバレッタに一良がそう話し掛けると、バレッタは不安そうな表情で一良を見た。
「大丈夫ですよ。お店にはそれぞれ値段が書かれた板とか石がありますから、法外な値段をふっかけられたりはしないと思います」
「私もついていくから平気だよ!」
目を合わせて「ねー」と微笑み合っている一良とミュラを見て、バレッタはくすっと笑った。
「そうですね。では、釘の調達はお願いします。お金はこれを……」
「あ、お金は大丈夫です。一応私も国から売れそうなものを持ってきましたから」
先程薪を売ったお金を袋から取り出そうとしているバレッタに、一良は自分の荷物が入ったズタ袋を持ち上げてみせる。
バレッタは一良の持っている袋と一良を交互に見て、何を売るつもりだろうかと少しだけ不安になったが、一良だったらヘタなものを売ったりはしないだろうと思い直した。
「わかりました。では、もしお金が足りないようなら取りに来てください。釘は100本の束で大体40アル程だと思いますから」
「了解です」
一良はそう言って先ほどとは別の食料品店に入っていくバレッタを見送ると、広場を見渡して雑貨屋と思われる様相の店を見つけ、ミュラと手を繋いだままその店へと向かうのだった。
「こんにちはー、買い取ってもらいたいものがあるのですがー」
一良は雑貨屋の中に入ると、店の奥に向かって声を掛けた。
店の中には動物の形に削られた木の小物や、ピカピカに磨かれた銅の手鏡など、色々な商品が陳列されている。
奥の店の方に行けば行くほど高そうなものが陳列されており、中には緑色のトルコ石のような色のついた石のネックレスなども置いてあるようだった。
ミュラは店の奥のほうに置いてある銅の手鏡を見つけると「わぁ」と声を上げて駆け寄り、手で触れないように気をつけながら珍しそうに鏡に映った自分の顔を覗き込んでいた。
「はいはい、何をお売りいただけるのでしょうか?」
店の奥で椅子に座りながら帳面を付けていた店主と思われる上品な服を着た老婦人は、一良が声を掛けると作業の手を止め、実に人の良さそうな笑みを浮かべて揉み手をしながら一良の元までやってきた。
一良は持っていたズタ袋から穴が10個程開いている木製のオカリナを2つ取り出すと、それを一つ老婦人に差し出した。
それは日本の個人雑貨店で2980円で買った手作りのオカリナで、表面にはニスが塗ってあり、綺麗な光沢を放っている。
「これなんですが、買い取っていただけますかね?」
老婦人はオカリナを受け取ると、それをしげしげと眺め、手で撫でて肌触りを確認しているようだった。
「ええと、これは何ていいましたかねぇ、歳の所為かド忘れしてしまって……えーと」
「オカリナですけど、知ってるんですか?」
手に持ったオカリナを眺めながら首を傾げている老婦人に一良がそう聞いてみると、老婦人は
「あぁ、そうそう、オカリナでした。歳をとるとどうも物忘れが酷くていけませんねぇ。へっへっへ」
そう言って笑っている老婦人に、一良は
「(オカリナってこの世界にも存在するのか。こりゃ売るのにも困らなさそうだ)」
と、かなりの昔からある楽器だということをネットで調べてから調達してきた甲斐があったと内心喜んだ。
「それで、そのオカリナを二つとも売りたいんですけど、幾らで買い取ってもらえますかね?」
一良の問いかけに老婦人は難しい顔をしてオカリナを撫で回しながら暫く唸ると、若干渋い顔をして口を開いた。
「最近じゃオカリナは買い取っても売れ行きが悪くてねぇ。いくらツヤのある珍しい木を使っていても、こんなに小さなものじゃ置物としてはあんまり人気がないんですよ」
そう言ってなおもオカリナを撫で回している老婦人に、一良は老婦人がオカリナを何か別のものと勘違いしているのかと考え、笑いながら
「やだなぁ、オカリナは置物じゃなくて楽器じゃないですか」
と言って自分の手に持っていたオカリナを口に当てると、ピロピロと音を出して見せた。
その音色に、銅の手鏡を見ていたミュラは走って一良の元に戻ってくると、
「わぁ、綺麗な音……いいなぁ」
と一良を見上げた。
オカリナの音を聞いて老婦人は目を点にして固まっていたのだが、一良はそれに気付かずにオカリナを吹くのを止めてミュラに微笑みかけると、
「はい、吹いてごらん」
と言ってオカリナをミュラに手渡した。
ミュラはオカリナを受け取ると早速口をつけ、嬉しそうにピロピロと音を出している。
一良はその様子を微笑ましく見て老婦人に視線を戻そうとすると、老婦人は慌てて驚いた表情を取り繕い、先程と同じく人の良さそうな笑顔を見せながら揉み手をした。
「そ、そうでしたそうでした、オカリナは楽器でしたねぇ。でも、先程言ったようにあんまり人気がなくて売り難いんですよ……お客さんは大体幾らくらいで売りたいと思っていますかね?」
「え? ……うーん、そうだなぁ」
老婦人の言葉に一良は腕組みして唸った。
自分が村から一生懸命運んできた薪が全部で62アルだったので、木のオカリナがそれより高いということはないだろう。
何しろ老婦人が言うにはこの世界にもオカリナは存在しているようだし、話からするとそれほど高いものではないらしい。
一良はとりあえず、これくらいの値段で売れたらいいな、という希望を込めて高めに言ってみることにした。
「1個20アルでどうですかね?」
「ぶっ!?」
一良の提示した金額を聞いて、余程あり得ない金額だったのか、老婦人は吹き出してむせ返っている。
老婦人の反応を見て、一良は幾らなんでも高すぎたかと、慌てて値段を訂正した。
「あっ、ウソウソ、冗談です! 2つ合わせて20アルでどうですか?」
「ふ、2つで20アル!? わかりました、今お金を持ってきますから少々お待ちを!」
一良が値段を訂正すると、老婦人は慌てた様子で奥に戻り、すぐに2枚の銅貨を持って戻ってきた。
「はい、20アルですね、確かに……ううむ、これじゃあ釘の値段には届かないな」
10アル銅貨を2枚受け取り、ミュラの吹いていたオカリナも老婦人に渡すと、一良は自分の袋の中身を思い返しながら少し考えた。
そんな一良の対面では、2つのオカリナを受け取った老婦人がホクホク顔でオカリナを撫で回している。
一良はそんな老婦人を見て、
「(よっぽどオカリナが好きなのかな?)」
と見当違いな事を考えながら、再度店の中を見渡した。
すると、店の奥のほうに置いてある様々な色の石が目に入った。
透明度が低く加工も荒いようではあるが、小ぶりのサファイアのような宝石も見られる。
それを見て、一良は袋を覗き込むと直径2cm程の丸い一粒の紅水晶を取り出した。
その紅水晶は日本のいつも通っているホームセンターの傍にある土産物屋で買ったもので、パワーストーンのコーナーに様々な石と一緒に大量に売られていたものを、異世界で売れるかもしれないと思って少し買っておいたのだ。
機械で真円にカットされた紅水晶(ローズクォーツとも呼ぶらしい)は透き通ったピンク色がなかなかに美しいのだが、大量生産されているためか、一粒250円ととても安かった。
「あの、これも買い取っていただきたいんですけど、どうですか?」
一良がそう言って老婦人に税込み250円の紅水晶を差し出すと、老婦人は撫で回していたオカリナを近くの棚に置き、何故か手を震わせながら紅水晶を受け取った。
「え、え、ええ! 買い取れますとも!」
老婦人は食い入るような目で掌に乗せた紅水晶を見つめ、ニヤリとした笑みを浮かべているように一良には見えて驚いた。
だが、一度瞬きをすると元の人の良さそうな笑みでにこにこと一良を見ていたので、見間違いかと思う事にした。
「そうですか、それはよかった。幾らで買い取ってもらえますかね?」
「そうですねぇ……これだとまぁ、200アルといった所ですかね」
「200アル!? これが200アルだって!?」
200アルという思いもよらぬ凄まじい金額に、一良は思わず大声を出して老婦人の持っている紅水晶を摘み取る。
そして先程の老婦人のように食い入るような目で紅水晶を見つめていると、何故か慌てた様子で老婦人が口を開いた。
「ああっ、いい間違えました! 2000アルです! 2000アルで買い取らせていただきます!!」
「……は? 2000アル?」
「ええ! 2000アルで買い取らせていただきま……す?」
いきなり大声を出されて紅水晶を奪い返された老婦人は、今までに見た事もない美しい宝石を前にして極度の興奮状態に陥っていたこともあり、あまりにも安すぎる値段を言ったために一良が激怒したと勘違いをしてしまった。
そしてなお悪いことに、2000アルという値段で買い取ったとしても、軽く見積もっても3000アル以上で確実に売れると確信していたために咄嗟に2000アルで買うなどと口走ってしまったのだ。
だが、ポカンと口をあけて自分を見ている一良を見て、自分がとんでもないミスをしてしまったことに気付き、一気に血の気が引いていくのを感じた。
「カズラ様、こっちに置いてある石、1200アルって書いてあるよ。高いねー」
老婦人は慌てて値段を訂正しようと口を開きかけたのだが、それを遮るようにミュラが店の奥で宝石の置いてある棚を見上げながらそんなことを言ってしまったので、今更訂正するわけにもいかなくなってしまった。
一良はここにきて、ようやく自分が騙されかけていたことに気付いた。
今までのやり取りを思い返してみると、先程売ってしまったオカリナも相当買い叩かれてしまったと考えて間違いない。
だが、既に取引は成立してしまった後であるし、紅水晶が安値どころか爆安価格で買い取られなかっただけマシである。
一良は大きく溜め息をつくと、自分の考えの甘さを反省し、オカリナのことは授業料として諦める事にしたのだった。
「あーっと、じゃあ2000アル……いや、2500アルで買い取ってもらえませんかね? 嫌なら他に行きますけど」
老婦人はミスさえしなければ一良をだましてぼろ儲けができたはずだったが、たとえ2500アルで買い取っても十分な儲けを得る事ができる。
老婦人は自らの迂闊さを呪いながら、消え入るような声で
「……まいどあり」
と呟くのだった。