197話:運命の日
朝もやが立ち込める平原を、長い隊列を組んだイステール領軍が進む。
街道の周囲には、刈り取られないまま放置された麦畑が広がっている。
たわわに実った金色の稲穂は頭を垂れ、まさに大豊作といった様相だ。
「実ったままほったらかしか。もったいないな」
ラタに揺られて進みながら、一良が言う。
隣を進むリーゼが、「そうだね」と頷いた。
2人の後ろには、バレッタとアイザックが続いている。
一良たちの両脇には、クロスボウを手にした村娘たちが歩いていた。
先日の戦いで少し度胸がついたのか、皆表情に余裕がある。
「せっかくこんなに作ったのにね。収穫期に攻められちゃったから、仕方ないけどさ」
「そうだな……この辺りの開墾作業の監督って、ハベルさんがやってくれてたんだよな。せっかく井戸まで掘って開墾したっていうのに、ハベルさん、凹んでるだろうな……」
「やってた仕事が丸まる無駄になっちゃったもんね。でも、今から急いで収穫すれば間に合うんじゃない?」
「いや、穀物は収穫が遅れると、『胴割れ』とかいう現象が起きて実がぼろぼろになるらしいんだ。味も悪くなって、かなり良くないんだとさ」
一良の説明に、リーゼが目を丸くする。
「えっ、そうなの? そんなこと、よく知ってるね」
「農業については、本を読んで少し勉強したからな。こっちの作物にも同じことが言えるのかは分からないけどさ」
「へえ、偉いじゃん。まるで本物みたいだよ」
にひひ、とリーゼが笑う。
「誰かさんに質問された時に『勉強したのにうろ覚え』ってならないように、ちゃんと覚えたんだぞ。偉いだろ」
「うっ……そんな、一年も前のこと言わないでくれるかな!」
「はは、茶化してくれたお返しだ……って、何でそんな嬉しそうな顔してるんだよ」
言葉とは裏腹に、リーゼは頬が緩んでいてとても嬉しそうだ。
「にゅふふ、内緒」
「気になるだろうが。教えろよ」
「やーだー」
「……バレッタさん、どうかしましたか?」
前を進む2人を見ながら少し暗い顔をしているバレッタに、アイザックが小声で声をかける。
「……いえ。何でもないです」
はあ、とバレッタは小さくため息をついている。
その時、リーゼが何かに気付いたのか、「あっ!」と声を上げた。
「ん? どうした?」
「ほら、野生のカフクの群れだよ!」
リーゼが指差す方に目を向けると、200メートルほど先に、数十頭のイノシシのような動物――カフク――がいた。
麦畑を踏み荒らし、もりもりと美味しそうに麦を食べている。
「うお、でけえ。カフクって、あんなにでかいのか」
遠目ではあるが、カフクは子牛ほどの大きさがあるように一良には見えた。
たてがみを持った雄のカフクが、一回り小さい雌のカフクたちを従えている。
子供のカフクも10頭近くいるようで、かなり大きな群れだ。
「こんなに餌があるんだし、そりゃ集まってくるよね。ほら、あっちにはミャギがいるよ」
別の場所には、同じようにして群れを作っている野生のミャギの群れがいた。
どうやらこの一帯は、野生動物たちのビュッフェ会場と化しているようだ。
何とも、のどかな光景である。
「おお、あちこちにいるな……ロズルーさん、ああいうのを仕留めてたのか。すごいなぁ」
「お母様を助け出してくれた人だよね? 狩人なんだっけ」
「うん。真っ暗闇の中にいるアルマル(真っ黒なウサギのような獣)の目玉を、弓で一発で射貫いたのを見たことがある。あの人、マジで半端ないよ」
「それすごいね。イステール領の弓兵隊って、普段狩人してる人たちを集めて編成してるんだけど、皆それくらいすごいのかな?」
そんな話をしていると、前方から騎兵が駆けてきた。
「全軍停止! 戦闘隊形!」と叫んでいる。
どうやら、ここからは陣形を敷いて進むようだ。
かなり遠目に、小さく砦が見える。
今のところ、敵が陣を敷いている様子は見られない。
「……いよいよか」
「うん。大丈夫?」
心配げな表情のリーゼに、一良はしっかりと頷いた。
「2回目だし、この間の戦いの前よりはかなりマシだよ。ちゃんと最後まで見届けるさ」
「ちょっと、それって大丈夫って言わないんじゃない? 本当に平気なの?」
「平気だって。この前だって、リーゼやバレッタさんがいる前で、俺だけ吐いてたんだぞ。村の女の子たちだって頑張ってるのに、いつまでも俺だけヘタレてられるか」
そう言って、隣を歩くニィナに目を向ける。
こちらをちらちらと見ていた彼女と、目が合った。
「え、えっと……そ、そんなに気にすることじゃないと思います! カズラ様にとっては戦争なんて担当外のことなんですし、仕方ないと思います!」
勢い込んで言うニィナに、他の村娘たちが同調して頷く。
「そうですよ! あんなの見ちゃったら、誰だって無理ですって! 絶対吐きます!」
「私もあの後、カズラ様がいたところを通った時に吐きました!」
「私も吐きました!」
「私も!」
一良を気遣ってか、村娘たちが次々にゲロ報告をしてくる。
それを聞いていた周囲の護衛兵たちが、堪えきれずに噴き出す声が聞こえた。
リーゼも隣で、くすくすと笑っている。
「ふふ。カズラって、愛されてるんだね」
「皆優しくて助かるよ」
くすくすと笑うリーゼに釣られて、一良も笑みをこぼす。
一良は背後を振り返り、バレッタを見た。
「バレッタさん」
「は、はい!」
ぼうっと二人のやりとりを見ていたバレッタが、はっとして返事をする。
それを見て、一良が小首を傾げた。
「ご、ごめんなさい。少しぼうっとしていて」
「大丈夫ですか? 気分が悪いとか……」
「いえ、そうじゃないんです。本当に、何でもないので」
にこりと、バレッタが微笑む。
一良も納得したようで、頷いた。
「攻城兵器部隊のところに行きましょう。皆、待ってます」
「はい」
「リーゼ、また後でな」
「うん、気を付けてね。頑張って!」
「おう」
ラタを操り、一良はバレッタとともに軍団後方へと駆けて行った。
砦まで約700メートルの距離に到達したイステール領軍は、いったん動きを止めた。
周囲には、刈り取られた麦畑が広がっている。
どうやらこの1ヶ月の間に、バルベール軍が刈り入れを行ったようだ。
「……まさか、まったく兵を出してこないとはな」
隣に控えるジルコニアに、ナルソンが声をかける。
敵は防壁の外に部隊を展開させず、防壁の上にずらりと兵を並べている。
こちらが近づけば、矢と投石で迎え撃つつもりだろう。
「前回の戦いでスコーピオンとクロスボウの威力を痛感してるだろうし、仕方ないんじゃない? 理にかなってると思うわ」
「そうだな。戦いを長引かせて、援軍が到着するまで持ちこたえるつもりか。だが、そうはいかんぞ」
ナルソンが、胸元の無線機に手を伸ばす。
「お父様」
「ん、なんだ。どうした?」
リーゼに声をかけられ、ナルソンが手を止める。
「カズラへの連絡は、私にやらせていただけないでしょうか」
現在、一良とバレッタはここにはおらず、砲撃部隊の下で攻撃準備を手伝っている。
カノン砲やスコーピオンの使用なら兵士たちに任せておいて問題ないのだが、カタパルトに使う火炎壺は取り扱いが非常に危険だからだ。
下手に扱うと攻撃どころか自爆する羽目になってしまうため、直前まで2人が傍にいることになっている。
「それは別に構わんが、どうしてだ?」
「私も、カズラと同じものを背負いたいんです。お願いします」
真剣な表情のリーゼに、ナルソンが驚いた顔を見せる。
「……カズラ殿に、心底惚れこんでいるんだな」
「はい」
真面目な顔で即答するリーゼに、ナルソンが頬を緩める。
ナルソンは昔から、リーゼには本当に好きになった相手と一緒になってもらいたいと考えていた。
そうしたいと思う相手が見つかったことは、実に喜ばしい限りだ。
後は、一良がそれに応えてくれれば万々歳なのだが。
「いいだろう。任せたぞ」
「はい!」
ナルソンに代わり、リーゼが無線機を手に取る。
イヤホンマイクも無線機も、リーゼ、ジルコニア、マクレガーは元々付けている。
ちなみに、アイザックは今回も、第2騎兵隊長として軍団の左翼に待機している。
やはり騎兵隊にも無線があったほうが便利だということで、アイザックも無線を装備している。
右翼の第1騎兵隊には、連絡係として無線機を持たせたルートを置いた。
第1騎兵隊長には、「細かいことは気にせずルートから伝えられた指示通りに動け」と指示してある。
そんな騎兵隊長もスラン家の人間なので、四の五の言わずに二つ返事で了承してくれた。
ハベルは引き続き、ハンディカムを使って撮影係をすることになっている。
もう1台のハンディカムはマリーに持たせ、ハベルの隣で兄妹そろって撮影班ということになった。
リーゼは無線機の送信ボタンを押し、通話状態にした。
「こちらリーゼ。カズラ、聞こえる? どうぞ」
ザザッというノイズ音とともに、通話が切り替わる。
傍から見ると、まるでひとりごとを言っているような奇妙な光景だ。
『あれ、リーゼか? どうした? どうぞ』
「私が連絡係をすることになったの。よろしくね。どうぞ」
『……そっか。一緒に頑張ろう。ありがとな。どうぞ』
「っ、うん!」
嬉しそうに頷くリーゼを横目で見ながら、ナルソンがふっと微笑む。
「射撃兵器の準備はできているか確認しろ」
「カズラ、カノン砲とかの準備はできてる? どうぞ」
『ああ、出来てるぞ。火炎壺とかは荷馬車でまとめて運ぶと危ないから、荷車でいくつかに分けて運ぶことにしたよ。どうぞ』
砦からは、敵の大型投石器の攻撃が予想される。
荷馬車にまとめて火炎壺を入れて運ぶと、一発石弾が直撃しただけで、全弾使用不能になる恐れがある。
手間ではあるが、分散して運んだ方が安全だろう。
無線報告を聞き、ナルソンが「よし」と頷いた。
「奴らに考える時間は与えんぞ。一気に畳みかける。全砲撃部隊に前進命令を出せ。ハンドキャノン部隊と軽装歩兵も一緒だ」
太鼓手が太鼓を叩き、砲撃部隊が動き出す。
前回の教訓も踏まえて、砲撃部隊を守らせるハンドキャノン兵は手持ちの半分だ。
残りは2つに分けて、軍団の両脇に置いている。
火力的にはかなり落ちることになるが、狙いは砲撃時の轟音によってラタをパニックにさせることなので、何とかなるだろう。
もし敵が歩兵を出して来たら、その時はこちらも重装歩兵とクロスボウで対抗すれば問題ない。
騎兵は混乱した敵兵を殲滅する際に投入する予定だ。
「ジル、突入の際は、歩兵部隊にはお前が突撃命令を出せ。突入するまで随伴して鼓舞しろ」
「分かった。任せておいて」
「間違っても、一緒に突っ込むんじゃないぞ。あくまでも命令を出して、途中まで付いていくだけだ」
念押しするナルソンに、ジルコニアが苦笑する。
「分かってるわよ。私、そんなに信用ない?」
「6年前までの自分の行動を思い返してみろ。何度止めても勝手に突っ走りおって……軍団長自ら敵兵と斬り合うやつがあるか」
「大丈夫よ。もう、あんな無茶はしないわ。復讐以外にも、大切なものがいっぱいできちゃったしね。できれば、長生きしていたいし」
ジルコニアが柔らかく微笑む。
「そうか、それならいい。しかし、人とは変わるものだな。お前からそんな言葉を聞けるとは、少し前までは思いもしなかったよ」
「そうね。私も、自分がこんなふうになるなんて思ってなかったわ。人生、何があるか分からないものね」
「うむ。おかげで、私も気が休まる時間が増えた。感謝しているよ」
「何よ、改まって。おかしな人ね」
ジルコニアがくすくすと笑う。
「本心を言ったまでだ。この11年間、よくやってくれたな。今後とも、よろしく頼む」
「約束はしっかり果たすわ。安心して」
「……うむ」
「お父様、カノン砲の射撃準備が整ったようです」
一良から無線連絡を受けたリーゼが、ナルソンに声をかける。
ナルソンは砲撃部隊へと目を向けた。
スコーピオンとカタパルトが、ハンドキャノン部隊とともに前進を続けている。
行く手は緩やかな斜面になっているため、押して進むそれらの速度はかなりゆっくりだ。
スコーピオンは60基。
カタパルトは5基が、防壁を目指して進んでいる。
カタパルトはグリセア村にあったものを改良した新型で、大型化したおかげで射程がやや伸びていた。
投射する兵器が石弾から火炎壺といった特殊兵器になったため、スリング(革製のカップが付いた紐)ではなく、木製の皿に投射物を載せて投げ飛ばす方式になっている。
「……しかし、本当にあんなところからでも届くのか?」
進んでいく部隊のはるか後方で、ちょこんと2つ置かれたカノン砲を見てナルソンが言う。
バレッタと一良はカノン砲の傍で何やら話しているようで、2人並んで笑顔を見せている。
街なかの訓練場で射撃試験を行った時は、ナルソンも一良たちと一緒に立ち会った。
轟音とともに発射された砲弾が積み上げたレンガの山を粉砕する様も、その目で見ている。
だが、砲弾が実際にどこまで届くのか、訓練場の広さの制約から、最大射程までは確認していないのだ。
バレッタ曰く、「絶対に安全な距離から一方的に射撃できます」とのことだが、正直少し不安だった。
「お父様、カズラとバレッタが大丈夫だと言ってるんですから、絶対に大丈夫です」
「しかし……いくらなんでも、遠すぎるように思えるんだがな……」
不安げにカノン砲を見つめるナルソン。
その隣では、ジルコニアが進んでいく砲撃部隊を眺め続けている。
「ナルソン、敵が投石を始める前に、先に撃っちゃったほうがいいんじゃない?」
「いや、やるなら一斉射撃だ。全部まとめて撃ち込んでやったほうが、敵も混乱して被害が増すからな」
「うーん……砲撃部隊が石弾でやられないか心配だわ。あれ、動いてる標的にはそうそう当たるものじゃないとは思うけど、飛んでくるのを見るだけで、物凄く怖いのよね……」
ジルコニアは直撃を喰らった時のことを思い出し、ぶるっと身を震わせている。
正直、少しトラウマになっていた。
「仕方あるまい。それに、ジルの言う通り、まず当たらんさ。防壁を狙うのとはわけが違うんだからな」
「そうね……あ、言ってる傍から!」
防壁を飛び越えて、黒い点が1つ、ゆっくりと飛んでくる。
それは砲撃部隊のはるか手前に、どすんと落ちた。
2、3回地面を跳ね、ころころと転がって止まる。
おそらく、測距用の試射だろう。
アルカディアの運命を決める戦いが、静かに幕を開いた。