192話:虎サイズの犬
前線に到着した一良とバレッタは、その場の惨状に息をのんだ。
2000を優に超えるであろう血濡れの死体が、そこらじゅうに横たわっている。
大半は黄金色の鎧を着たバルベール兵のもので、クロスボウの矢が突き刺さったものがかなり見られた。
長槍で串刺しになったのか、顔や腕の肉がこそげ落ちている死体もそこかしこに見られる。
何人もの兵士が死体の間を歩き回り、息のある者を探している。
兵士たちはうめき声を上げる瀕死の敵兵を見つけては、話しかけたり傷の具合を確認したりしている。
息があっても助け起こされる者ばかりではなく、首に剣を突き刺さされている者も散見された。
止めを刺しているのは、瀕死の敵兵を回収しても無意味だからだ。
どのみち助かる見込みなどなく、労力が無駄になるだけである。
比較的助かりそうなものは回収し、後で身代金と交換したり、奴隷として売り払ったりする。
「うっ……げえっ!」
「カズラさんっ!」
あまりにも凄惨な光景に、一良がその場に嘔吐した。
覚悟はしていたのだが、実際に結果を目の当たりにしたら、とんでもない嫌悪感が襲ってきた。
胃の腑が締め上げられるような、形容しがたい不快感だ。
バレッタが慌てて、その背に手を添える。
「カズラさん、いったん戻りましょう」
胃の中の物を全部吐き出し、一良が荒く息をつく。
バレッタはハンカチを取り出し、その口を拭った。
「げほっ、げほっ……い、いや、大丈夫です。驚いてしまっただけなので」
「で、でも……」
「すみません、鎧を脱ぎたいんですけど、手伝ってもらえませんか?」
「は、はい!」
鎧を脱がせ、バレッタが一良の背を擦る。
一良は全身汗だくで、心なしか震えているようだった。
「カズラさん、せめてもう少し離れた場所で、座って待ちましょう。無理はしちゃダメです」
「……そうですね。すみません」
「そんな、謝ることなんて……」
2人がその場を動こうとした時、蹄の音を響かせてナルソンとリーゼが護衛兵とともに駆けてきた。
ラタを止めるなり、リーゼがラタから飛び降りた。
「カズラ、どうしたの!? 大丈夫!?」
真っ白な顔をしている一良に、リーゼが駆け寄る。
地面にぶちまけられた吐しゃ物を見て、何があったのかを察したようだ。
「……悪い。ちょっと気分が悪くなっちゃって」
「そっか……無理はしないほうがいいよ。あっちで休もう?」
「……うん」
「誰か、水を!」
リーゼの呼びかけに、護衛兵の1人がラタから降りて革袋を持ってきた。
リーゼはそれを受け取り、一良に手渡す。
「ほら、これで口ゆすいで」
「ごめんな、こんな情けないところ見せて。俺もリーゼみたいに、しゃきっとしていられれば良かったんだけど」
「何水臭いこと言ってんのよ。誰だって苦手なものくらいあるんだから、しょうがないでしょ。謝るようなことじゃないって」
リーゼに付き添われ、一良がその場を離れる。
「バレッタ、後方で何があったのかを聞きたいんだが」
2人に付いていこうとしたバレッタを、ナルソンが呼び止めた。
「ウリボウの群れが現れたように見えたのだが、いったい何が起こったんだ?」
「え、えっと……」
バレッタが護衛兵たちをちらりと見る。
その様子に、ナルソンは彼女が言わんとすることを悟った。
護衛兵たちにも生き残りの捜索を命じ、その場を離れさせた。
「森の中から、オルマシオール様が現れたんです。敵の奇襲を食い止めてくださいました」
「何? オルマシオール様だと?」
ナルソンが驚いた顔になる。
少し離れた場所でリーゼと地べたに座っている一良に目を向けた。
青い顔をしている一良に、リーゼが明るい顔であれこれと話しかけている。
バレッタもそちらが気になって仕方がなく、ちらちらと視線を向けていた。
「あれは、カズラ殿が呼んでくださったものではないのか?」
「いえ、違います。オルマシオール様が自ら、助けに来てくださいました」
「ふむ……確か、バレッタもオルマシオール様に助けられたことがあったのだったな?」
「はい。その時に見たのと同じウリボウでした」
「以前、グリセア村に現れたオルマシオール様は人型だったと聞いたが、同じお方なのか?」
「……分かりません。村に現れた方には、私は会ったことがないので」
「そうか……」
再びナルソンが一良に目を向ける。
「カズラ殿に詳しく聞きたいところだが……今はやめておいた方がよさそうだな」
少し笑顔を見せ始めた一良に、ナルソンがほっと息をつく。
どうやら、リーゼがうまいこと一良の気を紛らわせてくれたようだ。
こういうことにかけては、リーゼの立ち回りは天才的である。
他の者には真似できない芸当だろう。
「オルマシオール様については、後で聞くこととしよう。敵騎兵との戦いの経過がどうなったか、教えてもらえるか?」
「……はい。私たちは背後の道を見張っていたのですが――」
一良たちの様子に気を取られながらも、バレッタは戦闘経過の報告を始めるのだった。
半日後。
敵の軍団が丸まる残して行った野営地に、イステール領軍は駐屯していた。
今は、皆でウリボウの治療を見守っているところだ。
ウリボウたちは皆、首に縄を付けられて地面に打たれた杭に繋げられている。
万が一のことがあってはということで、念のための処置だ。
暴れるようなものは一体もおらず、皆大人しくしていた。
ラタ医たちは誰一人として怯えるようなこともなく、ウリボウの患部の毛を手早く剃り落としている。
ウリボウたちはされるがままで、時折痛みを訴えるようにきゅんきゅんと声を上げていた。
「……大人しいね」
されるがままになっているウリボウたちに、リーゼがぽつりと言う。
「そうだな。ここに運ばれてくる時も自分たちで荷馬車に乗ってくれてたし、暴れる心配はなさそうだな」
負傷したウリボウたちを運ぼうと荷馬車を連れて行ったところ、歩くことができるウリボウたちはひょこひょこと傷を庇いながらも、自ら荷馬車に乗った。
怪我が酷すぎて動けないものは、皆で引きずって荷馬車に乗せたのだ。
どのウリボウたちも唸ったり暴れたりせず、とても大人しかった。
荷馬車を引くラタたちは、どれも怯え切ってしまっていたが。
「私たちの言葉、分かるのかな?」
「それはさすがに無理じゃないかな」
「でも、荷馬車に乗せる時は言うこと聞いてくれてたし、やっぱり分かるんじゃない?」
「うーん……」
一良とリーゼがそんな話をしていると、
バレッタが木箱を手に、小走りで駆け寄ってきた。
「カズラさん、持ってきました」
「ありがとうございます。効くといいんだけど……」
カモミールの精油ビンを取り出し、ハンカチに垂らす。
カモミールには鎮痛作用があるため、少しでも治療時の痛みを緩和できればと考えた。
一良がハンカチを近づけようとすると、そのウリボウは顔を上げて一良を見た。
なにそれ? と目で訴えている。
さすが野生の獣というべきか、すぐに匂いに気付いたようだ。
「これ嗅ぐと、痛みが引いて身体が楽になるぞ。大人しく嗅いでくれ」
目の前にハンカチを置くと、ウリボウはあからさまに嫌そうに顔を引いた。
仕方がないので、ハンカチを取って鼻に近づける。
「ほら、嗅いでくれって……あ、こら!」
一良がハンカチを寄せては、ウリボウが顔を背ける。
何度やっても、寄せては背ける、の繰り返しだ。
「カ、カズラさん、あんまり無理に嗅がせようとするのは危険なのでは……」
ジルコニアがヒヤヒヤした顔で、剣の柄を握ったまま一良の背後から声をかける。
「いや、そうは言っても。このまま傷の治療なんてしたら、痛いどころの話じゃないですよ」
「で、ですが、もし噛まれたらと思ったら怖くて……」
そうしていると、リーゼがすたすたと一良の隣に歩み寄った。
「お、おい! リーゼ!」
「大丈夫です」
慌てた様子で駆け寄るナルソンに構わず、リーゼがウリボウの頭を優しく撫でる。
「ほら、ずっと痛いのは嫌でしょう? 我慢して、これ嗅ごうね。カズラ、それ貸して」
「お、おう」
リーゼは一良からハンカチを受け取り、ウリボウの鼻先に寄せた。
ウリボウはちらりとリーゼを見ると、仕方ないといったふうにハンカチの臭いを嗅ぎ始めた。
皆が、唖然とした顔でその光景を見つめる。
「……何でリーゼの言うことは聞くんだ?」
「分かんないけど、あっちでバレッタがやってるのを真似したの」
皆でリーゼの視線を追うと、バレッタが先ほどのリーゼと同じように、ウリボウにハンカチを嗅がせていた。
よしよしと頭を撫でて、「いい子だね」と言いながら笑顔でウリボウを褒めている。
「相手も生き物なんだし、無理やりはダメなんだよ。優しくしてあげないとさ」
「そ、そうだな……よし、虎と同じサイズの犬だと考えるようにするぞ。怖くない、怖くない」
その後、皆で手分けしてすべてのウリボウに精油を嗅がせ、ラタ医に傷の治療を施してもらった。
薬は一良が持参したものを使い、地球産の食事に鎮痛剤を混ぜて食べさせた。
どのウリボウも綺麗に平らげてくれたので、きっとすぐに良くなることだろう。