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191話:手負いの獣

「き、騎兵隊が……!」


 森へと逃げ戻って行く騎兵隊を見て、マルケスの隣の副長が愕然とした声を漏らす。

 かなり遠いため、何が起こっているのかはよく分からない。

 だが、奇襲が失敗したことは見て取れる。


「バカな……何だ、あの白い獣は?」


「分かりませんが……人間ではないようです。ウリボウのようにも見えますが」


「ウリボウだと? あれは群れを成すような獣ではないぞ。それに、この騒ぎの中に飛び込んでくる獣などいるものか!」


 マルケスが怒鳴るが、副長にはウリボウが群れを成して騎兵隊に襲い掛かったようにしか見えなかった。


「しかし、そうとしか……ナルソンは、獣すら操る方法を編み出したのでしょうか?」


「そんなバカな話があるか! 冗談を言っているような状況ではないのだぞ!」


 11年前の開戦時、マルケスはナルソン率いるアルカディア軍を舐めてかかり、一方的な敗北を喫した。

 敗走時は総崩れになってろくに指揮も取れず、いいように追撃されてとんでもない被害を出してしまった。

 その後来援した味方の大軍が、ナルソンの計略によって大敗北を喫したのも、その目で見ていたのだ。

 マルケスは、ナルソンを甘く見てなどいない。

 むしろ、自分よりはるかに腕が立つ指揮官として、非常に高く評価していた。

 だからこそ、頭の回る彼の裏をかいてやろうと、慎重に作戦を練った。

 ナルソンならば、挟み撃ちの危険を考えて、後方に強力な防衛兵力を置くと考えた。

 そして、両脇の森には斥候を放ち、伏兵がいないか十分に探らせるはずだとも考えた。

 それを逆手にとってやろうと、あえて騎兵隊に森を突っ切らせたのだ。

 マルケスは、騎兵隊を本隊から遠く離れた森の外に待機させた。

 影の角度を見て時間を計って移動を開始するように指示し、大体の見当をつけて戦闘地域を目指させた。

 ある程度近づくことができたなら、イステール領軍の太鼓の音と喧騒を目指すように指示したのだ。

 完全に賭けだったが、日頃から軍団要塞を遠く離れて行っていたいろいろな地形での作戦行動訓練が功を奏し、見事敵の不意を突くことに成功したのだ。


「我らは完全に奴の裏をかいたはず! それなのに、あれはいったい何だというのだ! 新兵器といい、獣といい、なぜこうも敵にいいようにやられなければならない!?」


「マルケス様、敵の重装歩兵が迫ってきます!」


 副長の叫びに、マルケスはハッとして正面に目を戻した。

 長槍を突き出したイステール領軍の重装歩兵が、じわじわと迫ってきている。


「このまま突き崩されるわけにはいかん! 重装歩兵は投げ槍準備! 両翼、騎兵の襲撃に備えよ! 剣ではなく槍を持て!」


 手元に騎兵隊がいないことが敵にバレてしまっているため、側面を狙ってくるはずの敵騎兵には歩兵で応戦しなければならない。

 また、敵の重装歩兵はこちらを串刺しにしながら強引に前進してくるつもりだろう。

 長槍を装備したアルカディアの重装歩兵の正面攻撃力は桁外れだ。

 だが、一度隊列を崩して乱戦に持ち込んでしまえば、バルベール兵にとってはものの数ではない。

 そうするには、投げ槍を投擲後に一斉突撃を敢行する以外に手はないのだ。


「マルケス様、敵の大型兵器が!」


「分かっている!」


 両脇から、スコーピオンのボルトが重装歩兵の隊列に襲い掛かる。

 投擲体制に入っていた兵士たちは盾を下ろしており、直撃を喰らった。

 だがそれでも、バルベール重装歩兵たちは隊列を崩さない。


「よし、斉射後、一気に突撃を……何!?」


 あと数歩で敵が投げ槍の射程に入るというところで、敵の重装歩兵の足がぴたりと止まった。

 長槍を持った兵士たちが一斉にしゃがみ、その背後にいたクロスボウ兵が姿を現す。

 凶悪な威力の鉄の矢が、約25メートルという超至近距離からバルベール兵たちに向かって発射された。

 投擲体制に入っていたバルベール兵たちは、それをまともに喰らって次々に倒れ込む。

 射撃を終えた1列目は即座にしゃがみ、後列のクロスボウ兵が続けて矢を放った。

 最後尾が射撃を終えると、しゃがんで再装填していた1列目が再び射撃を開始する。

 バルベール軍の前線部隊は死傷者にあふれ、もはや投げ槍を投擲するどころではない。

 初撃で大半の指揮官が戦闘不能になり、指示を出す者がいないのだ。

 指揮官が残っている部隊は即座に盾の壁を作ったが、盾を貫通した矢が兵士たちを徐々に傷付けている。

 そこに、容赦なくスコーピオンのボルトが飛来し続ける。

 さらには、後方で再整列を終えた投石兵が石弾攻撃を開始した。

 両翼からは、すさまじい数の騎兵が側面をとろうと突撃してくるのが見える。

 戦線が崩壊する、とマルケスは直感した。


「予備隊以外の全軍に撤退命令! 予備隊は敵の追撃を阻止せよ! 絶対に抜かせるな!!」


「マルケス様、全軍で撤退すべきです!」


「馬鹿者! 今そんなことをすれば、総崩れになるのが分からんのか!」


「で、ですが、早く逃げねば我々も危険です!」


「承知の上だ! 軍団を壊走させてはならん! 騎兵隊が戻ってくるまで、持ちこたえてみせろ!!」


 予備隊とは、どのような状況下でも切り札となる最精鋭の兵士たちを指す。

 攻勢時には、最期の決定打に。

 敗走時には、最後までその場に踏みとどまり、味方が戦域を脱出するまで戦線を維持するのが役目だ。

 現在、戦況は最悪である。

 このまま全軍で撤退を開始すれば総崩れとなり、大混乱に陥っている前線の部隊は敵歩兵に追いつかれて蹂躙されることは確実だ。

 本隊とて、敵の騎兵隊の追撃を受けてかなりの被害を出すだろう。

 その間に包囲でもされれば、一巻の終わりである。


「ただ無様に逃げ戻るのは、一度きりでたくさんだ。今回は、最後まで足掻いてやるぞ……!」 




「……やりました! 上手くいったみたいです!」


 バレッタが双眼鏡で前線を眺め、明るい声を上げる。

 敵の重装歩兵が次々に斃れ、生き残った者たちは慌てて逃げだして行く。

 それを追って、槍を突き出した味方の重装歩兵がひと塊になって進みだした。

 全軍前進を指示する太鼓が鳴り響き、周囲の兵士たちが移動を始める。


「大勢は決したみたいですね……カズラさん、このまま進むと台にしている木箱が崩れるかもしれないですし、私たちも降りて歩きましょう」


 バレッタは双眼鏡を下ろし、隣にいる一良を見た。

 一良は前線ではなく、先ほどまで騎兵たちが戦っていた場所に目を向けている。


「カズラさん、どうかしましたか?」


「いえ……ウリボウたちが……」


 数十のバルベール騎兵の死体に混じり、同じくらいの数のウリボウの死骸が横たわっていた。

 まだ息があるウリボウもいくらかいるようで、足をばたつかせてもがいている。

 ハンドキャノン兵や騎兵たちが、遠巻きにその様子を見ていた。


「俺たちも行ってみましょう」


「は、はい! 皆も付いてきて!」


 一良が荷馬車から飛び降り、ウリボウたちの下へと向かう。

 鎧を着こんでいるため動きにくくて仕方がないが、がちゃがちゃと音を響かせて走った。

 バレッタと村娘たちも、その後を追う。


「アイザックさん!」


「あっ、カズラ様!」


 駆け寄る一良に気付き、アイザックがラタを降りた。

 他の騎兵たちは再度の敵襲を警戒して、馬首を森へと向けている。


「来てくださって助かりました。このウリボウたちは、治療を施すべきでしょうか?」


「う、うーん……」


 数メートル先に横たわっているウリボウに目を向ける。

 そのウリボウは荒い息を吐きながら、時折きゅんきゅんとつらそうな声を上げていた。

 後ろ足には深々と槍が突き刺さり、酷く出血している。


「酷い傷……すごくつらそう」


「カズラ様……」


 村娘たちが、縋るような視線を向けてくる。

 助けてやってくれ、と目で訴えていた。

 一良とて心情的には救ってやりたいのだが、相手は巨大な猛獣である。

 動物園で見たトラくらいの大きさの狼のような獣であり、口から覗く牙は大人の手の中指ほども長さがあった。

 もし噛みつかれでもしたら、ただでは済まないだろう。

 巨躯のウリボウをはじめとする生き残ったウリボウたちは、すでに森の中へと消えているようだ。

 アイザックがウリボウたちを見て、困った顔をしている。


「私としては助けてやりたいと思うのですが……それとも、我らが手を出すのはよくないのでしょうか?」


 俺に聞かれても、と一良は言いたいところだが、アイザックは一良をグレイシオールだと信じているのだ。

 このウリボウたちも一良が呼び寄せたと思っているようなので、あれこれ指示を仰ぐのは分かる。

 だが、一良としては、ウリボウを見るのは今日が初めてである。

 正直、返答のしようが無い。


「えっと……このウリボウたち、アイザックさんたちに襲い掛かったりはしましたか?」


「え? いえ、そんなことは……あの、ちょっとこちらへ」


 こそこそと、アイザックが一良を少し離れた場所に連れ出す。

 内緒話をするように、2人で背中を丸めて顔を近づけた。


「あのウリボウたちは、カズラ様が呼び出したのではないのですか?」


「いやいや、そんなことしてないですよ。どうやら、オルマシオールさ……オルマシオールが手を貸してくれたみたいで」


 思わず様付けしそうになり、慌てて言い直す。

 アイザックはそれを聞き、「おおっ」と声を漏らした。

 かなり嬉しそうだ。


「そうだったのですか! オルマシオール様まで我々のことを……私はてっきり、カズラ様が眷属を呼び寄せたものだとばかり――」


「あの、それはいいとして、後ろにいる彼らなんですが」


 後ろ手に組み、整列して待機している騎兵たちに、ちらりと目を向ける。

 先ほどからちらちらと、大多数の者が一良のことを見ているのだ。

 こそこそと隣の者と何やら話している者たちもいる。

 彼らの表情は、以前グリセア村で村人たちに向けられたものと酷似しているような気がした。

 あれは、人ならざるものに対する畏敬を含んだ眼差しだ。


「もしかして彼ら、私のことをグレイシオールだと思ってません?」


「はい、おそらく何人かは……騎兵の間では、カズラ様がグレイシオール様ではないかという噂が広まっているようでして」


「むう……どうして俺がグレイシオールだって、彼らにまで思われてるんですかね……」


「おそらくですが……以前、穀倉地帯の肥料撒きをした際に、カズラ様の話を異国の奴隷が理解した出来事があったじゃないですか」


「そんなこともありましたね」


「その時作業に加わっていた者たちの主が、騎兵隊に混じっているのかと。彼らが噂を吹聴しているのかもしれません」


「あー……1年も前に出た噂話が、ここにきて芽吹いたってわけですか。アイザックさんは、彼らに何か聞かれたりしましたか?」


「噂は本当なのかと聞かれました。何をバカなことを、と答えてはおいたのですが、今回の件で神が我らに味方していると確信した者が多数いるようです。士気には、いい影響を与えています」


「……私がグレイシオールだって、バレてるわけじゃないですよね?」


「はい。疑念の範囲かと」


「なら、ギリギリセーフですかね。『何言ってんだお前ら』、くらいの体でいれば大丈夫かな、たぶん」


「そ、そうですね」


「アイザック様! カズラ様!」


 兵士の声に、一良とアイザックが振り返る。

 皆、森へと目を向けて緊張した顔をしていた。


「何だ、どうした?」


「あれを……」


 兵士の指差す先を見て、一良とアイザックはぎょっとした。

 先ほど森へと消えていった巨躯のウリボウが、背にウリボウの死骸を1つ載せてこちらを見ていたからだ。

 その隣には、一回り小さい真っ黒なウリボウもいる。

 黒いほうは怪我をしているようで、左肩のあたりがべっとりと濡れていた。

 おそらく、先ほどの戦いで負傷したのだろう。

 2頭とも、じっとこちらを見つめている。

 一良はアイザックの肩を抱き、再び後ろ向きで顔を近づけた。


「……俺を見てません?」


「み、見てますね。あの大きなウリボウが、オルマシオール様なんですか?」


「ええ、たぶん」


「えっ?」


「あ、いや、オルマシオールです。間違いないです」


「そ、そうですか。ですが、どうします? 今、カズラ様が話をしに行くのは、さすがにまずい気が」


「うん、いろんな意味で近づくのはまずいと思う」


 ちらりと、一良は近くに横たわっているウリボウに目を向けた。

 荒い息を吐く口からは、鋭い牙がギラリと覗いている。

 もしあんなもので噛みつかれたら、と思うと血の気が引く。

 しかも、こちらを見ているウリボウは、横になっているウリボウとは比べ物にならないくらい巨大なのだ。

 絶対に近づきたくない。


「カズラさん」


 一良が頭を抱えていると、バレッタがトコトコと近寄ってきた。


「あの……あれって、毛皮と腱を使えってことじゃないですか?」


「えっ、毛皮と腱?」


「はい。この前オルマシオール様に助けていただいた時に、毛を分けてくれるみたいなことを言っていたので」


 一良が再び、巨躯のウリボウへと目を向ける。

 すると、そのウリボウは背中に載せていた死骸を地面に降ろした。

 鼻先で、死骸をこちらに寄せるような仕草をする。


「……マジか」


「やっぱり、そうみたいですね……」


 2人がそう言った時、まるでその会話が聞こえたかのように、ウリボウたちは踵を返した。

 あっという間に、森の中へと走り去っていく。

 一良たちはそれを、呆然と見送った。


「行っちゃいましたね……」


 森へと目を向けたまま、バレッタがぽつりとつぶやく。

 なぜこの前のように頭の中に話しかけてこなかったのかと、内心首を傾げていた。


「……このウリボウたち、どうしよう」


 地べたでは、相変わらず負傷したウリボウたちが呻いている。

 まさか、止めを刺して皮を剥げということなのだろうか。


「カズラ様、ラタ医を何人か同行させております。治療できるかもしれませんし、連れてまいりましょうか?」


「そ、そうですね。お願いします」


「はっ! では、しばしお待ちを!」


 近場に停めておいたラタに飛び乗り、アイザックが駆けだして行く。

 部下に命じればいいようにも思えるが、自分で行くのが何とも彼らしい。

 ともあれ、このまま死にかけているウリボウたちを見殺しにするのはどうかと思っていたところだ。

 助けられるものなら、何とか助けてやりたい。

 自分ができることは、食べ物と薬を与えることくらいだ。

 下手すれば、自分たちが食べられる羽目になるかもしれないが。


「生きてるウリボウって、どれくらいいます?」


 一良の言葉に、バレッタや村娘たちが周囲を見渡す。

 何人かの兵士たちがラタを降り、倒れているウリボウの様子を見に行った。

 村娘たちも、様子を見にウリボウたちの下へ駆けていく。


「こっちのは、まだ息があります! 前足が折れているようです!」


「こっちも生きています! 腹に槍が刺さっています!」


 あちこちで、村娘や兵士たちが手を上げる。

 生きているのは10頭ほどで、他は死んでしまっているようだ。

 どう見ても助からないようなものも、何頭かいるようである。

 そうしていると、前線の方から大きな歓声が上がった。

 ウリボウたちにかまけている間に、戦いは決したようだ。

 一拍置いて、一良の耳にノイズ音が走った。 


『カズラ殿、どこにおられるのですか? バレッタは一緒ですか?』


「あ……私、ナルソンさんに全然報告してなかったです……」


 バレッタが『しまった』という顔で頭を抱える。

 それを見て、一良はくすりと笑った。


「じゃあ、急いで報告しないとですね。いったん、ナルソンさんと合流しましょう」 


 村娘や兵士たちにウリボウを任せ、一良たちは前線へと向かうのだった。

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