190話:想定外の攻撃
50を超える死体を残し、バルベール弓兵が後退していく。
怪我人もかなりいるが、息のあるものは仲間に肩を貸されて、あるいは背負われて、矢と石弾の雨の中を逃げ戻って行く。
ナルソンはその様子を眺め、顔をしかめて唸った。
隣では、リーゼが青い顔で口元を押さえている。
「……後退命令が出るまで踏みとどまるとはな」
想定外の攻撃を受け、すぐ目の前で仲間が手足をもがれて血しぶきを上げているにもかかわらず、彼らは壊走するどころか後退命令が出るまで射撃を続けていた。
恐るべき練度の高さである。
もし立場が逆だったら、あっというまにこちらの弓兵たちは戦意を挫かれて壊走していただろう。
「お父様、あのまま弓兵たちを敵陣に近づけるのは危険です。彼らを下げて、クロスボウを使うべきではないでしょうか」
ナルソンの隣に控えるリーゼが進言する。
敵を追っていく味方の弓兵と投石兵たちの背後には、200に届きそうなほどの怪我人が呻いていた。
なかでも、密集して射撃を行っていた弓兵たちの被害が大きい。
死人こそ20~30といった程度のようだが、負傷者の数が尋常ではない。
そのあまりにも凄惨な光景に、リーゼは顔が真っ青になっている。
「いや、矢玉が尽きるまで攻撃は続けさせる。この敵は、追い払うだけではダメなのだ。粉砕し、大戦果を上げなければならん」
「し、しかし、敵陣に近づけてはさらに被害が……」
「前衛部隊を弓兵たちの背後まで前進させろ。スコーピオンも一緒だ」
太鼓の音が鳴り響き、重装歩兵たちが前進を始める。
長槍を持っているのは、前から5列目までだ。
その後ろにクロスボウ兵が5列続いており、横30人、縦10列で1個中隊は構成されている。
重装歩兵たちの両脇は、短槍を持った軽歩兵が守っている。
投げ槍兵は訓練不足のため、全員近接戦闘用の軽装歩兵に編入させた。
とはいえ、彼らは全員が戦闘訓練をほとんどしていない市民兵たちだ。
直接戦闘になって旗色が悪くなれば、途端に壊走する危険がある。
「お父様、敵の歩兵が盾を……」
「うむ」
バルベール重装歩兵たちは盾を前面と頭上に掲げ、隙間なく並べて盾の壁を作った。
そこに矢と石弾が降り注ぐが、ほぼ被害は出ていないようだ。
彼らの背後に下がった弓兵たちが、応射を始めた。
だが、味方の歩兵が邪魔で視界が遮られているため、完全にあてずっぽうである。
互いに動けず、膠着状態になった。
「ジルはまだ戻らないか?」
「はい。騎兵たちのところで、まだ激励を続けています」
ナルソンたちの左手では、第1騎兵隊の前で何やら語りかけているジルコニアの姿があった。
ラタに跨り、剣先で敵陣を指している。
騎兵たちから、大きな鬨の声が上がった。
前哨戦が上手く行っている光景とジルコニアの激励とが合わさって、彼らは高揚状態にあるようだ。
「……まさか、あのまま騎兵隊に加わるつもりじゃないだろうな。リーゼ、連れ戻してこい」
「は、はい!」
リーゼがラタの腹を蹴り、ジルコニアの下へと駆けていく。
ナルソンは再び、前方へと目を向けた。
「さて、マルケスよ。手元に騎兵がいないとなると、このままではスコーピオンの餌食だぞ。歩兵を前に出すべきじゃないか?」
イステール領軍の重装歩兵たちが、敵陣へと向かって進んでいく。
それとは逆に、おびただしい数の負傷兵が、血を流しながらこちらへと逃げ戻ってくる。
一良はその光景を、脂汗を流しながら見つめていた。
覚悟はしていたつもりだが、それはあまりにも凄惨な光景だった。
たった今、目の前で人が死に、あるいは死にかけている。
「カズラさん」
硬く握りしめていた左手を、バレッタがそっと握った。
はっとして、彼女に目を向ける。
バレッタは心配そうに、一良を見上げていた。
「大丈夫ですか? 顔色が……」
「……大丈夫です。ただ、少し気分が悪くなっちゃって」
「なら、しばらくは一緒にこっちを見張りましょう。無理はよくないです」
「そう……ですね」
バレッタの意見に従い、背後の道へと目を向ける。
曲がり角には騎兵が1騎立っており、特に何事もない様子だ。
「こっちは静かだな……同じ戦場なのに、まるで違う場所だ」
「そうですね……このまま、何も起きなかったりするのでしょうか」
「個人的にはそのほうが嬉しいけど、アイザックさん的にはそうじゃないのかな」
2人して、ハンドキャノン部隊の両脇にいる第2騎兵隊へと目を向ける。
きちっと横列を組み、いつでも動き出せるように備えている。
右側の部隊の一番端に、羽根付き兜を被ったアイザックの姿があった。
身じろぎ一つせず、道の先をじっと見つめている。
皆は前線の戦いが気になるのか、ちらちらと背後を振り返っているようだ。
「ふふ、そうかもしれないですね。騎兵隊の隊長に命じられた時、すごく嬉しそうでしたもんね」
「あ、やっぱりそう見えましたか。何かこう、張り切ってましたよね」
「はい、嬉しいのと緊張とで、少し変な顔になってました」
2人して、声を上げて笑う。
「村の皆は……全然大丈夫そうですね」
一良たちの前には、ハンドキャノンを手にした正規兵に混ざって、グリセア村の村人たちの姿があった。
皆、近場の者たちと雑談に興じている。
特に緊張した様子は見られず、普段どおりだ。
「俺なんかより、よっぽど肝が据わってますね。頼もしい限りです」
「カズラさんが近くにいるからですよ。ここに来た時、皆ほっとした顔をしてたじゃないですか」
「はは、役に立ててるならよかったです」
村人たちは、一良の護衛に付いている者以外は全員がハンドキャノン部隊に所属している。
本来は弓兵であるロズルーも、妻のターナと一緒にハンドキャノンを1挺任されている。
この編成は、ナルソンが言い出したことだ。
グリセア村の村人たちは全員、死傷率の低くなるであろう部隊に所属させる方針らしい。
もちろん、一良を気遣ってのことだ。
「っ!?」
その時。
バレッタが急に、ばっと右側の森へと顔を向けた。
「バレッタさん? どうしました?」
「今、声が……」
「声?」
「はい。あっちのほうから、何か聞こえた気がして」
二人して、森へと目を向ける。
一良たち以外、森に注意を向けている者はいない。
「俺には何も……ん?」
森から空へと羽ばたいていく鳥の群れに、一良が目を留める。
さっと、バレッタの顔色が変わった。
「敵襲です! 森から来ます!!」
バレッタが大声で叫び、森を指差す。
皆が一斉に、森へと目を向けた。
「みんな、あっちに急いで! 敵の騎兵が来る!」
バレッタの声に村人たちが即座に反応し、ハンドキャノンを抱えて軍団の側面へと走った。
砲身が鉄製のハンドキャノンは非常に重く、村人たち以外の動きは緩慢だ。
数十秒後、森の中から、黄金色の鎧と短槍を装備した、大量の騎兵が飛び出してきた。
側面に展開していた味方の軽歩兵たちが、急な敵の出現に動揺して浮足立つ。
「な、何で森の中から!?」
一良が無線機を掴んだ時。
先頭を走っていた騎兵が、巨大な何かに体当たりされてラタごと吹き飛んだ。
「……え?」
次の騎兵へと飛び掛かる、成牛ほどの体躯の白い狼のような獣――ウリボウ――。
一良とバレッタが、ぽかんとした様子その光景を見やる。
そうしている間にも、先のウリボウより2回りほど小さなウリボウたちが、次々に森の中から飛び出してきた。
その数、100は下らないだろう。
1匹だけ、他のウリボウたちより少し大きな黒い個体も混ざっていた。
ウリボウたちが次々に、バルベール騎兵へと襲い掛かる。
「オルマシオール様……」
「えっ!? あ、あれがですか!?」
「はい。あの大きなウリボウがそうです。私を助けてくれました」
「そ、そうなんですか。あれが……」
ウリボウに驚き、騎兵たちのラタの半数近くがパニックを起こして暴れまわる。
後方から来た騎兵たちも動揺したようだが、仲間を救うべくウリボウに向かって行った。
「た、助かったけど……これじゃ手が出せないな」
敵騎兵とウリボウたちが血みどろの戦いを繰り広げている様子を、一良とバレッタは呆然と眺める。
友軍の軽歩兵たちも同様で、隊列を組むのも忘れて棒立ちになっていた。
「あっ! アイザックさんたちが!」
アイザック率いる騎兵隊が、乱戦を繰り広げるただなかへと突っ込んでいった。
両軍の騎兵と獣とが入り混じり、獣の咆哮と彼我の兵士の叫び声が響く。
大量の砂ぼこりが巻き上がって視界が遮られ、混沌の極みだ。
その中から微かに、『グレイシオール様万歳!』と叫ぶ声が一良には聞こえた。
「な、何あれ。なんで、ウリボウが敵に襲い掛かってるの?」
その頃、軍団中央部では、ジルコニアが唖然としてその光景を見ていた。
十分に索敵したはずの森の中から、大量の騎兵が飛び出して来た時は、正直血の気が引いた。
完全に想定外の奇襲に、市民兵たちがパニックを起こすに違いなかったからだ。
だが、さらに森の中からウリボウの集団が飛び出てきた時は、驚きのあまりに思考が停止してしまった。
「カズラ殿……まさか、本物だったとは……」
「えっ?」
ナルソンのつぶやきに、ジルコニアが驚いて彼を見る。
隣にいるリーゼは、ぽかんとした顔で騎兵たちの戦いを見つめていた。
「兵士たちよ、あれを見よ! 神は我らに味方したぞ!」
ナルソンが兵士たちに向かって、大声で叫ぶ。
周囲の歩兵たちは人垣で何も見えず、何が起こっているのか分からない様子だ。
だが、軍団の端の方から、徐々に歓声が広がり始めた。
皆が口をそろえて、「グレイシオール様万歳!」と叫んでいる。
よく分からんがそういうことらしい、と他の兵士たちも一緒になって叫び始めた。
「慎重に敵を削り取るつもりだったが、予定変更だ。このまま奴らを引き潰す!」
騎兵たちの戦いは、敵軍にも見えているはずだ。
すでに敵騎兵は退却を始め、次々に森へと逃げ戻って行く。
完全に決まると思っていた奇襲が、ウリボウによる襲撃によって防がれたのを、本隊の連中も目にしているはずである。
本当なら、この奇襲でこちらを混乱させ、敵は全軍で突っ込んでくるつもりだったのだろう。
乱戦にさえ持ち込んでしまえば、個々の戦闘能力で圧倒的に勝るバルベール兵が負けるはずがないと考えているだろうからだ。
想定外の事態続きに、敵は間違いなく士気が低下している。
この機を逃す手はない。
「全軍に前進を命じろ!」
本陣を含めたイステール領軍全軍が、敵陣へと前進を始めた。